第22話 空飛ぶマチュア
一方、マチュアはこの路地で一番高い三階建ての建物の真下に移動していた。その上を見上げ、三階の窓に転落防止用の窓柵があるのを確認する。
このまま黒マントを逃がすわけにはいかなかった。ペットをこの短期間で複数さらっているのならば、どこかに必ず生かして隠している場所があるはずだ。それはこかげを極力傷つけずに捕らえようとしていた男たちの行動にも裏づけされる。
すでにこちらの手の内同然である茶装束の男からその場所を自白させたとしても、黒マントがそこへ戻ってしまえば終わりだ。彼はそうなる事を予期し、恐らくペットたちを管理している他の仲間と共にもろとも場所を移そうとするだろう。
黒マントが逃亡用にテレポートの魔法を使うであろう事もすでに予測済みだ。その回数は多くて二回。彼のソーサラーとしての実力と、今までに使った魔法の数からマチュアはその数字を導き出していた。
ならばここからそう遠くへは移動出来ないはずだ。その先は足での逃走になるだろう。
建物の壁からほんの少し離れた地点で、マチュアは一度大きく深呼吸した後、ウェイト・エリミネートの魔法を発動させた。その効果を発現させる右手で自身の体へ触れる。同時に軽く地面を蹴り、壁に沿ってゆっくり垂直に飛び上がった。
「1……2……3……」
四秒後に三階の窓柵に辿りついた。両手を伸ばし、その横棒を掴む事に成功する。
「きゃあ!」
窓から下の騒動を見下ろしていた部屋の住人が驚いてその場から後ずさる。
窓柵は掴んだものの上昇を続ける力はそれだけでは止まらない。
マチュアは驚く住人に構わず、爪先で軽く壁を蹴って逆立ち状態になった。さらにそこから窓上の壁をかかとで蹴り、窓柵に掴まった状態で体を安定させる。
両足を窓下の壁に当て、後ろを振り返る。
「4……5……6……」
三階から見下ろせる街の夜景が目に映る。路地を挟んで二階建ての建物が並ぶ。ここから右斜め方向。路地から三軒向こうの屋根の上に黒マントの男はいた。男が二回目のテレポートを発動させている最中だったのは、マチュアにとって最大の幸運だった。行き先を照らすテレポートの光線は、男を発見させやすくしたのみならず、その逃走経路まで把握させてくれる。
その光の筋はこの路地を抜けた大通りでなく、複数の建物を挟んだ裏側、ここより狭い路地に向かって伸びていた。そこから通りの反対側へ向かった先にT字路がある。
そこへ辿りつかれると面倒だ。
「7……8……9……10……」
目標はそのT字路。風は左手から右へ。若干強く感じる。
「11!」
マチュアは柵から手を離しながら、左寄りに壁を強く蹴った。地面を背にした状態で、やや上に向かい夜空に身を投げ出す。
男を発見。
街の地形の把握。
男の行き先を想定。
自分の目標地点を定める。
風向きと強さを確認。
どの向きへ、どの程度の強さで壁を蹴るかの判断。
そして実行。
彼女はわずか五秒間でこれだけの事を行った。
激しい風切り音が耳を打つ。
目に飛び込んだのは、光り輝く巨大な満月とそれを取り巻く満天の星々。
だが、それらに目を奪われている猶予は一瞬たりとも無い。
マチュアは緩やかに上昇を続けながら、少し両腕を振り体を横に捻った。背面飛行から、腹を下にした体勢に変える。
「12……13……」
眼下に広がる美しい夜の町並みを見下ろしながら、彼女は再びウェイト・エリミネートの発動準備を開始した。その二秒後、最初にかけた魔法の効果が切れ、マチュアの体は放物線を描いて落下し始めた。
さらにその二秒後にシンボルは完成した。その力を右手に宿す。あとは自分の体に触れるだけ。
しかし、まだ早い。
ある程度距離と落下速度を稼いでおかなければ、地面に近づく前に二回目の魔法の効果が切れてしまう。速度を取りすぎても体を広げて空気抵抗を利用すれば減速できる。逆に重さを失った状態では任意に加速出来ないのだ。それに横移動が長ければ、目標地点のT字路を通り過ぎてしまう。
彼女は逸る気持ちを抑え、ディレイを利かせてその一秒後に魔法を発動させた。
マチュアの体は降下を続けたまま再度重さを消失し、その速度をがくんと落とした。マントを激しくはためかせ、両手両足を広げてゆっくり落下を続けるマチュアの目に、路地を走る黒マントの姿が映った。
思った以上に風の影響が強く、彼女は想定より左前方に流されていた。このままでは目的地に着地することは難しい。そればかりか、もはや先回りも出来ない。
ならば、
「逃がさないわよ!」
マチュアは大声でそう叫び、自分の存在を知らせながらマジックミサイルを発動させた。T字路突き当り一階建て家屋の上空から、黒マントに向かって斜めに光が走る。その家屋から路地までの間には庭が広がっており、
男はすでに曲がり角に差し掛かっていた。無理やりにでもその足を止めるしかない。
突然の大声に男は驚いて立ち止まった。
そこへ光の矢が直撃する。呻き声を上げ、声のした上空を見上げる。
足先に光を宿した小柄な少女が、風に流され夜空を斜めに降下しつつ通り過ぎて行く。
「一度ならず二度までも!」
二発目のマジックミサイルなので、最初に受けたほどの痛みはない。だが、その怒りはそれで収まるものではなかった。
黒マントはそのまま角を曲がり、目の前を流れて行くマチュアに向け建物の陰から反撃のマジックミサイルを放った。あと少しで正面の塀をぎりぎり超えようとしたところで、マチュアは男の魔法に弾き飛ばされ軌道を変えた。悲鳴を上げながら庭へ押し戻される。魔法の効果が切れたのか、突如急速に降下して塀の向こうにその姿が見えなくなったのを確認し、男は再び走り出した。
「馬鹿め……、もう追ってはこれまい」
体の痛みに顔をしかめながら、よれよれと路地を駆ける。おまけに魔法もこれで全て使い果たした。
もう少しでこの狭い路地も抜ける。目の前には十字路。
ふいに背後から猛烈な勢いで走る足音が聞こえた。振り向こうとした黒マントの男はそれすら許されず、後ろから突然強烈なタックルを食らった。
「ぎゃっつびー!」
体力的にも限界に近かった男はいとも容易く吹き飛ばされ、変な叫び声と共に頭から地面に突っ伏して気を失った。
カイムが激しい呼吸を整えながら男に歩み寄る。気絶した男から右手の黒手袋を奪い取ると、常備していた細紐でその両手足をきつく縛り上げた。首根っこを掴んで引き摺り、元来た道を引き返す。
彼が迷わずここまでこれたのは、セイゲツの光を点して夜空を飛ぶマチュアの姿を追跡したからだ。一度見失いかけるも決め手となったのは、カイムにとっては死角の曲がり角からマチュアに向かって放たれた黒マントのマジックミサイルの光。T字路を曲がった男を追ってこれたのは、ひとえにこれのおかげだった。
カイムは男を引き摺ったまま、マチュアが消えた辺りの長い塀のある屋敷まで辿りついた。屋敷内は庭に落下した彼女のせいで騒然となっている。
彼はその屋敷の門前で激しく戸を叩いた。
「夜分すみません! こちらのお宅に空から女の子が降ってこなかったでしょうか!?」
一悶着あったものの屋敷の住人に二人で平謝りした後、カイムとマチュアは元居た路地裏に戻ろうとしていた。
「フェイランが魔法かけていてくれなかったら、こんなものじゃ済まなかったわね。後でちゃんとお礼言っとかなきゃ」
カイムの背中におんぶされたマチュアはぐったりした顔をしている。全身痣や擦り傷だらけ。着ている服もマントもぼろぼろだ。カイムの被る革兜に新たにかけたセイゲツと、元々かけていたマチュアのブーツの光で、その傷も徐々に癒されている。
「お前と初めて出会った時さ……」
頭頂部を光り輝かせ、背中に見た目少女を背負い、右手に気絶した男を引き摺って歩くカイムの姿は、到底人に見せられる代物ではない。そんな状態でカイムは突然遠い目をして語りだした。
「ん?」
「どっかのお嬢様が酔狂で冒険者になりたいんだと思ってたよ。誤解してて悪かったな」
二人の間にしばらく無言の時間が訪れる。
「え? それで終わり? もしかしてあたしのこと褒めてたの?」
「……そうだよ。何かおかしいか?」
照れ隠しなのか、少しむっとしてカイムが答える。マチュアは彼の首に両腕を回したままくすりと笑った。
「別におかしくはないけど、あんたらしいわね」
「なんだよそれ」
「じゃあ、褒めてんなら何かご褒美ちょうだいよ」
「ええ? 仕方ないなあ。……まあ、俺に出来る事なら」
今回ろくに役に立てなかった罪滅ぼしも兼ねて承諾する。
「
「あ?」
「買ったばかりなのにどっかに無くしちゃったのよ。昼間あの雑貨屋にあったのと同じやつが欲しい。可愛いデザインだったのに……」
「いいよ、それくらいなら。今度一緒に買いにいこうな」
「ホント? ありがと! 約束だからね」
マチュアは両腕にぎゅっと強く力を込め、カイムの肩に頬を押しつけた。
「お前さあ、極たまーにすごく、か……」
「なに?」
「……いや、何でもない。先の展開が予想できるからやめとく」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます