怪物の惚気を聞く小説家

二三野 花

怪物の惚気を聞いてエスプレッソを飲もう


 麗らかな昼下がり、木漏れ日は旧い馴染みとの茶会に彩りを添え、上等なアールグレイの香りに心穏やかになるのが常であったが……今日という今日は見事に例外中の例外で、カザリは紅茶と一緒に大きなため息を飲み込むしかない。

 少女に関しては──カザリは敬意と感謝と最大限のゴシュウショウサマの念を持っている。よくぞまぁこの暴れん坊将軍のクソッタレに手綱を付けてくれたとあらんばかりの拍手を贈りたい。


『婚約おめでとう』

『そりゃァどうも』


 問題は大男だ、何がどうしてこうなったのか。長年の付き合いだが、この男に少女愛好の趣味があったとは知らなかった。(そもそも長い付き合いであっても終ぞこの怪物の思考を理解しきれた試しはないのだが、今はその話は置いておくとして)

 【結婚相手を母国に連れて来たから茶会でも開け】

 そんなメールを読んだ瞬間カザリはお気に入りのソーサを床にぶちまけてしまった。そしてついに訪れた茶会。丸テーブルと丸椅子に腰を落ち着けて顔を見合わせれば──目の前でにやにやと笑う大男と隣でぺこぺこと頭を下げる少女にカザリはご自慢の口髭を撫でる手を止めざるを得なかった。


『ナァ、教えておくれよ“ギュスターヴ”、イギリスが生んだ魔物、経済界の帝王を噛み砕いた男──……こちらの、十以上も歳下の子を手篭めにして何を企んでいるのかい?』

「──ハッハァ」

『笑って誤魔化すんじゃないヨ』

『なんにも企んじゃいねェさ。なぁんにも。おれはただネタ切れの小説家にネタを用意してやっただけさ』

『わざわざネタを届けに来てくれたのかィ、そいつはどうも! オレはてっきり惚気と自慢を聞かされるとばかり』

『素晴らしい、その通りだ。──陽奈、紹介しよう。こいつはカザリ、小説家だ』

 大男はまるでこの家の、この茶会の主人だとばかりに振舞っていた。カザリは余りにも今更なので慣れ切っていて適当にあしらう。

『初めまして、陽奈です。このひとのご友人で……小説家の方と伺っていて一度お会いしたいと思ってました、あの──』

「あァ失礼、日本語でお話すべきだった」

「気遣ってくださってありがとうございます。ゆっくりでしたら聞き取れるので大丈夫です」

「陽菜、あまりそいつとのお喋りはお勧めしねェ。北部訛りが移っちまうぞ?」

「五月蝿い男だヨ全く──初めまして、ご丁寧にありがとうレディ・ヒナ。是非とも二人の出会いを小説におこしたいのだがよろしいかネ? あぁ、勿論あくまでベースとして、フィクションは加えるから安心しておくれ』

「気恥ずかしい、ですけど……光栄です、よろしくお願いします」

「いやいや有難い限りだよ。しがない物書きに是非とも瑞々しいお話を聞かせておくれ」


 これから聞くのはこの二人の馴れ初めである。そしてこのニヤニヤ笑いの大男はこれから盛大に自慢話のように惚気を撒き散らすだろう。

 砂糖でじゃりじゃりになったヌガーを奥歯に押し込まれる気分になるのは目に見えていたのだ、紅茶では役者不足でカザリはメイドを呼びつけエスプレッソを用意させた。


「一年前になるか。おれは日本に行った、勿論仕事でだ。そして何故か大学での講演を依頼されてしまったワケだ」

「愉快なジョークだ。前途有望な若者が毒されてしまう、肺も大概真っ黒だが腹も輪を掛けて真っ黒なのに」

「煙草ならもう止めたぞ」

「なんだヤニで肺が爆発したのかィ」

「おれの可愛い子は器官が弱いんだ」


 ──なるほど爆発したのは脳みそだったか。


「どこまで話したか……あぁその大学で陽菜と出逢った、という事だ」

「講義の最前列にでも座っちまったのかね、レディ・ヒナ?」


 この男に目を付けられたのが運の尽き。そも『欲しい』と思ったらどんな手を使ってでも手に入れる怪物だ。『欲しい』と考え始めれば矢の如く動き出し、それが真夜中であっても他人のモノであっても必ずすぐさま手中に収めてしまう。

 ──欲しくて欲しくて眠れやしない。気が、狂いそうになる。

 昔そういう台詞をこの怪物からカザリは聞かされたことがある。

 若い身空にこの男の激情は酷だろう。苛烈な“ギュスターヴ”は歳を追うごとにその苛烈さを増していき、丸くなるきらいなぞ露ほども見せたためしは無い。

 だがカザリの予想は外れ、陽菜は「いいえ実は」と一言区切り、苦笑しながらあらましを喋るのだった。


「お恥ずかしい話なのですが……その日困った事がありまして、講義出れなかったんです」

「ほう。では出会いのきっかけは?」

「物陰で……お恥ずかしい話ですけど、いじけていたところを彼に発見されまして、はい」

「オブラートに包んだなァ陽菜チャンよ。カザリ聞け、おれの可愛い子はある教授から酷い仕事を押し付けられていたんだ。酷い仕事だ、言うに憚るような内容だとも」

「あの、その、そこまで酷いことではなく」

「ハッハ! そうやって他人を責めようとしないのは悪い癖だ。……まぁそこがイイんだが」

「ほう、ほうほう」


 このおぼこい少女に勤まるとは思えないがハニートラップでも仕掛けろと言われたのだろう。

「ライバルのスキャンダルを掴んで来い、もしくは作って来いと言われちまった。よりによって尊敬していた教授に」

 カザリは陽菜をちらりと眺めたが、うむ無謀だと結論をすぐに出す。勿論ひょろりと細っこい体だからでも、幼い顔つきだからでも無い。──この少女は悪意を他人に向ける気概が無いのだ。


「見つけた当時は驚いた! 何たって可愛いお嬢さんが泣いていたんだから」

「嘘をつくんでないヨ」


 女一人泣いてる程度でこの男など埃が飛んでいると同じくらいの認識だ。


「頬っぺたを濡らして、なァ。大学にローティーンが紛れ込んだのかと眺めていたら目が合った。そうしたら、どうだ、一目惚れだ!」

「それはそれは。レディ・ヒナ、怖かったろうに。この大男ときたら人相も悪いし香水くさいしおまけに髭面のオッサンときた! 誘拐されると思っただろう?」

「ええと、その。誰にも気づかれてないと思っていたので声を掛けられてビックリしましたけど……このひとに話を聞いてもらってすごく助かったんです。とても親身になってもらって……」


 カザリは確信した。やっぱりこの怪物は日本に行って脳みそが爆発したに違いないと。


「実に愉快だった。可愛い子は何とか解決策を模索しようとちょこちょこと、小鳥みたいに動き回っていた」

「で、お前は後ろでずっとニヤニヤ眺めていたのかい」

「いいや? いいや! 協力したとも。陽菜ときたら逃げ出そうと考える頭もなくこのおれに相談してきたのだから、聞いてやらねば血も涙もないだろう」


 口が裂けても言わないような羅列ばかり聞こえてくる、とカザリはエスプレッソに口付けながら唸った。日本で知ったこれっぽっちも砂糖が入っていない液体は目の前の話と丁度良く混じる。


「どんな協力をしたんだい?」

「まずこの可愛い子がコーヒーやら紅茶やらを淹れるのが特別上手い事に注目した」

「なるほど?」


 それは是非ともご相伴にあずかりたい。


「次に丁度いい土地にカフェを建てた」

「ん?」

「そして陽菜を店主にした」

「待て待て」

「仕上げに程よく話題性を出す」

「……あー……ジュリア! このエスプレッソにウィスキーでも混ぜたかネ……?」


 狂った単語と病的な羅列に自分と怪物の正気を疑ったがメイドの「幻聴ではございません」との冷たい声にカザリは我慢していたため息をとうとう解禁した。陽菜は何とも言えない顔で「私も当時は腰を抜かしました……」と声を絞り出している。

「レディ・ヒナ、それでよかったのかい?」

「はい。突拍子もない話でしたけどなんだかんだ納得はしてましたし。不謹慎だなぁって思いますけど、カフェで働くの楽しかったんです」

「それなら、まぁ……。レディ、もしかして意外と順応性高いのかね……?」

「陽菜もこう言っている。合理的だ。実に合理的だとも」

 怪物はどこ吹く風であった。この男ならば店の一軒や二軒軽く用意できるだろうし、流行を操作するのも朝飯前だろう。

「合理的だがそれができるのはお前みたいな成金野郎だけさね」

「カフェは例のターゲットの通勤路でなァ」


 怪物はカザリの苦言に臆する気配など全く見せず言葉を続けた。

 ターゲット……憐れにも同僚に裏切られる予定の教授……がふらりと入るにはうってつけだ。カフェに入り電話の一本でも入れてしまえば内密の話をぽろりと溢すかもしれない。

 正直なところ怪物が陽菜の代わりになるハニトラ用の女を見繕えば一日で終わる仕事だろうにそれをしないのは──


「夜はバルとして営業する」

「ローティーンに夜の営業させたのかい」

「色々と、自分から申請するのは気恥ずかしいのですが、その……私一応成人済みです……!」

「なんと!」


 怪物はご機嫌にまたニタリと口角を上げていた。お前も引っかかったなやっぱりおれこそが一番陽菜の事を理解しているのだ──とその顔面が語っていた。


「日本人は若めに見えるって本当だったのですね」

「……レディは小柄だから輪をかけてそう見えるのだよ。失礼したミス・ヒナ」

「ご丁寧にすいません」


 恐縮です、と体を縮こませる陽菜は正しく少女のようだった。これは間違えて仕方ない。だが歳の差はやはり十以上離れているし五、六年など誤差も誤差だ。


「──と、このように好き勝手に言い寄って来る客が異様に多くてなァ」


 怪物はお行儀悪くも足を組み、長い指でテーブルをトンと叩く。


「アルバイトも募集していないのに勝手に名乗り出た若造が湧いた事もあった」

「あ、あの人はゼミの先輩なんです、心配してくれただけで」

「駄目だ。男はみんな狼だ、特に若造なんて目も当てられねェ」

「あの時は喧嘩になりそうで大変だったんですよ……もう……!」


 曰く、援助交際デラックスバージョンだと勘違いした彼女の先輩が乗り込んで来たという。そして「何か弱みでも握られてるのか!」と尋問されたとかどうとか。

 分からないでもない、怪物と彼女は十以上も歳が離れているしカザリも事情を知らなければスコットランドヤードを呼んでいる。


「あァ、それに店を売れとしつこく迫る爺いが現れた事があった」

「そういえばある日を境にぱったり姿を見せなくなりましたね、あのおじいさん……」


 曰く、話題になったカフェの買収を巡って地元のマフィア(日本ではやくざと言う)が因縁を吹っかけてきたという。おまけにそこの会長は真性の少女愛好趣味で、なんと陽菜が好みのど真ん中だったらしい。

 彼女を誘拐しようと画策して怪物の逆鱗に触れたとかどうとか。


「今頃シリカとアルミナ辺りと仲良くやってるはずだ。陽菜は忘れていい」

「で、でも」

「大丈夫さ、悪いことはなァんにもしてないから安心しろ」

「話の間に入って悪いがねェ“ギュスターヴ”、それはもしやコンクリの材りょ──」

「なのでおれが片時も離れず目を光らせなくてはいけなくなった。当然、当然の行動だろうカザリ。言い出しっぺの法則と日本では言うらしい!」

 酷い誤算であり天から与えられた栄誉だったと怪物はとうとう三日月のような笑顔を作った。

「なァ陽菜チャン! おれは当然の義務としてカフェに常駐すべきだった」


 カザリは酷いごり押しを見た。今の会話の流れでこの怪物が陽菜にいつから執着を覚えたのかは未だ見出せないが、べっとりと纏わりつく様は正しく怪物が獲物を見定めたそれである。


「図体のデカいイギリス人髭付きが威圧感満載で? 店主を注視しながら? 本末転倒じゃないかい。みんなびびって逃げ出してしまうよ」


 エスプレッソを飲み切ったカザリはすっかり呆れかえってしまったが陽菜は首を振る。


「そもそも私は名ばかりの雇われ店長なので……彼こそが本当のオーナーだと思ってて、特に疑問が湧かず」

「字面は全うだけどねえ、絵面がまずいんだよ」


 大人しげな風貌の幼顔と片やマフィアも裸足で逃げ出す悪人面だ。体格の差もあるし歳の差もある。歳若い女性を手篭めにして幼な妻にした極悪人──と誤解しないほうが難しい。

 しかし彼女は「私にとって彼は優しくて」とカザリからすれば信じられないような台詞を出す。


「それに義務と考えて居てくれたのも、とても有難かったんです。なにせアルバイト自体も初めてだったものですから」


 ふふん、とまたもや怪物は鼻をならしている。可愛い子の“初めて”をこの手に収めたのだと周囲にアピールするのが堪らなく快感らしい。


「うっとおしくは無かったのかい?」

「とんでもない! このひとが居てくれて──有難い……だけじゃあなく。ほんとうに、うれしかったんです。見知らずの私にこんなに良くしてくれて、彼は私にとってヒーローで、物語の中の足長おじさんでした」


 あぁ! なんとまぁ、喉がひりついた声音だ。この少女は怪物への感情を……ねんねの子供のような、綿菓子を摘まむような、こちらの背中がむず痒くなってしまうような声で語るのか!


 少なくともカザリは理解した、この少女が怪物に情を向けたのはきっと些細な出来事からだったのだろうと。例えばちょっとしたタイミングで視線がかち合っただとか、そういう──本当に、こそばゆいラブロマンスが折り重なっていったのだろう。


「あらましはどこまで聞いたかね、そうだ、パブを開いて情報収集までだったかネ」


 逸れた話を元に戻せば怪物はあからさまに上げていた口角を降ろす。そんなに惚気を語りたいのか……とカザリはメイドにまたエスプレッソを用意させた。


「計画は上手くいったのかい? オレの予想では……」

「それが、その」

「──なんと陽菜チャンときたら罪悪感に負けてしまった」

「だろうネ」

 そういう気概は無い、とカザリは確信していたのでその答えにさして驚きはなかった。人の弱みを握る、貶める、不幸にする。その手の仕事はきっと鉛のように彼女の心に圧し掛かっただろう。


「正直に出来ませんでした、と教授に報告するとかどうとか聞かねェもので説得に苦労した」

「せ──」


 あの怪物が! 他人の為に説得なんて殊勝な行動を起こしたのかィ! とカザリは遂に絶句した。いやはやミス・ヒナにここまでご執心しているとは恐れ入る。人は恋をするとこんなにも変わるものなのか。この怪物が怪物たる所以を二十年以上聞き及んでいるが、怪物の氷の様な心をこの少女は溶かしてしまったというのか。それもそうか、きっと彼女だけだろうから──怪物をヒーローなどと呼ぶ人間は、後にも先にもミス・ヒナだけだろう。


「思えばあれが初めての喧嘩だった! ……流されがちな陽菜が真っ向からおれの意見にぶつかってきたのはある意味感動ものだ」


 曰く。

 それまでにこにこと穏やかにしていた彼女が初めて声を荒げたという。先輩と怪物の仲裁をした時も変な爺に言い寄られた時も──敬愛する教授に裏切られた時も耐え忍んで、堪えてきた彼女だったが……きっとこの時にポキンと音を立てて、その心は折れたのだ。


「考えないようにしていたことが全部溢れてきてしまって、このひとに当たってしまう自分に耐えられなくて……カフェの奥に事務所があるんですけど、そこに引きこもってしまいました」


 わんわんと子供のように大泣きして、しかし怪物はドアの向こうからずっと陽菜に語りかけていたという。


「あなたの親切に自惚れちゃいけないとか、住む世界も違うだとか、駄々っ子みたいに喚いてました。それにあなたはずっと年上で私みたいな小娘なんて……と言ってしまった辺りで、ドアを破壊されまして」


「はかい」


 欲しくて欲しくて気が狂う──

 怪物の声が脳みその中で勝手にリフレインされた。カザリはあぁ、こいつも限界だったのかと妙な納得を感じていた。


「おれはおれなりに陽菜を口説いているつもりだったが……どうも上手く伝わってなかったらしい。親切心でおれが動くワケないだろう!」

「知ってるヨ、それこそ嫌になる程」

「なので手始めに陽菜が誰のものか“陽菜”に解らせた」

「んん?」

「具体的にはぶちおか──」

「だめだめだめ、言っちゃだめです! さすがに!」

「だから! どうして! お前は一の次を百にするんだい!」


 先ほどまでねんねのような恋物語を聞いていたと思ったらこれだ。訂正しよう、この怪物の心はきちんと、腹立たしいまでに怪物のままだ。

 ふわふわのパステルカラーから一気にダークカラーに塗り染められる空気をカザリは覚え、陽菜に至ってはここまで他人に口外すると思っていなかったのだろう、耳を真っ赤にして必死に怪物を制していた。


「勿論ホテルに攫ってからだとも。足長おじさんのようにおれは親切でも信心深い訳でもない、おれはおれの欲に従ったまでだ。あの物陰でおれと出逢った時から陽菜はおれのものだ、と」

「はわっわわわ」

「教え込むのに一週間かかるとは思わなかったが……前後不覚に陥らせてようや──」

「ちょ、もっ、もうやめてぇ……!」

「……ほォ?」

「おお怪物殿、獲物に食らいつこうとするのは夜になってからにしておくれ」


 少女のような女の声に怪物が目の色を変えたのをカザリは見逃さなかった。


「それにあの教授に……あァ名前を呼ぶのも反吐が出る……兎に角陽菜を駒扱いした男に、だ。いいようにされるのは火を見るより明らかだった。陽菜のカフェが軌道に乗り始めてから目の色を変えたのも気に喰わない。おれの陽菜だと教えてやらねば──憐れだろう?」


 なんと傲慢な、いやこの不遜さは元よりの性質だったか。“ギュスターヴ”はこの辺りでミス・ヒナに合わせてやるのに飽きたのだろう。飽きたというより奇跡的に耐えられていた物欲が彼女の心と体、両方を手にしたから教授のお遊びに付き合う義理が無くなったとでも言おうか。


 いやひょっとしたらミス・ヒナの限界を悟っての行動やもしれない。ずるずるとあまっちょろい彼女の考えを力づくで修正してやったやも──しれない。

 何せこの怪物はイギリスの魔物、舌も牙も何枚何本あるか分かったものではないのだ、その本心など誰も読み取れはしない。


「可哀想に、【おれが手を出す前に】脱税だか裏金だか献金だか──まァどうでもいいが、警察騒ぎになったんでなァ。おれは結局かの教授とは会わず仕舞いになった」

「手を出す前に、かィ」

「おれがそうだと言ってるだろう?」

「──そうかい。まぁそう言うことにしてやるよ」

「そうして陽菜の件は綺麗サッパリ流れた。そもそも情報なんぞハナから盗み取ってもいないしハニトラはおれが全力で阻止した。日本に居てもマスコミに追い回されるしなァ……だからそのまま陽菜を連れて陰鬱な古巣に戻った訳だ」


 マスコミに追い回される? とカザリが怪訝な顔をすれば陽菜が「テレビに大きく取り上げられる事態になりまして、教授に関わった人へのインタビューが過熱してるんです」と諦めたように説明した。


「身近にいた人間として、気がついて諌められていたらと後悔ばかりです。だからやっきになって他の人の弱みを握ろうと──」

「無理だね」

「えっ」

「ミス・ヒナの能力不足とかではないヨ。うん。こればかりはね、本人の意思でも無理だったろうさ」

「それはつまり、やっぱり」

「カザリが言いたいのはつまり陽菜のやるべき事は済んだ、という意味だ」


 この話はここまでだと怪物は茶菓子を陽菜の口へ放り込んだのだった。おおかた可愛い子の口から他の男の話題が出てくるのが癪だからだろう。


「熱が引いても噂は付きまとう……片身が狭くなるだろうからこのまま陽菜はこっちの大学に留学させる事になった」

「それはそれは。こちらの大学では何を専攻するのかね?」

 カザリは怪物からもぐもぐと口を動かす少女に視線を移して問いかける。紅茶を一口飲んだ陽菜は「経済学を」と気恥ずかしそうにはにかんだ。


「しっかり学んで、彼の仕事を手伝いたいと思ったのもあるんですが、今度はちゃんと自分でお金を貯めて──またカフェを開きたいんです」

「よい考えだ」

「えへ……ありがとうございます」

「オープンした暁には呼んでくれ。常連になるヨ」

「うれしいです……! 絶対お呼びしますね」


 可愛い子を独り占めしすぎた所為か「カフェくらいおれがまた買ってやるのに」といかにも面白くなさげに怪物は文句を垂れていた。


「こればっかりはちっとも言うことを聞かねェ」

「そうしたらまた腰が抜ちゃいますよ」

「おれが抱っこしてやればいいだけの話だ」

「抱っこされたままじゃあ紅茶もコーヒーも淹れられませんから。……それにあなたを一番最初のお客さんにする夢があるんですよ、私」

「聞いたかカザリ! こうやっておれが絶対に断れないように苛めるんだ」


 中々に波乱万丈の出来事が繰り返され、彼女にとって色々な意味で災難だったろうが結果的に雨降って地固まったのだろう。何年後になるか分からないが、彼女が営むカフェはきっと人気になるに違いない。

 ──その時は店長の姿が一番よく見える席に居座る怪物が名物になるだろう。


「話をありがとうミス・ヒナ──話をきっちり聞かないとオレは仕事ができないからねィ」

「お役に立ててなによりです」

「ふむ。まぁ今の話でだいたいのイメージは掴めたヨ、いいだろう。話はおいおいつめるとして……」

「──カザリェーチェフ」

 怪物の怪物と呼ばれる所以の声が響いてカザリは「知っているとも」と言わんばかりに肩を竦めた。

「まさかおれが話しただけ、なんて真似をすると?」

「思わないねィ!」

「えっ……と?」

 きょろきょろと、怪物曰く小鳥のように陽菜は二人の顔を交互に眺めていた。

 惚気るだけの男ではないのは当然だ、伊達に怪物“ギュスターヴ”と呼ばれてはいない。

「──“流行”を作れ、文聖カザリェーチェフ」

「お安い御用さ」

「文聖……カザリェーチェフ……って!」

「ハッハァ! 陽奈チャンがやっとお気づきだ。想像どおりさお嬢さん」

「あの歴史大作の……!」

「あの時みたいに流行らせてロケ地をテーマパークに変えちまえよ、ただし主人公を鱗まみれにするんじゃねェぞ?」

「おっと。折角ナイルの化け物で構想を練っていたのに。先を越されたねィ。分かってるともヌガーグラッセも甘くしてやるヨ」

 書くのは砂糖まみれのラブ・ストーリーだ、年の差も国籍も価値観も何もかも違う二人が結ばれるヌガーよりまだ甘い物語を生み出す為に文聖はスペルを編む。

「流行が出来ちまえば陽奈が肩身の狭い思いをしないですむだろう?」

「わ、私の為? なんですか? てっきり新しいビジネスでも考えてると、ばかり……」

「だめか?」

 怪物は先程まで彼女をずるいと評価してたがこいつも大概狡いだろう、彼女が否定するワケ無いと分かっていながらそんな台詞を平然と吐く。

「日本で流行を作るより、欧米で育てて持ち込んだ方が向こうじゃウケがいい!」

「せ、せかい、きぼ……」

「安心していいよミス・ヒナ。こいつぐらいさこんなに脳みそぶっ飛んでるのは。幾つになっても落ちつきゃあしないんだからね」

「ひでェ言い分だ」

「きっとこれからもそうさね。年上だからといって油断しちゃあいけないよ、確実に百二十年は生きそうだし」

 下手したらそこら辺の小僧より盛って求めてくるだろうし、とは流石にハラスメントになるので言うのを止めた。

「はい、ずっと側で。きっと毎日驚かされてばっかりです、ふふ」

「そうとも。怪物の所業を一番近くで見続けるんだ、当然だ。当然だとも」

「ではさっそくオレは仕事に取り掛かるとしよう」

「も、もうです、か?」

 陽菜が慌てふためく姿は間違いなく怪物が言ったとおり小鳥のようにちょこまかとしている。怪物は、ギュスターヴはやはりその姿を見るのが愛おしくてたまらないらしい……そっと目を細めては彼女の頭を撫でていた。

「鮮度ってものがあるからネ。忘れない内にメモを取らねば──ジュリア、紙とペンを!」

 ──カザリは用意された紙にインクを走らせた。覗き込む二人の視線などお構い無しに、だ。すっかりエスプレッソが冷えてしまっても、時間が過ぎて怪物とその可愛い子が帰路に着いても描き続けた。


「タイトルはどうしようかねィ」


 想像するのは何年後かの怪物がうろつく居心地のいいカフェだ。

 波乱万丈を乗り越え逞しくなった小鳥のような女店主と、その店主を溺愛する怪物のような大男が静かな空間でそっと視線を絡めるその一瞬──その一瞬を飾るに相応しい輝きを小説家カザリは作り上げていく。


「ああその日が楽しみだ」


 誰が言ったか、誰もが言ったが、そんな台詞はイギリスの曇天へと消えていった。


end.



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