Ep.83 切ない抱擁

「あー……。これ他者に見られたら困る機密書類とかの防衛に使う自動文字変換トラップだわ。まんまとしてやられたね」


 ギリッと悔しげに歯を鳴らしたるー君の呟きに驚き、一番この手の対策に詳しそうなサフィールさんの顔を仰ぎ見る。


「どうやら特定の魔法薬以外で資料を直した際に、文字の全てが古代文字に切り替わるよう陣が組み込まれて居たようです。……ですがこの文字自体私にも予備知識がありませんし、翻訳するには時間が足りない」


「魔法による罠なら、サフィールさんか私の力でどうにかならないでしょうか?」


「無理だね。師匠から奪った魔力がこもった短剣は師匠を始末した証拠として公爵家に渡してしまったし、魔法同士の相殺には敵と同等か上回る位の魔力量が必要。君の魔力量ではとても太刀打ち出来ないよ」


 そう一蹴され、ぎゅっと読めなくなってしまった資料を抱き締める。ようやくここまで来たのに……!


「古代文字なら王都に行けば辞書くらいありますよね。私、自分で翻訳します!」


「気持ちはわかりますがそれは難しいでしょう。それはただの古代文字ではありませんから」


 痛ましげに顔を歪ませ頭を振ったサフィールさん曰く、この古代文字はそもそもこの国の歴史には記録のないものだと。つまり、他国の古代文字だと言うことだ。だから翻訳の為の知識がない。それに翻訳が出来たとしても、最早証拠としては使えない。

 どのみちガイア達を助ける切り札にするならば……術を解除して元に戻す以外、手立てがない。


(……っ、諦めるな!負けないって自分で誓ったでしょう)


 泣きそうなのを堪え、まるで文字化けのように読めない文字の羅列となったそれを見つめていたら、るー君が深くため息を溢した。


「俺は論外、師匠でも無理。セレンちゃんにも不可能ときたら……あと頼れるのはあいつだけだよね」


「……っ!」


 ハッと顔を上げる。るー君が、真剣な眼差しで私を見ていた。


「これの術を解除出来るのはガイアスしか居ない。……ただ、会いに行けば当然見つかる危険性は高いよ」


「……っ、会えるの?」


「ま、忍び込むのは得意だし、元から手がないわけじゃないからね。ただ、俺が裏切ってお嬢さんに君を差し出さない保証もないけど」


 『それでも行く?』と、探るような眼差しを向けられる。私は動きやすいよう髪を結び直し、ガイアに貰ったリボンで留めた。


「……行きます!るー君お願い。ガイアの所に連れて行って!!」


 るー君がやれやれと肩を竦め、外に放していた馬に跨がる。無言で差し出されたその手を、今度こそしっかりと掴んだ。











ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 神父様のような衣装を纏った見張りの兵士を瞬殺(いや、気絶させただけで死んでないけど)したるー君が、苔むした石造りの扉を開く。長い長い階段を駆け上がった先。カビ臭さにわずかに鉄の臭いが混じった独房に飛び込んだ。


「ガイア……っ!」


「…………っ!セレン……!どうして……ーっ!」


 四肢に重たい鎖を繋がれたガイアが、身を乗りだそうとして痛みに顔を歪ませる。屈強なその身体は、光射さない牢塔の中でもわかるくらいに痣だらけだった。

 驚きと、助けられない自分の歯痒さと、ガイアをこれだけ傷つけたナターリエ様への怒りと。色んな気持ちがごっちゃになって、上手く言葉が出てこない。ただ、涙がこぼれ落ちないように彼の身体を抱き締めるしか出来なかった。


「セレン、大丈夫だから。そんな顔をするな」


「……っ、だって、こんなの酷すぎる……っ!」


「……予想はしてたけど、また手酷くやられたもんだね」


「あぁ、なんだ。やはりお前か……」


 『なんだとはなんだ』と顔をしかめたるー君がガイアの腕を拘束している鎖の根本に触れる。その瞬間、頑丈な筈のそれがガラス細工みたいにパリンとくだけ散った。驚いて目を見開く私に対し、るー君がしれっとした顔で右手を揺らす。


「そんな驚くことないでしょ。お国やお嬢さんには隠してたけど、俺も一応魔力持ちなんだよね」


「えぇぇっ!?」


 びっくりしすぎて涙も引っ込んだ。ガイアの方を見ると、苦笑まじりに優しく微笑まれる。知っていたらしい。

 そっか。じゃあサフィールさんが師匠って“魔術の師匠”ってこと!?


(そんな設定あったっけ?アイちゃんなら何か覚えてるかな……)


「相変わらず細かい魔力操作は見事だな。ありがとう、少しは楽になった」


「お褒めにあずかりどうも。……他国に行けば大賢者とかに筆頭する魔力持ちの男に言われるとマジ嫌味だわー」


 『本心なんだがな』と笑って、ガイアがすがり付いたままだった私の背に腕を回す。


「がっ、ガイア!そんな身体で動いたら痛みが……!」


「大丈夫だ。……少しでいい。このまま抱き締めさせてくれ」


 少し掠れた切ない声音にドクンと心臓が跳ね上がる。

 るー君は肩を竦め、外を見張ると姿を消した。


「……っ無事で良かった。君にばかり辛い思いをさせて、本当にすまない……っ」


「……っ、馬鹿。そんなにボロボロになって、信じてた筈の人に酷い仕打ちされて……っ、一番辛いのはガイアじゃない……!」


 久しぶりに感じる彼の体温と声に触れて、もう限界だった。弾けたように、私の瞳から涙が溢れだす。ガイアは何も言わず、私が泣き止むまでずっと力強く抱き締め続けてくれた。


   ~Ep.83 切ない抱擁~





 固く閉ざされた扉の裏。親友の捉えられたその牢から聞こえてくる初めて耳にする気丈な少女の泣き声に、ルドルフは小さくため息をついた。


「やっぱずっと無理してたんじゃん、強がりな女」


 自分には、どんなに煽ろうがからかおうが脅そうが、弱さなんて一欠片も見せなかった癖に。あいつにならそんなにもてらいなく全てを見せるのか。そこまで考えて、自分は一体何を考えているのかと邪念を振り払うよう頭を振る。


(これはただの任務兼あいつへの恩返しで、彼女はガイアスの幸せに必要なただの駒。それ以上でもそれ以下でもない)


 それなのに、未だに止まない彼女のすすり泣く声が、何故こんなにも鋭く胸を突き刺すのか。


「何でこんな心臓痛いんだよ、くそっ……」


 手当てに可愛らしいハンカチの巻かれた手で左胸を押さえたその呟きは、誰にも届かず消えていった。

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