第3話 オクターブD
ミシェルと出会った夜。
早速、ミシェルのあだ名にもなっているバンドの曲をダウンロード購入した。
大量の曲がリリースされていて目移りしそうになったので、デビュー曲はどれなのかネットで調べた。
バンドがわたしの生まれる前にはもう解散していたこととか、ギタリストがすでに亡くなっていることとかも、そのときに知った。
八十年代後半の曲ばかり聞いてきたわたしにとって、好きになったバンドがすでに存在していないという経験はありふれたものだった。
再結成や復活ライブもありふれていた。
だけどミシェルの愛するバンドは、ギタリストが他界している以上、再結成なんて絶対にありえない。サポートメンバーを入れて無理に復活したとしても、納得しないファンは多いだろう。
そんなことを思いながら、ダウンロードしたばかりのデビュー曲を再生した。
ギラギラしたギターリフに骨太なリズム隊が続き、いまにも引きちぎれそうなダミ声が世界の終わりについて歌っていた。圧力が強い一方で、不思議としみこんでくる切なさもある。
ずしりとくる熱が、全身を駆け巡っていった。
その夜はなかなか寝付けなかった。
次の日も、起きたそばから延々とヘビロテした。
連続再生が途切れたのはミシェルとの約束の時間。
ちょいちょい、と肩をつつかれて振り返れば、昨日と同じ恰好でミシェルがにやついていた。
「音漏れしてたよ。よっぽど気に入ってくれたんだね」
「ま、まぁね。やっぱりこういうのは爆音で聞かないと」
恥ずかしいところを見られたような気がして、大急ぎで話題を変えつつ、
「それよりミシェル。その荷物」
「うん。約束の品。ギターとアンプ。アンプは小っちゃいやつだけどね。音質は保障するよ」
背中には旅行トランクみたいなギターハードケース。
左手には一抱えある頑丈そうな布袋、なかにアンプが入っているんだろう。
エフェクター類はないもののかなり大荷物だった。
「ていうか大荷物持たせちゃってなんか、ごめん」
「いいっていいって。こんだけ話せたのも、わたしのギターを聞きたいって言ってくれたのもクラリスが初めてだったし。それに、こういう重労働はギタリストなら誰しも通る道でしょ」
「そういうもんなの」
すらっとした黒いスーツ。
ぼさっとした黒いセミロング。
背負ったハードケースは黒いうえに真四角で無骨。
こんなギタリスト、世界のどこかにいそうで、実はミシェルもプロのギタリストなんじゃないかという錯覚に陥りそうだった。
それくらいこの装いが、ミシェルには似合っていた。
「さて、行こうか」
「あ、待って」
きびきび歩き出そうとしたミシェルが、
「うきゃっ!」
黄色い悲鳴とともにバランスを崩した。
「あっ――」
人生でいちばんの反射神経を発揮して、幸いミシェルが地面と激突する前に受け止めることができた。彼女の体は驚くくらい軽くて細かった。
「は、はは、さんきゅーさんきゅー」
「重いもの持ってるんだから気を付けないと。ギターもアンプも大事なんでしょ?」
「そりゃあ、ね」
苦笑いするミシェルは、すこし気まずそうだった。
わたしは変に安心した。
彼女のしぐさが急に、わたしと同じ十八歳の女子大学生めいて見えた。
さっき音漏れを指摘されたのと合わせて、一勝一敗、五分だな、なんて思ったりもして。
「ていうか、なんでこけるとき両手を広げるの。漫画みたいじゃん。顔から落ちるよ」
「いや、ギター弾いてるでしょ。腕は怪我しちゃいけないし、ギターもアンプも守らなきゃだし。ってなると、顔面で受けるしかなくない?」
前言撤回。
ミシェルはただのギターフリークだ。かなり重度の。
ものすごい顔をしていただろうわたしは、ミシェルに腕をひっぱられて変な臭いのする建物に連れてこられた。半年ぶりに箪笥から引っ張り出した冬物布団のカビ臭さを、もう少し暑苦しくした感じ。
学生会館という名前で、文科系のサークルが使っているらしかった。
ということは、音楽系サークル用の設備もあるわけだ。
ミシェルは六畳ほどの個人練習室を借りていた。建物に比べると真新しい。
絨毯みたいな床に白い壁、ドアもぎちぎちに密閉されている。アップライトのピアノもある。
「こんなところ使っていいんだ」
「申請さえすればサークルに入ってなくても使えるみたい。ありがたいよね」
ミシェルはケースからギターを出して肩にかけた。
まるっこくてかわいらしいボディーは黒。
表側の半分くらいを赤鼈甲のピックガードが覆う。
中央には四角い金属部分がふたつ。
隅にはスイッチ類が合計四つで、うちひとつはドクロをかたどったツマミ。
エレキギターの王道機種のひとつ、テレキャスター。
それもとびきりプレミアムなカスタムモデルだった。
「すごい、本物のエレキだ。高かったんじゃないの」
「まぁね。でもわたしがこれ持ってないと嘘でしょ」
「へぇー」
「ギター、見るのは初?」
「うん」
「自分で弾こうと思ったことはないの?」
話しながらミシェルは、テレキャスを手のひらサイズの機器と接続して、六弦から順番に鳴らしていく。
「弾いてみたいっていうのは何回か。でも、聞いてるほうがわたしはいいかな」
「なるほどね。ライブは……あ、そっか。クラリスの好きなバンド、三十年前にはみんな解散してるもんね」
「やっぱ好きなバンドじゃないとライブに行く気になれないっていうか」
「確かに。でも昨日の財布のギタリスト、いまでもソロ続けてるでしょ。ライブもちょくちょくやってるし、フェスも出るよね」
「なんていうか、ちょっと違うんだよね。ソロも好きなんだけど、やっぱりいちばん聞きたいのはソロじゃなくて、バンドのときっていうか」
「わかる気がする。難しい趣味だよねぇ。――よし」
会話が終わるころにはチューニングも完了して、わたしはピアノの椅子に座る。
ミシェルはアンプに腰かけて、股の間からボリューム類を操作した。
つまみはすべてマックス。
いわゆるフルテン。
テレキャスとアンプの間には余計な機器は何もない。
両者をつなぐシールドもぴんと張るくらい短い。
ギターとアンプを直接つなぐ、いわゆるアン直。
馬鹿なくらいシンプルで猿にもできそうな音作りだけれど、だからこそ機材のクオリティと奏者の技術力が如実に表れてしまう。
自らのセンスに合致する機材を揃え、指先だけで微細なニュアンスを奏でられる、そんなギタリストだけが使いこなすことのできるセッティング。
これが、伝説のアン直フルテン。
ミシェルくらいのギターフリークならエフェクターだってそれなりの数を揃えているに違いない。
なのに、アン直フルテンというごまかしの一切きかない音作りを選んだというのは、これは戦いなのだ。
彼女はありのままの彼女でギターを奏でようとしている。
それくらい自分の腕前に自信があるのだろう。
そして、この音をわかってくれるはずだ、とわたしのことを信頼してくれているのだろう。
受けて立つ。
わたしのライブ処女はミシェルのものだ。
密室でのタイマン。距離二メートルの特等席。
まったくもって、惜しくない。
「じゃあ、何弾こうか。……さっきクラリスが聞いてたやつがいいかな」
おもむろにミシェルは、三絃七フレットに中指を置いた。
曲目は、ミシェルが愛するバンドのデビュー曲。
昨夜から今日にかけてずっとヘビロテしていた、世界の終わりについての歌。
掻き鳴らされる三弦七フレットと解放四弦のオクターブD。
世界の終わりは、Dから始まる。
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