第50話 父と母

私はしばらく棺の前で泣いたあと、実の母に肩を抱かれる。そして、歳を取った実の母の胸き抱かれて再び泣いた。何度も、何度も懺悔の言葉を口にしながら。


母は私の白くなった髪を撫でながら、私の懺悔をゆっくりとうなづきながら聞く。お母さんとは違う母の温もりに懐かしさと、違和感を覚えた。


俺は春樹でなければ、今私を抱きしめているのは夏樹の母ではないのだ。


そして、その光景を見ていた参列者達は我に返るとそれぞれに「誰?」と誰からともなく疑問を投げかける。あろう事か1人が「隠し子?」と言う。


……おい、誰が隠し子だ!!実の息子だ!!


と、つっこみたくなるが精神的にそれどころではなかったので私は無視して泣き続けた。


そして、落ち着いた私の頬を母は両手で包んで持ち上げると私の顔をじっと見る。


「……いらっしゃい、夏樹ちゃん……?そして、お帰り」


「ただいま、春樹さんの母さん……」

私は精一杯の笑顔で母に告げる。


「……元気そうでよかった。春樹が助けたあなたが……」

お母さんがそう言うと、周囲がようやく納得する。

私が春樹が助けた女の子である事を……。と言っても、中身ははるきなんだけど。


「はい、この通り元気です……」

私の頰を持つお母さんの手を私は握ると、お母さんは「顔をもっと見せて」と言って私の顔をしっかりと見る。そして、一言「ごめんね」と呟く。


「この間、春樹のお墓で会った時に嘘をついてごめん。あなたのお母さんに隠れるあなたの姿を見て、本当の事が言えなくて……」


「ううん、私に勇気がなかったから……」

私達は2人、先日の遭遇したときの事を謝る。

実際に今も実の親に対してこの姿、この喋り方をするのは抵抗がある。


だが、春樹に戻れない以上は今の自分の姿を見てもらう。今のありのまま自分をさらけ出し、2度と戻れない遠い過去を共に思いを馳せるのもいいのかもしれない。


「ご無沙汰しております、田島さん。先日お会いした時にゆっくりとお話しする時間を取れなくて申し訳ありません」

お父さんが、私の肩越しに母に挨拶をする。


「先日はこちらも急いでおりましたので失礼いたしました。この度はお忙しい中、夫のためにいらして頂きありがとうございました。主人も喜んでいると思います」

母は父の遺影と私の顔を交互に見て表情を緩める。


「この度は、お悔やみ申し上げます。我々にもお手伝いできる事がございましたら、なんでも仰って下さい。息子さんの代わりにお手伝いさせて頂きます」

父も私の肩に手を置くと母を見て、告げる。

その姿を見た母は今まで気丈に過ごしていたのが嘘のように泣きじめる。


私の胸がズキッと痛みを感じる。

たった4人の家族が既に母独りになったのだ。

不安や孤独が彼女の肩に重くのしかかっていた事だろう。


だが、私達が現れた。

そして、父は私を大切にしている様とさっきの言葉に何か感じるものがあったのだろう。堰を切ったように泣きはらす。


「……ありがとうございます。あなた方も主人を拝んでやって下さい。あの人も喜びます」

落ち着いた母は両親を伴い、父の棺の前まで行く。


「よかったですね……。あの子は貴方が心配しなくてもちゃんと大切にしてもらっているみたいですよ」と言って父の霊前で拝む。


両親もそれに合わせるように両手を合わせる。


それからは私達も親戚の中に混じり、ゆっくりと故人を忍ぶ。最初は異質な私達に戸惑っていた親戚一同も、春樹が助けた女の子と言う事で歓迎してくれた。


そして夜も更けていき、母と親戚、そして私達だけを残して参列者は一度帰宅していく。


私達も一度帰るかと思いきや、両親は帰る様子を見せない。それどころか、お父さんは親戚と酒を酌み交わしながら母に、


「田島さん、少しお疲れになられたでしょう。私と妻が起きておきますので、少し休まれてはいかがですか?」と提案する。


「……でも」


「じゃあ、私も残るよ!!」

母は少し困惑した表情を浮かべ、私も残る事を伝える。

他人である両親2人に実の息子だった私が任せて休む訳にはいかない。

だが、お母さんが父の言葉に合わせるように言う。


「休んでいらして下さい。これからが大変になりますし、夏樹も休憩させないと身体に障るといけないのでご一緒に……ね。」

その言葉の後に私の顔を見るお母さんを見てその意図を理解したのか、母はうなずく。


「じゃあ、お言葉に甘えさせて頂きましょうかしら。夏樹ちゃん、私と一緒に来てくれる?少し、お話しさせて……」

と言って、母は私の手を取り仮眠室のような所に連れて行く。


そこで私達はタオルケットをかけ、隣り合わせに横になる。真っ暗な室内に母と2人横になるのは20年ぶりだ。いや、面と向かって話すことすらここ2年間はなかった。


「……よかったわね、いいご両親で」

お母さんは天井を見つめながら、私に呟く。


その言葉に私は「……うん」とうなずく。

決して実の両親が俺に冷たく当たっていたとか、親子の仲が悪かったという訳ではない。だが、妹が死んだ日から私と父はあまり干渉しなくなった。


そして、今の両親は私を受け入れるためによくしてくれている。

この葬儀にしてもおそらくは彼らが背中を押してくれなければ、この場には居なかっただろう。


新しい両親に感謝しつつ、私は一つの思いに至る。


「……母さん、ごめんね。こんな私で」

この体になった事、他者を親として受け入れてしまった事、そして四季の再婚や冬樹と会えない環境にしてしまった事。そして……独りにしてしまった事全てを謝った。


するとは母は私の頭を撫でる。

「……春樹、辛かったわね。火事のことも、お父さんの事も、四季さんのことも……」

母は私の事を春樹と言ってくれた。その言葉が私の胸に刺さる。

そして再び母に抱かれて涙を流す。


「四季さんの事はあなたが選んだ事だから気にしなくて良いわよ。秋樹君なら安心して二人を任せられるし、四季さんも私の事をちゃんと気遣ってくれる優しい子。ユキくんもそう。お父さんが亡くなった時、すぐに駆けつけるように言ってくれたわ。だけど、それは私が断ったの。まだ、イギリスに行って間もないのに来てもらうなんて申し訳ないってね」


「でも、私は母さんを一人にしてしまった。私の弱さのせいで……」


「ううん、大丈夫よ。私はあなたがどんな姿であっても生きていてくれているって知っているから、独りじゃないわ。それに、あなたはちゃんと来てくれたじゃない」


「うん……」

母は夏樹の両親と同じ事を口にする。

親というものがどういうものなのか、私は改めて思い知る。


「お父さんも……、亡くなる前日まで春樹の事を心配していたわ……」


「えっ?」

私は母の胸から頭を離して彼女の顔を見る。

母は聖母のような表情を浮かべて私を見ている。


父が私を心配していた。その事実が信じられない。

私の体が死んだ時点で彼は私を死んだものとして口を出さないと言っていた事を思い出す。


「あなたの体が亡くなって、女の子になってあの人は相当なショックを受けた。樹愛がなくなった時と同じように、葬儀が終わって生気を失ったわ。だけど、夏姫ちゃんの体に生体移植をした事を聞いた時は成功を願ったし、目が覚めたと聞いた時は真っ先にお見舞いにも行こうとした。だけど、彼はそれをしなかった」


「どうして……?」


「私たちが首を挟むとあなたに迷いを生じさせる。今のご両親と共に行く事を決めたあなたの決意を無駄にしたくないってね。だから、四季さんの話と元気に過ごすあなたの写真を私たちは楽しみにしてたの」

母はこちらを向きながら、私の顔を摩っている。


「もし、今のご両親がろくな親じゃなかったら乗り込んでいって春樹を取り戻す!!っていつも心配していたわ。それは杞憂に終わったけど……。それなら、もっと早くあなたに会いに行けばよかったのに、あの人は頑固だから……」

再び母の瞳からは大粒の涙を流す。


そして、気がついたように起き上がると、電気をつけてカバンを取ると、中から手紙を取り出す。


「これは、お父さんがもし春樹に会った時に渡してくれって頼まれてたの。読んであげて……」

母からその手紙を受け取ると、私は封を切り、手紙を読む。


中には、父の思いや心配、そして会いに行けない事への謝罪の言葉が記してあった。

俺を疎んでいたと思っていた父、強くて立派だと思っていた父の弱さ、そして彼の不器用だが深い愛が伝わってくる。


「父さん……、ごめんさない。そして、ありがとう」

その手紙を読んで、私は再び大泣きをする。

感謝と謝罪の入り混じる胸中が言葉にならない気持ちを声に出す。


その様子を見た母と共にしばらく泣いた。

私達はカタンと揺れ動いた扉に気づかない程に父の死を悼み、私達は泣き続けた。


「母さん、これからは会いに来ていい?」

落ち着きを取り戻した私は母に言うと、母はにこりと笑って「いつでもおいで、夏樹ちゃん……」と言って私を再び抱きしめた。


そして、私達はお通夜、葬儀と済ませる。

その中心になったのは何故か親戚と仲良くなったお父さんで、手慣れた様子で参列者を捌いていく。


……さすがは会社のお偉さんと、半ば呆れながらもお父さんの心強い存在に感謝した。


そして葬儀が終わり、私達の車で実家まで母を送り届ける。


その帰り際、お父さんは母に向かって口にする。


「また、夏樹といっしょにお邪魔させていただきますね」


「ええ、いつでも来て下さいね。大樹さん、つゆさんも……」

母もその言葉に嬉しそうに答える。


母と今の両親が仲良くなった事が嬉しく思う。

だが反面、何か違和感を感じながら私達は実家を後にした。








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