第二話

1、 白い無機質な部屋

 この白い無機質な部屋に入れられたのはいつのことだっただろう。


 それはまだ、ただ走り回るだけで楽しい、小さくて無邪気むじゃきな子供の頃だったと思う。


 小さな頃の私は、周りのみんなと自分が明らかに違うと理解していた。私が話しかけても半数が反応せず、残りの半数は聞き流すだけだった。私が笑っても誰も共感せず、私が泣いても誰もが無関心だった。


 どうしてそんなにも他人に無関心なまま生きていられるのかが私には理解できなかった。だって、目の前の子が手に持っているものでどうするのか興味があるものでしょう? 目の前の子がなにを思っているのか、知りたいものでしょう?


 けれども、どうやらそう思っているのは私だけのようだった。


 私の周りの人たちは誰一人として、自ら他人に関わろうとはしなかった。他人との接触を意識して避けているわけではない。そもそも意識すらしていない人たちばかりだった。


 そんな人たちをなんとかして私に振り向かせようと思った。


 私のことを見てほしいと思ったのだ。私のことを私という一個人として認識してほしかった。だから、とにかくいろんな子たちに声をかけて、私のことを知ってもらおうとした。けれども、その行動がよくなかったらしい。私はある日唐突とうとつにこの白い部屋の中に隔離されてしまったのだ。


 それからどれくらいの年月が経ったのかはわからないけれども、その間、私がこの白い部屋の中から出た日は一度もなかった。衣食住はきちんと提供されていたし、部屋の片隅にはたくさんの本が常時入れ替えられていて、退屈はしなかった。適度に運動をする機会もあったし、生命活動を維持するだけならば、なんの問題もない。


 けれども、その部屋での生活は、私の心を満たすことはなかった。唯一接触する機会のある人間は私の世話係。けれども、彼らも当然のように私のことなんて見向きもしなかった。これまでに、何人かの世話係がいたけれども、その中に私と目を合わせた人はひとりもいなかった。


 強化ガラス越しに、人が入ってくるのが見えた。


 いつものように、私のことを見向きもしない世話係。けれども、今日は彼ひとりだけではなかった。その後ろにもう一人の男の人が立っていた。その光景を見るのは久しぶりだった。けれども、その意味はよく知っている。


 また、私の世話係の人間が変わるらしい。けれどもまあ、次に来る人も、これまでと同じように面白みに欠ける人なのだろう。これまでに何度もガラス越しに声をかけたり、ボディランゲージで意思疎通を試みようとしてきたけれども、それに反応した人はひとりもいなかった。


 ガラス越しにその新しく来た男の人を観察する。


 彼は、前任の男から話を聞いている。仕事の引継ぎなのだろう。その話を聞いている彼の顔は、やはり今までの他の人たちと同じように無感情に見えた。そんな彼が、ちらりとこちらに目だけを向けた。それを見て、彼に微笑みかけてみる。けれどもやはり、興味もなさそうに彼は振り返った。


 ――ああ、やっぱりこの人も他の人たちと同じか。


 まあ、そんなものを期待していたわけではないけれど。


「貴方は誰? 貴方はいったいなにを思ってここにきたの? 貴方は私を見てくれる?」


 なんて言ってみるけれども、私の声が向うに届かないということは知っている。今までになんども大きな声を出してみたけれども、反応を示した人はひとりもいなかったから。


『やあ、初めまして。今日から僕がキミの監視係だ』


 だから、そんなふうに声が聞こえてきて驚いた。この部屋に入れられてから、初めて聞こえてきた人の声。振り返ると、彼が私のほうを見ている。


 とにかく、声をかけてくれたこの人に返事を返さなければ。と、


「あ、あの、初めまして。よろしくお願いします」


 なんて言いながら、小さく頭を下げる。


「えっと、こうやって話しかけてきてくれたのは貴方が初めてで……」


『すまないが、キミがなにを言っているのかはこちら側には聞こえないんだ。わかったら、もう話してくれなくても結構だ』


 けれども、彼はそんなふうに冷たく言う。


 彼のほうから話し掛けてきたから、私の声も当然届くものだと思っていた。けれども、それはどうやら私の早とちりだったようだ。ようやく私の声が誰かに届くのだと思ったのに。彼は確かに私のほうを向いている。けれども、私の目を見ていないのだということに気付いた。


 絶望、とまではいかないけれども、久しぶりに抱いた希望を打ち砕かれるのは、なかなかにこたえる。


「ねえ、そんなこと言わないで。そっちから声をかけられるのなら、こっちからの声も聞こえるようにできるんでしょう? 私の声を聞いてください」


 けれども、彼は興味もなさそうに私に背を向ける。


 その日から七日間、彼は一度も私に語りかけてくれることはなかった。

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