恋は盲目、或いは欠落、されど何度も記憶を重ねて。

音無 蓮 Ren Otonashi

第1話

 Ⅰ

「――早速だけど明坂大我くん。君は怪異異能超能力似非科学その他諸々のオカルティックな現象には興味がおありで? なんて聞く必要もなかったかしら、興味あるはずよねええそうよねそうに違いないわでなきゃ、物好きの巣窟って言われるオカ研にはまず来ないものね、ええ」


 部室に踏み入った瞬間の第一声に、少年は圧倒された。

 漆黒の大きな両目が、彼の存在を撃ちぬいた。たったそれだけのゴリ押しの勧誘文句だけで、明坂大我の心は目の前の少女に奪われてしまった。いや、今日よりも前に奪われていたものを、今日になって再認識しただけかもしれない。卵が先か鶏が先か、なんて哲学的議論は今この瞬間に必要ない。

 四月も始まったばかり。彼がこの先三年間、通うこととなる県立納涼坂高校にも例外なく春が訪れていた。

 春とは出会いの季節。降り積もる雪が解けて、土の下から筍やらフキノトウやらがハローワールドするように、厳しい冬を耐えた新入生が入学してきた。

 入学してくる一年生は青春への願望を胸に秘めて、ようやく花を開こうとしていた。

 さて、そんな青春前途の彼らが花開くには、どんな起爆剤が必要か、というと月並みな答えしか得られない。ぶっちゃけ人それぞれだし。青春はいつ爆発するか分からないのだ。

 爆発とはすなわち、リア充爆発しろ、的なアレである。

 偶発的だけど、いつか爆発しろ、的な。

 クラスの男女が仲睦まじくすることがあれば、部活動で共に戦っていくなかでライバル以上の絆が芽生えたり、はたまた生徒会に所属して学校を組織していくなかで、頼りがいのある先輩に添い遂げたり、とかとか。

 参考例はいくつでもネットの知恵袋に転がっている。IT革命万々歳。おかげさまで、この物語を主導していく明坂大我という少年もまた、青春へと憧憬を抱くようになっていた。

 厳密にいつからか、というと受験期の秋くらいだ。より精密な時期を尋ねられたら、納涼坂高校文化祭、通称納涼祭(夏祭りではない)でとある部活の企画を体験した瞬間、かもしれない。

 ――その企画こそ、彼が迷うことなく第一に見学すると決めたオカルト研究部、通称オカ研による『超絶よく当たる最強怒涛のマジ卍占い』だった。占いのネーミングはぶっちゃけどうでもいい。問題は中身。というのも、『卍占い』(超要約)で占われたことが百発百中で当たってしまったのだ。

 加えて、都合の悪いイベントは一切占われない。百発百中で幸福を招く占い師。あり得ない、確率論的にあり得なかった。確率の問題がいっとう苦手だった大我はその占いの必然性を疑った。ゆえに、その正体を知りたい一心で彼は元々の学力からワンランク上にあった納涼坂高校に入学するため、猛勉強をして、晴れて合格。入学した。

 そして、念願のオカ研に見学しに来たら、開口一番囃し立てられたので、彼は困惑してしまった。

 占い担当の重要参考人、すなわち占い絶対当てるマンは今、長机を挟んでパイプ椅子に座り、女王様のように足を組んで、背もたれに深くもたれていた。規則をきっちり守った制服のスカートはプリーツがくっきりと影をなしている。布越しに足の曲線美が見え隠れしていて、下手なミニスカートよりも破廉恥だった。思春期男子の目にはいささか毒だ。

 背中の中腹まで真っ直ぐに伸びた黒髪は、束の一本一本が蛇の腹よりも艶がかかっていて、精巧なガラス細工のような顔のパーツは、黄金比の配置にあるがゆえに、その輝きを十全に発揮していた。


「初対面早々酷いこじつけを食らったような気がするんですけど気のせいですかね、世真宵誘先輩」

「イザナ先輩で構わないわ。ほら、『世真宵誘』って漢字表記だと苗字と名前の区切りが曖昧で分かりづらいでしょう? 時には読者のために妥協することも必要なの」

「どうしようこの人カメラ目線で話してるよ」

「残念ながら監視カメラは一つもないわ」


 割とガチで残念がっていた。


「監視されていたいんですか、先輩は」

「スタンフォード監獄実験の風味があるじゃない?」

「そんな風味は味わいたくない」

「でも、いつだって我々はカメラを向けられているっていう意識を大事にしなきゃ。なんてったってオカ研なんだから!」

「オカ研と監視の因果性を感じないのですが」

「大切なのはカメラじゃない」

「前提を否定した!?」

「カメラなんてものはあくまで具体例よ。肝心なのは、妄想。つまらない妄想でも、この世界がちょっとでもハラハラできるものになれば、我々の勝利ってものじゃない。オカルトって、いつだって私達をハラハラさせてくれるのよ? 神に対してもカメラ目線で中指立ててやるくらいの意気でいなきゃ、強気よ強気! さー、カメラを止めるな!」


 いっそ多方面から怒られてしまえ。付き合いきれず、大我は投げやりになっていた。


 世真宵誘という、今後大我の先輩になる未来が約束されている少女は見るからに変人で、変態で、ただ誰よりも孤高で美しく、ミステリアスな雰囲気を創り出す天才だった。

 加えて、現オカ研唯一の部員にして部長(当然)である。


「話が脱線しすぎですイザナ先輩。僕は一応仮入部で、オカ研に来ただけなんですから。雰囲気次第では別の部活に流れてしまうかもしれませんよ?」

「それはそれで一向に構わないよ」

「構わないんだ……」

「――来るものは拒まず、去るものは呪殺するので」

「去るもの呪い殺すな! 実質監獄じゃねーか!!」


 気軽に呪い殺すなオカルト研究部。

 少年漫画じゃあるまいし。


「そもそも呪殺って、素人が扱っていいものなんですか!?」

「素人じゃないよ。私こそがプロ、私こそが最高善、私こそが善美」

「話逸れてません?」

「なので、私に逆らえば、君の命はないようなものよ?」

「え、ぶっ殺しちゃうんですか?」

「社会的に抹殺☆」

「たちが悪いな!? ってか今までの論理だと見学に来た時点で、僕はオカ研に入部しなければ」

「死だね。うんうん、おめでとう」

「おめでたくないですが!? 脅迫か!?」


 かくして。

 明坂大我と世真宵誘の出会いは執り行われた。

 出会いは偶然で、別れは逆に必然。

 いつ、運命の出会いがあるかなんて未来視の能力がなければ分からない。ならば、この始まりはもしかすると必然だったのかもしれない。

 すべての運命は、百発百中の占い師が握っている。

 明坂大我は仮入部一日目にして、オカ研に青春を捧げることを誓った。来るもの拒まず、去るものは呪殺。

 アリジゴクのど真ん中に居座るは、イザナ部長。

 大我は恐らく蟻、働き蟻だ。

 さながら、女王とその従者みたいな。オカルト研の仄暗い雰囲気で関係性をふんだんにデコレイションするなら、


「魔女と、使い魔みたいね、私達」

「こき下ろさないでくださいね。使い魔だって謀反します」

「謀反できないように、みっちりと教え込むから平気よ」


 大我は思わず、息を呑んだ。胸の奥がどうにもくすぐったかった。悪い気分ではなかったけど。



 ※



「大我君。貴方の初恋はいつ?」

「いや、なんで後輩の黒歴史聞き出そうとしてるんですか」

「なんとなく、その場のノリ。気分屋だから」


 誘が気分屋なのは大我も熟知していた。二か月ちょいの間、ほとんど毎日顔を合わせてきたので当然といえば当然だ。


「苦い記憶なんて、あまり口にしたくないですよ」

「まだ笑い話にできていないんだ。記憶に新しいんだね」


 迂闊に余計なことを滑らせたら、芋づる式に推理されるものだから、大我は誘に頭があがらなかった。

 季節は移り変わって六月の末。桜の花弁なんかはとっくに枯れ落ちて、新緑には水が滴っている、そんな季節。部室棟の中庭には青と紫の紫陽花が咲き誇っていた。

 その日は、梅雨の真っただ中で、しとしとと雨が降っていた。オカ研の部室に来るまでに二度三度、雨曝しにあったため、大我の髪はしっとりと濡れていた。

 多湿なこの時期じゃ、タオルで拭ったところで、なかなか乾いてくれない。雨と湿度で部室の中は最悪の環境だった。

 普段は凛とした顔で占いの研究をしている誘も度重なる雨日のせいで辟易したらしく、眉間の皴が日に日に増えていた。


「また、皴が増えましたね」

「こら、女の子に向かって皴が増えたとかご法度でしょう? デリカシーの欠片もないんだね? 最高裁に訴えるよ?」

「一発で最高裁に提訴はできませんよ、多分。地裁と高裁と通さなきゃ」

「やかましいわね! いい? 常識なんて私の生存している世界の単なる決まり事でしかないのよ? すなわち、私の私による私のためのルールじゃないわけ! アカシックレコードは心にある! よって、大我君は死刑!」

「アンタは子供か! 勝手気ままに刑を重くしやがりましたね!? 民主主義が大激怒ですよ!?」

「うるさいうるさい! 世真宵誘王国では絶対王権が適用するので私が偉い!」

「今更そんな王国に需要はないですからっ! 国民が総決起して世真宵誘王国人の大移動が今すぐ迅速に決行! 群衆の民主主義は守られて終了!」


 舌がぐるぐる回り過ぎて、疲労が舌の上を大移動している。まるで堂々巡りだ。

 ――イザナ先輩に踊らされ続けるのも、なんだか癪だ。

 なんて、大我の脳裏では反骨精神が筍よりも早く生育している。もはや竹だし、一二〇年に一度しか咲かないといわれる竹の花が急成長で大爆発を起こしてしまいそうなくらいだった。


「だったら、先輩の初恋はいつなんですか? 僕に聞いた、ってことは、先輩も聞かれる覚悟があったのでしょう?」


 大我はムキになっていた。

 対する誘はというと、困ったような顔をしていた。

 しめしめ、と脳内のリドル大我は舌なめずりをしている。

 どうやら、誘にはそれなりに効いているらしい。普段いいように使われている『使い魔』として、『魔女』に一泡吹かせられたら、とてもいい気分になれるだろう。

 だが、誘はすぐにニヤ、と不敵な笑みを浮かべて、


「なーんてね。私、実は恋なんかしたことがないのよ。だって、論理的じゃないし。論理は通らないし、公式には当てはまらない。しょせんは求愛行動よ。

 生物としての本能、自然の摂理。ただそこにいる市民Aを運命の人って勝手に定義づけ、色目を使って堕とす。そもそも! 一般市民が勝手に運命を定義づけること自体が馬鹿馬鹿しいのよ、気持ち悪い。

 私だったらよりよい出会いを占えちゃうんだけどね! 成功確率一〇〇パーセント、この世真宵誘に任せてもらえれば、どんな一般市民も幸せ!」


 熱弁終わり。静寂、一、二、三秒。

 誘はムスッとへの字口になって、


「……文句でもあるの?」

「いや、拗らせてるなあって」

「やかましい!」

「これまで一度も恋が実ったことがなく、恋愛に対する純粋な価値観を歪めに歪めた童貞みたいな考え方です」

「ど、童貞じゃないですけど!? そもそも私は女性! ゆえに『童貞』ではなく……」


 口ごもった。揚げ足を取ろうともしていないのに勝手に足を揚げてくれた。間髪入れずに突っ込む。


「ではなく?」

「あーあーあー!! この話はもうおしまい! しつこい童貞は嫌われるよ童貞我君」

「童貞我ってなんですか童貞我って。思いつく限りの最低最悪な罵倒を唯一の後輩にブッパしないでください退部しますよ!?」

「……来るもの拒まず去るものぶっ殺す、でしょ?」

「呪殺じゃないんですか?」

「別に遠隔で呪う必要ないじゃない」


 イザナ先輩は、僕らの間を遮る長机から身を乗り出した。

 机上に添えられていた、僕の両手に彼女の両手が重ねられる。耳元が、沸騰しそうなくらいに熱かった。表情が顔に出ない性質だったのが幸いした。


「だって、こんなにも近くにいるのだから」


 額と額が触れる。

 目を逸らそうにも、逸らせなかった。

 吹きかけられる吐息が生々しい。

 ミントの清々しい香りがした。

 世真宵誘は、どのパーツを削っても加えても、世真宵誘として完成されない。

 今、あるべき彼女こそが世真宵誘であり、明坂大我の心を奪った魔女だったのだ。


「……あまり、後輩をからかうのはやめてください」

「ふふ。だって、大我君が可愛いんだもの。愛玩動物みたい。やっぱり使い魔だね」


 ――使い魔、という束縛が大我の胸を締め付ける。

 隷属とか従属に甘んじていたくなかった。

 けれど、関係性の崩壊には人一倍敏感になっていた。

 それもこれも初恋が起因していることなんだが、あまり進んで誰かに話したくなる話題でもない。

 笑い飛ばされたらきっと立ち直れない。

 嗚呼、初恋なんか、忘れられればいいのに。


「というか、先輩の場合、特例で恋愛に公式を当てはめることができるじゃないですか」

「まさか、占いのこと?」

「その通りです」


 ハッ。大我は鼻で笑われた。


「あれのどこが公式なの、論理的なの? 私の占いは論理も公式もすっ飛ばしてるだけ。いわば暗算よ。対象に対して、過程を明示せず、結果だけを伝えるだけ。実際に、私は『行き着く未来』だけを提示するわけだし」


 彼の頬がぴくぴくと震えるのを横目に、偉そうな口調で誘は講釈を垂れる。


「てっきり、過程まで予知できているのかと思いましたよ」

「私の占い――の皮を被った未来予知は君が想像してるほど、万能じゃないのよ。覚えておきなさい」


 どこまでも上から目線な魔女様に、使い魔身分の後輩は「へいへい、分かりましたよ」と気の抜けた返事を返した。


「ほんと、恋なんてするものじゃない。


 再び、椅子に深く腰を下ろした誘は、部室の窓の外を眺めていた。外は依然、雨が降り続いている。

 彼らの気分もいっこうに晴れそうになかった。

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