メシの話とか色々

彩京護

第1話

 職場の同僚に不意に聞かれたことがある。

「彩京さんはハンバーグ好きです?」

 好きですよ。大好きです。牛肉多めのパサつきがちなのも、混ぜ物多めの安いのも、そういうのもひっくるめて大好き。

「好きですよ」

 アレコレと言いたいのを一言に凝縮してそう答えた。すると彼女は嬉しそうに、

「美味しいハンバーグ屋知りません?」

と聞いてきた。

 ははぁ、なるほど承知しましたよ。

 自分の外見はメガネをかけたチビデブであり、趣味はと言えば飲む食う寝る。顔と身体は雄弁に物語っている、

 美味いモノは彩京に聞け、という具合なわけだ。

 ただ、残念ながら自分の舌は安上がりなため、美味い、の幅が広い。つまり、相手の尺度からすると不味い範疇でも、自分は美味い判定を下す可能性があるわけで。

「びっくりドンキーはお好きで?」

 唐突な質問に、彼女は多少面食らったようだったが、しかし若くして主任になってるだけあって、意図を察したのか

「好きですよ」

と返答があった。

「ココスの牛肉ハンバーグは」

「良いですね」

 うむ、問題なし。幅は広い。なら安心して勧められる。

「彦根の、スイスはどうです?」

 第三者からしたら面食らうオススメだろう。日本の、関西の、滋賀県の、彦根で、スイス。

 完全な余談であるが、滋賀県にはマイアミもある。驚くことなかれ、マイアミ・ビーチ付きだ。なお、そこは野洲の琵琶湖畔にある「舞網」に由来する為、嘘ではない。

 話をスイスに戻そう。もちろん彦根のスイスに。

「ああ、行ったことありますよ!」

 彼女の元気が良い返答に、俺が面食らった。

 行ったと!京都辺境の地から、湖東湖北、中部地方との玄関口の彦根くんだりまで!

「すごい行動力ですね…というか、何で知ってるんです?」

「テレビで見て、すぐ行きましたよ」

 驚いた。あの店がテレビで?自殺行為じゃなかろうか。

 僕がそう思ったのは、このスイスという店、貧乏学生相手の安い飯で有名な喫茶店だからだ。

 薄利多売ではあるが、テレビで半端に客を集めて、混雑を嫌った学生が離れてしまっては、今は良くても今後が立ち行かないのでは…そう心配になった。

 と、そこまで考えて「いや大丈夫か」と思い直す。

 第三者の素人がアレコレ詮索しても仕方がないじゃないか、と。


 ともあれスイスだ。先に言った通り、学生相手の飯商売なので、とにかく安い。ど田舎なのに周辺に大学が2つも建っているせいか、客層はとにかく学生と、地元の住人であった。

 僕もそうした貧乏学生の一人として、スイスには数度お世話になっていた。

 初めて行ったのは、大学に入って速攻で辞めた部活の新人歓迎会だった。

 貧乏学生だから、誰も彼も先輩も金はない。しかし、体育会系の伝統とプライドが、貧乏先輩でも後輩を奢る強迫観念を形成しているわけだ。新人、すなわち新一年生はこの恩恵を有難く受け…数年後、自分たちの後輩に奢るわけだ。

 そんな因果に、少しでも負担を軽くしようと安くて腹一杯食える店が選ばれる。その筆頭が、学食。次点、スイスであった。

 僕のおぼつかない記憶では、その時はスパゲティとハンバーグを食った気がする。ああ、ビールは飲んでいない。歓迎会なのに、って?バカ言っちゃいけない。現役の大学一年生は未成年だ。嘘でも酒は飲んでいない、飲まされていないと言うに決まってるだろう。

 泡の出る麦ジュースなら飲んだかも知れないが。

 自分は顔に出ないタイプだったので、何一つ恐れることなく、美味いスパゲティとハンバーグで、しこたま麦ジュースをいただいた。

 二回目は、それから一年後に同級生とお茶をしに行った時だ。二年目にして既に劣等生の烙印を押されていた僕は、「何をしでかすか分からない奴」扱いであり、奇異の目に晒されることが大半だった。

 そんな中で付き合っている友人達は貴重であり、また大切なものだった。

 確か、その時はコーヒーを一杯だけ。同席の友人はたば…ココアシガレットも。モノが古かったのか、何故か先端から煙が出ていた気がする。

「コーヒーとこれは堪らん組み合わせだよなぁ」

と笑い合っていた。


 ロクでもない学生時代の話である。ロクでもないが、感慨深い。

「あんな遠くに行きましたかぁ」

 京都から電車で一時間はかかるし、なにより交通の便は悪い。駅からも大学からも離れている。学生が自転車で行くのには丁度いい距離なのだが。車と言うには大袈裟で、歩きと言うには少し遠い…絶妙な距離なのだ。

 自分みたいに、学生時代に食っていて「貧乏メシ」のイメージがあると、わざわざ車で行こうとは思わない。

 しかしテレビなら話は別だ。

 今でこそ、テレビなどフェイクの温床みたく言われるし、ブームは作るものと言われても、やはり腐ってもテレビは影響力が大きい。

 アイドルがちょいと食レポすれば、そこには札束が落ちる。今でもそうだ。数年前に廃れて、場末のフードコートの片隅で閑古鳥が鳴いていたタピオカドリンクが、瞬く間に行列を作った。

 テレビは凄い。

 ただ、スイスはそこまでテレビで語られるモンだったか?と言われたら、ちょっと疑問符がつく。

 その番組を見ていないから何とも言えないが。


 兎にも角にも、ハンバーグに関してはうるさい彼女で、京阪神のその他美味いハンバーグ屋について語り合い、その場は終わった。

 だが、自分には心残りがある。いや、心残りというか、しこりというか、後ろ髪引かれるというか。

 果たして、僕は休日に愛車の軽を駆り、彦根への旅路に及んだ。

 休日と言っても、世間一般は月曜日。行楽日和であっても、人混みには悩まされないベストな日である。何より、みんなが働いてる最中に遊ぶというのが何よりのスパイスなのである。

 これで酒が飲めたらさぞかし美味かろうが、車で行くからには仕方がない。酒が飲めなくともハンバーグがあるじゃないか。

 僕は国道を選ばず、眺めのいい湖畔道路を北へと走った。

 旅は急がずともいい。前の車両とたっぷり距離をおき、窓を開け、風を得ながら法定速度で巡航である。

 ゴキゲンなドライブだ。

 颯爽と彦根城の外堀へ到着し、駐車場へと車を停める。

 せっかくだから、数十年ぶりに彦根城を見学して、散歩がてらにスイスに行こうじゃないか。

 たしかに歩くには遠いが、こうなると健康増進のための散歩にもなる。食いすぎることを前提に、運動をしておこうという算段なのだ。

 ふらりふらりと、軽く浮ついた気分で堀を進み、彦根城へ登ろうとしてギョッとなった。月曜日だというのに、なんと行列が出来ている。

 どうも、一度に入れる人数を制限しているようだった。まぁ仕方ないとは言え、君たち仕事はどうしたんだ。僕は休みだが、子供連れもいる。世間一般では夏休みも終わっているはずだが。

 親はどうやって学校を休ませているんだろうか。正直に家族旅行と言ってるのか、それとも風邪を引いたことにして?

 学校をなかなか休ませて貰えなかった世代の僕としては、何ともケツの収まりが悪くなる話だ。


 彦根城なう、と友人にメッセージを送信し、前に続いてゾロゾロと城に登る。

 朝一組には入っていたので、待つには待ったが、開館時間ピッタリで入れたので特に不満はない。

 建材に使われている自然木に感心したり、隠し部屋の位置を予測しながら、上へ上へと登っていく。

 足腰が悪くなれば登れないような建物だ。バリアフリーと最近こそ言うものの、はるか昔の殿様は、果たしてバリアしかないこの城をどうやって登っていたのだろうか。

 最上階の眺めは壮観である。とは言え、昔に何度か見た光景ではあるが。

 あの頃とはずいぶんと変わってしまっているが、それでも懐かしさを覚えるだけの面影は残っている。

 僕はさらりと踵を返し、順路にしたがって降りていった。


 彦根城は、博物館に寄らなければ追加料金はない。昔に一度見ているので、そして今回の目的はまた別であるので、パスである。

 金亀公園を抜け、再び堀を通って、外堀の中に立つ学び舎を見て回る。そうして、観光者向けの商店を抜けて、お目当てのスイスへ向かう。

 良い天気である。散歩日和。

 昔にはとんと聞いたことのない名物が書かれた看板を横目に、つらつら歩く。

 あんな店あったかいな。あれ、ここは変わったのか。そう記憶を辿るのも楽しい。

 ここまでは順調だったのである。

 ところがどっこい、僕は昔馴染みというアドバンテージにかまけて、肝心要のことをすっかり忘れていたのだ。

「月曜、定休かよ…」

 おおブッダ、救いはないのですか。

 鼻をほじりながら佐藤二朗の顔した仏に「ねぇよ!」と言われそうである。

 事前に店を検索すれば月曜定休くらいわかりそうなものだが、いかんせん場所を知っていただけに、そういうことをしなかったし、かつ頭から抜けていたのである。

 ああ、やっべ。すっかり計画が狂ったぞオイ。

 仕方なしに、来た道を帰る。

 ただし、やや足早に。なに、ここがダメなら別口があるのだ。

 なに、元ホームグラウンドだ。アテはある。


 懐かしい「お食事処」の暖簾をくぐり、軽いアルミサッシ戸を開ける。

「ぶた定、ちょうだい」

 はぁい、と返事が返ってくる。ややあって、おばちゃんが出てきて水を置いた。

 貧乏学生のよりどころは一つじゃない。お洒落所はスイスに譲るが、質実剛健な飯ならば満腹食堂である。

 昔は学食に飽きればここに来ていた。利用回数ならば、スイスの何倍にもなる。近いし、安い。そして美味い。

 盆にのったぶた定、メニュー名「豚定食」がサーブされてきた。

 メインの皿には、タレのよく絡んだ豚こまにキャベツが敷いてあり、お情けみたいなナポリタンが添えてある。

 そこに味噌汁と飯、漬物。600円也。

「いただきます」

 昼にはちと早いが、しこたま歩いた後だといよいよ味の濃い豚肉が美味い。飯が進む。

 タレと脂の染みたぬるいキャベツの千切りと合わせてバクバク飯をかき込む。

 茹で加減に気合の入っていないナポリタンも、何故か嬉しい。こいつも良い飯のおかずだ。

 節操の無い食い方は、学生時代から何ら変わっちゃいない。ざっと見渡す店内も、時が止まったような面持ちだ。

 きっと細かくは変わっているはずなのに、変わっていないように思える。

 背後で、戸が開く。授業を早く上がった学生がゾロゾロと入ってきた。

「玉子焼き」

「ぶた定」

「焼きそば」

 懐かしいメニューの声が耳を通過していく。

 本当に変わってない。あれから20年は経っているはずだから、大将も変わっているだろうに。

 いや、僕は大将の顔もよく知らない。先輩や友人と連れ立って、ぶた定頼んで、帰るだけだった。

 そういう存在がいたのかもよく分からない。でも、確かに店は続いている。

 飯が美味いから、続くんだろうな。

 頭の片隅でぼんやり考えながら、味噌汁の最後を飲み干した。


 さて帰ろうかと思った時だった。

「ハンバーグ!」

 新しく入ってきた学生が、元気よく言った。

 え、ハンバーグ?あったっけ?

 僕は驚いてメニュー表に目を走らせる。

 マジか。

 ある。

 ハンバーグ定食600円。

 ついぞ頼んだ事のない奴だ。

 水を飲みながら観察しようとしたが、学生たちは次々やって来る。空けてやらないと迷惑だろう。

 おいおい、新しいハンバーグの名店を発見したかも知れないってのに、ここで撤退かよ。

 まこと、後ろ髪を引かれつつ、僕は満腹食堂を去ることになったのだった。

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