6:行き逢う神
最初、委員長の言っていたよりも行き逢い神は小さく見えました。理由は元沼地が駐車場よりも低い為です。毛のないブルドックといった感じの皺の寄った顔の小さな目が、僕を認めたのか、大きく開かれます。と、音も無く行き逢い神は飛び上がると鉄柵の上に着地しました。
でっぷりとつきだした腹に、ごつごつとした長い腕。そして冗談みたいに大きな手のような足の指が、がっしりと鉄柵を掴みます。
と、鉄柵に結び付けられていた紙が一斉に飛び散りました。そのうちの一つが、僕の服に張り付きます。
カサカサという音に妙な感触。よく見れば、それは折られた紙の胴体に、捻じれた紙の足を持つ虫、蛾か蝉に見えました。
紙虫が駐車場を転がったり飛びまわったりする中、鉄柵の上の行き逢い神は僕を見降ろしていましたが、口を開き何事かを喋りました。すると、何かが僕の体をさっと通り過ぎていく感触があり、気持ちの悪さに膝をつくと、行き逢い神の口から僕の声が流れました。
「おまえをころしてやる」
行き逢い神はしばし僕の顔を見つめ、その後、笑いだしました。引き攣ったような連続で大砲を撃つような笑い声。
どうやって殺す? と僕の頭の中にふっと言葉が浮かんできます。
それが行き逢い神のものだったのか、僕の自問だったのかは判りません。
だけども、僕はカメラを向けたのです。
笑いは止みました。
行き逢い神の目が再び大きく見開かれるや、僕の体が震え始めました。体中の力が渦巻いて、どんどんと折り畳まれていく感触。そしてそれは真っ赤な矢になって腕を登って行き、カメラに注ぎ込まれていくのです。
行き逢い神は両手を大きく広げました。僕は膝をついたままでしたが、跳ねるような大きな揺れにバランスを崩し、後にどうっと倒れました。
僕の目に飛び込んできたのはタイヤです。起き上がってみれば、駐車場はいつの間にか『満車』になっていました。そしてその中では確かに人が揺れている。でもそれは真っ黒ではなく、泣き叫ぶ人たちで、そしてきっとこの中には――
ビーっとクラクションが鳴りました。はっとして振り返ると、今まさに、行き逢い神が鉄柵の上から飛ぼうとしている所でした。歯を剥きだし、両手を僕に向け、その手の中心には小さな赤ちゃんみたいな手が無数に渦を巻くように動いていて、それを見つめていると、体が揺れながら狭い所に吸い込まれていくような、凄い感覚に襲われました。
ですが、僕がカメラを向けるのが多分、コンマ数秒速かったのです。
僕の体は瞬間、完全に固まりました。
いや、大勢の人達に押さえてもらった、と言った方が良いかもしれません。
ともかく、僕は完璧な砲台と化して、バズーカを撃つような姿勢でカメラを行き逢い神に向けました。
青白い火花のような物が目の前に飛び散りました。
いつか見た、あの半透明の手がカメラから弾丸のように、いや、火炎放射器のようにどろどろと炎の帯を後ろに従えて飛び、行き逢い神にぶつかります。
ババムッと厚いゴムを布団叩きで打ったような音をたて、行き逢い神はぐるぐるとゆっくりと回り、元沼地に落ちました。
半透明の手は空中でぐるぐると周りながら段々と太くなり、大きくなり、まるで影絵の犬みたく、指と指の間が裂けて口になり、僕が鉄柵に駆け寄る頃には大きな角の生えた厳ついトカゲ、まあ、言っちゃうと龍ですね。龍の頭になって青い炎を上げながら元沼地に落ちていきます。
行き逢い神は尻餅をつきながらも両手を掲げ、今になってみれば、あいつの本体、いや、力の源? 根源? それはあの両手の先なんじゃないかと思うんですが、それでもって龍の頭を掴もうとしました。
勝敗は一瞬で、あっけないものでした。
行き逢い神の両手は弾け飛び、体の方は元沼地に龍の頭が飛び込んだ際に起きた大爆発の中で粉々になっていきました。
勿論、僕も吹き飛ばされたのは言うまでもありません。
くるくると回る視界の中、駐車場が、車が、スーパーが、家が、ありとあらゆる物が真っ白になっていきます。
そして、粉々の真っ白の下から、町が見えてきました。
それは多分、僕らの町です。
そして――川が見えました。あの、ヤンさんと会った橋がある川です。
川の中にはいつか撮った巨大な骨があります。それが、見る間に肉がつき、どんどんと太くたくましい、鱗がある大きな蛇のようになっていきます。
蛇は――まあ、龍ですよね。それは頭の無い体を持ち上げ、大きく振ると、地面に叩きつけます。すると、見る間に地面や家の中から龍の残りの部分が染み出してきて、あの元沼地に伸びていくのです。
そして元沼地で今も青い光を放つ龍の頭にくっついて行きます。
ああ、終わった……。
僕はどんどん上へ上へと回転しながら舞い上がっていきました。やがて回転は止まったものの、仰向けのまま空の彼方を目指して、まだまだ上がっていきます。
僕は目を瞑りました。
ともかく、行き逢い神は倒れました。
そして龍は復活したのです。
後は野となれ山となれ――小学生に多くを求めてはいけません。
と、いきなり何もかもが変わりました。
内臓が前に動くのが判りました。
太ももの疲れが前に来ました。
髪の毛が前になびくのを感じました。
つまりは『重力』を前、いや『上』に感じたんですね。
で、あれっと思って目を開ける。思わず両手を突き出す。と、両手と両膝にじゃっと擦る感触があり、いつの間にやら、僕は見覚えのある場所にて、両腕両膝を使ってうつぶせの体制になっているのでした。
僕はゆっくりと立ち上がりました。
どこまでも広がるアスファルト。そして目の前にぽつんと立っている廃工場。
僕はふらふらと中に入ると、変わらずにでんと置いてある大きな機械を眺め、溜息をつくと近づいて中を覗き込みました。
相変わらず真っ暗でしたが、出口の四角が向こうにちゃんと見えます。さて、今度はどうなるか、と僕は中に滑り込みました。出口に目を据えたまま、ゆっくりと這い進みます。出口は遠くなりません。星もありません。
何の変哲もないただの機械――そう思った時、僕の手がグイッと引っ張られ、カメラが下の凹みに落ちました。あっと思って目をやると、凹みの中は真っ暗で、浅いはずなのに、手を幾ら伸ばしても底にはつきません。
つまりは――カメラは没収という事か。
僕がそう呟くと、声が、いや、実際は声じゃなくて、相変わらず直接頭に響いてきた感じだったので、言葉が降ってきたと言った方が良いでしょう。
手伝えるのは、ここまで。後はあなた達が何とかしなさい。
こんな感じですかね、確か。僕は仕方なく出口に向かいました。とはいえ、この機械から出たとして、ここから帰れる唯一の手段の生け垣は清水達に刈られてしまっています。
さて、どうしたものかと出口でぼうっとしていると
「さっさと行きなさいよ」
あれ、と思って後を振り返る前に、どんと押されました。出口から転げ落ちると、視界がぐるぐると回りました。一瞬、機械の闇の中に戻っていく手が見えましたが――
あれは確かに委員長――まあ、皆まで言わなくても良いでしょう。
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