五話 雨木優斗

 氷華は死んだ眼をして歩いていた。

 氷夜の亡骸の前で呆然とし、しばらく動けなかった。そのまま再び心を閉ざしてもおかしくは無いだろう。

 だが、氷華はそれをしない。むしろここ数日何もしてこなかった事を責め、それを取り返す為に働かなくてはならないと考える。霧崎氷華はそういう人間だ。

 だから、氷華は砕けた心のまま前に進む。これ以上魔術のせいで誰かが死なない様に。

 とはいえ、流石に今は戦闘をする気力がない。だから最終目的である魔術の撲滅の方を進めようとしていた。


「お、お姉ちゃん?」


 エミリアに声を掛けられても、氷華は気が付かなかった。聞こえていない訳では無いのだが、それを脳内で処理する余裕がない。

 ふらふらと頼りが無い足取りで地下に向かい、秘密の研究室に入ろうとして、


「全く、予想どおりで嫌になるよ。少しは休んで欲しいんだけどね」

「なんでここが……?」


 刀を抜いて立ちふさがる優斗に止められた。


「氷夜さんから聞いたよ。魔術を無くす研究をしているんだって?」

「ああ、知られちゃったんだ……そりゃあ止めるよね……本当は優斗さんを倒してでも進めなきゃいけないんだろうけど……もう、やだよ……」

「一人で悲しんでいるところ悪いけど、別に止める気はないよ」

「え……?」


 魔術が無くなっても良いという魔術師など、氷華の理解の範疇に無い。


「まあ本当に出来るのかとか、魔術を無くせばお前の目的は達成なのかとか疑問はあるけど、別にもう魔術が有ろうがなかろうがどうでも良いからね。ただし、お前が自分の体を治したならの話だけど」

「な、何を言って……」

「魔術が無いなら無いなりに生きていくから僕は別に良いんだけど、お前は魔術が無くなれば体が維持できなくなって死ぬだろ。それは嫌だ。だから、やるなら体直してからにしろ。以上」


 端的に主張を纏める優斗、それに対して氷華は困惑するしかない。


「そ、そんなの駄目!! その間に何人死ぬか分からないんだもん!!」

「それも自罰的になっているせいで客観的に見れていない気がするけど……まあいいか」


 今の精神状態で話しても冷静な判断は無理だろう。もっと違う手段を用いるべきだ。


「じゃあ戦って決めようか。勝敗は自己申告で良いかな。氷華が勝ったらもう何も言わない」


 そうして、優斗は宣戦布告をし、


「その代わり、負けたら僕のものになれ、氷華」


 氷華にとって、致命的な言葉を口にした。


◇◇◇


 優斗に氷華の過去を見せ、自分の死期について話した氷夜は、最後に願いを託した。


「妹を頼む、色々抱え込んだ子だけど、幸せにしてあげて欲しい」

「それは言われなくてもそうするつもりですけど……さっきみた氷華の過去からすると、氷華を僕のものにしちゃうのが手っ取り早いと思うんですが、いいのですか? そんなことしちゃって」


 氷華には誰かの命令に従って動くという兵器としての本能が植え付けられている。誰かに従属した状態が彼女にとって自然で、精神的に落ち着くのだ。嫌われている相手なら無理だし、氷華も嫌がるだろうが、優斗はそれなり以上に氷華に好かれているだろうしまあ問題は無いだろう。

 だから、氷華が優斗のものになれば精神が落ち着くし、自罰的な行為を止めさせることも出来る。無論それだけでは氷華を幸せにするには足りないが、有効な手段であることに変わりはない。

 ただし、氷華は従属した相手には逆らえないのだ。氷華が嫌がる事を無理やりさせるとは考えなかったのだろうか。


「だから君に頼んでいる。君なら100%完全に氷華の為に行動してくれるだろう?」

「まあそうですね」


 優斗は氷華を幸せにする事にしか興味がない。その為に自分が死ぬ必要が有るなら一瞬も迷わず舌を噛み切るし、全人類を殺す必要が有るなら躊躇なく虐殺を実行するし、人が死んではいけないならどんな手段を使ってでも人を助ける。

 好きな人を幸せにする事のみを考え、好きな人の幸せを至上の幸福とする。雨木優斗はそういう狂人だ。

 だが、だからこそ氷夜は氷華を託すのだ。というか、人の自由や権利を侵害するなんてこれぐらいでなければ認められないだろう。


「じゃあ、あとはまかせて下さい。必ず氷華を幸せにします」

「頼んだ」

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