スカートを覗いたら異世界でした
ずまずみ
第1話 ようこそ異世界へ
持て余している。
ナニを、とは言わない。けれど、やれ進路選択だの受験だのストレスが増えていく一方で、部活という捌け口を持たない俺は、高校二年目を持て余していた。
通学途中の満員電車に揺られながら、目の端で車内のめぼしい女性を物色する。
比較的乗り換えの盛んな駅に着くと、車内に閉じ込められていた人々が、堰を切ったように外へ勢いよく流れ出す。俺はその人々の流れに逆らわないように、それでいて少しだけ位置を調整しながら、ホームに降り立ちその勢いが収まるのを待った。
バンッ、と右肩に衝撃が走る。
それと同時に、チッという舌打ちが耳に入ってきた。
それもそのはず、再び電車に乗り込もうとした俺の右半身に、ホームの階段へと急ぐ彼女の右半身がぶつかったのだ。
脱色した髪色の彼女は俺の胸くらいの高さから俺を一瞬睨み付けると、そのまま急いで立ち去っていく。
ぶつかっておいてそれはないだろう。そう思いつつも、身体の奥底でマゾヒスティックなものが湧き上がるのを感じていた。
再び乗り込んだ車内で、先ほど右半身に受けた痛くもどこか柔らかい感触を、俺はひたすら反芻していた。
……持て余している。この退屈な日々を。
***
「こら白石ぃ!声が小さい!それじゃ何言ってるか分かんないぞ!!」
「……はい、すいません」
今日も今日とて前で怒鳴り散らしているのは、英語教師の中田。
そして、憐れにもターゲットにされて、今にも消え入りそうな声で返事をしているのは
そんなんだから人気者なんだろうって?
そりゃ去年転校してきた当初は俺たち男どもはざわつき、女子連中も囲ったものさ。だけどああして常に男に向ける怯えたような視線、あれを学年カースト一位の男子にまで向けちゃったもんだから狙ってた男どもに距離を置かれ、女子連中の興味も冷めて陰口を叩かれる始末だ。
「だから、何を言ってるのか分からないんだってば!」
「……すみません」
小せぇのはおめーのブツだろうが。
心の中でそう毒づきながら、頬杖をつき、目の前に座る女子のうなじを眺めて暇を潰す。
「あー、もうみんなの授業時間のムダだね、はい近藤!」
中田はわざとらしく肩をすくめると、次の生徒を指名した。……って俺?
「うなっz」
「は?」
危ない、頭の中がうなじで一杯で、そのまま口に出すところだった。
慌てて黒板に書かれた白い文字に目を走らせる。whale?うぇー、ほえー、あっ、クジラか。でこっちは……。
「クジラは馬以上…じゃなくて、えーっと、馬並みではない……?」
意外と小さいんだな。そう一人で納得してると怒声が飛んできた。
「近藤!お前今まで何聞いてたんだ!!」
「おい近藤ー、さっきの英語の授業は災難だったな、何してたんだ?」
昼休み、一緒に弁当を食べていた武藤が話しかける。
俺は辺りを確認すると、武藤に顔を近づけ小声で答えた。
「前の女子のうなじを見てた」
「うなっ!?ブッッッッッッ」
「おい武藤、声が大きい」
武藤は吹き出しそうになる口元に手を当てながら、ゴホゴホと咳き込んでいる。そんなヤツを、俺は呆れたような視線で眺めた。
「ゴホッゴホッ、ごめんごめん……ゴホッでも、佐藤のって……お前相変わらず変態だな」
「うるせーな、中田がガミガミ言ってて暇だったんだよ」
「そういえば佐藤と言えば、昨日玄関の辺りで一瞬パンツ見えたんだぜ」
そういって、誇らしげな視線をこちらに寄越す。俺はわざとらしく溜息をついた。
「お前も相変わらず変態じゃないか。……で?」
「で?」
「何色かって話だよ」
「ああ、そういうこと」
「当たり前だろ?おい、勿体ぶるな」
武藤はニンマリと口角を上げると、顔を近づけてくる。それに合わせて俺も耳を傾ける。
「水色」
聞こえるか聞こえないかの小さな声にも関わらず、思わずおおー、と声が漏れる。
「だろ?」
「ああ、意外とかわいらしいな」
俺も武藤も、自然と表情が緩む。
笑いながら弁当のおかずを口の中に放り込む。
そのとき、ふと一つの疑問が浮かんできた。
「おい、どうした?難しい顔して」
「いや、白石のパンツの色は何色なんだろうと思って」
「おい、今度はそっちか、全く呆れた野郎だ。まあ俺も気になるけどさ」
「だろ?」
「よし、じゃあどっちが先に確認するか勝負な」
「負けたら?」
「エロ本奢る」
「よし」
こうしてつまらない勝負が成立し、つまらない日常にヒビを入れる。
階段の数段後ろから、白石を追う日々が始まった。
問題はすぐに浮上した。
他の女子に比べて、白石はスカートの丈が長い。
「男はハードルが高ければ高いほど、スカートが長ければ長いほど、燃えるってもんだ」
武藤にはそう強がってみたものの、やはり難しいことには変わりはない。
そのうち、やたらとつけ回す俺らを、警戒する素振りを見せ始めた。
万事休すか。けれど諦めたらそこで……。
追い求め続ければいつかは叶う。
俺がそう言いたい、と思ったのは、ある日の放課後のことであった。
階段を上る白石の背後から、俺も階段を上る。
そんな俺に注意を割いていたのだろう、彼女は目の前の人物に気づくのが遅れたのだ。
「お、白石」
そう声をかける男の――中田の姿を瞳に捉えて、白石はビクリと身体を跳ねさせた。
その足が、階段を掴み損ねる――。
俺はただ、呆然と見上げていた。
明るい光に包まれた視界を、黒い、厚い布の影が覆う。その視界に占める布の影の割合が、時間と共にどんどん上がっていく。その中心に見える色は……。
――白。
これが俺の、最期の思考になるのかな。身体が重力に引かれるのを感じながら、フッと自嘲の笑みが溢れる。
そう思考する間にも視界から光は奪われていき、一面が白となったところで思考が途切れた。
一面の、白。
確かに、一面の白だった。
だけどこの空間の広がりは、断じてパンツではない。
「雪……?」
そう呟く息が白い。
白く薄暗い空に、舞い降りる雪粒と空の色を映し出す足跡一つない処女雪。
どう考えても、先ほどまでいた学校の階段とはほど遠い場所に、一人で立ちすくんでいた。
「ここは……どこだ……?」
返答など、勿論ない。
呟く言葉は全て凍り付き、立ちすくむ肩には刻々と雪が積もる。
背筋が凍る。いや、文字通り凍り付き始めていたかもしれない。
これはまずい。早く暖をとらなければ。
呆然としながらも、脳味噌は警報音を鳴らしていた。
試しに一歩踏み出すと、グッと音を立てて足は沈む。思ったより、雪は深いらしい。
辺りをぐるりと見回すが、どこか薄暗く、高い建物は見えない。
その中で一点、橙色の光が瞳に飛び込んでくる。
――火だ。
本能的に、そう感じる。あそこならば、人が居るかもしれない。
あちらへ向かおう、そう決意した。どうせ他の方角には何も見えないのだから、向かうなら、少しでも希望の光が見える方へ。
足跡を残すように、一歩一歩雪を踏みしめながら
近づくと、一点に見えていた光は複数の点から成るもので、灯と共に複数の平屋家屋の影が見えた。更に近づくと、その周りを塀のようなものが囲っており、両脇に灯を抱えた門が一つ立っていることが分かる。
村に、違いない。
未だ状況に理解が追いついていなかったが、明らかな人工物にほっと胸を撫で下ろす。
門の
「おーい、お前旅人か?こんな雪の中大丈夫だったか?」
門番のような男はそう優しく声をかけてくる。それに応えるように、門へと向かう歩調が速まる。
近づくことで初めて分かるが、塀のように見えたのは木の板を貼り合わせたような簡単なもので、その中に集まる平屋家屋も藁葺きと見える。門番の手の中の槍も先端は金属のようだが柄は木で、皮でできたと思われる兜と胸当てを身に着けている。その頭上には……72との数字が浮かんでいる。
はて、あれは何の数字だろう?そんなことを考えながら歩を進めると、温和そうな門番の顔が急に厳しくなった。
下から上まで視線を走らせたかと思うと彼は槍の先端をこちらへ向ける。薄暗い世界の中で
「おい、お前!何者だ!止まれ!!」
門番とおぼしき男は片手で槍を向けながら、もう一方の手で彼の腰の辺りを探り、何かを口に咥える。
ピューッと甲高い、笛のような音が鳴り響いた。
「いいか、手を上げておとなしくしろ」
槍を向けられて、コクコクと頷く。
――逃げなければ。でも、どこへ?
他を見渡しても、人影は見えなかった。そんなこの銀世界で、どこへ逃げればいいというのだろう?
やがて、門の辺りから数人の人影が出てきた。その手に伸びる長いものは……縄だ。
深い雪の中を、彼らは難なくずんずん歩み寄る。
――逃げ切れない。絶対に。
「ちょっと、俺は無害です」
「とにかく、動くな」
厳しい声に気圧されて、口を噤む。
切っ先を向けられながら、数人の男たちに縛られていく。その緊縛は、生やさしいものではなく、本当に身動き取れないものであった。
――これが男たちじゃなくて女王様に縛られるんだったら、まだ幾分かマシだったんだけどな。
そんなことを考えながら連れて行かれた先は、地下室の鉄格子の向こう側であった。
「すみません、俺はどうなるんでしょうか」
「うるさい、とにかく寝ていろ。審判は夜が明けてからだ」
「審判……?」
「そうだ。長老様がお前を見て、審判を下される。せいぜい、おとなしくしていることだな」
審判。その言葉の響きに、結局夜は一睡も出来なかった。
逃げ出す隙を窺ってみたが、見張りの兵士も一睡もしておらず、怪しげな動きもとれない。そうこうしているうちに、交代の者が朝を告げてやってきてしまった。
「特に異常はなかったか?」
「ああ、ヤツも一睡もしてないみたいだが、まあそうだろうな」
「そうか、ご苦労だったな。お前は寝ていろ」
「そうさせてもらうよ」
完徹して頭の回らない丸腰の男子高校生と、ぐっすり睡眠を取って槍を抱える見張りの兵士。これでは話にならない。
これでおしまいか。
ゴロンと土の床に寝転がると、もう諦めがついたのか
――最期くらい、惰眠を貪ったっていいじゃないか。
俺は睡魔に抗うのをやめた。
「……様!……様!」
やけに騒がしくなって目が覚める。
見張りの兵士も、階段の上の人に言葉をかけているようだった。
特にすることもないので、鉄格子の隙間から耳を出し、外の会話へ耳を傾ける。
「姫様!姫様のおいでになるような輩ではございませぬ」
「構わぬ。私も他に用がなくてな。私が直々に手を下そう。長老は、村の仕事が残っておろう?」
「しかし……」
「よいよい。さあ、降りるぞ」
階段を降りる足音が聞こえてくる。その一歩一歩の音に、身を強張らせた。
牢屋の隅に身を縮めながらも、恐る恐る階段へと目を向ける。
動きやすそうで、かといってみすぼらしくはない布に身を包んだ女は、その手に剣を握っている。その刃は、青白く輝いていて。
『手を下そう』
その言葉が脳内に反響する。しかしその声はどこか聞き覚えのあるものだった。
階段を降りるにつれ、その女の全身が、顔が、徐々に顕わとなった。
――あっ。
思考がまとまる前に、思わず声が先に出る。
「白石……?」
「は?」
見間違えではないはずだ。怪訝そうにこちらを見るその顔は、明らかに見覚えのあるもので。
「白石真純だろ……?」
そう問いかけると、彼女は立ち止まり、眉だけ上げた。
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