似た者同士の本音

「あ~あ、本当に死ねばいいのに」


 思わず出た独り言にはっとするけれど、幸いにもその物騒な『本音』は満員のファミレスでは喧騒に飲み込まれて誰の耳にも届くことはなかったようだ。


 目の前に居るただ一人を除いては。


「同感だね。相手は違うけど」


 目の前に居る男は自身が注文したコーヒーを一口飲んでからそう返した。


 コトっという音が染み一つ無い白いテーブルの上で響く。


「だいたい、男の一人暮らしの家に上がりこむなんて、それも恋人のいる男の家になんて、本当に無神経な女だわ、まったく」


 私の愚痴に男の片眉がピクリと反応する。


「いやいや、そもそもまだ十代の少女を家に入れるなんてロリコン男の方に問題があると僕は思うね、無神経なのはあいつの方さ」


 その言葉に私も反論する。


「勝手に来たのはそっちでしょう?あの人は仕事で疲れているのに無理矢理叩き起こして、起き抜けに頭突きをくれるなんて非常識だわ」


 男も負けじと反駁する。


「そもそも君の彼氏が約束の時期に曲を作り上げないのが原因だろ?それに振り回される彼女の方が可哀想さ」


「曲は完成してたわよ、それをあんたの女がああでもない、こうでもないと言ってリテイクを繰り返すから遅れたの!」


「それに君の彼氏は応じただろ?出来ないことはしない、約束は守る。社会人として当たり前のことだとおもうけどね…おっと、失礼、君の彼氏はフリーターだったね、気楽なその日暮らしにはわからない感覚だったかな?」


「そうね、国立大学の頭の良い学生と高校ドロップアウトの学生カップルと違って大人には色々思い通りには行かないことがあるってわからないものね」 


 休日の昼下がり、家族連れや友人、そしてカップルで賑わう店内でそのどの関係にも当たらない私達は黙ってお互いをにらみ合う。


「……やめましょう、不毛だわ」


「ああ、そうだね…本当にそうだ…不毛だね」


 決して短くは無い対峙のあとにため息混じりに私達は矛を収めあった。


「だいたいヨっ君が曲作りは昨日で終わるっていうから張り切って準備してきたのに…上司に嫌味を言われながらも休みとって美容院にまで行って準備してきたんだから…なんでこんなことになるのよ」


「それを言うなら僕だって今日のために一か月分のバイト代をはたいてデートの後の高級レストランを予約したんだ」


「あなたの大学だと成績を維持するだけでも大変なのにバイトも入ってるなんて頑張ってるのね」


「ありがとう…でもそれは彼女に言ってもらいたいよ」


 中途半端な罵り合いを経て、今度はなんとも無さけない告白へと移っていく。


 そして明るい店内の雰囲気と真逆のネガティブになる気持ちに負けてお互いに無言で俯いてしまった。


 「難儀な関係だよね、私達」


 ポツリと言ったその一言にこいつも醒めたコーヒーの水面を覗き込みながら無言で肯定する。


 それは私と彼、そしてこいつと彼女。 どちらにも掛かってしまう言葉だった。


 もう五年も付き合っている。 うぬぼれでも無く、過信でもなく私達はお互いに好意を持っている。 


 なのに悔しいことに、また腹立たしいことにあの人とあの女の関係はどう足掻いても私達とは築きようも無い次元の間柄なのだ。


 あの情熱の先、私達が魅了され、虜にされてしまったあの二人の共通の道の高みに私達はあがることなど一生できないだろう。


 才能という絶対的な壁が私達を阻む。


 いいえ、そんな陳腐な言葉では表現しようもない。


 もっと根本的な部分が私達には欠けていて、その部分だけは互いの相棒に勝つことなど出来やしない。


 私的な、あるいはちょっとした相手の好みなら私達はそれぞれの相手など比べようも無いくらいに知っているという自負もある。


 けれど、あの人たちの底の底、その二人の有り方の根っこの部分は凡人である私達には永久に到達し得ない、それにひどく嫉妬してしまう。 


 それは死ぬことなく続く苦痛にも似ていて、何も無い砂漠の上を、在るのか無いのかもわからない目的地へとひたすら歩いている感覚にも思える。


 かつて…ほんの数年前までは私達もその間柄をめざしたことがあり、そして挫折した。


 彼の好きなことを理解したいという想いから、自分なりに本も読んで好きなアーティストの楽曲を聞き込んだ。


 それについての知識を得るために出来るだけの努力を惜しまなかった。


 けれど、私がそれについて語るのを聞くときの彼は上機嫌なようで、でも何か困ったような、困惑したような色をその瞳に宿すのだ。


 それはほんの僅かで、付き合いが浅いのなら決して気づきはしないだろう。


 けれど彼が自身の感じていることと私がズレていることに気づき、そして恋人である好意によってそれを気遣って隠そうとしていることを正確に理解した。


 皮肉なことに愛しているからこそ、それに気づいてしまう。


 そして目の前にいる男も私と同じ道を辿ったのだ。


 もっとも男の恋人である少女は私の恋人とは違って、よく言えば素直、悪くいえば我が強いがゆえに男のズレた物言いに苛立ちを隠さなかったようだ。


 たまに見る痴話げんかといよりも一方的な罵倒(私にはそう見える)によって彼の好意は無残に切り捨てられてしまう。


 もっとも理解しがたいことに目の前の男はそれが彼女の良いところなのだと主張しているのだが…。


 ただそれでも少女がこの男に好意を持っていることはわかっている。


 それは本当に…なんというか稚拙にも思えるような不器用なやり方で、こちらが苦笑してしまうくらいなのだ。


 だが男はそれでもそれをちゃんと理解して少女のその捻くれた真意をちゃんと受け取ってくれている。


 それはそれで恋人同士なのだろうと思えるような関係だろう。


 こいつと私の状況は似通っている。 そういう意味で私達は似たもの同士なのだろう。


 お互いの恋人同士もまた同じだ。


 あの人とあの女は似ている。 それは表層的な物ではなくて…なんだろうか? 

 

 人間としての考え、在り方がそっくりなのだろうか? やはり私にはそれを言語化することが出来ない。 


 きっと目の前の彼もそうだろう。 それが私達の限界なのだ。


 だからこそあの人とあの女は私達の手の届かないところで深く繋がっているのが理解できて、私達はそれに愛憎を抱くのだ。


 あの二人を離れさすことは出来ないだろうか?


 今でも時々考える。 とくに彼があの女にしか見せない一面を垣間見た時に強く思う。


 前にこうやって話をしたときにこいつもそんなようなことを言っていた。


 そしてその方策をお互いに話し合ったこともある。


 だがそんなことは最悪なことになるのだと、二人とも頭のどこかでわかっていたので自然に話し合うことは無くなった。


 もし、私が…いえ私達が彼、彼女が向けるこちらの好意を賭けてそれを実行しようとしたところで、彼、彼女たちは互いの相棒を選ぶだろう。


 流行の歌や映画、マンガ小説でならば絶対無敵の愛もあの二人の間に確かに存在する何かを引き剥がすことは出来ない。


 頭ではなく心で理解できる。 悲しくなるほどに。


「まあ、だからといって何でも受け入れるわけじゃないけどね」


「えっ? なにが?」


 心の中で思った言葉は自然と口から発せられていた。


「別にこっちのことよ…いいえ、あなたも関係することよね…それじゃいっちょ行ってくるとしましょう」


 私は立ち上がり、いまだこちらをポカンと見つめている憎らしい女の恋人をまっすぐに見据えて、


「黙って待ってるだけじゃいつまでも終わらないでしょ?だから傍にいて少しでも重圧(プレッシャー)をかけてやるのよ」


「…ああ、そうだね…別にこっちだけが遠慮する必要もないからね」


 彼もまた私の言いたいことを理解できたようで、笑って立ちあがる。


 それは演技をするような今までとは違って、何か悪ガキめいた表情へと変わっていた。


 それはそう、まるであの女があの人と居る時にみせるような心地の良いものに。


「それで予約は何時?ほかの予定は無理だとしても、なんとしてでもそれに間に合わせてやるのよ、耐えることだけが愛じゃないでしょ?」


「ははは、確かに違いない、本当にそうだね」


 互いの分を別々に会計を済ませながら私は密かに自身に気合を入れる。


 もう一人もまた同じようにきりっとした顔をしている。


 一人ならばきっと私はこの場でずっと座り込んでいただろう。 もしかしたら泣いていたかもしれない。

 

 だがここには仲間が居たのだ。 もっとも憎たらしい女の恋人という存在なのだが、いまは彼が居たことで再び立ち上がることが出来た。


 結局のところ、私もこいつもまた一つの相棒という関係なのだ。


 相棒というのは社会的、あるいは私的に結ばれた恋愛とはまた違う、友情にも似た、でもまた少し違う奇妙な存在だ。

 

 それでも私にはまたこいつにとってもこの関係はそう簡単には切り離せないだろう。


 それは愛があるがゆえに離れられないお互いの恋人同士とはまた違った強固な代物なのだから。


 というより、良くも悪くもここまで腹を割って話せる存在は貴重だしね。


「それじゃあなたは高級レストランでディナー、私は彼の部屋で今日の分の埋め合わせをしてもらう…OK?」


「もちろん」


 店を出た私達はまるで戦いに赴くような心持ちで肩を並べて恋人たちのところへと向かうのだった。


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