⑤ 闘いの行方
目撃者である池上が暴れたことで、周囲の人々はパニックとなり、騒ぎ始める。
悲鳴や怒号が響き渡り、縦横無尽に走り回る。
「ここから、急いで離れろ!!!」
周りの人たちに被害が及ぶことを避けるため、見回りの人たちは大声で警告する。
しかし、避難誘導をする余裕は誰にもないのは明白だ。
それにしても、まさか目撃者の人が犯人だったなんて驚きだ。
「あなたは刺された人と知り合いだったんじゃないんですか?」
「あぁ…そうさ。考えただけでも、忌々しい」
「じゃぁ、どうしてこんなことを…」
「アイツの下にいるのは、もう耐えられなかったんだ、耐えられなかったんだよ!!」
その顔は恐怖と怒りが混ざった形容しがたいものだった。
叫びながら、池上は大きく手を振りかざし、毒の仕込まれた爪を周囲に振りまわす。
このままでは、危なくて近づけない…。
見回りの大勢は、町の人の避難を優先している。
「アイツの下って何なんですか?2人の間に何があったんですか?店主と常連客だったんでしょ?」
「うるせぇ、んな関係じゃねえんだよ…アイツ、俺を奴隷として働かせやがって」
「奴隷…?そんなバカな…何を言って…」
この国では奴隷制度はとっくに廃止されてる。
もし本当に奴隷だったのなら、しかも立派な犯罪だ。
一昔前にはあった奴隷制度…東国の方では未だ制度が残っているときくけど、この国に限って未だ奴隷だなんて…
「よく聞いてください!奴隷はこの国では禁止されています!届け出れば、国はちゃんと助けてくれます!」
「誰も助けてくれねぇんだよ。お前みたいに裏の世界も知らない素人が適当なこと言ってんじゃねぇ」
「裏の…世界…?」
何を言っているのか分からない…裏の世界って何だ…?
この国の裏に何があるっていうんだ…?
訳がわからない…どういう意味なんだ…
「落ち着いて!俺は宮廷に勤めている者です!池上さん、あなたの力になりたい!話してくれませんか?」
「なん…だと…?宮廷…ならなおさら、てめぇらの力なんか借りるかぁ!」
「えっ!?何でだよ…何なんだよ…どうなってんだよ…姫…」
思わず口に出てしまった言葉…俺はまだ姫や宮廷の人たちのことをあまり知らない。
故に、俺は少し疑ってしまった。姫なら、裏で何かをしていてもおかしくないかもしれないと…
特に、姫について…俺は未だに彼女のことを信用しきれていないのかもしれない…
「俺は…まだ宮廷に入って間もないから何も知らない…けど…それでも宮廷メンバーとして、そして1人の人間として、あなたを救いたい!話してくれませんか?」
「無理だ…お前が何をしても解決しねぇ…この国だけの問題じゃねぇんだよ…」
「どういう…」
俺は外交官となるために宮廷に入った…
なのに、他国との交渉どころか自分の国のことさえ何も知らない…
自分が情けなくなる、本当にこんなのでいいのだろうか…
「お前は何も知らないみたいだな。お前は何も知らないくせに俺の助けになりたいと言った。なら、どうしてくれるのか言ってみろ!俺は誰も信じねぇ」
「っ…俺は…確かに何も知らなかった…けど…今から勉強する!この国ついてもっと知る!そして、俺が何とかする!具体的なことは何も言えないし、必ずできるという確約もできない…けど何とかするために努力する!信じてくれ!」
俺は言えることはこれくらいだ。どうすれば良いのか、今の段階では何も分からない。
夢にまで見た宮廷生活、まだ始まって間もないのに、俺はこの仕事への期待が揺らいでしまっていた。
今この国で何が起こっているのか?
自国のことも分からないのに、他国と交渉なんてできない。
「できるもんならやってみろ…この国には俺みたいなやつがまだまだたくさんいる…この呪縛から解き放ってくれ…」
「え…?」
その瞬間、池上は自らの喉を爪でかききった。
毒が全身に回るまで、少し時間がかかる。
池上が叫ぶ声は響き渡り、まるで地獄で暴れまわる罪人のようだった。
「な…何でだよ…」
しばらくすると、断末魔の叫びが消え、辺りが静寂に包まれた。
俺はただ何とも言えない喪失感に、体中の力が奪われたように脱力してしまった。
***
自分と対峙する男は、そこそこの手練れなのだろう。
ガタイが良く、体格も大きいだけでなく、動きも俊敏だ。
手にもつナイフは男の大きな手に比べると、果物ナイフのように小さく見える。
ナイフに仕込まれた毒は、掠るだけでも致命傷になりかねない。
「死んでくだせぇ」
素早く近づきナイフを振るう。次の瞬間には1歩引いている。
戦い慣れた行動から、ただの一般人ではないことは容易に分かる。
東国において、何かの組織に入っているのであれば、ここで逃がすことはできない。
「ナイフ捌きはなかなかのものだな」
「毎日、野菜を刈りまくってやすからね〜、あんさんも野菜と変わらねぇってことでさぁ」
ナイフを片手に振りまわしている。
間髪入れない、怒涛の攻撃が続く。
その手を緩めない容赦のなさは、流石だ。
しかし…
「なぜですかぃ…あっしの攻撃が当たらねぇ…?」
「自分は力もなければ、身体能力が良いわけでもない。しかし、そのかわりに少し他人より目が良いのでな」
「その紅い目ですかい?一体、その目は何なんですかい?」
「それは自分も知らん。だが、この目のおかげでちょっとした筋肉の動きなどから、次にどう動くのか分かるのだ」
「未来予知ってやつですかぃ?」
驚愕しているようだが、驚きは隙を生む。
男の止まった足に向かって、足元に転がっていた尖った石を拾って投げる。
「ぐっ、卑怯でさぁ…はっ!?」
「卑怯?東国が良く言えたものだな」
すぐさま、地面を蹴り、男の目に向かって砂を飛ばす。
人間の感覚の大部分を占める視力を奪うことは、優位に戦闘を進める上で重要だ。
「ぐぉ、この野郎…あっしの目を…」
「そろそろ、その口を閉じて貰おうかな」
「そいつはぁ…鉄扇!?」
流石、戦闘に自信があるのも頷ける。
咄嗟に片目を瞑っていたようだ。
とはいえ、目を潰されたことには変わらない。
よろめく男に近づき、懐に忍ばせていた扇を振りかざす。
扇はナイフを持つ男の右手首を切り落とす。
「ぐぁぁぁぁ」
男の叫びがこだまする。
市場の方でも悲鳴や怒号が聞こえる。
幸い今の悲鳴は、町の声にかき消されて聞こえないだろう。
「鉄ではなくチタン合金でできている。これでも鉄の6割の重さで強度は2倍だ。自分のようなか弱い女子でも使えるという代物でな」
「くっ…そぉ…」
「さて…余談はこれくらいにして、そろそろ終わりにしようか」
「と………と…東国万歳!」
男は左手を挙げ、万歳と叫ぶ。
その顔は死期が迫った人の顔ではなく、ただ東国という存在への信仰心のみが支配していた。
ただ恐ろしいことに、それだけ東国の支配は進んでいるということだ。
「この国も所詮は小さな国、東国の足下にも及ばねぇ。この国への東国の影響は、決して小さくねぇ。あんさんは東国を拒絶しているみてぇだが、知らねぇうちに東国なしには成り立たなくなってるんでさぁ」
「かもしれないな。だが、そのことと、お前を始末することは無関係だ」
「へへっ…す…全ては東国のために!万歳!万歳!ば…」
言葉を遮るように、男の首を切り落とす。
首から血を噴水のように噴き出し、男は人形のように崩れ落ちる。
無生物と化した男の体を横目に、持っていたナイフを取り上げる。
「さて…問題はここからだ…。どの程度、毒を売り飛ばしたのか、困ったものだな」
男の死体はそのままに、森を背に市場へと戻る。
死体の処理は近衞に任せよう。
「今までは、東国などの大国に目をつけられないように、あまり目立たない行動をしてきたが、方針を変える時なのかもしれんな」
そうして、その場を後にした。
陽の光を遮る木々の木陰に、姫の紅い目は揺らめいていた。
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