第48話 両親と訃報

夕食後、私とお母さんは再び大浴場へと足を運ぶ。

温泉好きとしてはやはり女湯にだからと言って好きな物を回避するなんて、もったい無くて出来なかった。


いや、実際に夕食前の入浴ではお母さんや後々入ってきた20代くらいの女の子の裸体を目の当たりにしたが、何も思うことは少なかった。

むしろ、女性を目の当たりにして思うことは、ちんちくりんな私もいずれはスレンダー女子にとか、胸を見ていずれはあれくらいに……と思うことだけだった。


女の子としての感覚が半年間の生活で身についた訳では無い。ただ一つ言えることは私が夏樹になってきていると言うことだ。

なので、女湯に入っても周りに特別な意識を持っていかなければ、どうと言うこともないのだ。


むしろ、入浴後にあらかじめ捨てようとしていた古いパンツをゴミ箱に捨てようとしていたらお母さんに怒られてしまったことの方が恐ろしかった。


女性用の下着の処分はなるべく自宅で、切り刻んで処分してしまった方が良いとのことだ。実際にゴミを漁って持って帰る輩がいるとの事で、私はそれを聞いて男性という物が恐ろしくなった。


いや、元々男だったんだからそんな邪念を持った覚えもあるだろうって?

正直なところ、なかった訳ではない。だけどゴミを漁る所までするか?と思ってしまう。


そして、お母さんに言われて渋々脱ぎたてホカホカの古びた下着を部屋へと持って帰る。


……はぁ、男の頃は出張の度に行なっていた事が出来ないなんて、女の子って面倒だな、とついつい思ってしまう。


そして、部屋に敷かれた3床の布団に私を真ん中にお父さんとお母さんと共に横にになる。


……そういえば、この二人と一緒に寝るのって初めてだ。

そう思って、二人の顔を交互に見た後、私は眠りの底につく。

明日は、海へ行く予定なのだ……


……私は夢を見ていた。

幼い頃に実の両親と共に海に行った時の夢だった。


その日は、車の形をした乗るタイプの浮き輪に俺は乗っていた。

そして、父がその浮き輪の紐を引っ張って海を走っている。


すると、幼い妹が波打ち際から父に歩み寄ってくる。

波は穏やかとはいえ、妹が波に飲まれてしまったら大惨事になる。

父はそう考えたのか、妹の方に意識を持ち駆け寄っていく。


すると、さっきまで勢いよく波を切っていた浮き輪が勢いをなくす。

そして遠心力が掛かった浮き輪は父を中心に弧を描いて横滑りし、浮き輪に乗っていた俺は海へと投げ出されてしまう。


海に飲まれた俺を父は妹を片手に抱き慌てて探すと、すぐに海水から俺を引き上げる。そして妹を母に預けると大泣きをするを宥め続ける。


そして、アイスを買ってもらった俺たち一家は宿泊するホテルへと帰っていく。

それが俺のうまれって初めての家族旅行だった。



トゥルルルルーーー!!

静かな室内に突然、スマホの着信音が鳴り響く。


鼓膜を通して耳に入ってくるそのけたたましい音に私は、はっと目を覚ます。

辺りはまだ真っ暗で、スマホを見ると午前3時だった。

どうやら着信音、私のスマホから発せられていたわけでは無さそうだった。


お父さんやお母さんも目を覚まし、それぞれ自分のスマホに目をやる。

どうやら、お母さんのスマホがなって居たようで、お母さんは「もしもし?」

と電話を受ける。


その様子を見て私はホッとして、再び慣れない布団に横になる。

なんでこんな時間に電話なんて……と思いながら、腕を目の上に持っていく。


すると、じわり湿っている事がわかった。

欠伸をした覚えは無いのに、何故か涙が溢れていた。

おそらく、昨日足を運んだ資料館の光景と、さっきみた夢で昔を思い出してしまったようだ。


胸に郷愁が押し寄せる。

この幼い胸がまだ味わったことのないであろう感覚。

だが、私の思考を通じて胸を締め付けられそうになる感覚が私を襲う。


その感覚に恐怖を覚えた私は、布団に包まって再び寝ようと目を瞑る。

だが、眠れない。胸がざわついてしまうのだ。

あの夜のように……。


しんと静まり返った真っ暗な室内にお母さんの相槌を打つ声だけが響く。

そして、「分かりました。ありがとう……」と言う声と共にスマホが切れたのか沈黙が訪れる。


そして、しばらく静まり返った室内にカチッと言う音と共に煌々とした灯りが灯る。私はその光に目を凝らしながら、お母さんの方を見る。


その表情は暗く沈痛だった。

そして、私と目があった瞬間、お母さんは一度口を開き何かを言おうとするが、すぐに口を紡ぐ。


「どうしたの?お母さん……」

私が、お母さんの様子に違和感を覚え、たまらず尋ねる。

すると、お母さんはもう一度口を開こうとするが声が出ないようだった。

だが、何かを決心したかのように、私をじっと見つめる。


「……四季さんから、電話があったわ」


「えっ?」

秋樹と共にイギリスに旅立った四季からの電話だ。


私自身、彼女との別れ際に連絡先は消してしまい、今は連絡は取れない。

だが、お母さんとはまだ連絡を取れるようにはなっているのだ。


何度か夜にお母さんと四季が連絡を取り合っていたのは知っていた。

だけど、時差があるとはいえ日本時間3時、通常なら連絡を入れることはないだろう。なのに彼女は連絡を入れて来た。


私の胸中に悪い予感が立ち込める。

その証拠に、四季からの連絡があったことを告げたお母さんが、なかなか次の言葉を発しない。お父さんもその様子を黙って見つめるだけだった。


「……お義父さんが亡くなったって……」


「どう言うこと?」

お父さんはここにいる。いや、四季のお父さんの事か?春樹のお父さんは……

私は頭がこんがらがり、だんだん焦り始める。そもそも3人もお父さんと呼んでいた人間がいるのだ。もう、何がなんだか……。


「あなたの……、田島 春樹さんのお父さんが今しがた、亡くなったそうよ……」

重い口調のお母さんの……いや、つゆさんの言葉に私は言葉を失った。


……だって、この前に会った時は元気にしているって言ってたじゃない!!

それなのになんで昨日の今日で死んじゃうんだよ!!

私は混乱する頭の中で問答を繰り返す。


「……脳梗塞だったそうよ。見つけた時にはもう虫の息で、数日は持ち堪えてたらしいわ」

何も言えず、黙り込んでいる私にお母さんは言葉を続ける。

それを聞いた、私は父に起こった事実に気圧される。


……人って、そんなに簡単に死ぬものなの?私は簡単に死ねないのに、父さんも夏姫ちゃんも簡単に死んじゃった。どうして、私だけ?


私の視界が歪む。それは涙のせいじゃない。

この現実を受け止められないのか、私の瞳から涙は出ていなかった。

なのに、視界は歪み、瞳は光を失う。


「何言ってるの、おかあさん……」

私は虚な目をして、お母さんに問いかける。

お母さんは私の言動に「えっ」と、戸惑いの表情を浮かべる。


その声を聞いて私はお父さんの方へと近づいて、その身体に抱きつく。


「私のお父さんは、元気じゃない」

私に抱き締められたお父さんは一瞬戸惑いの顔を見せるが、すぐに真顔に戻る。


「あぁ、夏樹のお父さんは俺だ」


「あなた!?」

お父さんの言葉にお母さんは驚愕する。

彼女としては別の言葉を求めていたのだろう。


そして、あろう事か、お父さんは私を抱き返す。

私もその暖かさに少し安心して身を預ける。


「だが…、私はキミのお父さんじゃない」

お父さんは私を抱き寄せたまま、私のことをキミと言い、私を拒絶した。

その言葉に私は驚いて、お父さんの顔を見ようと胸から顔を離そうとするが、お父さんは腕に力を込めていて、簡単には振り解くことはできない。


「田島 春樹君にとってのお父さんは今亡くなられた人じゃないのかね?」

その言葉に私は今の自分が否定されたように感じてしまう。


「違う、違う!!私は……香川 夏樹よ!!田島 春樹なんて人じゃない」

私はお父さんの腕の中で首を振る。


「違わない。今話しているのは夏樹の中にいる君だ!!」

お父さんは強い口調で私に告げる。

私はその声にびっくりして首を振るのをやめる。

静かになった私にお父さんは優しく告げる。


「だから、明日朝一番の飛行機で帰ろう」


「……嫌だ。夏休みは3人で一緒に過ごすって約束したじゃない」

私は駄々をこねる様に小さく首を振る。


「私達は……親子だ。誰がなんと言おうと、君が何を思おうと、親子だ。私達が死ぬまでそれは変わらない。だけど、春樹君にとって、本当のお父さんは一人しかいない。なら……」


「お父さんは一人でいいよ!!あの人達と……この姿で会うのは……嫌だ」

私は、実の両親を否定する。


五体満足に生んでもらったのに、私は死んでこんな身体になってしまった。生きていることすら恥ずかしいと思ったこともあるし、冬樹にしても彼らから奪ってしまった。その罪悪感が彼らに会う事を拒絶する。


口ではそう言いながら、結局は保身でしかないのだ。私は無様な自分を嘲笑する。


「……昨日行った資料館で見た彼らが、もし違う形でも両親に会えるとしたら、彼らはどうすると思う?」

お父さんは、遠くを見つめる。


「分かりません……」


「きっと、どんな形でも会いにいくと私は思う。それに夏姫がもう一度、会いに来てくれたら私はどんな形であろうと、もう会いたい。それに……」

お父さんは私に視線を向けると、今にも泣きそうな顔で真っ直ぐ私を見つめる。


「夏姫は帰ってきてくれた。同じ姿で……、夏樹としてもう一度帰ってきてくれた。それだけで……私達は幸せだ」

その言葉を黙って聞いていたお母さんも、静かに涙を流す。


「なら、キミのご両親にも私達が味わっている幸せを与えてもらえないだろうか……。同じ親として、頼む」

お父さんのその言葉に、私は涙が溢れる。


私は彼らの子供としては不孝者だ。身体は先に死に、父の最期すら否定してしまった。だけど、奇跡的に私は生きている。


ならば、最後の最後くらいは見送ってあげるのが、一度死んだ私の……役目なのだろう。


「お父さん……いえ、大樹さん。私のわがままを聞いてもらえないでしょうか?」


「なんだ?」


「俺を……、実家に連れて行ってもらえないでしょうか?」


「わかった……」


私達は明朝、ホテルをキャンセルして朝一番の飛行機で地元に戻った。

俺の父の最期の顔を見る為に……。

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