目撃者

唯野キュウ

目撃者

 ──「キャアアアア!!」

 家の外から、甲高い女性の声が聞こえてくる。

 そっと勉強机の横にあるカーテンを退かすと、ナイフを持った黒ずくめでフードを被った男に、二十代後半に見える女が襲われている。

 見たところ夜の仕事をしているのだろう。でなければ、こんな時間、午前二時にこの細道は通らない。

 ハイヒールを履いた女は、早くは逃げられなかったのだろう。男に手を掴まれ、今にも殺されてしまいそうだ。

「いやっ! ねっ! 離してよ!!」

「……」

 男は無言で女を掴んでいる。

 私がこんなにも落ち着いて、外の鬼畜な暴行を眺めてられる理由、それは、外で行われているのが暴行でないと知っているからにほかならない。

 丁度今、外では男が出したナイフを振りかざしている。肩の後ろまで、逆手で握ったナイフを女に振るう


 ────そのすんでで、ナイフは止まった。


 私はこの後の、男のセリフを知っている。

「ごめんなさい怖がらせて、私はこういうものです」

 そう言って、男は警察手帳を女に見せる。

 しかし女が怯えて目を開けようとしないので、男は困ったように、けれど慣れたように説明を続ける。

「私、付近の〇×交番に勤めております田村と申します。近頃、近辺で女性が襲われる事件の死亡率が高くなってきておりまして、この細道のような、人目つきずらい所を一人で通る女性に、このようなデモンストレーションを行い、皆様の対応を誠に勝手ながら見せて頂き、それを指南する取り組みを行っております」

 つらつらと言葉を繋げ、警官の男━━田村はまだ脅えている女性に現状を説明していく。

「驚かせてしまい本当に申し訳ありません。何しろ事前に告げてしまうことで、デモンなのか、本当に襲われているのか判断が出来ず、本来の目的を見失ってしまう可能性があります。よってこのような無理矢理な指南になってしまうことをお許しください」

 ──田村のおっとりとした丁寧な対応に、女性は徐々に平静を取り戻していった。

「それでですね、貴方、只今の対応ですと非常にまずいです」

「は、はあ……」

「襲われた際、大声で悲鳴をあげた所は素晴らしいです! 近隣住民が気付いて通報してくれるかも知れませんからね。しかし、ハイヒールは一番と言っていいほど走りずらい履物です。悪漢に襲われたら、早々に履き捨てる判断が必要です」

「で、でも! 私、今、本当に怖くて……」

 女の声色が平静を失っていく。

 ついさっきまでの恐怖が、忘れられず、脳にへばりつく。そんな声色。

「分かります。私も出来るならこんな方法は取りたくない。しかし、あなたと同じように、この方法で死んだ女性が居る事実をお忘れなきよう」

「……はい。分かりました……」

「それと、このことは他言無用でお願いします。他の人にこのことが知れてしまうと、意識の低下に繋がるので……」

 ──また、いつもの“ 指南”が終わった。

 この時間は勉強も捗らないし、受験生のこっちとしては実に迷惑蒙って《こうむって》しまう。

 でも、こんな時間。普通の人は起きていないし、他の人に相談するわけにもいかない。他言無用。例えば私がクラスの子にこの指南を相談すれば、意識の低下に繋がる。

 多少無理やりな気はするが、ここ最近、夜の細道をターゲットにした婦女暴行殺人がニュースに取り上げられたこともあって、警察側も対処にピリピリしているのかもしれない。

 学校でも、女子たちは露骨に一人で帰るのを嫌がりまとまって行動している。

 我慢する。そうすることで救われる命があるなら、そう、せざるえない。

 この指南は決まってこの家の裏、細い路地で行われる。

 この路地は道も狭いし街灯も少ない。襲う側からしてみれば、この路地に一人の女が通れば格好の餌。

 しかも、最寄りの学校への近道ときている。

 学校へ行くのにこの道を通る女子高生は多い。必然的に、指南はこの道を使って行われるのも納得だ。

 しかし不思議なのは、極秘の指南。その徹底ぶりである。

 学校の友達にそれとなく匂わせてみても、友達は「知らない」「分からない」の一点張り。

 襲われた女性は、誰一人として、身の回りの人にこの指南の存在を明かしてはいないのだ。




* * *




 ──今日も私は机に向かっている。

 志望校へ受かるには、必要な科目の履修をしなければならない。昼は学校で勉強をして、帰ってからは家事風呂ご飯その他を済ませなきゃいけないので、必然的に、夜に勉強に詰め込む他ないのだ。


 ──「いやああああ!」

 暫くの間机に向かいそろそろ眠気が来る頃。

 さながら目覚ましのように、丁度午前二時。眠くなりかけたところに遠くから悲鳴が響く。

 この家の周りには誰も住んでいない。それはこの指南によるものではなく、元から、誰も住んではいなかったのだ。

 それも、指南に使われる理由になっているのかもしれない。と、今気付いた。

 指南が始まると勉強は捗ったものじゃない。

 私は耳がいい。窓を閉めていても、外の激しい衣擦れや焦る足音は嫌でも耳に入るし気になってしまう。

 ので、今日も、少しだけ、カーテンを開ける。

 最近勉強の小休憩は、この指南だ。

 今日はなんとうちの学校の制服を着た女性(女子?)が襲われていた。

 革靴の音が等間隔に鳴り、女子は息を上げていく。

 黒ずくめのフードを被った男の手からはいつものように光るナイフが────無い。

 いつも、警察の男──田村はナイフを持って女性を脅していた。毎度最後に、「作り物です」といい、自分の腹にぽんぽんと刺して見せている。

 いつもなら右手に光るそれが、今日は無い。


 まさか……別人では。


 急に背筋がぞくりとして、さっきまで見物程度に考えていた自分に戦慄した。

 そうだ。この道は襲う側からしてみれば都合の良過ぎる道。

 付近に人が住んでいないことは少し監視すれば分かるだろうし、この道が学校へ繋がる近道になることも、この辺に住んでいれば知っていておかしくない。

 しかし、新しい指南である可能性も鑑みて、私は少し様子を見ることにした。

 手にスマホを握り、百十番の用意をする。

「……」

 無言でフードの男は駆けていく。

「やめて! 来ないで!」

 革靴の走りずらそうな女子の手を、フードの男は掴んだ。

 これが田村なら、手を離して、自己紹介をする。

 唾を飲んで、息をするのを忘れて、私はフードの男に見入っていた。

 男はフードに手をかけ、その顔を電灯の元に晒す。

 ──────田村であった。

「はあああああ……」

 静かに安堵の溜息を吐き漏らし、全身の力を抜く。

 今の一瞬でどっと疲れた。

 やはり手法を変えた指南だったのだ。

「怖がらせてすみません。私こういうものです」

 警察手帳を女子に掲げる、しかし、女子は状況を理解できないのかパニックで警察手帳がみえていないようだった。

 田村がいつものように饒舌に状況を説明する様子を見て、私は安心してカーテンを閉めた。

 確かに、警官がナイフを持って女追うってどうなん? とは思っていた。きっとそんな旨のクレームが密かに入れられたんだろう。

 そう思うと、なんだかさっきまでの心配があほらしくなって、急に眠くなってきてしまった。

 いつもは最後まで見届けるが、今日ばかりは早めに電気を消して寝よう。そう思った。


 ──翌日、うちの学校は、一年生が事件に巻き込まれ亡くなったという余りに衝撃的な話題で持ちきりだった。

 先生はそれだけ伝えたが、何人か既に情報を入手した生徒がいたようで、私の耳にもいくつかの情報が入ってきた。

 陸上部の大会帰り、夜遅くなったところを襲われたらしく、遺体には暴行の跡が残っていたという。

 葬儀は親族だけで行うと担任が告げ、休み時間は騒がしいはずのクラスがその日ばかりは啜り泣く声とそれを励ます声でいっぱいだった。

 授業もどこかぼんやりと、生徒も、先生ですら身が入っていない気の抜けた時間と化していた。


 ──帰り道、私は考えていた。

 亡くなった生徒は一年生で、学年が違うので昨日見た子かが分からない。

 しかし、昨日の子を襲ったのは田村、警官だ。

 ベッドに入ってからも田村の自己紹介文が長くぼんやりと、聞こえていた。

 しかし夜遅くなった所というのがいやに引っかかる。

 聞こえた情報が信用に値するものかはさて怪しいものではあるが、この共通点ははたして見過ごしていいものなのだろうか?

 もし昨日見た女の子が死んだのなら、私はみすみす女の子を見殺しにしたことにはならないか?

 考えるほど怖くなって、今一人で帰っていることが酷く恐ろしいことに思えてきた。

 少しでも早く帰りたくて、私は路地。細道を使って帰ることを決めた。

 大丈夫。外はまだ明るいし路地を抜ければ家は回ってすぐそこだ。

 むしろここを使わなければ、かえって帰るのに時間がかかってしまう。

 細道の向こうに誰も居ないこと、隠れる隙間のないことを確認して、私は細道に入った。

 細道は案外なんともなくて、静かに、何もかもが私の思考を邪魔することは無かった。


 ──田村が殺した? 

 ずっと頭で巡っていたワード。私はそれと向き合うことにした。

 今までは怖くて、心のどこかで考えることを拒んでいた。

 しかしそうも言ってられない。もし、昨日の子が亡くなっていて、犯人が田村なら、それも毎日のように目撃している私が危ない。 

 田村が気付いていれば、次殺すのは私になるはず。

 でも、昨日田村はナイフを持っていなかった。

 

 ──何故?

 ナイフを持っていない。今までは手に持っていたナイフを持っていなかった。

 本当か?本当に田村はナイフを持っていなかったのか?

 確かに手には、持っていなかった。しかし、


 ──ナイフが懐にあれば?

 いや、今までは手にナイフを持っていた。もし懐にナイフがあるなら、急に懐にナイフをしまっていた理由はなんだ?



「学校でも、女子たちは露骨に一人で帰るのを嫌がりまとまって行動している」



 ──もし、田村が女子高生達が連続暴行殺人を警戒していると知っていたら、どう近づく。


 

 胸がぞくっとした。

 いや、まだ、不可解な点がある。

 田村が殺しているなら、わざわざ被害者に極秘の指南だと告げる理由はなんだ。どうせ殺すなら、そんなことを言う必要は無い。

 被害者は死んでしまうのだから。

 被害者は死んでしまう。

 間違いなくあのセリフは誰かに向けて言っているセリフだ。

 例えば、被害者に向けていない言葉だと仮定するなら、あの言葉は誰に向けた言葉だろうか。


 ……おい。おい。冗談。だろ。あの場にいる第三者は



 ──────私だけじゃないか。



「すみません。大丈夫ですか?」


「っ!!」

 不意に声をかけられて驚いた。


 そしてその声色に私は、聞き覚えがあった。


「ごめんなさい怖がらせて。私こういうものです」


 差し出された警察手帳には、赤く酷く殴り書きな字で、こう記されていた。


【こ ろ し て や る】


「ごめんなさい怖がらせて、私、田村と申します」


                                         

                     fin,



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目撃者 唯野キュウ @kyu

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