Ep.22 護りたいもの

「ったく、どこまで行ったんだあの馬鹿……っ!」


 わずかに地面に残ったウサギの血痕を目印に、森の中を必死に走り回る。全く彼女は、どうしてあぁお人好しなんだ……!

 この森は意外と深いし、地形的に崖や段差も多いのだ。早く見つけなければと手がかりを探しながら木々をかき分け進んでいくと、鬱蒼うっそうとした木々に視界と日差しが遮られてどこか心細いような気持ちになってくる。

 きっとセレンはもっと怖い思いをしているだろうと思うと、無意識に走る速度も上がっていった。

 危険だからと理由をつけて研究者達を森の外に置いてきてよかった、邪魔者が居てはこうして自由に探し回ることも出来なかったろうとため息をついて、ふと別れ際のサフィールとの会話を思い出す。







 いくら迷惑な変態共でも今回の魔物の件に置いて『セレンの故郷の安全』を守るためには、彼ら研究員の知識が必要だ。だから、本当は彼女が走り去ったその時すぐにでも追いかけたかったが、出来なかった。

 あの場には自分と一緒にたくさんの研究員が居たからだ。無闇に森に取り残して遭難でもされては敵わないとガイアは最短ルートで森から彼等を出し、すぐにセレンを探しに戻るべく踵を返した。しかし、それを他ならぬ元凶の一人であるサフィールが呼び止めたのだ。


『本当に探しに行くのですか?』

 

 静かに紡がれた問いに、ガイアは振り向きもせず『当然だ』と答える。

 背後でサフィールがため息をついた気配がした。


『ふむ……。まあ、確かにあのか弱そうなお嬢様を一人で森に捨て置く訳にもいかないでしょうし別に止めはしませんがね。でも、本当によろしいのですね?』


『……何がだ』


 一刻も早く探しに行きたいのに、仕掛けられた腹の探り合いに苛立ちが募る。


『貴方も陛下より研究員の安全確保を命じられているのでしょう?にもかかわらずきちんと宿舎まで我々を送り届けぬまま貴方が立ち去るとなれば、当然私は王都に報告しなければなりません』


 メガネを押し上げながらのその含み笑いの意味がわからないほど馬鹿ではない。ようは『職務放棄になるぞ』と、サフィールはそう言いたいのだ。

 その予想を肯定するようにサフィールの笑みが深くなる。


『そうすれば当然、貴方も罰は免れないでしょう。白竜騎士団は規律が厳しく、左遷先で更に何かやらかしてそのままその場所に一生勤める羽目になった騎士も多いと伺います。陛下に貴方の職務放棄が伝われば、もう王都には帰れなくなってしまうかもしれませんねぇ』


 脅しのつもりであろう言葉に、思わず笑いがこぼれた。


『……ふっ』


『何がおかしいのです?』


『いいや?それで脅しているつもりなら、とんだ検討違いだと思ってな』


 腰に下げた『誰かを守る為』の剣の柄を片手で握りしめて、サフィールに向き直った。


『報告したければすればいいさ、一向に構わない。俺が本当に護りたい者は、他ならないこの場所に居るからな』


 ざあっと吹き抜けた風が、ガイアの艶やかな黒髪をなびかせる。ただでさえ端正な顔立ちに浮かぶ真剣な表情と決意を宿した力強い眼差しが、彼がセレンを護る理由が『義務』や『仕事』でないことを確かに表していた。


『それから、あの暴走所長に言っておけ。次セレンを危険に巻き込むような暴走をしたら、殴って気絶させる程度では済まさないとな』


 最後にそれだけ言い残し、ガイアは走って森へ戻った。だから、気づかなかったのだ。


『純朴で不器用なまでのその真っ直ぐさ……、貴方のお祖父様にそっくりですねぇ』


 嫌味さを全く滲ませない穏やかな声色で紡がれた、その呟きには。









 さて、そんな回想はさておき今はセレンだ。木々で手や顔に擦り傷が増えることも気にせず探すがなかなか見つからない。不安と焦りを飲み込む為、ぐっと拳を握りしめる。


 広い森のなかで手がかりもなく一人の人間を見つけるのがこんなに大変だなんて……と肩を落とすと同時に、ふと思った。

 幼い頃この森でハンカチーフを直してくれたあの子との出会いも、なかなかに奇跡めいた出来事だったんだなと。


「あの子はあの日、どうして俺を見つけたんだろうな……」


 そうだ、確か、泣いていた自分のその微かな泣き声を耳にして様子を見に来たのだと言っていたのではなかったか。


 自分の背より高い草むらをかき分け顔を出した少女の『どうして泣いてるの?』と話しかけてくれた姿が一瞬脳裏を掠める。

 そうだ、あの子の髪も、セレンと同じ優しい春の花のようなピンク色だったのではなかったか。そう思い出しかけて。


「痛っっ…………!!!」


 脳を激しく揺さぶる様な激痛でその場にしゃがみこんだ。激しい痛みで、浮かんでいた筈のあの子の姿が記憶から霧散して消える。

 ガンガンと鈍器で頭を殴られているような痛みに堪えながら、何故いつもこうなるのかと頭を抱えた。


 『記憶に靄がかかる』なんて表現はよく耳にするが、どんなに思い出そうとしてもその都度こうしてまた消えてしまうなんて最早そのレベルじゃない。これでは靄がかかるというより、記憶に鍵がかけられているみたいだ。それも、自分以外の誰かの意思で。


「なんて、まさかな……」


 他人の記憶を自由に操るなど出来るわけがない。浮かんだ予想に自分であり得ないと失笑しつつよろよろと立ち上がって再び歩きだす。


 過去に浸っている暇はない。

 今は彼女に会いたい、見つけたい。隣にいないことが、こんなにも落ち着かないなんて。


「何処に居るんだ、セレン……!」


 お前に何かあったら、俺は……!そう呟いた時。


「うっ、ぐすっ……」


「……っ!」


 不意に風に乗って聞こえた、弱々しいすすり泣きにハッとした。今にも風にかき消されそうな、必死に泣くのをこらえているような弱々しい泣き声。声音なんてほとんどわからないのに、ハッキリとセレンの声だとわかって走り出す。

 木々をかき分けたどり着いたそこは、断崖絶壁の崖だった。木が無くなり森の中よりは少し見通しがよい場所。すすり泣きは確かにこの辺りからなのに、おかしい。セレンが居ない。


 まさかと地面に足をついて、崖上から下を覗き込む。遥か下の茂みに見えるピンク色の髪に、サッと血の気が引いた。しゃがみこんで、彼女が気づくまで何度も名前を呼ぶ。


「セレン!!!」


「……っ!ガイア!?」


 三回目の呼び掛けで、セレンはハッとしたようにちゃんとこちらを見上げた。ふにゃりと泣き笑いになった彼女の表情に、泣いていたのかと胸が締め付けられる。今すぐその隣に駆けつけたいと強く思った。


   ~Ep.22 護りたいもの~


  『義務でも使命でも恩義でもなく、護りたいのは彼女だけ』




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