第85話 深夜の来訪者2



「っ、お姉さま……」

 赤面するシオンを皆で愛でた後、ヨウコとスンスンが用意したお茶を全員で飲みながら雑談している最中にシオンがツバキに持たれかかった。


「シオン? ――皆さんごめんなさい、私達は先に部屋に帰りますわ」

 朝方に飲んだAランクポーションの効果が切れ、邪神の呪いがシオンの体を蝕み始めたのだった。

 ツバキは早すぎると唇を噛みながらも、すぐさまシオンを抱きかかえてリビングを後にする。

 シオンが邪神の呪いに掛かっていることはスンスンら使用人全員に伝えてあった。しかしシオンの元気な姿を見ていた彼女達はそこまで深刻な状態ではないと思っており、シオンが急にぐったりした様子を見せたことに驚きを露わにしていた。


「シオンお姉ちゃん、苦しそうだったの」

「大丈夫なのでしょうか、コン」

「……本来なら問題。でもヤマヤマが一緒だから大丈夫。心配は不要」


 シルフィーネは初めシオンが邪神の呪いを患っていると聞き驚いていた。通常であれば生きているだけでも奇跡に近い難病。シオンが普通に行動できている理由の心当たりはヤマトだけであり、ポーションに詳しくヤマトの魔法で生み出されたBランクポーションを見ていたシルフィーネはヤマトの魔法がBランクポーション以上の作成もできる可能性を考慮していた。


「ご主人さま達もお休みですから私達もお暇を貰いましょうー。皆さん明日も早いですよー」

「はいにゃ、朝ごはん楽しみにゃ」

「朝食の買い出しがありますからメイプルさんもちゃんと起きて下さいね。コン」

「大丈夫にゃ! 魚は鮮度が命にゃ!」

「……朝から魚は買いません。パンを買いに行くんですコン」


 ヤマトから買い出しの時の荷物持ちに任命されたメイプルは朝市に出るであろう新鮮な魚を想像して涎を垂らしていた。しかしヨウコから買わない宣言を受け猫耳がしおしおと垂れた。ヤマトが見ていたらメイプルだけ魚でいいと言っていそうだと各々が思いながらも何も言わなかった。


 パンは毎朝、日が昇る前に焼き上げられるため貴族や豪商などは朝から焼き立てを食べ、平民は昼頃に時間が経った売れ残りを安い価格で購入していた。

 ヤマトに提供するものは値段ではなく美味しさであると言われているため、ヨウコは貴族御用達の平民ではなかなか手が出せないこの街一番のパン屋さんに焼き立てのパンを買いに行くつもりであった。


「シアも何か手伝うの!」

「ミーシアさんは孤児院の子供達が来たら案内をお願いしますねー。シルフィさんはご主人さま達を起こしに行ってくださいー」

「わかったの!」

「……任された」


 孤児院の子供達が朝一番で水汲みに来るため、面識のあるミーシアには案内と言う名の監視が任せられ、使用人の中で唯一二階に上がることが許可されているシルフィーネには万が一ヤマト達が起きて来なかった時の連絡係が任せられる事となる。

 ツバキとシオンがいる以上そのような事態に陥ることはあり得ないとスンスンも理解はしていたが、シルフィーネは一階と二階を繋げる重要な連絡係であった。


 ◇


「――すみませんー。少し失礼しますねー」


 スンスンの指示の元、明日の打ち合わせを終えて各員が部屋に戻る前にお茶を飲んでしまおうとしている最中、唐突にスンスンが立ち上がり部屋を出て行こうとする。


「なんにゃ? ご主人様に夜這いにゃか?」

「そんなところですー」

「……そこは否定して。……本当ならついて行く」

「冗談ですよー?」


 真剣な表情で立ち上がるシルフィーネに苦笑しながらペコリと頭を下げたスンスンが足早に部屋を出て行く。残ったメンバーが何事かと思う反面、今日一日のスンスンの動きから何かしらの仕事が残っていて終わらせに向かったのだと推測した。

 ヨウコが立ち上がり手伝いに向かおうとするが、シルフィーネに止められメイプルとミーシアのお世話を言い付かる。

 孤児院では日が暮れると灯りを節約するために就寝になっていたのでミーシアはいつもであれば既に寝ている時間であった。口では元気でも体力は子供であり身体がフラフラとしており目をこすって睡魔と戦っていた。

 ヨウコはミーシアをメイプルに任せるのも気が引けたためシルフィーネの指示のまま二人を部屋に連れ帰ることにした。




 スンスンが一人で足早に向かうのは勝手口。調理場から裏庭に回ることができる裏口である。そこから裏庭に出たスンスンは暗闇を真っ直ぐに見つめていた。

 街中で夜に光を灯すのは限られた場所だけであり、屋敷の周囲には灯りは用意されておらず、現在は曇っていることもあり辺りは暗闇が覆っていた。

 正面門の方には商業ギルドが用意した警備員が持つ灯りが周囲を照らしていたが、屋敷の裏側は離れた位置に配置された警備員以外は時折巡回で周る者しかいなかった。

 そんな暗闇の中の一点を見つめスンスンは一歩前に踏み出した。


「深夜のご訪問はご遠慮くださいませー。旦那様は既にお休みですー。緊急の御用があるのでしたら私がお伺いしますよー?」


 スンスンの声が闇に吸い込まれ、返る音はない。風もなく虫の囁きもない珍しい夜。スンスンの声が途切れ静寂が訪れる。そして静寂が満ちたその時、スンスンの胸に細長い棒状のナイフが突き刺さる。

 風切り音はなくトスっとスンスンに刺さる音のみが鳴り、気付いた時には既に刺さっていた。スンスンは二歩、三歩と後退して屋敷の壁に背中を当てて動かない。


「――バカな女め。気配に気付いたのは褒めてやるけど、ただの女が蛮勇を晒せば結果は見えているだろうが」

「黙れ。任務中に無駄話するな」


 動かなくなったスンスンの傍に暗闇から黒ずくめの男二人が音もなく現れた。マントを羽織り、黒い布を顔に幾重にも巻いており表情は見えない。


「ハッ、どうせ気付いているヤツはいねぇさ。どうやってコイツが気付いたのかは知らねぇが、誰にも報告していないみたいだしな」

「――報告する必要はありませんからー」

「「ッ!?」」


 スンスンの死を確認しようと一人の男がスンスンに近寄り、もう一人の男は勝手口から中に入ろうとしていたところに絶命したはずのスンスンが声を発し驚きを露わにする。しかし、暗殺者としての経験がすぐさま動揺を鎮め攻撃に転じさせる。

 スンスンの傍にいた男は流れるような動作で腰の短刀を抜き、目にも止まらない速度でスンスンの首筋に薄刃の短刀が振り下ろされた。壁に背中を預けたままのスンスンに動きはなく、男の攻撃に対応できる術はなかった。

「(取った!)」


 パキンッ!


 振り下ろされた短刀はスンスンの首に当たり折れた。暗殺者として武具の手入れを怠ることはない。名工の作とまでは言わずとも数打ちの安物ではない短刀が中ほどで綺麗に折れていた。その事実に僅かな動揺が男に流れ、すぐさま別の暗器を取り出そうとするが――スンスンの指が動く方が早い。

 スンスンの指が動いた瞬間、男は突如身体が動かなくなり暗器を取り出そうとした体制のまま地面に倒れる。


「――」 


 その明らかな異常事態にも臆すことなく、もう一人の男は両手に6本の細長いナイフを取り出しスンスンに放つ。

 ――いや、放とうとした。

 男は投げようとした姿のままピタリと止まり、布の間から覗く瞳は驚きから見開いていた。

 そして視線をスンスンから自身の体に向ける。するとそこには通常では見えないであろう細い糸が幾重にも複雑に絡まっていた。暗闇でも見えるように訓練された瞳でさえ凝らさなければ見ることができない極細の糸。


「ッ! こ、これは! 糸、まさか操糸術!? き、貴様!」

「暴れないでくださいねー。解けなくなると絞め殺すしかなくなりますからー」


 なんでもないことのように言うスンスンの言葉に嘘偽りを感じず、そして戸惑うことなくヤルことを男は理解した。


「――だからなんだ。捕まって死ぬも絞め殺されるも変わらん。ならば貴様の技量と争うまで!」

「では眠ってくださいねー」

「――」


 男が覚悟を決めて糸の捕縛から脱出を試みようとするがスンスンの指が少し動いた途端、騒がしかった男が急に黙り込んだ。そして地面に倒れ込む。

 その様子を静かに見て機会をうかがっていた最初の男もふっと視界が暗転して意識を手放した。

 

 パチパチパチパチ。


 男の暗殺者二人を一瞬のうちに無力化したスンスンが笑顔のまま暗闇を見続けていると、暗闇から拍手が鳴り一人の小柄な男が出て来た。


「おみごと。まだわかいのにたいしたぎりょうだな」

「……同族の犯罪者が来るとは驚きですー。小人族の品格が落ちるのでご主人さまに会わせるわけにはいきませんねー」

「いってくれるねぇ。でもじょうちゃんじゃ、おれにはかてないぜ?」

「そうでしょうかー?」

「へへ、じょうちゃんもいとをつかっているみたいだけどな、おれはレベルがちがうぜ? じょうちゃんのほそうでではあつかえないいともおれはあつかえるのさ」


 小人族の男――ペテペテが腕を振ると暗闇に複数のナイフが浮かび上がる。そしてそのタイミングで雲の隙間から月明かりが差し込み、ナイフの刃がキラキラと輝いていた。


「十八本ですかー。なかなかですねー」

「……じょうちゃん、こうふくしな? おれもどうぞくをころしたくはねぇ」

「いえいえ、大丈夫ですよー。その程度のお遊戯で怪我をするわけがありませんからー」

「――そうかい。なら、こうかいしな!」


 スンスンの挑発に気持ちを切り替え、ペテペテは即座に腕を振るう。長々と問答を繰り返す暗殺者はいない。そしてやるからには最速で痛みを感じさせずに仕留めるのがせめてもの慈悲。ペテペテの腕の動きに合わせてナイフが放たれ――クルリと反転してペテペテの周囲へ突き刺さる。


「ッ! なに!?」

「ダメですよー、操るなら隙をみせたらー。空中に浮かせるなんて見た目だけで隙だらけですよー、自由にしてくださいと言っているようなものですー」

「おれのいとをうばったのか!?」

「あんな太いだけの糸いりませんよー。それに動作が拙いですねぇ、それでは賞金首の名が廃りますよー? はい、捕縛ー」

「なにを、ぎゃっ! ――すでにしゅういにひろげていたのか!? ありえん! ッ!? このいとは! おまえ、まさか――」

「はーい、黙ってくださいねぇ、この屋敷には地獄耳の御方が居られますのでー」

「――」


 スンスンが指をクルクルと回すとペテペテの体が硬直してその場に倒れた。すでに意識はなく、抵抗は皆無であった。

 侵入者三人が倒れる裏庭にスンスンが一人立ち尽くす。辺りを伺い他に潜んでいる者がいないことを確認してから勝手口の方へ視線を向ける。


「……殺したの?」

「いえいえー、ご主人さまのお屋敷を汚すわけにはいきませんからねー。気絶させただけですよー」


 勝手口から姿を現したシルフィーネの問いに笑顔で答えるスンスン。初めから付いて来ていたことは把握しており、シルフィーネも気付かれていることは理解した上で万が一の場合に助太刀に入ろうと身構えていた。しかし助太刀の必要はなくスンスンの実力に脱帽するばかりであった。


「……スンスンは何者?」

「ご主人さまのメイドでー、お屋敷のメイド長を任されてますよー」


「――では、主様の敵勢力に属するものですか?」


 スンスンの背後にはツバキが立っていた。音も気配もなく突如として現れ、スンスンもシルフィーネもまるで気付けなかった。

 そしてツバキの問い、ただの問いかけであり殺気も何も感じないというのにスンスンの額からは汗が流れ落ちる。


「もちろん違いますよー。私はご主人さまのメイドですー、それ以上でもそれ以下でもありませんよー」

「そうですか。……私も主様が気に入っている者を消すのは不本意なので、敵対する時は前もって言って頂けると手加減が出来るかも知れませんわよ?」

「分かりましたー。ないと思いますけど、覚えておきますねー」

「ええ。貴女には期待しておりますの。ですから二心を抱かないで欲しいですわね」

「私もご主人さまに期待していますから敵対はしたくありませんよー」

「ふふふ」

「あははー」


「……二人の会話が怖い。……私だけ?」


ツバキとスンスンの笑顔に体を震わせるシルフィーネの姿がそこにあるのだった。

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