第53話「山の葬送」

 それが背後にいた



 ……


 …



「キングベアが…2頭だと!?」

 バズゥが衝撃のあまり硬直する時間。それはキングベアからすれば無防備で隙だらけに見えただろう。


 実際、バズゥをしてあまりにもあり得ない事態に、思考停止に陥ったことは否めない。


 通常の例を見るならば、キングベアは稀に突然変異起こした個体が1体というのが一般的な説だ。

 そもそも、2体同時出現など前例がない。


 ないが……




 ありえないわけではない!




 くそぉ!

 ポート・ナナンに帰ってきたから鈍ったか!?



 まずい、

 まずい、

 まずいまずいまずいまずい!!!!



 猟銃には弾は入っていない!

 デカい方・・・・に止めを刺す前に、再装填しておくべきだった…


「グゥオオオオオオオオオオオオオオオン!!」


 ビリビリビリィィ!!! ───と空気が震える…


 そして、その振動を伝うようにもう一匹のキングベア・・・・・・・・・・吶喊とっかんする。

「くっそぉああぁぁあ!!」

 鉈を両手で構えて突進に備えるが、無防備に晒しているこの身では受けきれるものではない。


 いくら天職レベルがMAXとはいえ、人間の範疇でしかないバズゥに対し、熊のなかでも上位であるキングベアでは分が悪すぎる。

 ──生物としても、単純な膂力りょりょくとしても、はるかにキングベアが上回るのだ。


 太古から人間の強さは、そうそう変化するものではない。

 変わったのは持つ武器とスキル等の技術だ。


 単純な身体構造は変化せず───むしろ、文明を得てから退化すらしているかもしれない。


 倒した大型キングベアよりも幾分いくぶん小型であるとは言え…地羆グランドベアよりも大きく、それは…やはり脅威以外の何物でもない!



 いや───

 体躯たいくの問題ではない。

 大型種よりも、目の前で咆哮するこの種こそが─────群れの王だ。



 当然、生物としても大型種より強いのだろう。



 その突進速度は瞬発的とはいえ時速60kmを軽く上回る…

 それは覇王軍の戦車チャリオット並みだ!



 これは、


 かわせない!



 バっと斜め後ろに飛び退すさり、衝突コースから逃れようとするが、それを許す甘い相手ではない。



 瀕死の大型キングべアはこの『王』の伴侶なのだろうか…

 表情など分かるはずもないキングベアのそれは、憤怒ふんぬの表情だ。


 数メートルまで接近されると、バズゥの嗅覚が奴のキツイ獣臭を捉える。

 もう臭いすら嗅ぎ取れる距離だ。


「ちくしょぉぉぉぉおおお!!!」


 振り上げた鉈を脳天に叩き込むが、こんな不安定で引けた腰───これで有効打など望むべくもなく……

 猟師ゆえに、敵を一撃でほふるようなスキルも放てない。


 エルランや、ゴドワンならこんな状態でもスキルで敵を切り裂いて見せるが───バズゥは所詮は猟師!


 ───猟師が故に、白兵戦など出来ようもない…


 クァァァァ! と叫び、ブング…と振り下ろした鉈が奴の鼻先に迫るが───キングベアは目にもくれない。


 …オリハルコンの刃は確かに頑丈だが、それだけで切り裂けるというほど鋭いわけではない。

 鉈という刃物の特性上、重さと膂力りょりょくで叩き切るという技術が必要なのだ。

 それが、こんなバックステップで身をかわした状態で放てるはずもなし───


 グルァァァァ!!! ───ガキィィンッ!!!


 キングベアが首を一振り、牙をかみ合わせてバズゥの腕ごと弾き上げる。


「ぐぅ!」


 ジンと腕にしびれを感じたときには、鉈が宙を舞っていた。

 ヒュンヒュンヒュンと回転しスッとんでいく、───が追う暇もない!


 次に訪れたのは身をバラバラに引き裂かんばかりの衝撃だ。


 ───グホォッッ……


 肺の空気が圧縮され、喉を破かんばかりの勢いで絞り出される。

 咄嗟とっさに防御姿勢を取ったものの、最高速度で突撃されれば…そんなものは焼け石に水。


 フワリと宙を舞う感覚───…内臓が偏る独特の気持ち悪さを感じながら、これはヤバイと冷めた頭の一部が考えている。


 実際、どれほどの高さまで吹き飛ばされたのか…───


 森の木々の樹冠じゅかんが、眼下に見える。

 つまりはその高さ。


 落ちれば…ただでは済まないっ。

 ブワリと冷や汗が全身から噴き出す。


 それはそれは気持ちの悪い感覚…

 べったりと背中に死神が張り付いたかの様な、それはそれは気味の悪いもの。


 だが、噂に聞く走馬燈は見ない。

 死を前にして、生まれる前の景色などを流し見ると言うが───バズゥにはそんなものは見えない。


 だから、背中の死神どももバズゥに纏わりつくだけで、死の淵へ引きずり込むことはできない。


 なぜなら、バズゥは、

 バズゥ・ハイデマンはここで死ぬわけにはいかない。


 死ぬはずがない、


 キナとエリンを残して、こんなところで死ぬわけにはいかない…───




 あああああああああああああああああああああああ!!!! 




 バズゥが、死の淵を覗いている頃、キングベアはかぶりを振る。

 確かな手ごたえを感じたのだろう。

 急停止したキングベアは、その場で咆哮ほうこうした。 



 ゴオオオオオオオオオオオオ!!!!!!



 空気が震え、大地が泡立ち、森の小動物たちが畏怖し、鳥たちが恐怖する───その声。


 その声。


 バズゥは、負けたと素直に認める。

 自分の落ち度も理解している。


 だから、今は頭の切り替え。

 生き残りにシフトチェンジだ。


 即死、絶対死の高度からの生存…

 ブワァァーーー!! と巻上げからの───落下軌道。


 くっ!


 衝突時には、自然にカウンタースキル『山との同化』が発動し、気配を希薄にするが…今はそれが何の役に立つというのか!


 そんなカウンタースキルはいらぬ!


 スキル『反動軽減』『姿勢安定』───『山歩き』


 思いつく限りの、そしてわずかでも姿勢の制御せいぎょと、落下衝撃の緩和の一助とすべく足掻あがく。


 落下先は樹冠の上。


「うおぉぉあああああああ!!!!」


 ズサン!!


 バキバキバキバキバキキキキキキイィィイィイ!!!!


 針葉樹の密生した葉を突き破り、頂点の柔らかい成長途中の枝を折りながら、バキバキバキと樹冠に突っ込み───体をしたたかに打ちまくる。


 そして、巨大な幹に体をこれでもかと打ち付けると……、血反吐が口をついて吐き出される。


「ゲホォ!!」

 

 通常なら死んでもおかしくはないが、常人より多少なりとも防御力は高い。

 そのおかげで即死はまぬがれた。


 幹にめり込む肉体は、それでも重力に従ってズルルと下に落ちそうになる。

 十分に高いこの場所から落ちれば今度こそ死ぬ。


 枝葉のお陰で勢いが殺されたが、樹冠を形成する木々の葉の先───その下は枝もなく、落下すれば地面まで一直線だ。

 

 し、死んでたまるか!!


 地獄のシナイ島戦線で生き残った俺が、自らのフィールドである山で…狩場で死ぬだと?


 どんな冗談だよっ!



 バズゥ叔父さん───

 叔父さんバズゥ───



 ずり落ちそうになる体を支えるが、腕に力が入らない…

 くそ…折れたか?


「ぐぉぉぉ」

 獣のような唸り声を出し、幹にかじり付く。

 文字通り噛みついてでもすがりつくだ。


 右手は動かない…

 左手は、辛うじて───動く。


 グググと、腰から銃剣を取ると幹に突き立てる。

 頑丈で鋭いそれは、あまり抵抗を感じさせず幹に突き刺さっていく。

 

 ありがたい!


 そこに手を掛け、腰からベルトを抜き取ると体と銃剣と幹を繋ぎ密着させた。


 かなり窮屈きゅうくつだが、しばらくはこのままでいなければならない。


 スキル『山の息吹』『静音歩行サイレントウォーク』『気配遮断』『偽装隠蔽』…

 使える限りのスキルで、自分の身を隠していく。


 なんとか、気配を誤魔化し…バズゥを見る者の意識を外していくが───


 フーーーッフーーーッ


 コッフ、コッフ、コッフ…

 

 荒い息をつくキングベアが木の周りに姿を見せた。

 そうだ…あれで見逃す程…甘い相手ではない。


 バズゥとキングベアは明確に敵対した。

 戦闘はまだ継続中なのだ。


 敵に一撃を加えたらどうする?

 立ち上がるのを待つか?


 んなわけない…

 起き上がる前に追撃を加えるのだ。

 

 ───徹底的に!!


 グルルルルウゥゥゥ……


 ザクザクと腐葉土踏みしめるたくましい足音が響く。


 コッフ、コッフ、コッフ……


 地面に仕切りに鼻を付けて匂いを辿っている。

 幸いにも地面にはりていないので匂いを辿っているわけではないだろう。


 だが、嗅覚に優れたキングベア相手に、スキルでの隠蔽がどこまで有効か…

 人間相手なら重複発動をすれば、まず気付かれることは無いが───相手はクマ科最強の動物である羆の突然変異…それも上位種だ。


 実際、吹っ飛んだバズゥを追ってこの近くまでたどり着いて見せた。


 匂いが消し切れていないのだろう。

 いくらスキルで多少なりとも誤魔化せるとは言え、消えてなくなるわけではない。


 ウロウロとウロウロと木の周りでバズゥを捜索するキングべア。

 生きた心地がしない…

 こんな気持ちになったのは、最前線でホッカリー砦の偵察をした時以来だ。


 あの時は、匍匐前進ほふくぜんしんで何kmもって進んだな。


 全く関係もなく、役にも立たないことを考えている自分に、苦笑する思いだ。

 そうでもしなければ気を失ってしまいそうになる。

 もし、ここで気を失えば、カウンター以外のスキルは外れ、その他のスキルも効果時間を発てば次々に消えていくだろう。

 そうなれば辛うじて隠している気配すら、キングベアの知るところとなる。


 熊の巨体は木登りができなさそうにみえるが、どっこい。

 あれでいて、熊は木登りが得意だ。


 雑食性の熊は、肉以外にも木の実や果実を好んで食べる。

 落ちているものはもとより…木の上に登ってじじかに食う事は普通にあること。

 故にこんなところで身動きのできない猟師など、たわわ・・・みのった果実のごとく。

 登って捕まえて頭からガブリの刑だ。



 ジリジリと時間が過ぎていく。



 窮屈な姿勢を強いられているバズゥ。負傷の程度は知れないが、骨折の類は幸いにしてない様だ。

 痺れのとれた右手も何とか動くようになった。


 だか、直撃を喰らった余波は体全体に深刻なダメージを与えていることも確か。

 荷物の中にポーションがあるのだが、それを取り出し飲むことはできない。

 明らかに人工物の匂いが漂えば、キングベアはたちどころに気付く。



 未だウロウロとするキングベアは苛立たし気に地面を掻く。



 この調子だともう少しで諦めて去るだろう。


 野生の動物故、獲物には執着するが、敵には意外とあっさりしたものだ。

 これでいて眼下のキングベアは、所謂いわゆるしつこい部類だろう。


 まぁ、伴侶を殺されたのだ。

 怒り狂いもする、か。


 未だに恨みつらみをつのらせたキングベアは、バズゥを探して眼下で牙をいでいる───


 早く…行けよ…!!

 ジリジリとした時間が流れる中…で。



 ツツツゥ…と、流れた脂汗があごを伝い─── 



 ポタン…と真下に落下する。


 ヒュゥゥウ…と落ちた汗のしずくを思わず捕まえようとするが、間に合うはずもなく地面に落ち…ピチョン───と弾ける。


 その音と、あふれる人間の匂いにキングベアがピクリと反応する。



 ───まずい…



 ズシンズシンズシン…と、バズゥの潜む木の真下まで来ると、鼻を近づけてフンフンと汗の落ちた付近を嗅ぎまわる。

 そして間の悪いことに、脂汗はとめどなくあふれてくる───


 ツゥゥ…───と、雫が額から鼻へ、そして頬を伝い顎まで垂れると、大きな雫を作り…






 グゥォオオオオオオン!!!





 と、離れた場所で眼下のキングベアではない、地羆グランドベアの声が響く。


 それも複数…いや、群れ?


 その声に答えるようにキングベアは一声鳴くと、バズゥ捜索に急に興味を失ったかのように去っていった。



 ───……た、助かった…



 ホォォ、と息をつくと、たちまち血交じりの胃液があふれ出す。

 音を消したいところだが、喉から溢れるそれは止めようもなく、ゲホゲホとせき込む。

 まずいとキングベアの方をうかがうが、今はそれどころではない様だ。


 いつの間にかかなりの数の地羆グランドベアが集結している。

 その声は、怒りやら悲しみやらが入り交じり、獣達の葬送曲のごとく…


 って……あれは…───地羆グランドベア…、なのか?


 集結した地羆グランドベアに見えたそれらは、体躯からは成体となった地羆グランドベアそのものだが、特徴的な灰毛ではない。


 金毛───


 まさか、

 …

 まさか…全部キングベアなのか!?


 くすんだ金色の毛は、まるで質の悪い連合金貨のようで悪い夢を見ているかのようだ。

 集まった金毛の熊たちは、整列し大型のキングベアの死体に集まっている。


 その熊たちの前に悠々とした足取りで近づくのは、今までバズゥを追い詰めていた『王』だ。





 グゥゥオオオオオオオオオオオオ!!!!





 山に響くその声は、弔砲のごとく響き───続く金色の小型種たちの声を従える。


「キングベアの…子供…なのか」

 突然変異種であるキングベアは、地羆グランドベアと交配することができる。

 実際、キングベアと地羆グランドベアの子供が群れをつくり城塞都市を襲ったことがある。そこから観測された事実だ。


 その事実からも、キングベアと地羆グランドベアの交配から生まれるのは地羆グランドベアだと考えられていた。


 しかし、もし、

 もしも、だ。


 キングベアとキングベアが交配できたならば何が生まれるのか…


 答えは眼下の悪夢だ。


 大量のキングベアたち───

 大きさからもまだ、子供に値するのだろうが、それでも地羆グランドベア並みの体躯。

 

 強さも地羆グランドベアを遥かに凌駕りょうがするに違いない。

 むしろ、若い個体ゆえに命知らずで…体力に満ちているだろう。


 それは、キングベアによる王国の蹂躙じゅうりんを思わせる


 それだけの脅威なのだ。

 大きさもさることながら、数は50を下らない。



 『王』は、子供たちの前に進み出ると───



 一声鳴き、


 その背に群れを従えて去っていく。

 いや─────────


 山を下りていく。


 彼ら本来の目的である、食事のために───…獲物に執着し、彼らの母『ウイーン』が狙っていたキーファ達を追って、彼らは山を下りていく。


 下りていく。







 下りていく…──────






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