5、 僕の存在理由

 そうして彼女が涙を流した日からも、僕が一方的に彼女に語りかける日々が続いた。


 彼女が笑えば、僕も笑うように心がけた。それが、正しいことのように思えたからだ。それに、彼女とともに笑う、というのは、なぜだか胸の中をなにかが満たすような感覚があった。きっと、笑うという行為にはなんらかの有益な作用があるのだろう、と思う。だからこそ、かつての人類はよく笑ったのだ。


 そうして、僕は彼女に対して、以前よりもお互いの距離が短くなったような感覚を持つようになっていた。僕のほうはともかく、彼女のほうも以前より笑う頻度が増しているのがわかった。


 そんなある日、事件が起きた。ただそれは、彼女に関する事件ではない。我々、地球に残った人類にとっての事件だ。


 僕たち人類の新たな子供が生まれなくなってしまったのだ。


 いや、正確に言えば生まれなくなったというわけではなく、生まれても、生命活動を維持しなくなったのだ。つまり、試験管から生み出され、保育器で育て、そこから出そう、という途端に心拍が停止し、死に至ってしまうのだ。


 なぜそんなことになってしまうのか、多くの研究者、科学者たちが何度も検討、討論を重ねたものの、解答を導き出すことができなかった。


 けれども、そんなものわざわざお偉いさん方が考えるまでもないことだ。僕たちはみんな、なんとなくその理由をわかっていた。


 愛を見失った人類は、道を誤ったのだ。

 正しかったのは、愛を求め続けた人類だった。


 当然だろう。僕たちは、自らの意思で繁殖することができなくなってしまい、その繁殖方法でさえAIに任せるようないびつな在り方になってしまった。そんな在り方をする知的生命体の存在が正しいはずもないだろう。愛を見失ったはずの人類の中に、愛を求める少女が生まれ落ちたのだ。それこそが、解答に他ならない。


 僕たちはどうしようもなく間違えてしまったのだ。


 彼らこそが人類存続のために正しい選択をしたのだ。ゆえに、間違った僕たちは淘汰とうたされる。それが、自然の摂理せつりというものだろう。


 僕たちは、滅びゆく種族なのだ。


 べつに、それはいい。僕たちが僕たちの選択で滅びゆくのなら、自業自得だ。なんの問題もない。ただ、そんな僕たち愛を知らない人類の中に生まれた、愛を知るこの少女はどうなのだろう。


 彼女は、滅びゆくことに納得するだろうか。


「キミに聞きたいことがある」


 そう言うと、少女はこくり、と頷いた。もちろん、いつものようにその顔には微笑みを浮かべている。


「以前に話したことがあるだろう? 人類は二つに分かれたんだって。愛を求め続ける人類と、愛を見失った人類に。そして、僕たちは、僕たちこそが正しい進化の先端にいるのだと思っていた。けれども、それはどうやら違ったらしい。いや、薄々は気付いていたけれどね。きっと、僕たちは間違っていたんだって。まあ、今はそんなことはどうだっていい。とにかく、それを証明する出来事があったんだ。それは、僕たちの存在を明確に否定した」


 少女は、なにかを口にしながら首を傾げる。当然、その声は聞こえない。


「僕たちは間違いで、キミたち愛を求め続ける人類こそが正しかったんだよ。だから、僕たちはこれから滅びゆく。べつに、悲しいことじゃない。そこに悲劇はないさ。そういう選択をした僕たちが、当然のようにその結末に至るだけのことだ。けれども、キミはあちら側の人間だ。だから、このまま僕たちの自滅に付き合う必要性はない」


 そうだ。滅びるのならば、自分たちだけで勝手に滅びればいい。ただ、そこに彼女を巻き添えにするのは、間違っているのだと思う。彼女こそは愛を知る人類で、僕たちとは違い、未来へと続く種族なのだから。


 だから、彼女さえ望むのならば、僕は彼女をこの狭い世界から出してあげようと思うのだ。そらの彼方、深遠しんえんの宇宙へと向かった人類たちのもとへと、彼女を送り出してあげよう、と。たとえそれが僕のアイデンティを放棄することになるのだとしても、それでも僕は彼女の願いを叶えたい。


 幸い、彼方へと向かう人類たちの船の場所は特定できた。調べてみれば、案外できてしまうものだ。彼らの船は巨大で、少女一人くらい受け入れることに問題はないだろう。こちらから、あちらへと追いつくためには数年の航行を必要とするけれども、それくらいの孤独には少女に頑張ってもらうしかない。その先に彼女の求めるものがあるのならば、きっと頑張ってくれるはずだ。


「キミは、ここから出たいと思うかい?」


 そう聞かされた彼女は、小さく、けれども力強く確かに頷いた。


 その表情に笑みはなく、小さく下唇を噛み、瞳は小刻みに揺れている。それを見れば、表情を読むのが苦手な僕にだってわかる。彼女は、切実にこの場所からの脱出を望んでいる。


 それは、僕にとって初めて、そして唯一、彼女の意思を理解した瞬間だった。


 ――ああ、やっぱり。


 と、僕は目を伏せる。

 彼女がそれを望むのならば、そのために僕は僕にできることをしようと思う。


 少女を深宇宙しんうちゅうへと送り出す。


 それが、これからの僕の存在理由だ。

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