Ep.63 誓いの口づけ

 絢爛豪華けんらんごうかな調度品にシャンデリア、その明かりに華々しく輝くご令嬢達の豪奢なドレスが目に眩しい。


 いよいよ、勝負の夜会が始まった。


「き、緊張する……!私、ドレスに着られてないかな……!?」


 今私が着ているドレスはガイアから貰った物で、桜色の品の良いシルクとレースに真珠が散らされた逸品。だからきっとこの場にも見劣りしないだろう品なんだけれど。

 王都の夜会は華やかさも規模も今まで私が経験してきた場とは桁が違う。気後れして入り口で足を止めた私の手が、前から優しくすっと引かれた。


「ガイア!」


「遅くなってすまない。さぁ行こう、作戦の為にもより先に会場に入っておかないとな」


「………………っ!」


「……?セレン?」


 私服でも制服でも騎士服でもない、紫紺色の地に銀糸の刺繍があしらわれた品の良い礼服姿のガイアが、わ、わ、私の右手を取っている……!


(破壊力がスチルイラスト所の騒ぎじゃない……!アイシラちゃんありがとう!!)


「今日、来て良かった……!」


「こら、まだ会場に入ってすら居ないだろ」


 ハッ、そうでした。あまりに夢心地なシチュエーションとガイアの正装の破壊力にやられて本来の目的を忘れる所だったわ。

 やっと正気に戻った私に、ガイアが改めて右手を差し出す。白い手袋に覆われたそこに手を重ねると、ガイアが徐に会場の扉を開いた。


「言い忘れていたが、そのドレス、よく似合ってる。誰より綺麗だ」


「え……、~~~っ!!!?」


 一歩足を踏み入れるその瞬間、私の耳元に甘い爆弾が落とされる。一瞬でドレスと同じ色に染まった私の顔を見て、ガイアは満足そうに喉を鳴らして笑っていた。







 元々華やかな社交場には疎い私だけど、ガイアのそつのないエスコートに導かれて何とか会場には馴染むことが出来た。私の腕を引きつつも、涼しい表情でグラスを傾けるガイアの端整な横顔をじぃっと見つめる。


「……ガイアはこう言うパーティーには慣れてるの?」


「いや?警備側としてなら嫌に成る程経験してきたが、参加者として誰かをエスコートするのは今回がはじめてだ」


「そうなの!?」


 ちょっとした興味で聞いたのに、まさかの返答が返ってきてびっくり。そっか、じゃあ、ガイアに夜会でエスコートして貰った女の子は私が初めてなんだ……。


(ってこら!浮き足立ってる場合じゃないよ私!今夜は遊びじゃないんだから!!)


 キュンと鳴る胸を誤魔化すようにグラスの飲み物に口をつけて、今度はその美味しさに目を見開く。なんだろうこれ、すっごく良い香りする……!


 そんな私の姿をただ静かに見ていたガイアが、ふっと柔らかく微笑んだ。


「ただ壁際や外から見ていたときは参加者が何故あんなにも浮かれていたのかわからなかったが……成る程。こうして相手の隣を独占出来る時間は悪くないな」


「~~っ!?」


 空になったグラスを私の手から取る仕草にに紛れて耳元で囁かれた一言に、心臓が勝手に暴れだす。もうもうもう!これじゃあ心臓がいくつ合っても持たないじゃない……!


「もう、私に耐性がないからってそうやってからかって……!」


 ちょっと悔しくてプイッとそっぽを向く。私ばっかりドキドキして、不公平だわ!


「……馬鹿、全部紛れもない本心だっての」


「え?今何て……」


 ポソッとしたガイアのその呟きを聞き返したその瞬間、ずっと奏でられていたワルツが止んで会場がざわついた。同時にざっと左右に割れた参加者達の先から現れた美女の姿に、いよいよお出ましかと手を握りしめる。


「ごきげんようセレスティア様。こうしてお会いするのは昨年の秋以来ですわね」


 宵闇に星を散らばせたような漆黒のドレスと扇子を身につけたナターリエ様が、優雅な仕草で現れた。背後に、目にも華やかな取り巻きの男性陣を引き連れて。


(あれ?でもルドルフさんが居ないな……?)


「ガイアスも仕事とは言えご苦労様。自分も慣れない場で夜会自体に不馴れなパートナーをエスコートするのは大変でしょう?よろしければ、息抜きとセレスティア様への手本に一曲わたくしがお相手してもよろしくてよ」


 首を傾いだ私には目もくれず、妖艶に微笑むナターリエ様。他には居ない胸元とボディラインを強調している漆黒のドレスと華やかなな美貌も合わさって、注目している周りの貴族令息達の視線が羨ましそうなものに変わった。逆に、ご令嬢達からはナターリエ様への眼差しは冷たい。本人はそんなこと気にも止めていないようだけど。


「……パートナーとの2人での参加を原則とする夜会に幾人もの殿方をお連れしている貴女が何を仰いますやら。私なぞに構わず、彼等とのお時間をご堪能ください」


「確かに本来ならば彼等と先に踊るのが筋ですけれど、今回は特別ですわ。貴女はわたくしの有望な騎士だもの。貴方がたも、もちろん構わないですわよね?」


 そんな男性陣の羨望の眼差しが集まるなかガイアが断る素振りを見せれば、ナターリエ様は徐に左手の手袋を外して取り巻きである第二皇子の方へ差し出した。その白魚のような手の甲に第二皇子が口づけを落とせば、周りからざわっと動揺の声が上がる。

 この国で、高貴な女性が男性に向かい素手を差し出すのは相手に自分との関係をしっかり認めさせたい時。右手への口づけならば永遠の愛の誓い。だけど、左手ならばそれは、相手へのの意味を為す。


(それを、普通よりによって皇子様にやらせる!?)


 あ然となる私やギャラリーを他所に、ナターリエ様は皇子に引き続きあとの四人の取り巻きの男性達にも一人づつ服従の口づけをさせた。そして、改めてガイアに向かい左手を差し出す。もちろん、手の甲を上側にしたまま。


「(まさかガイアにまでやらせる気なの……!?)ガイ……っ!」


 焦って名前を呼ぼうとしたら、目すら合わせないままトンと指先で唇を叩かれた。『静かにしてろ』と言われたような気がして押し黙る私を見たナターリエ様の眼差しが、面白そうに歪む。


「今は陛下のご意志で致し方がなく出張させて居ますけれど、貴女はわたくしの騎士だもの。今まで一度も踊って差し上げなくて申し訳無かったわ。さぁ、参りましょう」


 同性をも見惚れさせそうな優美な笑みと一緒に差し出された左手。それを見たガイアがふっと、品を損なわない程度に鼻で笑った。


「いいや、結構です」


「……何ですって?」


 ピキッと、笑顔にも空気にも、ヒビが入った気がした。そんな中、勝ち気に笑ってガイアは続ける。


「ご理解頂けませんでしたか。お断りしますと、そう言ったんです」


 あくまでも、口調と態度は丁寧に。でも、ナターリエ様に対峙する彼の目が、態度が、空気が冷たい。


 宙をさ迷ったままのナターリエ様の左手に一瞥すらくれないまま、ガイアが私の肩を抱き寄せ踵を返す。

 反射的に道を開けるように避けた人々の顔が明らかに困惑していた。


 当然だ。ガイアの今の態度はつまり、もう自分はナターリエ様に従うつもりは無いとハッキリ意思を示した事になる。

 国の有力な貴族が集まる、こんな公衆の、面前で。


「ちょ……っお待ちなさいな!」


「痛っ……!」


 カッとなったのか、ナターリエ様が爪を立てて私の手首を掴んだ。ちょっと痛いけどチャンスだ!『離して下さい』と弱々しく抵抗する素振りに紛れて、豪奢な宝石が揺れるドレスの袖口にあるものを押し込む。

 私の手の動きを見届けてから、ガイアがナターリエ様の手を私の手首から引き剥がしてくれた。


「ご挨拶は済ませたでしょう。待つ義理はありませんよ」


「……っ、貴女、主に対してその様な態度を取って良いと思って!?」


 怒りを隠しきれない態度で引き留めてくるナターリエ様に、私達の前を塞ぐ取り巻き男性達。うんざりしたようにため息を溢したガイアが、私の右手から手袋を外す。

 え、と声を上げるより先に徐に右手を取られ、途端に心臓が跳ね上がった。


「がっ、ががっ、ガイア……っ!?」


「すまないが少し我慢してくれ」


 周りに聞こえない位の小声でガイアはそう言うけど、違う、そうじゃない……!


「元より私の騎士としての身はこの国の王家に捧げたもの。そして、心も。私の主君は貴女ではなく……」


 チュッと軽い音を立てて、ガイアの唇が私の右手の甲に触れる。軽い音とは裏腹に、その口づけの意味は、重い。


「ここに居る彼女だ」


 今日一番のざわつきの中だったのに、彼の誓いは酷くハッキリと響いたような気がした。


    ~Ep.63 誓いの口づけ~


  『誰の目をはばかること無く。心からの誓いを、愛しい人へ』

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