第5話 エレップ・ハント
「クラリスさん。次ですよ、エレップ・ハント」
「え、あ、うん」
肩を叩かれた。
「あー。CM入っちゃった」
一瞬だけ暗転したモニターにわたしの顔が反射した。
ぼさっとしたセミロングに黒いシャツ。輪郭はそこまで細くできなかったけれど、ミシェルを真似していることは伝わるんじゃないだろうか。となりにいる丸い雰囲気のヒカリさんが、まるで八年前のわたしのように思えた。
まったく。
せっかくヒカリさんを呼んだっていうのに、昔の彼女のことを思い出すなんて、我ながら不貞な輩だ。
ヒカリさんの肩を抱き寄せて、耳たぶに唇をつける。
「あっ。くすぐったいです」
「かわいかったから」
「もう。クラリスさん」
照れながら、お返しとばかりに向こうのほうから唇をつけてきた。
触れるだけの軽いキスを繰り返すうちに画面が変わる。
体を重なり合わせたまま、テレビに視線を戻した。
定期的に催される、長時間生放送が売りの音楽祭めいた番組だった。
アイドル上がりの司会者が興奮した様子でエレップ・ハントを迎え入れる。
『生放送へのご出演はなんと初めて! エレップ・ハントさんです!』
収録にかけつけた観客の、拍手はもとより歓声がすごい。
大きな花火を、何発も同時に地上で破裂させたような圧がある。
女性の高い悲鳴もあれば、男性の低い怒号も混じっていた。
エレップ・ハントが司会者に歩み寄りお辞儀をしてもまだ、観客は収まらない。こういう番組はサクラが入ることもよくあるけれど、生放送でこの熱狂ぶりはさすがに本物だろう。
渦巻く喧噪のなかで、エレップ・ハントだけが黒く立ち尽くしていた。
彼女だけの小さな世界を刻み付けていた。
「そういえばクラリスさんって、エレップ・ハントとそっくりな恰好ですよね。クラリスさんも大好きなんじゃないですか?」
「たまたまだよ。わたしがこの恰好なのはもっと前からだから」
もとはとあるバンドの真似だ、と言って伝わるかどうか。
世代の問題だから仕方ないとして、いまだにこんな恰好をしているわたしのほうが変人扱いされるだろう。
『今日もトレードマークのモッズスーツとマスクが決まってますね。エレップ・ハントさんは目標としているミュージシャンを公言されていますが、この服装もその影響なんですよね』
エレップ・ハントもかなりの変人だ。
この時代、物まねすれすれのことをすれば元ネタの古参ファンからは相当なバッシングを食らいそうだけど、エレップ・ハントは構わずメジャーデビューを果たして、実力で黙らせた。
ある意味では、ミュージシャンの鑑かもしれない。
『はい。わたしがこれを着ていないと嘘ですから』
『お聞きですか、みなさん。エレップ・ハントの地声ですよ。落ち着いたハスキーボイスなんですね。僕、思わず鳥肌立っちゃいましたよ』
ふたたび湧き上がる観客。
「エレップ・ハントの地声、思ったより低いんですね。かっこいい。わたしも鳥肌立っちゃった」
楽曲でもまともな声は出していないのだから、地声の衝撃はなおさらだろう。
司会者も隣にいるヒカリさんも、寒がるように肩を抱いてこすっている。
わたしは別の意味で鳥肌が、いや、悪寒が走った。
背骨が氷みたいに冷たい。
どうしていまになって?
その疑問が頭を離れない。
いや、伏線はいくつかあった。
どうして気づかなかった。
気づきたくなかったんだ。
ライブはあそこで終わった。
ミシェルとわたしの世界は八年前に終わっていた。
だからこそ、どうしてエレップ・ハントがここにいるのかわからなかった。
エレップ・ハントは、ミシェルだ。
声もその話し方も、八年前と全く変わらないミシェルだ。
八年前。
四弦を切ってライブを終えたミシェルが、エレップ・ハントとしてテレビに立っていた。
『今日は、どうして生放送への出演を決められたんですか?』
『わたしがこの服装をしているのとも関係あるんですけれど、わたしが目標にしているバンドは、わたしが生まれる前に解散していました。ギタリストのかたに至ってはわたしが音楽を知るころには亡くなっていました。わたしは、もう終わってしまったひとつの世界をずっと追いかけているんです。その終わった世界というのはファンのかたや音楽業界のかたがずっと語り継がれていて、言い方を変えると、わたしは残された記憶をずっと追いかけているんです。記憶はあたたかいものですが、残念ながら実体がありません。空虚なものです。ひたすら過去に向かっていくだけの行為ですから』
聴衆の反応を探るように、一呼吸。
『それは寂しいことですし、わたしにはどうしようもありません。みなさんだって、好きなミュージシャンが解散したり引退すると悲しいですよね?』
観客から悲鳴がいくつか上がった。
この出演が引退会見だと早合点したのだろうか。
エレップ・ハントはにっこり笑って落ち着いて落ち着いて、とジェスチャーをする。
『でも、この世にはもう存在しない愛しい存在を追いかけることは、美しいことだと思うんです。悲しいだけじゃ、寂しいだけじゃない。思い出はいつまでも色褪せなくて、どんどん美しく膨れ上がって、人生に深く根を張っていくんです。わたしは、終わった世界の美しさを知れたことで、いまこの場に立っています。皆さんにもぜひ、わたしの曲を通じてその美しさを感じてほしい』
その思いに応えようと観客たちが今日いちばんの声を上げた。
『自分の言葉で伝えようと思って、今日はここにきました。あとは、個人的なことなんですけれど、昔、毎日のように付き合ってくれた人への報告もかねて』
エレップ・ハントが見事なカメラ目線を決める。マスクとモニターにさえぎられているというのに、わたしは射抜かれているような気になった。
『エレップ・ハントさんのメッセージは届きましたかね』
『届いたと思います。届いたら、連絡してね』
見守るような、あたたかい拍手が会場を包んだ。
司会者がすっとことばを挟み込んでステージを進行させた。
拍手は徐々に苛烈さを増し、稲妻と聞き間違えそうなほど。
舞台にはエレップ・ハント、いや、ミシェルと、その後方でライトから隠れるようにバックバンドが並ぶ。
ミシェルは八年前と同じテレキャスをスタッフから受け取って、掻き鳴らした。
わたしには絶対音感なんて便利なものはないけれど、本能的にわかった。
だてに耳に染みついていない。
テレキャスが奏でる音は、あの世界の終わりについての曲のイントロと同じ。
オクターブDだった。
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