第89話「闇に忍ぶ」

 夜行性の猛禽類が寂しげに鳴く頃に───


 猟師は腹を満たして、狩りの準備を整えた。

 罠も、

 餌も、

 覚悟も充分。


 少しの肌寒さを感じたバズゥは、身を隠すことも兼ねて兵舎に引き上げた。

 暗い兵舎が、墓場のように見えて薄気味悪く感じたが、贅沢は言っていられない。


 墓場を彷徨うろつくアンデットと、山を彷徨くキングベア……

 両者を比べるなら、遥かにアンデットのほうがマシだからな。


 渋る馬の手綱を引くと、何故か軽く抵抗してみせるキーファの馬。

 どうした? と、目を覗きこむと、微かな躊躇ちゅうちょがみえた。

 

 なるほど、血統のいい馬らしい。

 どうやら人間様が使う施設に踏み込むことに躊躇があるようだ。

 全く…あのバカの、元主人に爪のあかせんじて飲ませてやりたいものだね。

 ……あ、馬に爪はないな。ひづめの垢か。


 くくく、と底意地悪く笑うと、馬をなだめてやる。

 ───ここは、もう人の住む場所じゃない、と。


 軽くいななくと、納得したのか黙ってバズゥに従う。


 いい子だ…、

 馬を連れて兵舎に潜り込む。


 外の様子を探るためにも、密閉はできないので入り口と幾つかの窓を開け放っているため、せっかくの屋内だというのに寒い。


 屋外より、更に闇に沈んだ室内は得たいの知れない化け物が潜んでいそうな気配すらある。

 惨劇の舞台でもあり、残った血痕から断末魔の叫びすらきこえてきそうだった。

 なるべく自然のままで、闇に目を慣れさせていたかったが、そうも言えないほどの闇溜まり。


 チ……


 スキル『夜目キャッツアイ』発動。


 とたんに、闇に沈んだ景色が緑を基調とした世界に浮かび上がる。

 若干、近くのものがボヤけるが、仕方無いものとして割りきった。


 室内は当然ながら無人。

 耳が痛くなるほど静寂だ。


「どうどう……ほら、入りな」

 ヨシヨシとなだめながら馬を誘導してやる。

 

 カリカリと、馬の蹄が床を削り、高い音をたてて妙に室内に響く。

「静かにな……ほら、ここで寝てろ」


 恐る恐る室内に入り込んだ馬は、バズゥの言うことに従い、床にペタンと横たわった。


「いい子だ」


 ポンと馬の背を軽く撫でると、バズゥは窓に近づき外を見通す。


「気配なし……静かなもんだ」


 『夜目キャッツアイ』の視界はそれほど遠くまでをみることかまできるものではないが、『遠見』のスキルと組み合わせれば、夜間の哨戒には事足りそうだ。


 キングベア相手にどこまで通用するか分からないので、スキル『山の主』は発動していない。

 そんなものがなくとも、哨所を張り巡らせている鳴子なるこが獲物の接近を教えてくれるだろう。


 中型の獣や、小型の獣は鳴子に接触すれば音にびっくりして逃げるだろうが、大型獣なら構わず近づいてくるに違いない。


 彼らは基本的に食物連鎖の頂点にいるため、警戒心は強くとも逃げるという選択肢をほとんど選ばない。

 プライドというよりも、負けた経験が少ないうえに、向かってくるなら返り討ちにして食ってやるという精神があるが故だろう。

 強者の余裕とでも言うのだろうか。


 いずれにしても、バズゥには都合がいい。


 熊にせよ、猪にせよ…

 ワザワザ外でステーキを焼き、鍋を煮て、薫製までつくったのはを餌の匂いを充満させるためだ。

 あれのお陰で匂いはずいぶん遠くまで拡散したに違いない。

 大型獣ならば、あれに釣られないわけがない。


 この近辺の地羆グランドベアはキングベアの傘下にいただろうから、来るとすれば……その生き残りか、キングベアそのもの…

 いずれにしても一度バズゥと対峙した連中だろう。

 早々いくつもキングベアの群れなどあるものではないし、地羆グランドベアがキングベアの傘下にいなかった可能性も、…またない。


 言ってみればこれは後始末に近い。

 取りこぼしが出るのは仕方ないが…今回はそれで人死ひとじにが出てしまった。


 別に、モリには恩も義理もない…

 むしろ、キナを痛めつけられた落とし前すらあるくらいだ。


 だが、モリはあれでも人だ。

 人間だ。

 人間様なんだ…


 熊には悪いが…人間を食う事だけは許されない。

 許さない…

 許してはいけない。


 それをやった熊は、徹底的に狩らねばならない。

 それが猟師としての義務であり、───責務だ。


 理由は何故だろうか?

 正直、満足に答える術を持ってはいないが…


 多分だ、


 多分、人は弱いしくずのような生物だ。

 それが何の因果か繁殖し、増えに増えて……殺し合うまでになっている。

 まるでこの世の支配者たらんとし───それ以外の種を排除または支配しようとする。


 そのため、


 人が弱いという事を悟られてはならない。

 人は他生物の支配者でなくてはならない。


 だから、簡単に食われ殺された人をいたむよりも、それ・・を簡単に行った熊を狩り殺すことで、人は自尊心を保ち、世の支配者づらをしている───と。


 ただそれだけのために殺すのだ。


 ───獣が人を殺してはならない。

 人を殺した獣は必ず、人が狩る。

 人が獣を狩っても、獣が人を狩ることは許さない。


 言ってみれば、

 人を殺していいのは人だけ・・・で…それも平時では御法度ごはっと

 戦争中の特権。


 だから、


 人が満足して殺し合いをできるように、

 人のために熊を狩るのだ。


 ……


 なんてな…


 俺は『猟師』───別に、人の世のことわりだとかそんなものはどうでもいい。

 ただ、ただ…家族のために仕事をしているだけだ。


 動物を狩り、

 その肉、毛皮、肝を持ち帰り───「金」を得る。

 そう、それだけだ。




 ホー…


 ホー… 




 特にやることもなく、まんじりと時間が過ぎていく。

 荷物の中に、まだ酒があるので一杯やってもいいが…


 酔い過ぎると集中力も途切れる。


 こうやって獲物を待つ以上、空振りが一番困るからな…

 それも、酔いつぶれて見逃したなんてことになると目も当てられない。


 交代人員でもいればまた別なのだろうが、ここにいるのは一人と一頭のみ。


 その一頭は、兵舎の中に躊躇ためらいながらも入り、今は薄く目を閉じて寝ていた。

 だが、胸の動きは緩やかで、耳が動いている様子からも、決して熟睡しているわけではないと分かる。


 馬は立ったまま眠ることもできるが、

 この馬はしっかりと体を地面に着け、疲れをとるということを知っているようだ。

 スースーという、落ち着いた鼻息が耳に心地よく響いた。


 気負きおってもダメだな──そう考えながら、バズゥも体を横たえるべく、ベッドに移動する。

 ベッドのうちの一つ、血痕のついていない比較的綺麗なものを選ぶと、寝心地を確かめて横になる。


 木枠に干し草を敷き詰め、シーツを張っただけの簡素なものだが、寝心地は悪くなさそうだ。

 少々ジメっとしている気もするが、大したことではない。


 仮眠を取ろうと、体を横にしたとたん耐えがたい睡魔がバズゥを襲う。


「誰か来たら起こしてくれ」


 冗談めかして馬に言うと、

 彼はパチリと片目だけあけて、まるでわかったとでも言うかのように軽く鳴いて見せた。


「そっか、よろしく頼む…ファァ…───」


 フォート・ラグダの騒動の際に負った傷のせいで、万全とは言い難い体調。

 そして、大量の熊を解体した疲労に、

 調理した不味い熊肉…

 

 なにより、借金の心労に、エリンの身柄と───バズゥの心身は思った以上に疲労していた。


 目をつむればたちまち訪れる夢の世界。


 それにあらがいつつも、仮眠と夢の境を行き来し──意識を手放さない様に苦心。

 戦場で身につけた、ギリギリの睡眠方法だ。

 何かあれば、即座に起きることができる。


 できたはずだ……


 しかし、普段なら容易なそれも、体は早々言うことを聞いてくれず───

 泥のようにまとわりつく睡魔に、意識が奪われていく。


 バズゥも、もう若くはない…


 その疲れは溜まる一方で、

 体は疲労を取りたがり…脳も心労を取りたがる。


 借金返済の目処めどは不確かで、

 ただ一人の肉親は、戦場で明日も知れぬ日々……

 こうも八方塞はっぽうふさがりの状態では、流石さすがに元勇者小隊のバズゥ・ハイデマンといえど睡眠欲に逆らえるはずもなし。


 ホー……


 ホー……


 夜行性の鳥が、細く寂しげに鳴く声を子守歌にして──バズゥの意識は深く深く沈んでいく。







 そして、そのタイミングを見計らったように……

 哨所に近づく影が複数。





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