Ep.8 桜の刺繍が繋ぐもの・中編

 翌日の早朝、ナターリエ様は本当にやって来た。生まれてこの方お目にかかったことがないような絢爛豪奢な馬車が我が家の門の前に止まり、そこから宝石がふんだんにあしらわれたドレスをまとったナターリエ様が優雅に降りてくる。


「ガイアス、久しぶりね!セレスティア様も、いきなりお尋ねして悪いかったね、出迎えご苦労様」


「お変わり無さそうで何よりです、ナターリエお嬢様」


「ようこそいらっしゃいました、ナターリエ様。歓迎致しますわ」


 いきなり来て悪いと思ってるならもう少し早めに連絡してよね!と怒りたい気持ちは抑えて膝を折る私に、ナターリエ様はにっこり笑った。


「固くならないで頂戴。あれから記憶の方はどうかしら?」


「あまり変化はございませんね。お役に立てず申し訳ございません」


 すべてを見透かしたようなその瞳にどきりとしたけど、ナターリエ様は『そう、残念だわ。でもまだ猶予はあるものね』とさらっと流してくれた。良かった……。


「ええと、ところでナターリエ様は本日は何故こちらに?」


 本来ならば、公爵家であるナターリエ様がうちみたいな辺境貴族の領地の行事を視察しにくる必要なんて全くない。それなのにわざわざ“今日”を指定して現れたってことは、もしかしてガイアの誕生日を祝うために来たのだろうか?もし、そうなのだとしたら。


(ナターリエ様も、ガイアの事を……)


 そんな私の嫌な予感を肯定するように、私の目の前でナターリエ様はガイアの腕にご自分の腕を絡めた。


「手紙に記した通りよ、たまたま近くに立ち寄る用があったものだから様子を見に来たの。収穫祭なんてはじめてだから楽しみだわ。ねぇセレスティア様、今日は1日彼を私の騎士として連れていってかまわないかしら?」


(ーっ!まだ第一王子との婚約は破棄されてないはずなのに……!)


 でも、自分よりずっと身分が高い公爵令嬢からそう言われたらこちらに“否”はない。

 何より、当のガイアがそれをいつになく優しい微笑みで受け入れているのだから、私からはもう何も言えないじゃないか。

 見ているのが辛くて、然り気無く寄り添う二人から視線を逸らした。

 

「……もちろんですわ、ナターリエ様。では、今夜のお食事は……」


「もう摂る場所は決まっていますの。ガイアスも同伴させますから、彼の分も今夜は用意しなくて結構ですわ。さぁ、行きましょう」


「ええ。じゃあセレスティア嬢、失礼する」


「あっ……」


 離れていく彼の背中に右手を伸ばしそうになって、咄嗟に反対側の手で押さえ込んで。

 弟達も皆収穫祭に行っていてもぬけの殻な屋敷に、逃げ込むみたいに駆け込んだ。


 キッチンには、下ごしらえだけ済んだご馳走の材料が並んでいる。


「モブの分際じゃ、『お誕生日おめでとう』ってお祝いしてあげることも出来ないのかな……」


 でもガイアは、私達に祝われるよりナターリエ様とデート出来た方が嬉しいのかもしれない。だったら私に出来るのはもう、今日が彼にとっていい誕生日になるように祈ることだけだ。


「本当、惨めだなぁ私……」


 じわっと滲んだ涙を誤魔化すように、エプロンを抱き締めてソファーに身を投げる。夕べ眠れなかったせいか、睡魔はすぐに襲ってきて。

 結局私は、エプロンを抱き締めたまま寝入ってしまったのだった。















ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「お嬢様!セレスティアお嬢様、起きて下さい!大変です!」


「えっ……?んんっ、アーチェ、どうしたの……?」


 騒がしい声に叩き起こされ開いた薄目に赤い夕日が眩しい。どうやら、ほぼ丸1日ふて寝に費やしてしまったようだ。


「どうしたのではございません!収穫祭の会場の一部が賊に襲われ、ガイアス様がお怪我をされたそうです!」


「え……!?」


 アーチェのその言葉に、心臓が朝の比じゃない位に激しく傷んだ。








 収穫祭の会場は屋敷から近い。現場に駆けつけると、肩から胸の辺りに包帯を巻かれたガイアが他の兵士に事情を説明していた。


「ガイア、大丈夫!?」


「ーっ!セレスティア!?」


 駆け寄った私に、ガイアがびっくりして目を見開く。その隣に、ナターリエ様の姿はなかった。


「一体何があったの?傷は大丈夫!?それに、ナターリエ様は……?」


「……近くに第二王子であるマイケル様の別荘があるから、ナターリエお嬢様はそちらに避難したよ。どうやら賊の狙いはお嬢様だったらしくて、出店の主人に化けて待ち構えていた。買い物中に突然斬りかかられて一撃貰っちまったよ。油断していたとはいえ、失態だった。……傷は大したこと無いんだ、お前達にまで迷惑をかけてすまなかったな」


(……っ!?つまりナターリエ様は、自分狙いの賊と戦ってくれて怪我したガイアをほっぽって一人だけ安全な、しかも他の男の所に避難しちゃったわけ!?)


 果たして彼女はガイアの自分への好意を知っているんだろうか。いや、知ってても知ってなくても、こんな仕打ちはあんまりだ!と怒りがこみ上げる。


 後悔で痛ましげに顔を歪めているガイアだけど、目撃者から話を聞くに彼は不意打ちで襲いかかってきた10名近い賊をたった一人で倒してあっという間に捕縛してしまったらしい。きっと彼があの場に居なければ、被害はもっと甚大になっていただろうと言うことだった。

 思わず怪我をしていない方の腕に掴みかかる。


「迷惑なんて思うわけないでしょ!?」


「ーっ!?せ、セレスティア……?」


「もうっ、馬鹿、馬鹿、本当に馬鹿!!!」


「……っ、何だよ、そこまで言うこと……っ」


 声を荒げようとしたガイアが押し黙った。私が彼に抱きついたからだろう。


「無事で良かった……!」


 涙声の私の言葉にに、彼はもう一度だけ『すまなかった』と呟いた。







 とりあえず賊は皆捕まったし、ガイアの傷も本当に浅くて大したことはないと言うことで、私たちは二人でいっしょに屋敷に帰宅した。

 きっと疲れているだろうからと彼には先にお風呂に入るように促して、その間に洗濯しようとガイアの脱いだ服を手に取る。その際、はらりと一枚の布が床に落ちた。何だろうと拾い上げて、ハッと目を見開く。

 ガイアが家で暮らし始めた初日に“宝物”だと見せてくれたそのハンカチは、丁度昔私が刺繍で直した辺りが見るも無惨に切り裂かれてしまっていたのだった。桜の刺繍なんて、もう見る影もない。


「酷い……っ」


「……丁度賊に切られた胸ポケットにしまっていたんだ、仕方がないさ」


「ーっ!」


 思わず呟いた私に、風呂上がりで濡れた髪をタオルで拭きながらガイアが答える。その顔は笑っているけど、明らかに悲しそうだった。

 戸惑っている私の手から、彼がハンカチを取り上げる。


「ちょっと待って、それどうするの!?まさか、捨てちゃうの……?」


 恐る恐る聞けば、何かを噛み砕くようにぐっと一度強く目を閉じてから、ガイアは頷いた。


「……ナターリエから、破けたのは過去に囚われず未来に進む機会を与えられたのだと思えと言われたからな。それに、ここまで破けてしまってはもっともう直しようがないだろう。これと同じ色の糸は、もう生産されていないのだから尚更だ」


 『そんなこと無いわ!』と言うより先に、ハンカチをバサッとくずかごに投げ込んだガイアは逃げるようにリビングから立ち去ろうとする。咄嗟にその手を掴んで、聞いてみた。


「あの、ガイア、今日ナターリエ様から言われたのって、それだけ?」


「……?あぁ、そうだけど、なんでだ?」


「あ、ええと、その……」


 心底不思議そうに聞き返されて、もしやと朝とは違う嫌な予感が首をもたげる。怯んだ私が言い淀んでる間に、ガイアは『用が無いなら寝るぞ』と再び歩き出してしまった。

 今はもう夜の10時、“今日”が終わるまであと2時間しかない。


「あっ、が、ガイア!」


「はぁ……、今度はなんだ」


「ええと、もうすぐルカとルナの誕生日なんだけど、そう言えばガイアの誕生日っていつかなと思って!!」


「はぁ!?」


 振り向いたガイアが、いきなりなんだとばかりに顔を歪める。ドキドキしながら返事を待つ私に、彼はさも当然のように答えた。

 『知らないよ』と。


「生憎忌み子なもんでな、生まれてこの方“誕生日”なんてものには縁がないんだ」


 『祝うなら弟達だけ祝ってやるといい』と笑って、今度こそ彼も去っていった。


 つまりナターリエ様は、彼の誕生日を知っていながら祝ってあげたこともなければ、今日彼のお祝いのためにここにきた訳でもなかったのだ。

 挙げ句の果てに、片想いの相手を庇った時に破けてしまった宝物も自ら捨てるだなんて、そんなの悲しすぎる。


「誕生日って、もっと幸せな日じゃなきゃいけないんじゃないの……?」


 くずかごから、グシャグシャに捨てられた空色のハンカチを拾い上げる。


 これは、私にとっても大切な思い出の品だ。捨ててほしくないし、何より……せっかくの誕生日だ。ひとつくらい、彼が喜ぶことをしてあげたい。


「この程度のダメージなら、材料さえあれば直せる。けど……」


 確かに、私がこのハンカチに桜の刺繍をしたときに使った糸はもうどこにもない。裁縫箱にあるたくさんの他の糸と色を合わせてみても、同じ色味のものはひとつもなかった。


 どうしよう、似た色の糸で代用しようかとも思ったけど、その度に悲しげなガイアの顔がちらつく。

 やっぱり、せっかく直すんなら元通りが一番だよね。……同じ色の糸。新品じゃないけどあるんだ、“ここ”になら。


「……お母様、ごめんなさい」


 亡き母にそう謝って、エプロンの刺繍をそっとほどいた。


    ~Ep.8 桜の刺繍が繋ぐもの・中編~



 

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