Ep.33 義弟様は知っている

 やってしまった……!


 その日の夜、ガイアは荷造りも半ばで散らかった部屋のベッドで何度目かわからない寝返りを打った。


 明日は早朝から祖父の屋敷の再調査に向かう、だから、早く寝付かなければと、思うのに。


 昼間聞いてしまったセレンの『幼い頃からずっとずっとお慕いしている人が居る』と言う言葉が甦る度に心臓を突き刺す痛みのせいで、まるで寝付けやしなかった。


(前に足の怪我を見せるのをあからさまに拒絶したのも、想い人以外の男に身体を見せたくなかったからだったんだな……)


 改めて考えると、自分は彼女のことを何も知らなかったんだなと思う。事実、彼女に好きな男が居ることすら知りもしなかった。いや、知りたくも無かったのだが。

 混乱して、少なくとも彼女の一番近くに居るのは自分なのではないかと言う自惚れが否定されたあの時、一瞬で心がどす黒い感情に支配された。


『いっそのこと、力付くで奪ってしまおうか』と。


 このままではこの感情を理不尽に彼女にぶつけてしまいそうだと思い、そうならないために出した結論が、物理的にセレンから離れる……つまり、この屋敷から出ていくことだったわけだ。


 ーー……だけど、離れると決めた理性の裏で、そんなのは嫌だと心が叫ぶせいで、今にも胸が張り裂けそうに痛む。


「……水でも貰うか」


 どうせ今夜はもう眠れやしない。ならば、水でも飲んで頭を冷やすかとキッチンと併設したリビングに向かう。扉を開けて、驚いた。


「あれ、ガイアさん。まだ起きてたんですか?」


 自分を見たソレイユが同じように驚いた顔をしていた。テーブルには書きかけのレポートと教本が広がっている。課題をやっていたらしい。


「悪い、寝付けなくて何か飲み物でもと思ったんだが……邪魔したか?」


「いえ、大丈夫です。丁度一息入れようかと思ってましたから。すぐ飲み物淹れますね」


「え?いや、いいって、わざわざそんな……」


 『夜だしココアでいいですか?』と質問の呈で聞きつつもソレイユが慣れた手つきでカップ2杯分のミルクを火にかける。気まずいので部屋に逃げ帰りたかったが、仕方がなく椅子に腰かけた。


「……あの後セレンは、どうしてた?」


 キッチンに立つソレイユの後ろ姿があまりに彼女に似ていてつい聞いてしまってからハッとした。しまったと視線を下に向けるガイアに苦笑しつつソレイユが答える。


「普通にしてましたよ、表向きはね。眠れないほど気になる位なら喧嘩なんかしなきゃ良かったのに」


「……っ、すまない。傷つけたい訳じゃ無かったんだがな……」


 後悔と切なさに駆られつい普段セレンが使っている席に視線を向けた自分を見て、ソレイユが小さく肩を竦めた。


「まぁガイアさんが怒った気持ちもわからなくはないですけどね。原因はあのマークスとかいう変質者の件でしょう?姉様は何かと隙が多いから」


「ーっ!そうなんだよ!大体、あいつは誰にでも優しすぎるんだ。男なんざチョロいんだから、優しくするにしたって相手を少しは選べっての……!」


 ずっと我慢していた不満に同意を示されつい熱く語ってしまったガイアの前に、コトリと湯気が立つマグカップが置かれる。湯気に誘われるようにそっとココアを口に含んだガイアに、ソレイユがにっこりと笑って言った。


「まぁガイアさんも姉様に堕ちたチョロい男のお一人なので偉そうな事は言えませんね」


「ーっ!!?ゲホッ、なっ、お前っ、いつから気づいて……っ!!?」


「そりゃ気づきますよ、ガイアさん初めの頃と姉様を見る目が全然違ってますもん」


 さも何でもない事の様に言われて、ガックリと項垂れた。バレていた事実だけでも顔が焼けるように熱いのに、彼女に瓜二つの天使の様な顔でソレイユが追い討ちをかけてくる。


「態度も軟化したし、いつも視線で姉様の事追ってるし、笑顔なんか他の年頃のお嬢さんが見たらとろけちゃいそうな甘さですしねー。逆にむしろそれで隠してるつもりだったんですか? 」


「うるせぇな、こちとら初恋なんだよ……!」


 真っ赤になった顔を隠すように机に突っ伏した。

 その向かいに座って、ソレイユがわざとらしく首を傾げて見せる。


「あれぇ?愛しの公爵令嬢様はもう良いんですか?また王都からお手紙も一通来てましたけど?」


「……!」


 明らかに挑発的なその問いに、ガイアは顔を上げて真っ直ぐにソレイユと視線を合わせた。王都からの手紙を開くことすらせず、迷わず答える。


「あぁ、良いんだ。俺のナターリエへの感情は、ただの感謝と依存でしか無かった」


 本気の恋に堕ちた今だからこそ、ハッキリ“違う”とわかる。

 かつて、ナターリエに救われたのは確かに事実だ。感謝もしていたし、何とかして恩を返すためにも側に居るべきだとは思っていた。でも、それだけだ。ナターリエの側にいくらたくさんの見目麗しい男が居ようが好意を抱いて居ようが、それに対して自分は特に何を感じたことも無かった。


 だけど、セレンに関しては違っていた。

 彼女の隣に他の男が居るのが嫌だ、他の誰かにあの優しい微笑みが向けられる事が堪らなく苦しい。誰かに彼女が好かれていることすら、許しがたい。『俺だけ見ていればいいのに』、なんて身勝手な感情が抑えられない。自覚している。これは、嫉妬だ。

 激しく燃える恋に潜む、心を蝕む毒。だからこそ、叶わぬと知った今、もう隣には居られない。


「姉様が好きなら、何で出ていくなんて言ったんです?」


「……あいつを傷つけない為だ、何を言われてもそこは撤回しないぞ」


「ヘタレですね、安心してくださいよ。玉砕したらしたで初めの頃姉様を散々傷つけた罰だザマァ見ろって指差して笑って差し上げますし、もし姉様の結婚が決まれば最前列で式にご招待しますから」


「……っ、お前、さては俺のこと嫌いだよな……?」


「さぁどうでしょうねぇ?まぁ、僕もあんな変態マークスを義兄とは呼びたくないんでそれならまだガイアさんに頑張って貰いたいんですけど」


「……っ、やかましい。これ以上セレンを困らせたくないんだ。それより、お前今の話あいつにはするなよ……!?」


「……やれやれ。ま、いいでしょう。人の恋路にあまり首を突っ込むのも野暮ですし、僕は口が固いいい子だからちゃんと秘密は守りますよ。あー、何だか急に隣町の3時間は並ばないと買えない人気パン屋のメロンパンが食べたくなってきたなー」


「くっ……!わかった、明日買ってくるよ、買ってくりゃいいんだろ。ったく、足元見やがって……!」


「あ、嫌ならいいんですよ。姉様ーっ、ガイアさんは姉様の事がーっ」


「~~~っ、止めろ馬鹿!わかったよ、わかりましたよ、喜んで買いに行かせて頂きます……!」


「わーいっ、ありがとうございますガイアお義兄様!」


「てめぇその呼び方嫌味か、嫌味だろ、嫌味に決まってる絶対そうだ……!」


 本当にこの未来の義弟(?)はいい性格をしていると、ガイアは今日一番に長いため息をついて近辺の地形がわかる地図を開くのだった。




「そう言えば、王都からの手紙の要件ってなんだったんです?」


「あぁ、そう言えば……。何だ、ルドルフからじゃないか」


 ソレイユに聞かれ、パン屋の位置を調べる片手間にさっき受け取った封筒を見る。差出人はナターリエではなく友だった。開くと一枚の紙切れがはらりと落ちてくる。


「なんだこりゃ、地図か……?ってうわっ、なんだよ、ベタベタじゃないか!この香り、蜂蜜か……?」


 どうやら屋敷がある森の地図らしいが、一ヶ所になにやらベタつく汚れがついていた。まさか何か食べながら地図を記したのだろうか。そもそも何故こんなものを送ってきたんだ、文章も無しに。相変わらずいい加減でよくわからない友人だとため息をつき、汚れを拭き取ったそれをポケットへとねじ込んだ。


    ~Ep.33 義弟様は知っている ~


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