二章一話 勘違いしないでよね!(二)
「はぁはぁ……うぇ。若月さん、足速いね」
「あんたは、しつこ、しつこ過ぎ……」
今回の勝負(?)は、私の粘り勝ちだった。私も若月さんもベンチでくたくたになっていた。
大鳥島市で一番大きな公園――大鳥島自然公園。日暮れどきにカラスはカァカァ。人っ子一人いなかった。
「大体、なんで追っかけてくんのよ?」乱れた髪を直しながら訊いてきた。
「え? そりゃ……なんでだろ?」こういうとき、ショートって楽でいい。
「わけ分かんない……」流し目で呆れていた。「子どもっぽい人」
「どこ見て言ってんだ!」
「そんなことより! さっき見たこと、学校で言いふらしたら許さないからね!」
「さっき見たこと……?」
「それはとぼけてるの? それともただの鳥頭? 本屋でのことよ!」
「若月さんが、実は少女漫画が好きだってこと?」
「好きじゃないから! 妹に買って来てくれって頼まれたの、帰り道だから!」
「……あれ、若月さんって一人っ子じゃなかったっけ?」(以前、取り巻きとそういう話をしていたのを聞いたような)。
「うぐ!」
どうやら意外と嘘をつけない人みたいだ。ちょっと微笑ましい一面。
「全然隠すことないよ。BL本とかだったらさすがにびっくりしてただろうけど、私も『放課後のアイライクユー』読んでるよ」
恥ずかしそうに俯いている彼女の肩をぽんぽん叩いたら、邪険に払われた。
「わ、私には……市原さんと違ってイメージってものがあるもの」
「イメージねぇ」
そりゃ私と違って若月さんは色々と大変そうだけどさ。美人だし。クラスでの立ち振る舞いもスマートでクールだ。
「……でもなぁ、そういうのって窮屈そう」
「は?」
「――ごめん! なんでもない。なんでもないよ」独り言のつもりだったのに、うっかり口にしていたみたいだ。
「一度言ったことを引っ込めないでよ。歯切れが悪いのって嫌いなの」
「気……悪くしない?」
「野犬みたいに人をあれだけ追いかけ回しといて、いまさらなに言ってんの?」見下すように、顎を軽く持ち上げた。
「それもそっか。えっと……やっぱり窮屈かなぁって」
「それはさっき聞いた」
せっかちめ。「私、若月さんの気持ち……分からなくはないんだ」
「へぇ、私のどういう気持ち?」
「周りから可愛く見られたいとかカッコ良く見られたいとか……」チラと上目遣いで窺う。
「続けて」と若月さん。
「ときどき凄いなって思うよ。そうやって周りのイメージに応え続けられる若月さんのこと。私なんかどう逆立ちしたって若月さんみたいになれないし」
「そうね。市原さんには向いてないと思う。てか無理。絶対に出来ない」
そこまで断言しなくても。
「……余計なお世話かもしんないけど、もうちょっと自分らしく振る舞ってもいいんじゃないかな? イメージばっかり気にして友達と好きな漫画の話さえ出来ないなんて……疲れない? そういうのって」
「本当に余計なお世話」
「ごめん。でもさ、そんなに隠そうとしなくても大丈夫だよ。周りの人達だって、それこそ安藤さんとか桜井さんとか若月さんのありのままを受け入れてくれると思うよ」よく一緒にいる二人の名前を挙げた。
「どうかしら。それよりも、さっきからずいぶんと私に肩入れしてくれているみたいだけど、どういう風の吹き回し? あなた、私のこと嫌いなんじゃないの?」
「そだね。好きか嫌いかで言ったら……若干嫌い寄りかも。若月さん、ちょっと棘っぽいし、高飛車だし」ホームルームが終わったあとの、あの挑発的な笑みは未だに覚えている。
「はっきり言うのね」
「本音で喋ってるもん」
「でしょうね……」ふふっと唇がカーブを描いた。「私にここまで言う人いないわよ」
「じゃあ私が一号だ」
「なんで嬉しそうなの?」
「さぁ?」
「気楽で羨ましいわ」
「本屋さんで見た若月さんの素顔だってとっても可愛かった」
「な、なに言ってんのよ! 馬鹿じゃない。だからあれは――」きっぱり否定するかと思ったら、今度はごにょごにょっと恥ずかしそうに言葉を添えた。「みんなに……言わないでよ」
「分かってる。言いふらすようなことはしないよ」
「市原さん」
「なに?」
周りに誰もいないか確認してから言った。「あなた……『放課後のアイライクユー』好きなのよね?」
「好きだよ。中学のときから集めてる」
「推しは?」
「推し?」
「どのキャラが好き?」
「明日葉くん」即答した。
幼馴染の恋を応援する男の子――明日葉光太郎くん。秘めたる恋の話に何度泣かされたことか。
「わ、私も……」
「明日葉くん、いいよね!」
「ちょ、手握らないでよ!」
「ごめん。つい」あんまりメジャーな漫画じゃないから、思わぬところに同士がいて嬉しかったのだ。もしかしたら、それも若月さんを追いかけた理由なのかもしれない。
「たまたま好きなキャラが被っていたからって『友達になって』とか言い出さないでね」
「分かってるよ。それこそ漫画じゃないんだから」私は苦笑いして言った。
「そりゃそうよ」
「――でも、私達たぶん仲良くなれるよ」
若月さんは、面食らい、しばし言葉を失った。
「あ、あなたが……私のことを好きになっても、私はあなたのこと好きになんか……」
「なれそうにないかな?」
「……なんで?」
「なにが?」
「私、あなたとまともに喋ったことないわよ? それがどうして急に……」
「分かんない」
「ノリで言ったわけ?」だとしたら軽蔑する、と言いたげな目。
「ノリじゃないと思う」
「じゃあ、なによ?」挑発するような言いかただった。
私は素直に言った。「若月さんのこと知りたくなったの」
「私のことを?」目をパチクリさせていた。
「一年近く同じクラスなのに、今日まで好きな漫画の一つだって全然知らなかったんだもん。同じ漫画が好きだったのにね」
「お互い関わりがなかったんだから当然でしょう」
「だから知りたいの」
「友達が欲しいわけ? 友達多いほうでしょ、あなた?」
「友達が欲しいんじゃなくて、なんて言うんだろう……そばにいる人を、誤解したままでいるのが嫌だなって、思うようになったの」
「ふぅん。立派な心がけね」
妃くんのことが頭に浮かんだ。――ルヴォワールなら静かだし、四人で勉強会でも……。
「だからってみんなと仲良くなれるとは思わないよ。私だってどう頑張っても好きになれない人はいるし、逆に私のことを嫌いな人だってたくさんいると思う」
「私のことは好きになれそうってわけ?」
「うん」
「根拠あるの?」
「人を好きになるのに根拠なんている?」自分の言葉に横っ面を引っ叩かれたような気がした。でも、これ以上ないぐらい言葉が滑らかに出た。いまの言葉でなにかが伝わったような気がした。
「…………」
ひゅうと吹く真冬の風。吐く息まで凍えそうだ。日は沈み、気の早い一番星が仲間達を出し抜いて、一人輝いている。
それでも私達はベンチに座り続けていた。
若月さんがふと言った。「……馬鹿馬鹿しくなるぐらい素直ね、市原さん」
「それが取り柄……なのかな?」
「ならどうして村山くんのことをいつまでもほっといているわけ?」
「村山くん……?」今度は私が虚を突かれた。
私の反応がよっぽどおかしかったのか、若月さんは「あはは」と声を立てて笑った。
「人には素直になれだ、心を開けだ、あーだこーだ言うわりに自分はどうなのよ? ん?」
「な、なんで村山くんの話になるの?」
「あなた達ってさ、二人して不器用よね。連絡先くらいパパっと訊いちゃいなさいよ」
「うっ」
「素直になれないから喧嘩になっちゃうんでしょ?」
「喧嘩だなんて……」
「あぁ、そっか。市原さんが一方的に避けてるだけか」
「うぐ!」
「村山くんの最近の落ち込みようったら凄いわよ。意地っ張り屋さんが避けるたびにこの世の終わりみたいな顔してるんだから。溜め息ばっかりで鬱陶しいったらありゃしない」
「原因になってるあんたが言うなぁ!」
みなまで言う必要はなかった。若月さんは、私達の現状をすべて理解しているのだから。
「ここ数日、そのことずっと相談されてたのよ、私」
――すみません。若月さんに訊きたいことがあるんですけど、女性に連絡先を訊くときってどんな感じで訊けばいいんですかね?
「そんなもの『普通に教えて』でいいじゃないって思ったんだけど……彼があまりにも切羽詰った表情だったから、根掘り葉掘り訊いちゃった」若月さんはぷっと吹いた。
私は頭を抱えそうになった。村山くんも、なんでまたよりによって若月さんに相談しちゃうかなぁ……。
「詳しく訊いてみたらなかなか面白くって、ついつい遊んじゃったの。励ましたらすぐ元気になるし、『やっぱり難しいかも』なんてネガティブな方向に話を持って行けば気の毒なくらい落ち込むし……絶滅危惧種よね、あの純粋さは。ね、市原さん?」
「うぅ……」
「で、ここからが傑作。お悩み相談に乗っているうちにね、彼のほうが脱線し出したの。……ようは舞い上がっちゃったわけ」
若月さん、魅力的だもんね。村山くんも男の子だったってことだ。呆れて笑いたくなった。
「誤解はこれで解けたかしら?」余裕たっぷり。後ろ髪を優雅に掻き上げた。「彼が一人で舞い上がっていただけなんだから。大体、あんな地味なのはタイプじゃない」
「そうだね。地味だね、彼……」
今回の件は、結局私も村山くんも若月さんの手のひらだったってわけか。
「若月さんって大人だなぁ」
「あなた達がお子ちゃま過ぎるだけよ」
皮肉は打ち返された。
「どっちから連絡先訊くのか楽しみねぇ。どっちも不器用だけど。あはは!」
村山くん。私達まだまだ未熟者だね。
「真理が村山くんのことをどう思っているのかとか、この際どうでもいいから、明日中には彼のこと引き取ってよね。これ以上懐かれても困るんだから」
公園から中心街へと引き返す最中、早苗に散々小言を言われた。
「二人して目の前でうだうだされると鬱陶しくて敵わないのよ。そこそこは面白いけど」
寒い寒い、とかじかんだ手に息を吹きかける早苗に「もしかして応援してくれてるの?」と訊いたら「別にあんた達の仲がどうなろうと知ったこっちゃないわよ」とそっぽを向かれた。
歩きながら私は「今日はありがとね」と言った。
「なにが? 感謝されるようなことした覚えないけど」彼女はやっぱり素っ気なかった。
「色々あったけどさ、早苗とこうやって話せて楽しかったから」
「まぁ、私も退屈はしなかったかな」
「へへ」
「なによ?」
「話聞いてくれてありがとう。私、明日は素直になれそう」
「あっそ。なら、私のもとにもようやく日常が戻って来るわけね。あなた達がいつまでもモタモタしてるから、これで結構、周りに妙な勘繰りされて大変だったのよ」
「それでも村山くんの話を聞いてくれてたんだよね?」
やっていることは妃くんと同じだ――。
「早苗っていい人だね」
「わ、わ、私は、そういうのじゃないから……」
早苗は赤くなった。
翌朝、靴箱で村山くんを見かけるなり、私はたたたっと駆け寄った。
「村山くん、おはよう!」思いのほか声が大きくなってしまった。
「……お、おはようございます、市原さん」
――あのね、実は。
――はい。実は俺も。
どちらから先に連絡先を訊いたか、それを知っているのは、順番を譲り合っていた当事者二人と、そんな二人を靴箱の陰から焦れったく見守っていた、照れ屋の女王様だけだ。
――どっちでもいいから早く訊きなさいよ!
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