魔法とは、己の魂を削ること。

 放っておけばもちろん、魔物を覆う氷は解けてしまう。

 この魔物も何らかの魔法が使用されている可能性がある。調査するために眠らせようと、ロサが法陣ほうじんを描き始める。


「ケニ・フルール」


 その時、ミササギは気づいた。この魔物に似た魂がこちらに迫ってきていることに。


「待て」

「は、はい」

「守りよっ」


 四人の周りにアクイラが壁を作った時、墓所の前に、刃のような風が舞い起こった。

 先ほどに比べると、範囲も威力も大きく、四人の耳には猛烈な風の音しか聞こえなくなるほどだ。四人全体を覆うように展開された守りの魔法に、ひびが入り始める。


「ガイ・ガイカ、守り、よ」


 壁が割れる前に、ロサが壁を補強したがわずかに遅れ、壁の中にほんの少し風が入り込んだ。


「きゃっ」


 叫びをあげたシルワに刃の風が向かおうとしたが、その前に割り込んだミササギの手首を代わりに切り裂いた。


「っ……」


 ミササギは右手首に目をやった。手袋の裾で防げたためさほど深くないが、刃物でぱっくりと切られたような傷が刻まれている。


「ミサギ様!」

「モルス様っ」

「大丈夫だ」


 ミササギは手短に答えてから、少し離れたところにいつの間にか、凍り付かせた魔物と同じ魔物がもう一体、たたずんでいるのに気づいた。


「二体目……」

「これで全部だろうな」


 ミササギは疲れたように言葉をこぼした。

 大丈夫だとは言ったものの、手首からは血がしたたり落ちている。手袋の中に血が溜まり始めているのか、生ぬるさを右手に感じていた。

 痛みもそれなりにある中で、ミササギは意識を集中させて、二体の魔物の他には強い魂が周囲にいないことを確認した。

 二体で間違いなさそうだ。


「つ、魔物が!」


 この間に体が解け始めたのか、一方の魔物が動き始めたのを見て、ロサは声を上げた。法陣を描こうとしたが、その動きが少し鈍いことにミササギは気づいた。


「使うな」

「大丈夫です」

「使うな、ロサ」


 アクイラも言葉を重ねる。


「ですが」


 言葉を募らせようとした彼女に向かって、ミササギは強く首を振った。


「少し間をあけるだけでもいい、後はどうにかする」

「……足りない魂で申し訳ありません、モルス様」


 頭を下げたが、その時にはすでに、ミササギは魔物に顔を向けていた。魔物を眺めたまま左手で法陣を描く。


「ケニ・ソロラウル、治せ」


 緑色の法陣が展開され、右手首に光が収束する。光が止むと傷口が塞がり、流れて出ていた血が動きを止めていた。

 完全に塞がったわけではないが、しばらくは問題なさそうなことを確認すると右手首を下ろす。

 凍り付いていた魔物が、氷を壊しながらゆっくりと立ち上がった。木々から差し込む光を反射しながら、氷のかけらが辺りに散らばる。

 立ち上がった魔物の横に、二体目の魔物が並ぶ。大きさに少し違いはあるが、やはり同じ種類の魔物だ。

 ミササギは冷静なまなざしで、凍りついていた魔物がしきりに右前足をなめているのを見つめた。

 先ほどミササギが与えた傷だ。凍り付いているのを振り払おうとした際、傷を痛めたらしい。


「切り吹け」


 その前足を狙うように、ミササギは刃の風を生み出した。魔物は当然のようにそれをよけていくが、傷ついた前足にわずかに風が当たり、着地すると動かなくなった。

 その間に、もう片方の魔物がミササギに突進を仕掛けたが、アクイラの壁の魔法が防ぐ。

 ミササギは転移の魔法を使用すると、その魔物の背後に回った。再び、風の魔法を仕掛ける。

 よけきれなかった魔物に風がいくつか命中し、緑色の魔物の体を所々血に染めた。


『ギャアオンッッ』


 魔物は怒ったように足踏みすると、ミササギを対象として絞ったのか、彼に向かって姿勢を低くした。


「それでいい、私から目を離すな。……残りは頼んだ」


 ミササギはそう言い残すと、その場から転移して門から離れた場所に姿を見せた。姿勢を低くしていた魔物は、ミササギに向かって走り出す。

 それを見て、来た道を戻るように更に転移をしていく。王家の墓所から魔物を離そうとしているのは明らかで、ミササギと魔物の姿は段々と小さくなっていった。

 残った動きの悪い魔物に向かって、アクイラが法陣を描く。


「ケニ・フルール」


 その様子を見て取って、魔物がふらつきながらも立ち上がろうとしたが、


「ガイ・ガイカ、守りよ」


 ロサが辛そうな様子ながらも壁を作り出し、魔物が動けないように取り囲んだ。


「今です!」

「眠りよ」


 アクイラの手元で眠りの法陣が展開されると、魔物の足元にも同じ法陣が現れた。

 その光を浴びた瞬間、魔物は声をあげることなくその場に崩れ落ちた。その目がゆっくりと閉じられ、やがて動かなくなる。


「まず、一体は完了だな」


 アクイラはそのまま異なる魔法の詠唱を続けて行い、それによってどこからともなく現れた縄が魔物を縛り上げた。


「モルス殿の援護に向かう。お前には助けられたが、今度こそ休んでいろ。お前のためだ」

「はい……」


 ロサは力なくうなずくと、その場に膝をつきそうになった。シルワが慌てて手を貸す。アクイラは彼女に「ロサのことを頼む」と言い残すと、走り去っていった。


「あの、大丈夫ですか?」


 シルワはアクイラが去った方角を見つめながら、声をかけた。ミササギの姿はすでに見えなくなっている。耳を澄ますと、わずかに魔物の声が聞こえる気がした。


「怪我をしたようには見えませんけど」

「体は大丈夫なんですよ、ただ、そう。魂力こんりきを少し使いすぎました」

「魂力を?」


 手を貸してもらいながら、ロサは門から離れた木陰に腰を下ろした。


「大事なことを言い忘れてましたね。魔法って、ある意味自傷行為なんですよ。自分の持つ魂の力を使う、それって魂を削るようなもの。いくら多くの魂力を有している者でも、いずれは魂力が尽きることになる。魂の力だから、外部から癒すこともできない。自然に回復するのを待つしかないんです」


「使いすぎたら、どうなるんですか?」


「魂力は、魂をこの世に維持するもの。全て使ってしまえば、その人の魂は消え死に至ります。本当は知識があれば、誰にだって魔法は使えるものなんです。だけど魂力が強くない者が魔法を使えば、すぐに魂が消えてしまう。だから、魂の強い者だけが魔法使いとなれる」


「あの、あなたはっ?」


「私は大丈夫。消えてしまうほどに、力を使い切ってはいません。最近忙しくて、なかなか魂を休めることができなかったので……それが良くなかったのでしょうね」


 それを聞いて安心したのか、シルワは再び、二人が去った方向に顔を向けた。


「お二人は、大丈夫でしょうか?」

「アクイラさんは、調査官の中でも強い力を有している方です。そしてモルス様は……」


 ロサは周囲の様子に目をやった。門の前の道は所々えぐれ、草や木も切り裂かれているが、倒れている木は奇跡的にない。

 ミササギが、きっちりと周りの様子を考慮したうえで魔法を使っていたことが分かる。現状の復帰もさほど時間をかけずにできるだろう。


「きっと大丈夫でしょう。モルスに選ばれる者の魂力は尽きることを知らない、と言われています」


 その言葉に応えるように、あの魔物の鋭い鳴き声が遠くから響いてきた。

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