変態だって夢を持つのは素晴らしい事だと思います
案山子
夢の卵
夢想するふくらみには手が届かない
梅雨入りを目前に控えた6月2日の木曜日。
青いペンキを一面に塗りたくったかのような青空に、真っ赤な太陽が堂々と居座っていた。
その姿は残りわずかな晴れの日を承知しているかのようで、惜しみなく陽の光を大地へ降り注いでいる。
天気予報で言っていた本日の最高気温などとうに超え、教室の壁に掛けられた温度計は、すでに30度を越えていた。
4時間目の現国の授業は半ばを過ぎ、季節外れの暑さも手伝って、教室内にはぐだっとした空気が漂っていた。
そんな状況でもなんとか真面目に授業を受ける生徒もいるが、机に突っ伏し寝ている者や、ひっそりと内職に精を出している者、コソコソとおしゃべりをしている者が大半だ。
そんなだらけた空気の中、
春先はポカポカと気持ちのいい席だが、30度を超えた今の状態では蒸し焼きと変わらない。
そんな環境で背筋をピンっと伸ばし微動だにしない姿は、一見すると優等生の食品サンプルのようである。
しかし、真面目に授業を受けているのかといえば、そんなことは全くなかった。
シャープペンを握りしめ、教科書とノートを広げ机に向かう。
その姿勢だけ見れば文句なしの満点なのだが、ペンを握る手もまた、微動だにしていないのだった。
武流が2年生に進級して2ヶ月近くが過ぎ、この席から眺める景色はすでに見慣れた物になっている。
それなのに、武流は開け放たれた窓から教室の外に目を向け、青い空を一心に眺めていた。
武流の心はまばらに漂う雲のなか、ひときわ大きな一つに囚われていた。
─―素晴らしい形だ、大きさも丁度いい。先端の形状などは判然としないか、色は薄めだな……、さわる事ができれば張りも確かめられるのだが―─
一見すると、ただ放けているだけのように見える。だがしかし、武流の脳内では様々な想いが交錯していた。
現在の教室内においては、断トツの集中力を発揮している。
もっとも、その研ぎ澄まされた集中力のせいで、授業の内容は他の誰より聞いていないのだが。
「……らい」
「おぃ …くらい」
武流の極限状態ともいえる思考の海に、何者かの声が割り込んで来る。
「桜井!」
怒鳴り声で思考は乱れ、現実へと帰還した武流は声の主へと目を向ける。すると、現国担当の山本が呆れた顔を浮かべていた。
「お前さ、授業中によくそこまでボケ~っとしていられるな。女のケツの事でも考えてたのか?」
「いえ、乳房です」
間髪入れず武流が答えると、男子数名が思わず吹き出す。
一方、女子の大半はクスリともせず、能面のような顔で黒板に向かっていた。武流が在籍する2年1組では、実に日常的な光景である。
堪えきれず、完全に笑いだす男子とは対照的に、女子の温度は目に見えて下がっていく。
ますます失われていく表情は、乳房発言をした武流本人だけでなく、それを笑う他の男子に対しても遺憾の意を示していた。
「あ~、何でもいいが、もうちょっと集中しろ」
山本がため息まじりにそう言うと、武流はスッと胸を張って見せる。
「集中してます」
「授業にだよ!! おらおら、お前らもだぞ! ほら起きろ!」
とばっちりを受け、のろのろと顔を上げる生徒を横目に、山本はくるっと黒板に向き直る。
そして、顔だけを武流に向け「終わったら集合」と言うと、カツカツと板書を再開した。
※ ※ ※
私立
男女比はほぼ同じで、そこそこの進学率と活発な部活動を売りにしているが、実際はゆるめな校則と、制服のデザイン目当てで入学してくる生徒が大半である。
そして武流はというと、中学の進路相談で当時の担任(男・36才 独身)に、男女比率1対9(1が男子)以上の学校へ行きたいと訴えたところ、いままで見たことのないような真顔で。
『人生舐めんな』
と、言われた上での選択であった。
せめてもの悪あがきとして、現実的に通うことができる範囲で、もっとも女子比率の高い学校がここだったのだ。
この学校に入学してからしばらくは、あの時もう少し粘ればよかったと考えることがあった。
しかし、2年に進級した今となっては、その気持ちもかなり薄れている。
昼休みに入り、教室には授業から解放された生徒の喧騒であふれていた。
そんな楽しげな空気の中、教卓の横で武流と向かい合う山本は、目頭を押さえ大きく息を吐きだした。
「はぁ~、お前はどうして成績いいんだろうな? もうむしろ腹が立つ」
山本は教師としてあるまじきことを口走り、ふたたびため息をついてから武流に目を向ける。
そんな一教師の苦悩など知る由もなく、武流はぐっと胸を張る。
「日頃の努力の賜物です」
「それはいい心がけだ。けどな、教室でおかしな事を口走るのはやめておけ」
「恥じる心はありません」
その言葉通り、武流は堂々とした仁王立ちを見せつける。その姿とは対照的に、山本は疲れた様子で肩を落とした。
「周囲に気を配れって言ってんだよ、つ~か恥じろ、自意識過剰なお年頃じゃねぇのか?」
「はぁ……」
胸を張ったまま、気のない返事をする武流の様子に「まぁいいけど」と言ってから、山本は周囲に目配せをした。
山本は、不良少年が一念発起して教師になりました! といった風貌だが、事実その通りの経歴だった。
そんな教師特有の距離感で、生徒受けはなかなか悪くない。
教師というよりは、頼りになる先輩といった雰囲気がある。
そんな姿をあざといと嫌う者もいるが、武流は素のままの姿だろうと感じていた。とはいえ、特に好感を持っているという訳でもない。
山本は周囲に人がいないことを確認すると、ぐいっと顔を近づけてくる。突然の事態に、武流は反射的に身体を仰け反らせた。
女性教師が相手なら、この距離感も願ったりだ。しかし、男が相手では嬉しくもなんともない。
そんな武流の様子に構うことなく、山本はさらに顔を近づけニヤッと笑う。
「俺もケツよりオッパイ派だ」
そう言い残すと、山本は踵を返し教室から出ていってしまったのだった。
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