ご主人様のことが好きすぎる猫と駆け出し冒険者たちの伝説

夏侯シロー

第1章 猫を助けるのに理由がいるかい?

第1話 猫


 一人の青年が森の中を歩いていた。

 名をカイムという。二十歳より若干下だろうか。体つきはそれなりに逞しい。

 布頭巾を後ろに垂らした革の兜。くたびれた革鎧。背中には大きな背嚢はいのうを背負い、その上にボロボロな木製の丸い小型の盾。腰には粗末な鞘に収めた小ぶりな剣。


 途中休憩を挟みながら歩き続け、日が落ちる頃には目的地まであと一日という所まで辿りつく。


 森の中でも一際大きな木の下で野営の準備を始めた。本来もっと早い時間にそうすべきなのだが、今日中に森を抜けたくてやや無理をしてしまった。この辺りの森には野犬が出ると街で忠告されていたからだ。


 焚き火を起こし食事の支度をしていたカイムは、ふと傍らの木陰に何かが潜んでいる事に気がついた。今頃気づいたのは、それがじっと息を潜めて気配を殺す小さな生き物だったからだ。

 彼はギョッとして、すぐさま魔法の明かりを灯していた薪枝を手にした。

 恐る恐るその生き物を照らす。明かりの照り返しを受け、こちらをうかがう両目が爛々と光る。辺りの暗さに溶け込むが如く灰色の姿をしたそれは、みすぼらしい痩せ細った猫だった。


「なんでこんなとこに猫が……」


 野犬だと思って警戒していたカイムは、安堵しながら少し近寄ってみた。


 子猫から成猫になったばかりだろうか。年齢はおよそ一~二歳くらい。小柄でまだ若い。

 猫は近づかれた事でカイムに対し激しく威嚇の唸り声を上げている。

 耳を後ろにペタンと伏せ、両目を大きく見開き、牙を剥く。全身の毛を逆立たせてその場に伏せたまま、少しでも動いたらやられると言わんばかりに身動みじろぎ一つしない。動きを止めたカイムと睨み合う。まるで達人同士の真剣勝負だ。

 カイムは猫の様子を観察し、なぜ逃げないのか気づいた。逃げたくとも逃げられないのだ。左後ろ足に酷い怪我をしている。


 彼は可能な限り猫を刺激しないようそっと後ろに回りこむと、手にしていた光る薪枝をその足の傍らに静かに置いた。猫は体の向きを変える事すら出来ず、彼がそうしている間、顔だけをこちらに巡らせて威嚇を続けるのみだ。


 すぐに猫に背を向け焚き火に戻った。鍋に水を張り、火にくべる。魚の干物を茹で、塩気を抜いて柔らかくした。


 彼がそうしている間、ゴワゴワした猫の毛の中から特殊な魔法の光に照らされ、ノミが何匹も逃げ出していく。


 彼は食べやすいサイズに小さく切り分けた干物を葉の皿に乗せ、ゆっくりと猫の目の前に置いた。さらに、ろ過機能付きの水袋から小さな器に飲み水を注ぎその傍らへ。

 目の前に近づき過ぎたのだろう。片方の前足を持ち上げ再び威嚇を始めた猫から即座に離れ、カイムは自分の食事の準備へ戻った。猫用の干物を茹でるのに使ったお湯はダシを生かし、さらに手を加えて自分用のスープにする。ここではわずかな水でも無駄に出来ない。


 食事の仕度をしつつ猫の様子を見守るものの、干物にも水にも手をつける様子は一向になかった。ただそこでじっとしているだけだ。


 そこで彼は自分の分の干物を火に炙り、葉の茂った枝で扇いで猫のほうにその匂いを送ってみた。その作戦が功を奏したようで、やがて猫は恐々干物を口にし始めた。いつしか夢中になって咀嚼そしゃくしている。やはり相当空腹だったようだ。


 そんな猫を尻目に食事を続けていると、猫の傍らに置いた薪枝が徐々にその光を失い、ふっと消えた。彼の光の魔法セイゲツの効果時間は一時間ほどである。野営を始める前から灯していたものなので効果が切れてしまったようだ。あれではまだ足の怪我は治るまい。


 彼は再び忍び足で猫に歩み寄った。猫はすでに食事を終えチロチロと水を飲んでいた。カイムが近づくとピタリとその動きを止める。また威嚇されると思っていたが、今度はただ身を固くしてこちらの様子に全神経を集中させているのみだった。どうやら猫にとって彼は、いなくなって欲しい存在から警戒すべき存在に、この短時間で昇格したようだ。


 賢い猫だな……。


 傍らの小枝に再びセイゲツの明かりを灯しながら感心した。現在の状況を把握しているように思える。


「ちょっと眩しくて眠りづらいかもしれないけど我慢してくれ。お前の怪我を治す為なんだ」


 優しく小声でそう言って、カイムは再び自分の定位置に戻った。食事を終えると、小剣を手元に置き周囲を警戒しながら浅い眠りにつく。焚き火が絶えないよう時折目を覚まして薪をくべる。猫を見るとどうやら深い眠りについているようだった。


 この様子なら明日の朝もう一度食事を与えれば元気……とまでは言わないものの、歩けるくらいにはなるだろう。


 カイムは安堵してまた眠りについた。



 彼が目覚めたのは日がすっかり昇りきってからだった。夜明けから大分経っている。随分寝てしまった。眠りが浅かったせいだろう。焚き火は運よくまだ燻り続けていた。彼は慌てて火を起こし、朝の食事の支度を始める。


 猫の方を見ると昨晩とまったく同じ位置にまったく同じ体勢。微動だにしないその姿にカイムは不安になり、恐る恐る近寄ってみた。死んでしまったのかと思ったのだが違ったようだ。まだ気持ち良さそうに眠っている。それを見て胸を撫で下ろし、出立の準備を再開する。


 食事をし身支度を整えている間、猫は終始眠り続けたままだった。

 昨晩と同じように茹でて切り分けた魚の干物を今度は二尾、草の上に添えて眠り続ける猫の前に置いておく。減っていた飲み水も足しておいた。それらへの虫除けと念の為の治療の続きも兼ねて、再びその傍らの薪枝にセイゲツの光を灯しておく。これで抜かりは無い。


「元気でな……」


 敢えて起こそうと優しく頭を撫でようとして彼は思いとどまった。すでに眠りが浅くなっているのか、手を近づけたその耳がピクピクと動いて反応したからだ。だが、それ以上に情が移ってしまうのが怖かった。こんな稼業である。猫を飼うことなど難しいだろう。懐いてくれればの話ではあるが……。


 背嚢と盾を背負い剣を鞘に収めてカイムは歩き出した。薬草採取の目的地へ向けて森の中、歩を進める。その間中ずっと猫の事を考えていた。


 あの後、すぐに起きただろうか……?

 自分が傍にいる間はまだちょっとした獣に襲われる心配等はなかったろうが、あんな無防備な猫がたった一匹で寝ていて無事で済むだろうか。

 いや、今まで何とか生きてこれたんだ。その心配は杞憂だろう。


 頭の中でぐるぐる思考を巡らせる。


 その足取りは段々と重くなっていき……、

 やがて彼は足を止めた。


 せめて街までは連れて行ってあげよう。


 思い立つと同時に踵を返し、元来た道を歩き始めた。今までとは逆に歩調は徐々に速くなっていく。同時に何故だか嫌な胸騒ぎも覚え始めていた。


 この茂みを抜ければ、昨晩野営していた大樹のあった場所だ。茂みの先に複数の獣の唸り声が聞こえる。それを聞いて彼は青ざめながらも身を低く茂みの中を進んだ。茂みを掻き分けた彼は、この世で最も目にしたくなかった光景を目の当たりにしてがくりと膝をついた。


 大樹の根元、丁度猫が居た辺りに三匹の野犬。互いに争うように牽制しながら何かを貪り食っている。


 目の前が一瞬、真っ暗になった。だが、彼はすぐに気づいた。大樹の幹に何かがへばりついている。丁度人の頭ほどの高さだ。さらによじ登ろうと懸命になっているが、その場に留まるだけで精一杯の様子。それがあの灰色の猫だと気づいた瞬間、カイムは驚くほど冷静になった。


 身を低くしたまま背嚢はいのうからロープを取り出し、それで手早く背嚢と腰のベルトを繋ぐ。猫は今にもその場からずり落ちそうだ。


 カイムが猫の為に用意した干物を奪い合う野犬たち。そのうちの一匹が、ふと頭を上げた。どうやら猫の存在に気づいてしまったらしい。

 その一匹が猫に飛びかろうと姿勢を低くした瞬間、カイムはその野犬たちの真っ只中にロープで繋がれた背嚢を放り込んだ。驚いた犬たちが慌ててその場から飛び退る。小剣と盾を構え、カイムは三匹の野犬に突っ込んでいった。


「うおぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 威嚇の為に大声を上げながら剣を振り回す。野犬たちは怯んで距離を取ったものの、逃げ去る気配は全く無い。大樹を背に立つカイムを取り囲むよう移動している。その野犬のうちの一匹に向け、彼は左手の盾を思い切りブン投げた。別のもう一匹にも小剣を投げつける。

 そうしておいて猫を庇うよう移動しながらベルトの短剣を抜き放つと、野犬たちに背を向け大樹の幹に抱きついた。間一髪で力尽き、ずり落ちてきた猫をその頭に乗せる。


「しっかり掴まってろ!」


 思わず出来た足場……カイムの革兜に猫は必死にしがみついた。カイムはそのまま右手の短剣を使い、驚くべきスピードで大樹をよじ登り始めた。頭に猫を乗せたまま木登りをするその様はどう見ても滑稽なのだが、当人たちは命がけである。


 野犬たちが追いすがるも時既に遅く、大樹の太い枝まで辿りついていた。横に大きく張ったその枝に跨ると、ベルトに繋がれたロープで背嚢を急ぎ手繰り寄せる。顔を下に向ければ猫が落ちてしまうので宙を見据えたままだ。

 手探りで無事背嚢を手元に引き寄せると、そのロープを半分に切って背嚢側を枝に縛り付ける。自分のベルト側も同じく跨っている枝に結んだ。


 そうしておいて懐から今度はやや細い長紐を取り出し、落ちないようバランスを取りながら慎重に頭の上の猫を両手で掴んだ。彼の兜に懸命にしがみついていた猫は意外にもおとなしく、されるがまま彼の腕の中へ収まった。


「よしよし、いい子だな」


 幹に背もたれ、そんな猫を優しく撫でる。体を固くして震えているのは先ほどまでの恐怖と疲労からか。時折舌なめずりをしているのは緊張している証拠だ。見知らぬ人間の腕の中にいるという怖れも当然あるだろう。

 細長い紐もまた枝に結ぶとその端で猫の胴体も縛る。


「不快だろうが我慢してくれ」

 

 言うまでも無く、猫が誤って下に落ちた際の安全策である。あまりきつく結びすぎてもいけないし、かといってあまりに緩くては意味が無い。

 その塩梅に悪戦苦闘している間も猫はじっと彼に身を任せていた。昨晩の様子とは雲泥の差だ。


「よし、出来た」


 良い具合に結び終え、彼はようやく一息吐く事が出来た。片手で猫を抱き直し、改めて下の様子を窺う。案の定、三匹の野犬たちはまだ諦めていなかった。大樹の根元周りをうろうろ歩き回っている。


「まあ、こうなることは最初からわかっていたさ。ここからはどちらが先に根を上げるかの根比べだな……」


 彼一人ならともかく、猫を守りながら野犬を撃退する自信がなかったゆえに取った行動だった。

 こうしてカイムと野犬たちとの持久戦が幕を開けた。

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