2:おまじない

 目を覚ますと、陽はすっかり落ちているらしく、薄暗い病室で、ばーちゃんが枕元に座っていました。


 僕は瞬きすると、上半身を起こします。

 ばーちゃんは枕元の電気スタンドのスイッチを入れると、僕が酸欠で気絶して、ついでに運ばれた、と説明してくれました。

 走れメロスか、お前は、とばーちゃんが苦々しい笑いを浮かべました。委員長は? という僕の質問に、ばーちゃんは小さく溜息をつきました。


「昏睡状態だ。今、父親が到着した」

 廊下からそう言いながら百合ちゃん先生が入ってきました。黒のタンクトップに髪を後ろで結わえていまして、椅子を持ってくると、ドカッと音を立てて座りました。

「心当たりがあるなら話せ。解決する」

 スバッとした質問に僕もズバッと答えました。

 立浪という委員長のお母さんの馴染の医者が、行き逢い神を見たという人の名前をメモで教えた。彼は母親の昏睡を解く方法を見つけたと言っていた。恐らく、委員長は彼に会いに行き、そして実践した。

 聞き終るや、百合ちゃん先生は勢いよく立ちあがると、廊下に出て行きました。五分経つや、お医者さんを引き連れて戻ってきました。

「メモを見つけた。退院だ。行くぞ」

 僕達はお医者さんに頭を下げると廊下を歩きだしました。ぺたぺたとスリッパの音以外、何も物音が聞こえません。百合ちゃん先生は下には降りず、階段を上に上がっていきます。僕達は無言でそれに従いました。

「挨拶しときな」

 ある病室の前で百合ちゃん先生はそう言うと、ばーちゃんを連れて廊下を戻っていきました。病室の中はベッドが六つあり、一つ以外は空です。窓際だったので、外から入ってくる町の光で委員長の顔がやけに白く見えました。

 まったく、勝手なことをして、と僕は溜息をつきました。悲しいとか頭にくるとか、そういうのよりも先に溜息が出てくるあたり、僕と委員長の関係も中々ですね。ここで、手でも握って、必ず助けるっとか言った事にすればいいのでしょうが、実際の所、僕はもう一度溜息をつくと、ま、すぐに助けるからと軽く言うと病室を後にしました。

 妙に体も気持ちも軽かったのを覚えています。


 百合ちゃん先生の車で、×××家に到着したのは十時を過ぎていました。いつもなら、そろそろ寝てるんですが、まあ、そんな気分では無かったですね。

 玄関には、かりん先生が待っていました。いつものようにふんわりニコニコしています。

「暴れたんで、ちょっと落ち着かせといたから」

「お前……意識はあんだろうな?」

 かりん先生は、だいじょーぶーとニコニコふんわりしてますが、家に入ってみると、問題の息子さんは鼻血を止める為か、血まみれのティッシュを鼻に突っ込んだ状態で、座布団を用意している所でした。この家のお父さんが、ペコペコしながらお茶をも持ってきますと、百合ちゃん先生がまず頭を下げました。

「すまねえ。なんかうちのがとんでもない事をしたみたいで……」

「いや、僕も錯乱してて、その――本当に申し訳ありませんでした」

 息子さんも頭を下げます。通された居間は、壁に穴が開いていたり、ガラスのテーブルに大きなヒビが入っていたり、椅子がひっくり返ったりしていました。

 お父さんが横に座るとやはり頭を下げます。

「私が悪いんです。これのいう事を今まで相手にしてこなかったんですから――」

 そんな父さん、と息子さんが慌てるのを、ばーちゃんが手で制しました。

「事情はあるんでしょうが、今は時間が惜しい。こっちがうちの孫です。今から同級生を助ける為に走り回ることになる。話を聞かせてもらえますか?」

 息子さんは頷くと、僕の方に顔を寄せてきました。

「あの……化け番、見てます。あれ知ってますよね、『祈りの鉄柵』」

 委員長が呆れてた、おまじないです。

「僕は母が倒れた時に、その――信じてもらえないかもしれませんが、大きくて透明な化け物を見たんです。だから――」

「僕らはそれを行き逢い神と呼んでいます。去年から発生している、連続昏睡事件の原因と考えています。あなたはあの鉄柵に解決策を教えてくれとお願いした。そうですね?」

 息子さんはぽかんとした後、何度も何度も頷きました。

「そ、そうです。そうしたら、ある日、空メールがきたんです。こ、これです、これ!」

 差し出されたスマホを僕とばーちゃんが覗き込みます。宛先は空欄。件名も空欄。本文はひらがなで『ひたいをすえ』と短い文章のみ。

「これを、ここに来た女の子に教えたんですね? いつですか?」

「あ、あれは――八月の二日、だったかな。同じ被害者の人の娘だって聞いて、よく見たら、化け番の人で、僕は嬉しくて、その――自分でも怖くて試さなかったのに、教えてしまった……」

 がくりと俯いてしまう息子さん。かりん先生によれば、ずっとその事を気に病んでいたらしく、かりん先生から委員長が倒れたことを聞いた時、錯乱してしまい、ともすれば自殺、という展開になったそうです。

 まあ、かりん先生の『鼻血が出る位強烈な往復ビンタ』で正気に返って、全てよし……ということにしておきましょう。

 ギリギリです、ホント。


「委員長のお母さんは目を覚ましたの?」

 僕の質問に百合ちゃん先生は、ああ、と答えました。

「昨日、病院で委員長がお見舞いをした後に目を覚ましたんだと。だけど――」

「知らせてないんですね? ……長い間、寝ていて体力がないから」

 百合ちゃん先生が、まあそうだ、と長々と息を吐きました。息子さんは真っ青な顔で、どうしてこんな――と絶句しました。

 かりん先生がカップをくるくる回しながら、どんよりした目で息子さんに笑いかけました。


「あのね、願い事ってのはね、叶いにくいから願い事なの。すぐに叶えてくれるのに碌なのは絶対にいない。この、『行き逢い神』だっけ? こいつにしてみれば、そういう願いが出てくるところまでひっくるめての『狩り』なのよ」


 狩り、と呆然と呟く息子さん。百合ちゃん先生が、もういいだろ、とかりん先生の肩を叩きました。

 かりん先生はそっぽを向いてしまいます。

「悪ぃな。俺たちゃ昔、色々とヒデェ目に会ってよ、こいつは、あんたと同じような失敗をやらかしてな、今でもずっと――」

 かりん先生がすごい目で睨んだので、百合ちゃん先生は言葉を止めました。息子さんはしばらく目を瞬かせていましたが、僕に向き直りました。

「申し訳ない。僕は、とんでもない事をしてしまった。今から君はその――何とかして彼女を助けるんだろう? 僕に手伝えることはあるかな?」

 僕はいや、と頭を振りました。

「何が起きるか判らないし、生きて帰れるかどうかも判りません。僕は子供ですので、自分以外は守れない。だから、僕は僕一人で行きます。ばーちゃんも先生たちも、ごめんなさい。僕は危ない橋を渡りに行きます」

 皆が黙って僕を見ていました。


 死ぬかもしれない。


 そう考えても、口笛の時に感じたような恐怖が心の中にありません。奥の下の、深い場所で何かが、ずくずくと僕を小刻みに揺らしていた所為でしょうか?

「自分から危ない橋を渡る、なんていう奴は初めて見たな」

 百合ちゃん先生がそう言うと、ばーちゃんがううんと首を捻りました。

「しっくりこないねえ。最後の一節は無くした方が感動的だったんだがねえ……」

 えー。

 かりん先生がスマホを取り出しました。

「あんたらの仲間を呼ぶわよ。で、あの中華料理店の人、ヤンさんだっけ? あれに出前を持ってこさせよう。腹が減っては何とやら、ね? あ、おい、お前」

 かりん先生に指さされ、息子さんはひゃいと何故か敬礼をしました。


「おごって!」


 全力で超かわいい笑顔です。

 勿論、全員うげぇって顔をしました。

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