父は立派な英雄でした
郡冷蔵
第一幕 陽光に笑う
第一話 英雄の子
英雄の子 1
ベクタレンは、ほんの十六年前までは、ただの寂れた地方都市だった。
ただし、現在の昼夜なき盛況っぷりには、そんな雰囲気など微塵も残っていないだろう。
ならば、十六年前に何があったのか。その問いに答えられない者などいまい。
かつてのベクタレンに生まれた、稀代の魔術師。十六年前、魔王と呼ばれた最強の魔物を、己が命を以て打ち倒した大英勇、ゼン・ベックマン。
眩いばかりに輝いて、突然どこかへ消えていく、流星のようなその一生は、今では誰もが憧れる英雄譚として語り継がれる。
そして、英雄の生まれた地にあやかって、様々なものがやってきた。木枯らしの吹くベクタレンは、そうして王都に負けずとも劣らぬ大都市となったのだ。
この街にやってきた新しい風の中でも、ひときわ大きなもののひとつには、冒険者組合本部が数えられる。
最強の冒険者ベックマンを生んだ街こそ、冒険者のトップが置かれるに相応しい、と……要するに験担ぎのようなものだろう。
第二の英雄を待ち望む組合本部は、今日も夢追い人たちで大盛況だ。
「だが夢は所詮夢に過ぎない」
ジョッキを置くと、ため息と共に思考が漏れ出てしまうのは悪い癖だ。だがそう珍しい癖でもない。
一瞬視線が集まるのを感じたが、それはすぐに散り散りになって、あるいは他の独白に引かれていった。
唯一、カウンターの向こうでエール樽の前に立っていた無骨な禿頭の壮年、グンゾだけが、ぱちぱち弾けるエールをウエイトレスに任せてこちらにやってきた。
「新米どもの話か?」
「あぁ……まぁ、そうだよ。どうでもいいけど」
ベックマンクラスの英雄云々の前に、冒険者の上位帯といえるランクA以上の冒険者の数は、冒険者全体に対しての比率ではむしろ減っている。
これは概ね英雄に叶わぬ夢を抱いた者らがこぞって冒険者になり始めたことによるもので、Dランク以下の下級冒険者ばかりが膨れ上がった結果、表面上の賑わいの裏で、組合の運営は混迷を極めているという。
「今度支度金がまた減るらしいぜ。もともとの半額以下だ。……まぁ、人を散らすにはいいかもしれんが、これで一番減るのはどこだと思うよ?」
「まあ、B、Cランクの中級者帯になるだろうな。上級冒険者のような潤沢な資金がなく、かといって下級冒険者のように準備を疎かにしても平穏無事に帰ってこられるわけでもない」
「もう将来性ねぇんじゃねぇのか、ここ? 俺も辞めようかね」
「それは、何度聞いたかわからんな。お前は辞められないのだろう?」
「……まぁな。今になってはい辞めますとか、
「後援者がいるだけ、Cランクには余りある幸せだろう? その上あの美人だ。俺の店の他で不満など漏らしてみろ、リンチの後は魔物のエサが妥当だろうよ」
「だろうな。ほんと……あいつは何がしたいのかねぇ。俺、一生Aランク以上にはなれないと思うんだけど。組合以上に将来性ないぜ」
「惚れているからだと、彼女のほうは言っていたが?」
「俺が訊いてもそう言う」
「惚気など酒のつまみには最悪だぞ。奥さんがお待ちだろう、ここらで帰ったらどうだね、旦那殿?」
「へいへい。混んできたしな。ちっとは仕事でもするか」
「酒を飲んだ後に命をやりとりするのは下策だ」
「でなきゃ怖くておちおちやってられないだろう?」
「怖くないから下策なのだ」
「至言だあな」
代金を置いてカウンターを立つと、すぐに他の客が空いた席に腰を落とした。
今日もきっと、ここに限らず酒場はどこも満場だ。単純に冒険者の数が増えたからか、飲まねばやっていられないのは誰もが同じなのか、はたまたそのどちらもか。
外に出ると、冷たい夜の空気が酒気を晴らしてしまった。震える指先を、腰の左右に提げられた二対四本の短剣に押し付ける。
うち三本は、装束と同じく黒を貴重とした拵えの、良品ではあるが量産品のもの。
うち一本だけは他人の意思の籠った白い鞘を持ち、夜の内ではひときわ輝いていた。
鞘の裏側を撫でると、そこに刻印された文字が脳裏に浮かぶ。
これを贈った父の声や顔は、文字と同じようには浮かばなかった。
なぜなら会ったことがないからだ。
胸に去来する曖昧な感情。手慰みに鞘を押さえて柄を引くが、予想通り、白い短剣は抜ける気配を見せなかった。
「……行くか」
一番近い転移扉はどこだったか。
Fに始まりAAに終わる冒険者のランクと、同様に格付けされる魔物のランクとは相互性がある。
つまり、Cランクの魔物を単独討伐可能な冒険者のランクはCであり、逆にCランクの冒険者が単独討伐可能な魔物のランクはCに設定される。もっとも後者は新種の発見時にしか意識されないことではあるが。
Cランク冒険者であるリオの腕前とは、とどのつまりその程度だ。ここらに出現すると依頼のあった群体時Bランクの
もっとも、そうならないために冒険者は事前に準備を行うものだ。その意味では、冒険者は冒険しない。
闇蝙蝠のような夜行性の魔物によく見られる性質だが、彼らは夜闇の中で行動するために特定の器官を発達させていることが多い。
聴覚、視覚、嗅覚、触覚、あるいは熱源探知などもいるが、闇蝙蝠については聴覚がそれに当たる。
つまり、そこを突くのが単純にして最も賢いやりかただ。
白い短剣をホルダーから抜き、鞘を握るように手に持つ。抜けない剣ゆえ刃物としての扱いは期待できないが、その出自故か杖としての性能は高いので、概ね杖として扱っている。
唱えるのは【轟音】の魔法。魔法としてはかなり平易なものだが、魔物との戦いでは欠かせない魔法のひとつだ。
数秒の集中の後に魔法が発現、暗闇をつんざく、文字通りの轟音が上がった。
魔素を送り続けて音を断続的に維持しながら、突然の異変にパニックを起こしている蝙蝠たちを一匹ずつ仕込み弓で仕留めていく。
魔素を固めた弾を打ち出す、いわゆる魔弾式のもので、Cランク冒険者としてはかなり背伸びした装備だ。威力はほどほどだが、装填は物理弓とは比べ物にならないほど楽なので愛用している。
これも
「……ほんと、色々と世話を焼きすぎだ」
ぱしゅ、と短い破裂音で魔弾が放たれる度、彼女の言葉を思い出す。
「君は身軽なのがいいのだろう? 仕込み弓なんてぴったりじゃないか。遠距離武器がないと不便だろうに」
「……高ぇよ。二百万って」
「私の金だぞ?」
「流石にこれをはした金とは呼べんだろう」
「まあ、それはな。だが惜しくはないよ? パトロンなんてもともとそういうものだし、そうでなくとも、私は君に全財産注ぎ込んでも構わないからね」
「……それって、いくらなんだ?」
「現時点で六十億ほどだが、これからも頑張って増やしていくよ」
「だからその……どうしてそうまでする? 俺の価値なんて、どう高く見積もってもこの弓より安いぞ。六十億なんてあり得ない」
「君が見積もったらの話だろう? ……君は、インセクト族の魔物を狩ったことは?」
「ないわけじゃないが、それが?」
「では、あれの死骸は物によっては数十万、下手すれば百万の値がつくのはご存じかな?」
「……あれがか?」
「あれがさ。まあ特別な毒を使うことになるからそこまで利益は大きくならないんだけどね。ともかく、君にとって無価値なものも、人によっては黄金に匹敵するんだよ。私にとって君とは、世界すべてを天秤にかけてもいい存在だ。だから──」
だが、思うに。
戦闘中にそんなことを思い出している時点で、やはり酒が回っていたのだ。
再び放った魔弾が紫の軌跡を描きながら闇蝙蝠の一匹へと向かい──急所を大きくそれて翼膜を貫いた。
バランスを崩しながら、無力な羽ばたきを続ける蝙蝠は、一直線にこちらへと飛んでくる。苦痛に喘ぐ牙からは毒液が滴っていた。
さしもの魔弾もノータイムで装填できるわけではない。咄嗟に手の内の白い短剣を抜こうとするが、ここに至っても、剣は鞘から離れなかった。
「だからどうか、勝手に死んでくれるなよ、リオ」
ああ──しまったな。
なるほど、怖くない。恐怖があれば、それが足を動かしてくれただろうに。
そもそも状況判断力が鈍っていなければ感情に頼ることもなかっただろうが──何もかも意味のない『もしも』。後悔は先に立たず、目の前にあるのは恐怖なき死だけだ。
「……悪い」
次の瞬間、激しい衝撃と焼けるような痛みがやってきた。
勢いのままはね飛ばされたのか、少々の浮遊感の後に全身に痛みが走る。最後に骨の芯まで届くような鈍い音を聞いたときには、もうその痛覚もなくなっていた。
木々の隙間から星が見える。
ああ。
「……なんで、俺には抜けねぇんだ……」
どうして。どうして。どうして。
こうして見上げる星々だけは、あの頃と何も変わらないのか。
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