三章二話 彼が言わなかったこと

 遊園地デートから数日後、妃くんから「ショーのことで話したいことがある」と声をかけられた。

「信用出来る友人がいたらそいつも連れて来てほしい。……話が話だから」

 私は「うん」と頷いた。一人心当たりがある、と。


「こんな穴場があるなんて知らなかった。レトロな雰囲気もいいし、コーヒーがとっても美味しいわ」

 うっとりしている早苗に、妃くんは「そいつはよかった」とぶっきらぼうに言う。別に不機嫌なわけじゃない。これが彼の平常運転。

「パンケーキも食べちゃおうかしら」早苗も特に気にした様子はない。

「ルヴォワールは俺の隠れ家だからあまり言いふらすなよ」

「分かってるわよ。あ、ハニートーストも捨てがたい」

「たく……市原。あんたも元気なさそうだな」

「そう、かな?」

「そういうところショーと一緒だな。顔に出るから分かり易いよ」

「そうね。ここ最近お隣さんも似たような顔してる。こーんな感じ……ちょ、あんたが笑わないでよっ」

「悪い悪い。ついな」

 早苗と妃くんは、初対面にも関わらず意外と息が合っていた(気難しい同士通じるものがあるのかも)。

「水仙寺さんと村山くんって……付き合ってたんだよね?」私は本題に入った。

「あぁ。あの二人は付き合ってた。ショーにとっちゃ苦い恋だったがな」

「村山くんとあの子の間に一体なにがあったの?」問い詰めるような言いかたになった。

 気持ちが明らかに急いていた。落ち着け、と軽く唇を噛んだ。

 ――水仙寺さんがしたことは一生忘れないですよ。

 あのときの村山くんは知らない人のようだった。

「その前に」早苗のほうを向いて「あんた、若月っていったよな」

「ええ。初対面の人に『あんた』呼ばわりされる謂れはないけど人違いじゃないわ。一応、市原さんのお友達」

「口が悪いのは勘弁してくれ」

「別にいいけどね」ふん、と鼻を鳴らす。

「若月、口は堅いほうか?」

「それなりに」

「それなりじゃ駄目だ。これからする話はショーの深い部分にも関わってくる。口の軽い第三者には話せない」

「人を呼びつけといてひどい言いよう」

「性格だ。……なんだよ? 俺の顔になにかついてるか?」

「噂とは全然違う人なのね」

 妃くんは「またそれか」と溜め息をついた。「市原にもいつぞや同じこと言われたよ」

「でしょうね。なら知ってると思うけど、あなた学年一の女たらしで有名よ」

「勝手に言わせとけばいいんだ。俺はなんとも思わねえ。……で、あんたのことは信頼していいのか?」

「そうねぇ……」早苗は少し考えた。「『人の秘密をぺらぺら喋るような人は自分の株を下げる』――こういう答えならお気に召すかしら?」

「なるほど。いい答えだ」

 その言葉に嘘や誤魔化しがないか、早苗の目をじっと見た。

 彼女は、妃くんから一瞬たりと目を逸らさなかった。

「……分かったよ。信頼する。実際のところ俺と市原だけじゃ考えがどうしてもショー寄りになっちまうからな。客観的に物を見られる人間がいると心強い。二人のためにわざわざ来てくれてありがとな」

「この子がどうしてもって言うから仕方なくよ。たまたま暇だっただけで……そこんとこ勘違いしないでよね」

「市原、若月ってあれか? ツンデレ?」

「可愛いでしょ」

「漫画みてえだ」

「二人ともうるさい! 来た以上は思ったこと全部言わせてもらうからね。遠慮なしで」

「あぁ。そうしてもらえると助かる」

「真理もそれでいい?」

「ありがとう、早苗」

「その代わり奢ってね」

「うん」

 ――だから、早苗についてきてほしいの。それに、一人じゃ心細くて……。

 ――いいわよ。どうせ暇だし。

 いまの私に必要なのは、泉水の優しい慰めではなく、早苗の客観的な意見だ。

 どんなに耳を塞ぎたくなっても、私はちゃんと向き合わなければならない。私は村山くんのことが知りたい――。

「聞かせて」

「分かった……」妃くんも友人の過去を語る覚悟を決めたようだった。

 ショーはな、水仙寺を盗られたんだ。名前も知らないような男に――。


 中学の卒業式、水仙寺さんから告白されたことがきっかけで二人は付き合い始めたそうだ。

 一度会ったから分かるけど彼女は可愛らしい子だ。ふわふわとした雰囲気に愛嬌のある笑顔。ちょっとした仕草にも細やかな計算があって、私なんかいくら逆立ちしたって敵わない。

 学年でも一、二を争うほどの人気だったらしい。そんな子から「第二ボタン頂戴」って言われて舞い上がらない男の子はいないだろう。

 ――なんで俺なんだろう?

 ――知るかよ、この色男。さっきからニヤけてんぞ。

 ――茶化すなよ。

 初めての告白。初めての彼女。周りの嫉妬と降って湧いたような幸運に戸惑いつつも、村山くんの手探りの恋が始まった。

 真面目で誠実なんだけど、めちゃくちゃ不器用。彼の気質は、男女交際においても発揮されていたそうだ。

 あいつに何度泣きつかれたことか。話の途中、妃くんはぼやいた。

 どんなエピソードがあったか、それは村山くんの名誉もあるので詳しくは言わないけど、なるほど。彼はなにに置いても明後日の方向に走り出そうとしていた。妃くんがそれを何度止めたことか。――昔から思い込みが激しいんだよ、あいつ。

 それでも初めての彼女を大事にしたい。その想いだけは、彼の中で一切ぶれなかった。悩み相談のはずがいつの間にか惚気に……なんてこともしばしば。

 多少の問題があっても、恋人から大事に想われて嫌な気分になる女の子はいない。

 なんだかんだ上手くいってたんだよ、あの日までは。妃くんの表情が険しくなった。

 クリスマスイブ。初めての記念日に向けて、これ以上ないぐらい村山くんは張り切っていた。女性誌を参考にデートプランを立て、プレゼントもばっちり。あとは当日を待つだけだった。

 それが土壇場になってキャンセル。翌日も無理とのことだった。

 嫌味の一つも言わずに、彼は笑って電話を切った。

 いくら村山くんがお人好しでも初めてのイブを反故にされて平気でいられるはずもなく、もやもやを晴らそうと彼はイブの街を一人で歩いた。歩き回った。

 そして見てしまった。――家族とパーティーをしているはずの恋人が、知らない男と仲睦まじく腕を組んで歩いているところを。

 背が高くて、カッコ良くて、歩きかた一つとっても自信に満ち溢れていて、自分が持っていないものばかり持っている。そんな男だった。

 水仙寺さんが所属している事務所の後輩。それが素敵な彼の正体だった。

「浮気現場を見ちゃったわけか。最悪ね……」

 妃くんが話を締め括ったあと、早苗が独り言のように言った。

「そりゃ村山くんもショック受けるわ。よりによってクリスマスイブでしょ?」

「デートの誘いを断った恋人が他の男と歩いてたんだ。……堪らねえよ」

「それで、村山くんはどうしたの?」

 私が訊くべきことなのに、さっきから早苗に言わせてばかりいた。「いくら村山くんでも恋人の浮気を笑って許せるほどお人好しじゃないでしょ?」

「『見間違いだったらよかったのに』。あいつはそれしか言わなかった」

 村山くんらしい、素朴な答えだった。

「年が変わる前に話はつけたそうだが……あぁ、そうか。市原もイブは大変だったんだな。辛いこと思い出させちまったな。悪い」

「違う。違うの!」私は激しくかぶりを振った。

 泣きじゃくっている私に、「あまり自分を責めないでくれ」と妃くんが言った。

「ショーは恨み言も言ってないし、ずっと市原の心配ばかりしてた。自分だってこっぴどく恋を散らせておきながらよ……馬鹿だよ、あいつは」

「そうやって誰かを気遣うことで痛みを紛らわせていたのかも……」

「たぶんな。恋人の裏切りなんてものは真正面から受け止めるには重過ぎる。形はどうあれ、案外あいつのほうが救われてたのかもしれないな。市原と偶然会ったことに」

 二人の言葉は優しい。でも私は、自分が許せなかった。

 恋人に別れを告げられた私と、恋人に裏切られた村山くん。

 比べものにならないぐらい激しい痛みを抱えていたのに、あのとき彼は……

 ――その人のこと、本当に好きだったんですね。

 ――好きだったんだもん。本当に本当に、好きだったんだもん……。


「どう? 少しは落ち着いた?」

 妃くんと別れたあと、私は早苗と大鳥島自然公園にいた。このまま帰すのが心配だからと付き添ってくれたのだ。

「うん。だいぶ落ち着いてきた」

「そう……真理が罪悪感持つのも分からなくはないよ。私は絶対無理。お人好しとかそういうレベルの話じゃないもん。お隣さん、やっぱり変わってる」

「うん。心底変な人だと思う」

「真理は気を悪くするかもしれないけどさ、私、その水仙寺って子の気持ちも少しは分かるな」

「――分かるの?」

「とと。そう睨むような目しないで。別に浮気を認めてるわけじゃないから。ただ、優しいだけの彼氏もどうなんだろうって。妃の話を聞いて、真理はなにも思わなかった?」

「……これ、村山くんには絶対言わないでね」

「言わないよ」

「正直さ、村山くんのこと気持ち悪いって思った」

 早苗も「でしょうね」とベンチの背にもたれかかった。

「優しいだけの彼氏か……そんなの寂しいよね」

「うん」

「皮肉とか小言ばっかり言う人はもちろん嫌だけど、私の顔色ばかり窺っている人も、私の言葉に全部『いいよいいよ』って頷くイエスマンも……そんなの恋人って言わないでしょ」

「私も、本音で話せないような人はやだ。優しさの定義なんてそんな難しいことは分からないけど、私が間違ったことをしたときには叱ってほしいし、意見が違うときには、お互いがちゃんと納得出来るまで話し合いたい。カッコ良いとか優しいとかそういうことじゃなくて、真っ直ぐ見つめ合えない人とは、私、絶対恋人になれないよ」

 相手の心を繋ぎ止めるために自分を殺したり、どんなに不誠実なことをされようと笑って許すような――そんなの優しさでもなんでもない。妃くんの話を聞いている最中、どうしてもその違和感が拭えなかった。口にしなかっただけで、妃くんもなにか思うところはあったのかもしれない。日々、恋人の奴隷になっていく幼馴染に……。

「村山くんはきっと恋の主導権を全部彼女に握らせちゃったのよ。それがきっとお互いの負担になったんだと思う」

「恋って、二人で育むものだよね?」自信がない解答を確認するかのように早苗に訊いた。

「一人でする恋なんてすぐ壊れるわよ、きっと」

「そうだよね……」

「水仙寺さんがなんであんな冴えない人を好きになったかは知らないけど、なにかきっかけがあったんだと思う。不良に絡まれているところを村山くんに助けられたとか……まぁ、いまのは冗談だけど、でもきっとなにかあったのよ。その子にも。村山くんの第二ボタンを欲しがるだけのなにかが」

「うん……」そのなにかが美しく素敵なものであってほしいと願う自分がいた。

「幸せな恋を夢見て告白しても、壊れるときは、こんなにも苦いものになるのね――みんながみんな少女漫画の最終回みたいに幸せになれればいいのに……」

「そうだね」

 もっと可愛くなりたい。早苗みたいに綺麗になりたい。私は初めて思った。

 優しさと憂いの横顔は、同性でも見惚れてしまうほどだった。

「ふふ」早苗が不意に笑った。

「どうしたの?」

「いや、なんか今日一日ずーっと真面目な話ばかりしてたけどさ、なにも心配することはないなってふと思ったの」

「と、言いますと?」

「真理と村山くんは、いつだって目線の高さが一緒じゃない?」

「あ――」

「ね? なにを心配することがあるの?」

 早苗のウインク。たった一言で、目の前がぱっと開けたような気がした。

「……そっか。そうだよね! あれ、私、いままでなに気にしてたんだろう?」

「急に元気を取り戻すんだから、この単純娘は。色んなことあったかもしんないけど全部過ぎた話じゃん。元カノの登場ぐらいでいまさらなにパニクってうだうだしてんのよ。村山くんなんかあんたの元カレのこと、最初から知ってたわけでしょ? 

 悩む暇あったらさっさと次のデートの約束でもしなさいよ。お隣さんの暗い顔いい加減見飽きた。どーせまたあーだこーだ考えを捏ねくり回してるわよ。鬱陶しいから早くなんとかして」

 ズケズケと本当に遠慮がないなぁ。でも――

「ありがとう、早苗。今日付き合ってくれて。……私、ちっぽけなことで悩んでたんだね!」

「ない頭でね」

「うるさいよ」

「で、どうだったの?」

「なにが?」

「日曜日の遊園地デートとやらは」

「え?」

「妃の話があんまり長いから聞き損ねてたの。観覧車は乗った?」

「あ、うん」村山くんの眼差しを思い出して、声が小さくなった。「……乗ったよ」

「へー、あの観覧車乗ったんだ。大鳥島遊園地の観覧車に」

「そ、それがどうしたのよ?」

「あそこの観覧車、好きな人と乗ったら恋が叶うって女の子達の間じゃ有名なのよ」

「……え、え……えぇ!? なにそれ? 初めて聞いたんだけど!」

「ははん。観覧車で愛の囁き……。村山くんもあれでなかなかやるのね。よかったじゃん。あんたらの恋叶うって」

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ! なに言ってんの? そもそもなんで村山くんが告白した前提で話してんの?」

「だって――あの人ロマンチストじゃん」


 帰宅後、私は制服も着替えないままベッドにダイブした。もふっ。

 疲れた。早苗さん、食いつき過ぎ……。結局事細かに話しちゃったじゃない(本当は誰かに言いたくて仕方なかったくせにね。そういうとこ私も女の子だ)。

 早苗には、あまり言いたくないこともちゃんと話した。

 未だに断ち切れていない想い。そして観覧車での醜態も……。

 ――あちゃー。真理のほうに問題ありだったか。仕方ないというかなんというか……まだ吹っ切ってなかったの?

 ――そういうわけじゃ……うぅ、だってその……。

 ――心の準備が出来てなかった?

 ――うん。

 ――イエスかノーかスパッと決めるタイプかと思ってた。真理、意外と女の子ね。

 ――『意外と』ってなんだ! 

 ――つまり、あとは真理の気持ち次第ってことか。

 ――そうなるよね。でも、タイミングとかどうしよう……。

 ――もうすぐホワイトデーだし、そのときにでも告白の返事したら? 村山くんもその頃になったらアクション起こすでしょ。

 ――それだ!

 ――上手くいったらお赤飯炊こうか?

 ――いらんわい!


 その日の夜、もし巧さんから電話がかかってこなかったら、私達はきっと上手くいったと思う――。

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