國護論

城屋結城

第1章 国の主でいるということ

第1話 憧れの宮廷生活

①新たな門出

鳥の囀りは、心を落ち着かせてくれる。

心地よい風は頬を撫で、風鈴の美しい音色を際立たせる。

こうして、いつもと変わりない朝が始まり、いつもと変わりない朝食をとる。

いつもと違うのは、気持ちの持ちようだろうか?

何と言ったって、今日から新しい生活が始まるのだ。

だからこそ、心が跳ね上がる。


「よし、そろそろ行こう」


身だしなみを整えた後、軽く深呼吸して家を出る。

着慣れた服装ではあるが、心なしかいつもより足が軽い。

向かう先は宮廷…この国を治める姫君がおわすところだ。


「どんな人なんだろう……」


歩きながら、ふと漏れでたこの言葉は、これからの生活への期待とこれまでと違う新生活への不安が入り乱れて出た言葉だった。

それにしても、この国の姫君については、分からないことが多い。

何と言っても姫君は、人前に姿を表したことはないからだ。

故に、そのお姿を見たことのある人もいないそうだ。


姫君がおわす宮廷は国の中心であり、周囲よりも小高い山の上に位置する。

周囲には下町で暮らす人々の家々が連ねる。

加えて農業などを営む農家があり、商いが盛んな市場も開かれている活気に溢れる町である。


「あら、京介ちゃん、今日から宮廷勤め?頑張ってね」


宮廷下の下町で声をかけてくれたのは、いつもお世話になってる八百屋のおばさんだ。

この辺の店は買い物でよく利用するので、顔見知りの人が多い。

子供の頃からのお付き合いなので、俺の恥ずかしいことや、それこそ黒歴史だって知っているある意味恐ろしい相手だった李する。


「はい。おばさんも、元気そうで何よりです」

「アタシはいつだって元気よ。それにしても大きくなったわね」

「子供の頃はお世話になりました。これからは、御国のために頑張ります!」

「偉いわね~。宮廷の仕事ってどんなのか全然わからないけど、おばさん応援してるからね。期待してるよ」

「ありがとうございます!では、いってきます!」


一通り挨拶を終えて、再び宮廷に向けて歩き始める。

先程は大それたことを言ったが、こんな田舎者が、宮廷にいくことができるなんて想像もしていなかった。

そうして、市場を抜けると人々の活気が少し落ち着き、目の前に大きな建物が見えてくる。

そのうち木々が生い茂り始め、国の中心に近づいてきているにも関わらず、どんどん田舎に向かっているような感覚になる。

さらに宮廷に近づくと、より木々が生い茂り、神秘的な雰囲気が漂ってくる。


「ふぅー」


そうして、宮廷の門前に辿り着き、軽く息を吐き出した。

決して険しい道ではないが、心臓の鼓動はとても早い。

軽い深呼吸は、張り詰めた緊張感をほぐす目的でもあった。

そして、改めて気を引き締め、ようやく宮廷の扉を開ける。

扉が徐々に開かれ行く様と、ギギギギと立てる音を聞きつつ、これから始まるであろう新しい人生に思いを馳せる。

その瞬間、世界はスローモーションのようにゆっくりと感じた。

扉を開けると目の前には、すでに黒い衣服に身を包んだ高身長の男性が立っていた。

スタイルの良い男性なんて、羨ましい。


「お待ちしておりました。私は、この宮廷で執事をしております"近衞このえ"と申します」

「はっ、はい! 本日より姫君にお仕えさせていただきます京介と申します。よろしくお願い致します」


物々しい雰囲気と、背筋もピンと伸びた執事を目の前にすると、どうしても緊張してしまう。

執事の姿をこの目で見るのも話すのも、これが初めてだったりする。

執事と話すことにもそうだが、それ以上に敬語なんてあまり使わないので、これでいいかどうか分からない。

他国では敬語なんて概念がなかったりもするから、なかなか難しい。

もう少し、勉強しておけば良かった……


「そう堅くならずに。これから共に生活していく仲なのですから。とりあえず、姫に謁見しましょう」

「はい。お願い致します」


近衞さんの後を追って、長い廊下をひたすら歩く。

道中は無言なのに、足音がやけに大きく響いていた。

それにしても、結構長く歩いたが謁見の部屋にはまだたどり着かない。

どうやら宮廷はとても広く、姫君のいる場所はかなり離れているようだった。

近衞さんと一緒に黙々と歩いていると、目の前から中年くらいの男性が姿を現した。


「あれれぇ〜?近衞くんの彼氏か何かかぃ?とても可愛いらしいねぇ〜」

「はぁ……こんな朝から呑んでいるとは…もう少し節度ある行動をしていただきたいですね、風見かざみさん」


風見と呼ばれた男は、近衞よりも背が高く、ガタイもいい。

この宮廷を守る兵士、もしかしたら兵士長か何かなのだろうか?

その割には、大きめの羽織を羽織っており、おっとりとした喋り方からは武人には見えない。


「あぁ、今のは冗談だよぉ〜。僕は風見、この国の宰相をしてるよぉ〜。といっても、肩書きなんて形だけだから意味ないんだけどねぇ〜」

「は……はぁ……、俺は、本日から宮廷で働くことになりました京介と言います。これから、よろしくお願い致します。」

「京介くんかぁ〜。良い名前だねぇ。お酒は飲めるのかなぁ?時間があれば、一緒に飲もぉ〜」

「えと……お酒ですか……」


お酒については、あまり飲んだことないので、どれほど飲めるのかは分からない。

けど、親父の姿を見ると、おそらく下戸なのでないかと思っている。

風見さんに忖度するべきなのだろうか?

それとも、ここはハッキリと飲めないことを伝えるべきなのだろうか?

そうやって返答を考えあぐねていると、風見さんを無視するように、近衞さんが歩き始める。


「真面目に返答していてはいけませんよ。そんなダメ人間は放っておいて、先を急ぎましょう」

「酷いなぁ~。でも、もう少しのんびりしてもいいんじゃないかなぁ〜。姫のこともあるしねぇ~」


この2人は日頃から、こんな口撃をし合っているのだろうか。

とはいえ、そこまで険悪な雰囲気はしない。

おそらく、この2人なりの挨拶で、仲が良いんだろうなぁ〜と思う。

けど、"姫のこともある"って何の話なのだろうか……?


「そうですね……。では、庭を迂回して行きましょうか」

「そうだねぇ~。それが良いと思うよぉ〜」


そう言うと、近衞さんは踵を返して宮廷の外へと出る。

俺は風見さんに一礼し、風が吹き抜け、明るい光が差し込む近衞さんの方に向かう。

宮廷の周囲には広々とした広場があり、特に俺が入ってきた門の右手には池や植物が植えられている場所が見えた。

先ほどの会話からして、どうやら庭にでるようだ。


「京介さん、こちらの都合で申し訳ないのですが少し遠回りしますね。」

「俺は構いませんけど、何かまずいことでもあるのですか?」


その質問に"うーむ"と考える素振りを見せる。

顎に手を当てつつも、歩みを止めないその姿は、複数の作業を同時にこなす万能な人間であることを伝えてくれる。

そうしている内に、近衞さんは顎に当てていた手を下ろし、先ほどの質問に答える。


「姫は、朝に弱いのです」

「は……はぁ……」


予想外の言葉に戸惑い、そう返事するのが精一杯だった。

といっても、今はまだ9時過ぎですけど……

庭を歩いていると、風を裂くような音が聞こえてきた。

誰か素振すぶりでもしているのだろうか?


「丁度いいですから、彼女にも挨拶しておきましょう」

「誰か、素振すぶりでもしているのですか?」

「ええ、そうですよ。彼女は鍛錬ばかりしていますから」


話しながら歩いていると、庭の隅の方で素振りをしている袴姿の女性を見つけた。



露霧つゆぎりさん、少しよろしいですか?」

「うむ。何か御用か?ん、そちらの御仁は?」

「こちらが、新しく宮廷に勤められる京介さんです」


そのやり取りを終えると、露霧と呼ばれた女性はこちらを見つめてくる。

鋭い眼光は一対一の斬り合いなら、この上ない脅威となる武人であることを物語っている。

しかし今は和やかな場、どちらかというと見つめられて少し恥ずかしい。

そして、髪の毛から滴り落ちる汗は、長時間の素振りを行っていたことが分かる。


「よ……よろしくお願い致します」

「ひ弱な奴だな。強者なら手合わせ願いたかったのだが」

「え……えーと」


どうやら、戦うことを第一に考えて行動する人のようだった。

残念そうな雰囲気を醸し出している露霧さんに、俺が答えれず戸惑っていると、近衞さんが代わりに経緯を説明し始めてくれた。


「京介さんは複数の言語を話せる珍しい人なんですよ。体より頭を使うタイプの人です」

「なるほど。つまらぬな」

「そうですね、露霧さんにとってはつまらないかもしれませんね。そろそろ京介さん、行きましょう」


そういうとそそくさと歩き始める近衞さんについて行く。

あまりにも素っ気なく踵を返したので心配になったが、露霧さんを見てみると、何事もなかったように黙々と素振りを再開していた。

これが彼女のスタイルなのだろうか?

こんなので大丈夫なのだろうか……


「大丈夫ですよ。彼女は鍛錬することを日課としているので、これで自己紹介は十分です」

「は……はい。彼女は何をしている方なのですか?」

「彼女は侍大将ですよ。1人で宮廷を守っています」

「そうなんですか!?」


つい、いつものテンションで返してしまった。

確かに鍛錬はしっかりとやってはいたけど、ガタイの良い風見さんの方が侍大将に合っていると思ってしまった。


「ああ見えて、彼女は先代の王の時代から宮廷にいますからね。私も風見さんも今の姫君に雇われた身ですので」

「そうなんですか!?」

「えぇ、先代の王と彼女の2人だけで、この宮廷でまつりごとをしていましたからね」


先代の王は、数年前までこの国を治めていた王のことだ。

その時の俺は、宮廷について興味がなかったから、あまり記憶にない。

けれど、凄い人だったと聞いてはいる。

一時は、世界に名が知れたこともあったと聞いたこともある。

そんな会話をしているうちに、俺は大きな部屋の扉前についた。


「少しお待ちください」


そう言うと、近衞さんは大きな部屋の中に入っていく。

それはとても大きな扉で、ここに来るまでに見た他のどの部屋よりも物々しかった。

心臓の鼓動に耳を傾けながら、しばらく待っていると、扉の向こうから女の子の声が聞こえてきた。


「入れ」


俺はもう一度、深呼吸して、扉に手をかける。

今、宮廷生活が始まったのだった。

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