花火をしよう、と誘われたので。
いぶさわ りお
たまゆらはなび
「ねえ、一緒に花火しない?」
いきなり押しかけて来た彼女は、玄関先で笑みを浮かべていた。久しぶりに顔を見せたと思えば、両手にビニール袋を掲げて家に押しかけて来るとは。ビニール袋から取り出したのは、何処にでも売っている花火の詰め合わせ。火を点ければ打ち上がったり、パチパチと弾けたり、その他諸々が入っているやつ。
そういえば、今年は花火大会に行ってなかったな、と思い出す。忙しさと無関心が半々で天秤の均衡を保っていた故に。彼女の提案は悪くはないと思うが、疑問が一つ浮かび上がった。
「でも、何で今なの?」
十月の半ば。夏の残り香のような暑さが、徐々に肌寒さへと移り変わる季節。花火とは一般的に夏の風物詩とされており、冷え込んできた夜に火を点けて暖まる代物ではないと思う。それなら家でバラエティー番組を見ながらお酒でも飲んでいる方が充実するだろう。
問われれば、彼女は事前にその答えを用意していたかのように得意げな表情を向けた。
「だって私、まだ夏終わってないもん」
「……は?」
「だから、夏らしいことを何も出来てないの!」
つまり、自分はその自己満足に付き合わされるらしい。今日は溜まっていた録画番組を消化しながら、一人晩酌を楽しむ予定だったのだが脳内カレンダーを書き換える必要が求められた。追い返そうにも、絶対退いてくれないことは今までの付き合いから理解していた。
「仕方ないなあ、わかったよ。場所は?」
「近所の河原でいいでしょ。バケツも全部あるから、早く行こうよ」
「せめて上着だけは取らせて欲しいんだけど」
待ちきれないのか、彼女は腕を取って強引に連れ出そうとしてくる。こういうところ、昔から変わらないなあと思い知らされる。それでも、何だかんだで後悔はしないので断れないのだが。
歩いて十分程の距離に、子供の頃よく遊んでいた河原がある。昔はそこで玩具花火で遊んだり、バーベキューなどをしたものだ。懐かしさに浸っていれば、時間は一瞬にして過ぎ去った。
「よーし、じゃあどれから燃やす?」
「燃やすて。とりあえず、最初は無難なものからじゃないの」
久々の体験なので、慣れを取り戻したかった。いや、こういうものに慣れもなにもないと思うのだが。
手持ち花火の内の一本を取り、彼女が用意していたバケツキャンドルの火を先端に近付け、点火させる。火薬に達すれば、空気を含んだような音がして火花が吹き出した。
「じゃあ私は、これにしようかな」
懐中電灯で手元を照らしながら、彼女は自分が選んだ輪状のものへと火を点ける。
「あれ、これってどうするんだっけ」
「早く手を離せ馬鹿!」
彼女の手から花火を奪うように放り投げれば、火花を撒き散らしながら回り出した。互いに花火を覚えていないのも不安の一つだが、それ以上に彼女が危なっかしすぎる。次はロケット花火に手を伸ばそうとしているのに気付き、穂薄のような火を吐き出しているものの色違いを渡すことにした。不満げな目を向けられようが、火傷されるよりはよっぽどマシである。
何本か水の入ったバケツにぶち込み、段々と感覚を思い出している最中だった。
「ねえ、夏の間、何してた?」
花火に組み込まれた火薬が、耳を通り抜けるような音を立てて自らを燃やす。色を飾られた火が、夜闇の中で彼女の表情を照らしている。目線は自身が持っている花火の先端。
黄色から手元の青色へと視線を戻し、最近の記憶を掘り起こすことにした。
「特に何もしてないかも。いつも通り、仕事行って、たまに好きな本買ったり映画を観に行ったり。イベントも行った記憶ないかな」
「そっか」
生まれた静寂を、火薬が弾ける音が埋めていく。勢いが衰え始め、彼女は落ち着いた声色で話し始めた。
「私ね、結婚決まったの」
燥いでいた彼女はどこへやら、今は彼女の顔から夏の色は消えていた。
「そっか、おめでとう」
「ありがとう」
小さな火の華が彼女の淡い笑顔を彩り、黒に塗り潰された。光を絶やすのが嫌で、残っている打ち上げ花火に火を灯して僅かな明かりにすることにした。
軽く弾ける音の後に、等間隔に火の星が吐き出されて、宙に花弁を散らしていく。
「前から付き合ってたって話の人?」
「うん、今年の六月にそういう話になったの」
「式の予定って決まってるの?」
「来年の春頃かな。来てくれる?」
「頑張って休み取るよ。取れなくても行くし」
そう返せば、口端を吊り上げた笑みを向けられる。
結婚とは、人生において大事な意味を持つ出来事である。墓場とも言われるが、そもそもの話、生涯とはスタートとゴールが決まっているものだ。故にターニングポイントに過ぎないのかもしれない。
しかし、そうだとしてもだ。芽を出した恋は愛の花となり、種を遺すのかもしれない。費用も手間もかかるし、簡単なことではないのも大事だという理由の一つではある。
「結婚式が終わったらね、海外に引っ越すんだって。仕事の都合とか、夢とかって理由」
彼女の儚い横顔が、小さな打ち上げ花火に照らされる。胸が痛いようで、満たされるような。曖昧な気持ちだった。
あれだけ入っていた花火も残り少なくなり、数本の線香花火だけとなってしまった。蝋が減ったバケツキャンドルの火を受けて、先端から燃え進んでいく。
「だからね、もしかしたら会えなくなっちゃうかも」
膨らんで大きくなった火の玉が、パチリ、パチリと華を夜に咲かせては弾けていく。一度火が点けば、過程はどうあれ最後には消える。
誰かの恋が実るということは、他の誰かの恋が花を咲かせないということになる。ハッピーエンドの横には、いくつものビターエンドが実を落としているのだ。つまりは、それが人生における大事な意味のもう一つ。全てが咲き誇るわけではない。
「それはちょっと、寂しいかも」
「ちょっとなの?」
「嘘、結構寂しいかも」
咲いた華が、花弁にまとまりを持たせる。激しく火花を散らした次は、丸く、柔らかく変化していく。そうなれば、後は静かに終わりへと向かうだけ。線香花火は、もしかしたら人生と似ているのかもしれない。
「綺麗だねー」
「そうだね。なんか寂しいんだけど、だからこそ綺麗なのかな」
二人して、散りゆく花弁を見つめる。寂しくて、儚くて。ひょっとしたら、悲しいのかもしれないけれど、それ以上に優しくて、綺麗だと思えてしまった。
「あ」
手元で終わりを迎える火の玉が、ぽとりと千切れて落ちてしまった。燃え尽きる前に落ちてしまうのは、ちょっと悲しく思う。隣の彼女の花火は、まだ緩やかに燃え続けていた。
「まあ、そういうこともあるって」
「そんなものだよね」
静けさの中を、音もなく火花が散っていく。十数秒か、それ以上だろうか。途中で落ちることなく、彼女の線香花火は最後まで華を咲かし続けていた。
使い終わった花火を、水の入ったバケツへと放り込む。これで、彼女の持ってきた夏は終止符を打った。
蝋燭の火を吹き消して、片付けをしている最中に彼女は声を上げた。
「じゃあさ、私がこっちに来れなくなったら、そっちから来て貰えばよくない?」
「難しいこと言うなあ」
自分の安月給では、すぐにとはいかないだろう。税金や奨学金、他にも様々なところへとお金が消えていく。生きるのは大変なのである。
「まあ、私が来れなかったらの話だから。まだわからないし」
封を開けた花火を入れていたビニールや、使い終わったバケツキャンドルをビニール袋に入れていく。水の入ったバケツを持って、彼女の手が止まった。
「あー、どうしよう。これ」
「どこに帰るの?」
「少し先のホテル、四丁目のところ」
「考えなしじゃない?」
呆れながらも、彼女からバケツを引っ手繰る。ホテルにこれを持って帰る姿は、想像すれば滑稽だった。
「ありがと」
にこりと、彼女は目を弓なりにして笑う。昔から変わらない笑顔を目にして、懐かしさが胸の内に沁み込んだ。
きっと、恋をしていたのだろう。それは彼女に対してなのか、彼女の恋になのかは、今となってはわからない。だって、この花は途中で落ちてしまったのだから。
それでも、彼女の幸せは喜ばしいことであった。咲いた花は、いつか散ってしまう時まで大切にして欲しいものだ。願わくば、落ちることなく燃え尽きることを。
「付き合ってくれて、ありがとう。あー、満足した」
「それは良かった」
来た道を隣り合って歩く。夜風の冷たさが、夏の終わりを余計に意識させる。夏が終われば秋が来て、冬に移り、春を咲かせる。そうして季節は一巡し、ピリオドを乗り越えていく。
交差点に着いたところで、彼女は立ち止まった。
「私、こっちだから。結婚式、絶対来てよね?」
「休み取れなかったら仕事辞めようかな」
「わあ、責任重大。そしたらブーケ投げるから取ってね」
信号が赤から青に変わり、彼女は別れを告げ、背を向けて歩き出した。互いの歩く道は違うものだが、続く限り交差する可能性はゼロではない。それまで頑張って生きなきゃなあ、と新しい人生の目標が出来てしまった。
遠ざかる彼女の姿が見えなくなり、我が家に歩を進める。片手には、水と花火の残骸が入ったバケツ。終わった夏が、冷たい水の中に存在していた。
「夏、終わっちゃったなあ」
一人呟けば、それは吹いた風に攫われて消えていった。途中で落ちた線香花火と、恋心。どちらも燃やせるのだから、ビニール袋に入れて明後日に処分することにしよう。
花火をしよう、と誘われたので。 いぶさわ りお @rio_ibusawa
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