Ep.6 忌み子と呼ばれし青年の忘却

『漆黒の髪は、不幸を呼び寄せる忌み子の証だ』


 俺が覚えている肉親の声は、心底忌々しげに呟やかれた実父のその言葉のみだ。



 俺は両親の顔を覚えていない。侯爵家に生まれ落ちたそうだが、屋敷の景色も知らなかった。僅かに脳裏にあるのは、幽閉された地下室のカビの臭いと暗闇だけ。そこが俺の世界だった。






 転機が訪れたのは生まれてから五年程を暗闇で過ごした頃だ。突然、実家の遠縁に当たると言う子無しの下級貴族の老父に引き取られたのだ。

 そこで初めて”外“に出た。初めて俺が目を合わせて言葉を交わした相手となった老父は優しく、まともに言葉すら知らなかった俺に愛情を注いでくれた。己の誕生日すら知らない俺に、『うちの子になった今日が新たな誕生日だ』と綺麗な空色のハンカチーフも貰った。

 新たな生活に、ほんの少しだが、俺は”希望“と言うものを見たのだと思う。

 だけど、同時に老父以外の者達から赤裸々に向けられる嫌悪感と冷ややかな眼差しに、改めて自分の容姿が忌み嫌われるものだと。俺が”忌み子“だと改めて、自覚した。




 自分と居ると、老父まで異端者に扱われる。

 程なくしてそれを学んだ俺は、毎日をほとんど屋敷の中で過ごした。勉強をして、体を鍛えて、時には書庫にある童話を読んで、幸せな童話の世界に少しだけ、憧れた。


 寝ている間に現れて物を作ったり直してくれる、小さな妖精達の物語。当事特に気に入っていたその絵本を読んでいたある夏の日だ。

 その日は特に暑かった。だから何の気なしに、老父に貰ったハンカチーフで汗を拭おうとしたのだが、誤ってそれを窓から飛ばしてしまったのだ。風に乗ってしまったハンカチーフは、隣接する伯爵領に続く森へと飛ばされていった。

 老父は留守だし、屋敷の使用人にも嫌われていて頼めない。仕方なく、ハンカチーフを取りに俺は一人で森へと入った。





 ハンカチーフは、森の中腹あたりの大木の枝に引っ掛かっていた。しかし、背伸びをして取ったのは良いがその拍子に破けてしまったのだ。自分でも驚くくらいにショックで、その場で泣いてしまったのを覚えている。


『泣かないで、わたしがなおしてあげる!』


 どれくらい森で泣いていたのか。

 気がついたらその子はそこに居て、破けたハンカチーフを俺の手から受け取り、拙いが丁寧な手つきで破れ目を縫い合わせて、破けた部分に刺繍を施してくれた。 生まれてこのかた見たこともない、淡いピンク色の不思議な花の刺繍を。


『すごいや、君はおとぎ話の妖精のようだね!』


 そう感謝した俺に、彼女が何と答えたのか、そもそも、彼女がどんな顔をしていたのかすら、もう思い出せない。当たり前だ、だって彼女と共に過ごしたのは、結局あの1日だけだったから。

 だけど、他の者達とは違い全く怯えず歩み寄ってくれた優しい声と、ハンカチーフに刺繍された花と同じ、優しいピンク色の長い髪だけは、今でも時たま思い出す。






 その翌日だった。“忌み子”でありながら幸せに触れた俺に、バチがあたったらしい。

 屋敷が盗賊に襲われたのだ。老父は俺を屋敷の裏手から逃がした直後、賊に切り捨てられ、亡くなった。俺も頭を強く殴られ、生死の境をさ迷った。本当は、そのときに死んだ方がよかったのだと思う。

 目が覚めた俺を待っていたのは、『引き取られた屋敷に不幸な事件を呼んだ悪魔』と言う更なる悪意で。 老父の遺産のお陰で治療こそ受けられたが、正直生きる気力も失くしていた。傷ついた心を守る為の防衛本能か、事件より前の記憶は、靄がかかったように思い出せなくなっていた。



『やっと見つけた、私の未来の騎士!』


 周りからぶつけられる悪意の連続に人間不信になった頃、ナターリエは俺の前に現れた。


『ずっと探していたわ、私の幸せには貴方が必要なのよ』


 そう言って笑った彼女の髪は、朝日のように煌めく金色で。夜闇のような漆黒の忌まわしい俺の髪とは正反対の色を持つ少女のその言葉に、俺は初めて、『生まれてきてもよかった』のだと価値を貰った気がした。


『忌まわしい過去など、辛いならすべて捨てておしまいなさい。これから貴方は私の騎士となって、私の為に生きるのよ』


 そう、だからあの日、俺は昔の自分は捨てた。初めて俺を“必要”だと言ってくれたナターリエの幸せのためならば、どんなことだって出来ると思った。

 あの刺繍の少女のことを忘却の彼方に捨てた時、心臓が鈍く軋んだ音は……聞こえなかったふりをした。











「「ガイア!おきろーっ!!!」」


「ぐぁっ……!げほっ、だから毎朝人に飛び乗って起こすのは寄せと言ってるだろうが!!!」


「「ガイアがおこった!にげろーっ!!!」」


「あっ、こらっ……たく、まぁいいか……」


 古いし貴族の屋敷にしては狭いが、妙に落ち着く一人部屋からはしゃぎつつ逃げるように飛び出していった双子の姿を見送り、ため息をひとつ。この奇妙な朝にも大分、慣れてしまった。




 幼き日から月日は流れ、18歳。努力が認められ騎士となった俺は、一つ年下のナターリエが学院を卒業するのを待ち望んでいた。結ばれることは叶わずとも、祝いの席に乗じて想いを伝えるくらいは構わないだろうと。


 しかし、蓋をあけてみればどうだろう。めでたい筈の卒業パーティーで馬鹿王子がやらかした婚約破棄騒動のせいでナターリエが貴族いじめの罪人にされかけてしまったのだ。

 彼女の無実を証明する鍵となるのは、なにやら頼りなさそうな地味な伯爵令嬢のみ。色々あって、俺は彼女が事件の記憶を取り戻すまで彼女の屋敷で共に暮らすことになってしまったのだった。


(はぁ、折角ナターリエの婚約がなくなったこのタイミングでなぜ俺が王都を離れればならないんだ……!)


 はじめはわざとキツく当たり件の令嬢・セレスティアに嫌われてしまえば任を解かれて王都に戻れるであろうと踏んでいたのだが、何故こうして彼女の屋敷で彼女の弟たちに毎朝起こされる日々を送る羽目になったのか……心底解せない。


(が、流石に母を亡くしているとは知らずに彼女に酷いことを言い過ぎてしまったしな。これ以上キツく当たるのは流石に可哀想だろう)


 それに……と、彼女と(不本意ながら)和解するきっかけとなった“双子失踪事件”の日に、王都でナターリエの側に残っている友人から届いた手紙を指先でなぞった。


『わざと嫌われんのもいいけど、態度で王から賜った任を解かれたら査定に響くだろ?それよりもいい方法がある。うんと優しくして、例の証人を落としてしまえばいい』


『自分に惚れた女ほど、利用しやすい者はないよ?』


 軽薄だと名高いが、実はナターリエにベタ惚れで他の女は遊びにしか使わない彼らしい実に下衆な発案が記されたその手紙を握りしめる。


 そうだ、多少良心は咎めるが、俺は1日も早く王都へ……ナターリエの元へ帰りたい。だから。


「ガイアーっ、ごめん、開かない瓶があるから開けてーっ!」


「……っ、あぁ、今行く!」


 聞こえてきた声に、グシャグシャになった手紙を鞄の底へと押し込む。


 共に暮らす提案を受け入れたのも、要求されたように名前で呼ぶのも、兄弟や彼女自身に優しくするのも、全ては早くナターリエの無実をお前に証言してもらう為だ。だから。


「ほら、開いたぞセレスティア」


「わーい、ありがとう!やっぱり家族に大人の男手があると違うよね~。さぁ、ジャムの瓶も空いたし朝ごはんにしましょ!」


 利用価値がある間は、こんな些細な望みくらいいくらでも叶えてやるよ、無邪気なお嬢様。


「それにしても、やっぱりガイアは私のこと”セレン“って愛称で呼んでくれないのね」


「愛称なんて呼べるわけがないだろう。名前を呼び捨ててるだけで十分譲歩したんだぞ」


「はいはい、わかってますよー。あっこら、ルカったらまたこぼして……ほら、お口ふきなさい!もーっ、ガイア、そこのタオル取ってーっ!」


「ったく、はいはい。朝から騒がしいな本当」


 愛称なんて呼べるものか、所詮は仮初の関係だ。……なんて呟きを飲み込んで、たっぷりはちみつとジャムがかけられた胸焼けしそうなパンケーキを口に運ぶ。すっかり慣れた甘ったるいそれが、今朝だけは妙に苦いと感じた。


   ~Ep.6 忌み子と呼ばれし青年の忘却~


   『その優しさは打算か、それとも……』

   







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