Chapter3
1:落書き・カニさん登場
七月三十一日、昼過ぎ、二時くらいだったでしょうか、チャイムが鳴り、インターホンのモニターを見ると、見覚えのあるおじさんが立っていました。
鍵を開けると、その人、刑事のカニさんは汗をハンカチでぐるりと拭いて、おはようと溜息をつきながら挨拶をしてきました。相変わらずのノーネクタイによれよれのシャツです。
未見の方に説明しておきますと、カニさんは『あの屋敷』で大変お世話に、いや、一緒に色々ともみくちゃにされた仲でして、顔の幅が広いのでカニさんと部下たちから呼ばれているとのこと。
僕は『屋敷』以来、メールでやり取りをしておりまして、内容は、日朝の魔法少女アニメに関してです。お孫さんと一緒に観てたらハマってしまったとのことですが、ま、今はそれはどうでもいいかな?
カニさんの後ろには、対照的にスーツをピシッと着込み、きりっとした眼鏡をかけた長身の若い男の人が立っています。カニさんは彼を指差して、俺の部下の田中、と紹介してくれました。田名さんはきりっとした表情で、きりっとお辞儀をしました。
「今日、これからいいかな? 実は監督に色々とご教授願おうと思ってね」
話している間にもカニさんの輝く頭頂部から汗がたらーりたらーりとたれてきます。このままでは失礼ながらユデガニになるな、と僕は二人を家にあげました。
居間にはレギュラーメンバーが集まっていました。
「お! お揃いだな」
汗を拭くカニさんに、ヒョウモンさんが、やべっ、サツだ! と言いながら冷蔵庫に飛んでいくと麦茶を汲んで持ってきました。
委員長はカニさんに頭を下げると、田中さんを見て、眼鏡を直しました。つられて田中さんも眼鏡を直します。
ばーちゃんはそんな田中さんに突っ立てないで座ったら、と声をかけました。
ヤンさんはニヤニヤしながらカニさんを団扇で扇ぎだしました。ただ、やり方がテレビで時々見る、うなぎを焼く細かいバチバチ扇ぎで、オジョーさんがぶひょっと妙な吹き出し方をしました。
カニさんは麦茶をぐっと飲むと、うー、もっと扇ぎたまえと気持ちよさそうにしています。後ろに座る田中さんが、ちょっとカニさん、と突きます。カニさんは鬱陶しそうに田中さんを見ました。
「わかってるって、まあ、落ち着けよ。順序ってのがあるの。で、皆さん今日は、こちらで化け番の打ち合わせか何かかい?」
僕は、まあ近いのですが、とカニさんにさっきまで色々書き込んでいた紙を見せました。
「ん? 落書きに関して? あー、化け番で前やってたやつか……」
カニさんは化け番のヘビーユーザーです。
田中さんがカニさんの肩越しに眼鏡を直しながら紙を覗き込むと、なんですか、これ、とあからさまに馬鹿にした声を出しました。
「動物の血を吸う落書き? ライトノベルかホラー小説のプロットですか?」
「お前、化け番見とけって言ったろ? この落書きはこの人達が追っかけてる化けモンだよ。そこの、オジョーさんって女子高生が現物を見たんだぞ」
田中さんは、はあと言いながらオジョーさんをうさん臭そうに見ています。
オジョーさんは慣れたもので、皆さんそういう目をなさいます、とにっこり微笑みました。
ヤンさんが田中さんにメンチを切りました。
田中さんは鬱陶しそうにヤンさんをちらっと見たのですが、ん? という感じで二度見すると、ヤンさんをじっと見つめました。
そんなバチバチな雰囲気なぞどこ吹く風、カニさんは落書きのまとめを読み終わると、テーブルをポンと叩きました。
「中々ホラーな噂ですな。動物の血を吸い、動き回る落書きですか……。実は私も今日はね、ちょっとした話を持ってきたんだよ」
「ちょっとカニさん! 本気で喋るつもりですか!? こいつら、最悪ネットにアップしますよ!」
「大丈夫だよ。編集で俺達の事はぼかしてくれるから。ねえ?」
ばーちゃんはにやりと笑います。
カニさんとばーちゃんは古い知り合いで、ばーちゃんが時々仕入れてきた情報は、実はカニさん経由だそうです。それでも大問題で、とキンキン声を上げる田中さんを無視し、カニさんは僕ににっこり微笑みました。
「いやあ、実はね、一週間前にね、駅前の広場から浮浪者が車で連れ去られたって通報があってね、で、調べたら、今月頭にも男性の連れ去りを目撃したって通報があってね」
誘拐ですか、と僕。
カニさんは手帳を取り出すと、指をなめてページをめくりました。
「かもしれない。ところで、後の方なんだが連れ去られた男性の身元は分かっていてね」
意味ありげに言葉を止めたカニさんに、委員長が天井を仰ぎました。
「当ててみせましょうか? 大学生。郷土史研究会の部員。現在も行方不明」
田中さんが、なにっと声を上げました。
ヤンさんがマジか、と呟くと、机の下からさっき印刷した紙束を取り出します。これは素材映像から例の白い車を印刷したものでした。
「この車じゃね?」
田中さんは、目を見開くと紙を引っ掴み、スマホでどこかに電話を掛けに部屋の外にすっ飛んで行きました。
ここでかけりゃいいのに、とカニさん。
そういうわけにもいかんでしょ、とばーちゃん。
「あんたみたいな警察の潤滑油は少量でなくちゃね」
カニさんは、そんなもんかねえと呑気な口調です。
「で、あの車は君達をつけ回してたかもしれないってわけだ。ふーん……ま、ナンバー判ったからすぐに持ち主がわかると思うけど、乗ってたのは多分、郷土史研究会の連中だな。一応聞いとくけど、連中との関係は?」
「前にも言いましたが、この町の寺社仏閣に悪戯をしている人達がいる、と番組内で何度か触れたことがあります」
それだけじゃないでしょう、とカニさん。
僕は頷きます。
田中さんが戻ってきました。
「どうだ、郷土史研究会の誰の車だった?」
田中さんは押し黙ったまま、正座しました。
オジョーさんが手を挙げました。
「私が落書きを目撃した時、灰色の服を着た謎の集団に出くわしました。彼らは動物を傷つけ、落書きへの餌やり、みたいな事をしていました」
田中さんがまた何か言いたげな目をしましたが、ヤンさんがメンチを切りながら口を開きました。
「俺はこの町で起きてる動物の虐待を追っかけてる。腕や足を切られた犬や猫を何匹も見たぜ。穴ぼこだらけの干からびた死体も何体も見たぜ」
委員長はテーブルに頬杖をついたままカニさんと田中さんに向け、口の端を上げました。
「ボンヤリした情報ならもっとあるわよ。例えば郷土史研究会の魔の手から逃れた犬の反応。連中を遠目に見て、恐怖のあまりパニックになったんだってさ。信じます?」
カニさんは眉を上げ下げ。
ところが田中さんがぼそりと信じる、と小さく呟きました。
ヤンさんが、あん? と声を上げました。
田中さんが息を短く吐くと、スマホをヤンさんに向けました。ショートカットの女性が子猫を抱いて笑っています。
「妻だ。猫の名前はカチューシャ。……今年の五月に保護された猫だ。尻尾が切られてた」
ヤンさんは、ああ! と声を上げました。
「……ああ! あんた、あん時の人か! どう、猫ちゃん元気!?」
田中さんはきゃーっと寄ってきたヒョウモンさんと委員長からスマホを守りつつ、相変わらず真面目な顔でヤンさんと猫談義を始めました。
カニさんは、あれま、と肩を竦めると、麦茶をグイグイ飲み干しました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます