糸猫奇譚・落書き日記帳

あてらわさ

表紙

「ヘイ糸」

「どこぞの携帯電話みたいに呼ばないでください」

 いつものおふざけにも律儀に返す糸に笑い返しながら、視界の隅、カウンターの端に置かれた手帳を指差した。

「あれって何? 昨日まで無かったよね」

 手帳は裏葉うらは色の表紙で、かなり厚みがある。

 断面がまるで抹茶ケーキの様だ。

「それは来店したお客様に書き込んで貰う為の帳面ですよ」

 糸は何にも興味を失った事の様に淡々とした口調で答えると、先程私が完食した皿を下げていった。

 私は席から立ち上がってその手帳を見詰める。

 特に何か有るわけでもない、ごく普通の量産品の手帳だ。

 一体何の為にわざわざ客の手記なんか残すのか。

「何でわざわざ?」

 思った事をそのまま訊ねると、糸は皿を洗いながら答えた。

「そうですね……この店が、確かに存在した事を示すモノにする為、ですかね」

 以外だった。

 私は気紛れか、それに近い何かでやっていることだと思っていた。

 糸は私の様にヒトの近くで生きる者ではないし、その分私よりも人間くさくないとばかり思っていたが、案外、こう言う事をするのだな、と。

「まあ確かに、無くなったらすぐに忘れられるしねぇ。それに今は、情報がより伝達速くする分、忘れられるのも早い」

 そう返すと糸は頷いて、お好きに書いて下さい、と私を促した。

 私は、側にあった六角鉛筆を手に取った。

 

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