藍色の思い出

音崎 四季

ー藍色の思い出ー


東京の大学へ進学し、越してきて半年が過ぎた。

いつの時間になっても騒がしくも地元にはない違った世界。慣れてはきたが、やはり疲れるものだと実感してきたところだった。


時刻は23時。テスト勉強を終え、横になっていると着信音が部屋に鳴り響く。


『藍菜?元気しとう?良輔くんのお父さんとお母さんがね…』


久しぶりに聴く母の声から出た言葉に崩れ落ちた。


「明日…。夕方くらいにそっち帰るから…」


私の声はただただ震えていて、自分でもちゃんと話せているか不安になった。

頭の中が真っ白になりながらも、良輔の顔が脳裏を過ぎる。


「良ちゃんに会うの…いつぶりかな…。」


いくつかの不安を胸に、キャリーケースに着替えの服を詰め込み、簡単な準備を終え、いつもは1時頃に寝るのだが、24時と早めに横になった。


ジリジリと焼け付く西陽。耳を澄ませば聞こえてくるツクツクボウシの鳴き声。

寂れた駅のホーム。壁一面に誰かの名前のような落書きが施されたタクシー乗り場までの細長い通路。

何も変わってない、ここは。思い出すことさえ鬱陶しく感じる。


「金田まで。お願いします。」


都会とは違い、争奪戦になることなくタクシーを捕まえ、地元へと行き急ぐ。


「ただいま」

「藍菜!なんで連絡くれんとよ。みんな心配しとったんよ。」


戸を開けるとすぐに飛び付かれる勢いで母が駆け寄ってきた。

飛行機で2時間、電車で1時間半揺られて帰ってきたので疲れのせいか少し母に鬱陶しさを感じた。


「ごめんね。汗かいてるから、お風呂入るね。」


私は逃げるようにお風呂場へ駆け込んだ。

何も考えたくはなかった。

大好きだった幼馴染の両親が亡くなったこと、あの日を境に話さなくなった良ちゃんのことも。


「お通夜は19時からやからね。早く準備しいよ。」


ドア越しに聞こえる母の声。渋々お風呂を上がり、階段を上がるとすぐ左にある自分の部屋に行く。


「やっぱり会うのかぁ。」


ため息と共に言葉が溢れる。


近所にあるお葬式会場についた。

私は自然と参列者の中から良ちゃんの姿を探していた。

私はなにを話すのだろう。そんなことを考えながら歩いてる私に良ちゃんから声をかけられた。


「お前。来てたのか。別に来なくてもいいのに。」

「えっと…。そんな訳にも行かないよ…。それに…。」


言いかけた言葉が人混みの中へ消えていった。背を向け歩き去る良ちゃんに何も言えなかった。


「藍菜じゃん!久しぶり!」


気持ちも落ちた暗い私に声をかけてくれたのは親友の樹里だった。


「良輔、なんであんなに冷たいの?」


私は樹里に見透かされた気でいた。私の隠し事にはなんでも気付いてきた樹里にはごまかせないと思った。


「いや…。実は…。」


樹里にありのままを話した。

小学校の頃からずっと仲良しだった良ちゃんとは家族ぐるみの付き合いもしばしばあり、運動神経が良く、クラスの中心にいた良ちゃんに片想いしていた。

中学に入学してからは持ち前の運動神経を活かし、バスケットボール部の新しい主将になるなど、私とは違いどんどん成長していった。

私はそんな良ちゃんを見ているだけで嬉しかった。そして中学2年の秋。


私は良ちゃんに告白された。


何が起こっているのかも理解が追いつかなかった。思い出せるのはただ嬉しさに心を踊らせる自分がいたことだった。


「答え…。明日聞かせてほしい…待まってるから…。」


いいに決まっている。私も好きでした。その言葉を言えずにいる自分に腹がたっていた。

しかし、良ちゃんの震える声に釣られ、「また明日。」そう答えてしまった。

そして、良ちゃんと別れ、舞い上がっている私は帰っている最中、同じクラスで良ちゃんのファンである亀井 沙也加さんたちに囲まれ、人気のない脇道へと誘導された。


「松木さん。良ちゃんから告白されたんでしょ?」

「良ちゃんが本気で言ってると思ってるの?」

「お前遊ばれてるの。立場考えなよ。」


髪を捕まれ、暴力を振るわれた。

人生で初めて人に叩かれた。

服は泥だらけになり、膝は酷い擦りむき傷を負ってしまった。

元々私は体が弱く、目立つことなど無く、「陰キャラ」という言葉そのものだった。


「明日。断りなよ。あと、一生良ちゃんと話さないでね?」


その言葉を最後に沙也加さんは去っていった。さっきまでの幸福感は一瞬にして恐怖に変わった。

次の日、沙也加さんたちが影から覗く中、私は良ちゃんを呼び出した。


「私、良ちゃんのこと嫌いだから…。無理なの。ごめん…。」


恐怖には勝てなかった。初恋であり、大好きだった人に言う"嫌いだから"という言葉。

青春という淡く甘酸っぱい瞬間を私は自分の手で終わらせてしまった。


「さよなら。」


涙を一心に堪え、その場を後にした。


「藍菜…。大丈夫…?」


樹里の言葉でハッとなった。

気がつくと私は涙を流していた。誰にも話したことがなかった私の過去。私は怖くて震えていた。


「思いを伝える怖さは誰でも一緒なんだよ…。だから大丈夫…。ありがとう…。」


樹里はそう言って私を強く抱きしめた。救われた気がした。

鐘の音とお経が響く暗くも赤い空。私は涙を拭き、参列した。

お通夜は無事に終わり、実家に帰り着く。

涙で腫れた目を家族に見られるのが恥ずかしく、すぐに部屋に戻った。

いつしか私は眠りについてしまった。



9月の夜は8月ほど暑くはないが、どこか息苦しく目が覚めてしまった。


「喉乾いたな…」


耐えきれなくなった私は1階に降り、廊下の先にあるリビングに足を運ぶ。明かりをつけ、冷蔵庫に手を伸ばす。


「まだ起きてたのか」


気がつくとそこにはお父さんが目を擦りながら立っていた。


「俺も喉が乾いてな…」


深夜2時。お父さんと過ごす時間。私は意外にも新鮮な気持ちでいた。


「良輔くんと。何かあったのか」


気付いてたんだ。あの日、私が泣いた夜。私は恥ずかしくも言えずにいた。


「後悔はな…時間が経てば経つほど痛くなる。」


多分、お父さんは知ってる。あの日、良ちゃんを傷つけたあの日の後悔を。


「私、戻るね。」


そう言って早歩きで部屋に戻った。ベットにうつ伏せ、無理にでも寝ようとした。

でも無理だった。どうしてもあの日の情景を鮮明に思い出してしまう。

私は何をしたいのか。そればかりを考えてしまう。

昔から弱い自分が嫌だった。周りの意見に合わせ、ただ流れに身を任せてきた自分が嫌いだった。

誰かに頼る自分にうんざりして、大学も都内の大学を受講した。

いつも逃げてばかりだった。


「変わりたい。」


いつしか私は良ちゃんに謝ることを考えていた。


結局、寝れないまま朝を迎えた。

寝ても疲れが取れなかったためか、朝日を睨めつけてはもう一度布団を被る。

気がつくと昼を回っていた。

お葬式は家族のみで行われたので、参加することができなかった。


「お腹空いた…。」


家族は全員仕事のため、家にはもういなかった。仕方がないので、歩いて5分程度の所にあるコンビニまで行くことにした。

昨夜、あれだけ落ち込んでいたのにも関わらず、お腹が空いている自分に少しだけ安心できた。


「お。松木」


心平くん。良ちゃんの親友であり、私と心平くんは小学校から高校までクラスが一緒だった。


「昨日声かけられなくってさ。なんかあったの?」


樹里やお父さんに励まされていた私はどこか前向きに考えるようになっていたため、心平くんに相談することにした。

全てを心平くんに話した。するとなにかを思い出したように心平くんはハッとした表情をみせた。


「そんなことあったのか。だから良介あんとき…。」

「落ち込んでた…?」

「泣いてたよ。良介が泣いたのを見たのはあん時が初めてだった。」


前向きだった心は密かに折れてしまった。今にでも泣きそうな私をみて心平くんは笑った。


「泣くなよな。んで、お前はどうしたいの?」

「誤解を解きたい。」


その一言を言うのに時間はかからなかった。


「んじゃ、それでいいじゃん!」


心平くんはまた笑った。今度は釣られて私も笑ってしまった。

そう、それでいいんだ。結局私は今まで怖かっただけなんだと再確認した。

謝ろう。その決意は揺るぎないものだった。


「私、今日良ちゃんに謝ってくる」


心平くんは私の目を見るなり手を降って背を向けた。


「今日、夜の11時に金田公園で待ってる。」


家に帰るなり私は、良ちゃんにLINEを送る。

既読がつくのかも繋がっているのかすらも分からないずっと前からあるLINE。縋るしかなかった。それが私と良ちゃんの唯一の繋がりだったのだから。

私は、ただただ時間が過ぎるのを待った。


私は20分早く、徒歩3分程度の所にある金田公園についた。小学校の頃に良ちゃんや心平くん、樹里と遊んだ思い出の公園だった。昨日の夜とは違い、少し冷え込んでいた。

思い出に浸っていると20分は簡単に過ぎていった。良ちゃんの姿はまだない。やっぱりブロックされてたんだ。

なにかを変えることの難しさは計り知れないものだと知った。僅かな希望に縋った自分を蔑むように帰路につこうとした。


「待てよ。」


振り返るとそこには息を切らせながら両手を膝に付き俯く良ちゃんの姿があった。


「良ちゃん…。」

「急に呼び出しといてなんだよ。話って。」


あの時の光景が蘇る。好きを伝えてもらった。それを裏切ったその日を。

堪らず私は涙を流した。泣かないって決めたはずなのに。良ちゃんを前にすると自分が自分じゃなくなる感覚に襲われる。


「俺、そんな暇じゃないんだ。泣くだけなら帰る。」


良ちゃんはそのまま背を向け、歩き出した。

昨日の夜と一緒だ。また私は伝えられず終わりを繰り返す。

ごめんなさい。なぜその一言が出ないのか悔しさに駆られ、涙が止まらなくなる。呼吸も段々荒くなる。こんなはずじゃなかった。


「まって」


自分でもこんな大きな声が出るのかと疑うほどの声を振り絞った。


「なんだよ。」


私はそのとき良ちゃんの顔が泣いているように見えた。苦しかったのは私だけじゃなかったんだ。その想いが背中を押してくれた気がした。


「あの時、私は良ちゃんのことがずっと好きでした。ずっと。ずっと前から」


想い続けた言葉が震える声と共に外へ流れ出していく。溜め込んで生まれた亀裂を埋めるように。

良ちゃんは少し間を置いて、深いため息をつき何かを決心したかのように私を見つめ口を開いた。


「ほんとは…。後で知ってたんだ。亀井に脅されてたこと。お前がそんなこと言うはずないって…信じてやれなかった…でも俺、部活に支障が出ることが怖くて…。何も出来なかった…。」


私は言葉を失った。謝らないでほしかった。私が悪いのに。

良ちゃんはその場に崩れ落ちた。良ちゃんが泣く姿を見たのはこの瞬間が初めてで、私にみせた最初の弱い良ちゃん。

今の私にできることがなんなのか、分かった気がした。

私は良ちゃんのそばにいることはできない。好きが故に。いちゃいけないんだ。

泣き崩れる良ちゃんを振り切るように私は帰路についた。

地元の夜の匂い、良ちゃんの泣き声、なにもかもが私にとっては居心地の良い悪夢だった。



久しぶりの藍菜の声。

俺にとってその声は、心の底から大好きだと言える人の声だった。

あの頃の続きはもう見ることはできない。でも、それでいいんだなって。俺は気持ちを割り切っていた。はずだった。


『昨日はごめんなさい。今日のお昼過ぎに東京へ帰ります。お元気で。』


藍菜からのLINEだ。

"お元気で。"なんて藍菜らしくないこの文字にどこか安心感を覚えていた。

なにもせずぼーっと天井を見ていると着信音が鳴り響いた。心平からだ。


「もしもし?」

「お前、松木行っちゃうぞ。」


わかってる。わかってるんだ。でももう遅い。なにもかもが。


「お前が行かなくてどうするんだよ。昼過ぎっつってたけど、本当は11時の電車で帰るんだよあいつ。お前に会うと泣いちゃうからって。わざと違う時間伝えたんだよ。」

「…え?」


会う気はもうなかった。なかったはずだった。

次の電車まであと10分。これを逃すともう会えない。俺は今までにないほど悲しさと虚しさに包まれた。


「んで、どうすんの。」

「わりぃ。あとでかけ直す。」


じっとしていられなかった。全力で走った。昨日言おうと思っていた言葉は懺悔だけじゃなかった。

もう一度、あの瞬間に戻ってほしかった。

部活頑張ってたのは藍菜が見てくれてたから。

勉強もそうだ。なにもかもお前のために頑張れた。


息を切らせて涙を流し、一つ一つの想いを噛み締め俺は駅へたどり着いた。

空は蒼く、なにも無かったかのように真っさらだった。


想い出とは時に優しく、時に意地悪だ。

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