Ep.82 切り札

 思いがけない再会を果たしたその人は、数ヶ月前とは別人のように老成していた。


「そんなにまじまじと見つめられると、彼に嫉妬されてしまいそうですねぇ」


「あっ、すみません!つい……」


 といっても、しわくちゃのおじいちゃんというよりは渋く歳を重ねたダンディなお爺様と言った感じだ。姿勢は良いままだし、執事服とモノクルが似合いそう。……ではなくて!


「サフィールさん、あの後一体何があったんですか!?亡くなったなんて新聞を読んで私もガイアもすごく心配していたんですよ!それから……むぐっ」


「まあまあ、落ち着いて。まずはお食事でもいかがですか?王都からずっと走り通しだったようですし、さぞお疲れでしょう」


 半ば口封じ同然に押し当てられたパンの優しい味に力が抜けて、改めてその場にへたりこんだ。安心して力が抜けてしまったみたいだ。


「おやおや……本当にお疲れなようですね。ガイアスの話は私も聞いています。状況は芳しくありませんか?」


 手を差しのべてくれるサフィールさんの問いにハッとなる。そうだ、うだうだしている時間はない。早くこの証拠の書類を修繕しないと。それに、囮として置いてきてしまったるー君も心配だ。


「あの、これ!公爵家から押収した書類と損傷を直す魔法薬ポーションです!これの扱い方をサフィールさんがご存知だと聞いてやって来ました。……お力を、貸していただけますか?」


 震えながら差し出したそれを持つ手を、サフィールさんが優しく包んでくれる。そのまま、二つの切り札は彼の手に収まった。


「もちろんですとも。私の可愛いに手を出したこと、末代まで後悔させてやりましょうね」


 『まぁ最も、子孫を残せるかもわかりませんが』と浮かべる良い笑顔は老いていてもやっぱりあのサフィールさんだ。頼もしい。

 彼なら能力的にもガイアとの関係性的にも信頼出来る。だから修繕はお任せして、私は再び馬にまたがった。


「おや、どちらへ?貴女もボロボロなのですから少し休まないと……」


「ありがとうございます。でも、私を逃がすためにと囮になってくれた仲間を置いてきてしまったんです。心配だから、助けに行かないと……!」


 そう今にも走り出そうとしている私を観て、サフィールさんは何故かとってもきょとんとした顔になった。それから、徐にメガネを押し上げてから盛大に吹き出す。


「ふふっ……はははは!変わりませんねぇ貴女は。それにルドルフも……。囮を買って出たにも関わらずに直ぐ様追い付いてしまっては意味が無いでしょうに」


「~~っ!うるっさいな、ジジイになってもとんだおしゃべり師匠だぜ……!」


「るー君!!」


 木の影から現れたその姿にほっとする。その背後で、サフィールさんの笑い声が高らかに響いていた。









「あのー……、落ち着かれました?」


 笑いすぎて過呼吸になりそうなその前にそっと紅茶を差し出す。一口飲んで気を取り直し、サフィールさんはちらりとるー君を見た。


「いやぁ、お見苦しい所をお見せしましたね。しかし“るー君”とはまた……フフッ、ずいぶんと可愛らしい渾名をつけられたものだ。お前がここまで気を許すとは、セレスティアさんは本当に流石ですねぇ」


「だぁぁぁぁっ、うるさいな!これは流れ上仕方がなく許可してただけなんだって何べん言えばわかるんですか!?」


 バンッとテーブルを叩いてサフィールさんに抗議するその姿は、今まで見てきた中で一番年相応な顔をしている。だから少し気になって、聞いてみた。


「あの、お二人は知り合いだったんですか?」


「いや、知り合いっつーか……」


「任務を裏切ってあのまま王都に帰れば暗殺待った無しだった私を、魔力吸収機能付きの短剣で突き刺し殺した事にしてまで逃がしてくれる位には懐かれてますかね。ある意味親代わりですし、私」


「師匠!!!」


 顔を真っ赤にしたるー君に胸倉を掴まれても至っていつも通りに『はっはっは』と笑っているサフィールさんにポカンとしてしまう。


 つまり、彼等の話をまとめるとこうだ。サフィールさんは王家からの依頼で、前々からキナ臭かったキャンベル公爵家に手下として潜入して調査をしていた。そんな中、成り行きで親友の忘れ形見であるガイアと再会。丁度いい加減潜入捜査にも飽き飽きだったから、渡りに舟と公爵家を裏切り私達を助けたけれど。このまま王都に帰った所で、王家からは正体をバラした失態で、公爵家からは裏切り者として。どちらに転んでもサフィールさんは絶体絶命の立場だった。だったらいっそのこと……


「そのご自慢の魔力を全部無くしてとっとと隠居しちまえばって思っただけ!どうせ奴さんらは師匠の魔力を追跡する以外居場所を特定する手だてなんか無いんだからさ」


 そうか、だからガイアがサフィールさんを魔力を伝手に探そうとしても見つからなかったんだ……。老人の姿になっているのは、彼の身体に流れる時を塞き止めていた魔力が無くなったからなのね。


「それにしても……、それなら不意打ちで背中から刺したりせず素直に話せば良かったのに」


「はっはっは、反抗したいお年頃なんですよ。可愛いじゃないですか」


「あぁもう!可愛いとか言うな!俺だって色々考えて……痛っ!」


 乱暴に椅子から立ち上がろうとした時、るー君が一瞬眉を潜めて左手首を押さえた。今のって……。


「るー君、手首見せて」


「はぁ?嫌だよ、何で君なんかに……」


「いいから見せなさい!!」


 渋る素振りを一喝して怯んだ隙に袖を掴んで捲る。現れた赤く腫れた患部に触れるとかなり熱を持っていた。これはかなり痛いよ……!


「怪我してたならどうして言ってくれないの!冷やすから大人しくしてて!」


「……別に良いのに。俺等みたいな捨て駒はこの程度の傷慣れっこなんだから」


 一人言のつもりであろうその呟きに、応急処置の氷嚢を作っていた手が止まる。小さく息をついてから、その腫れた手首にそっと氷を当てた。


「どんなに慣れたつもりになろうが、痛いものは痛いでしょう。それにるー君が傷つけば、貴方自身だけじゃなく貴方を大切に思う人も辛いんだからね!」


 きゅっと氷嚢の留めヒモを結んで、いつの間にか無抵抗になったその両手を握る。


「もう少し、自分自身を大切にしてあげて。でも……危険を省みず逃がしてくれて、ありがとう」


 彼のあんまり自虐的な態度につい偉そうなことを言ってしまったけど、もとを正せばるー君が無理したのは私の為囮を買って出てくれたのが原因だ。だから感謝の気持ちも込めての手当てを終えてそっと手を離すと、るー君は無傷の方の手で額を押さえて天井を仰いだ。


「……それさぁ、わざとやってるんじゃないよね?」


「へ?」


 “それ”とは?首を傾げた私を見て、るー君は改めて長いため息を溢した。


「いや、だよな。無自覚よな。勘弁してくれよ俺等みたいな自分達の命を軽んじられてきた人間はこう言う扱いにただでさえ馴れてないってのにさぁ。ガイアスの奴これをこの一年、しかも本人からの好意付きでずっと喰らってたのかよ。マジかよ、そりゃ堕ちるよ……!」


「あ、あの、るー君……?」


「はいはいはい、そこまでになさいルドルフ。そのままではドツボにハマりますよー?」


 虚ろな眼差しでうだるるー君に狼狽えてる間に、資料の修繕を終わらせたサフィールさんが戻ってきた。ハッとるー君の目に光が戻ったのを確かめてやれやれと首を振るその所作は、若い身体だったときと全然変わらない。


「セレスティアさん、資料は一字の抜けもなく修繕出来ましたよ。お納めください」


「……っ!ありがとうございます!」


「いえいえ。しかし貴女の笑顔は本当にお可愛らしい。しかし……横恋慕は感心しませんが見事な手腕ですね。しかも無自覚とは……。意外と娼館でのしあがる質かも「わぁぁぁぁぁっ!!」おぉっと!」


 資料のヒモをほどいてたら急にるー君に両耳を塞がれた。一体何!?これじゃなんも聞こえないよ!?


「んっっっとにあんたって人はなんてこと言うんだ!アイツに返す前に変なこと言って穢さないでくれる!?」


「おや……返すつもりはあるんですか」


 ピクッと、私の耳を押さえるるー君の手が動いた気がした。

 したけど、結局なんも聞こえないので今は修繕された資料の方に集中することにする。初めはやっぱり数字に不正がある異国との取引帳簿で、後半は…………。


「ーー……返すもなにも、セレンちゃんはアイツのもんでしょ。何?お得意の嫌味?」


「いいえ、少々釘を刺しただけですよ」


 ようやく解放された耳に、外部の音が返ってくる。でも、神妙な声音の師弟の声は聞こえなかった。


「何?この、文字……」


 キャンベル公爵、ならびにナターリエ様の悪事の核心。そこに突ける筈のページに並ぶ見たこともない歪な言語に、呆然とそこに立ち尽くしている私には。


    ~Ep.82 切り札~



『“切り札”になる筈だった。ページを開くこの時までは』

    


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