ザ・ニューワールド

桜松カエデ

ザ・ニューワールド

 個人判定機器である眼鏡型スキャナー、通称『アイズ』。それを通して見えるのは、夜空に輝く星よりも明るいビル群の光。

 刈白幸太朗高層ビルの屋上から地上を見下ろし、アイズが反応したことを確認する。

 幸太郎がアイズのレンズ越しに見ている男の顔に赤色のマーキングが付き、表示されている名前の一覧も赤に輝く。

 男と名前が一致している証拠で、それがいくつもリストアップされていく。

「リスト該当者、複数ありだが、数日前にキュアライフ血中濃度報告済み……異常なしだ。リヌア、そっちは?」

 数メートル離れて立っている三上リヌアは金髪の髪を風に揺らし、目を細めて摩天楼の一画を見つめた。ビルから距離にして五百メートルにある広場、そこにかなりの数の人だかりができている。

「数人、しばらくチェックしてない人がいますよ。マジックデュエルの最中ですけど、どうします先輩?」

 流暢な日本語を話す彼女はスキャナー越しで行われている決闘を正視する。

「行くに決まっているだろ。キュアライフの摂取をするように言うのは、俺たち社統部の仕事なんだぞ」

「は~、ほんと、先輩は仕事の鬼ですね。よくあんなところに突っ込んで行けますよね」

 首を横に振って大きなため息を吐くリヌアだが、いつものことだ。幸太朗は特に気にもせずに、彼女が見ていた方へと視線を向ける。

 スキャナーのレンズに映し出されたのは該当人物の名前と住所。体重に身長、それと学歴や思考方向性なんかだ。しかし今確認すべきはキュアライフ薬物血中濃度の測定値だ。

 リヌアが言った通り、規定値に達していない奴が数人いる。

「仕事だからな。ほら行くぞ」

 ちらりと後輩を一瞥した幸太朗はそう言うと、屋上からふわりと身を投げ出して、ネオン光る地上へと急降下する。

「あっ! ちょっと待ってくださいよ!」

 叫んだリヌアが後を追って飛び降りてくる。

 ビルの外壁から僅かに離れて映し出されている街頭ホログラムを通過する。

幸太郎は大音量で流れている芸人の声を聞きながら右太ももに括り付けている四角い箱へと手を伸ばしカードを取り出す。

 それから腕にはめているグローブの疑似魔法認証カードリッジへと差し込めば、コンマ数秒遅れて幸太朗の履いている靴底から凄まじい風が吹きだし態勢を立て直してくれる。

 ブシュウゥゥゥ、と音を立てながら着地すると、少し遅れたリヌアも僅かによろめいて降り立った。

「エアウォークの疑似魔法くらいは制御できるようになれ。新人とは言っても、今更使い方を教えることはしないからな。」

「分かってますってば。てかちょっとよろけただけだし……」

 幸太朗とリヌアはそれから目的地の方へと目を向けると歩き出した。

 アイズに映し出されている地図をたよりに、人ごみに流されていく。

ビル群の間を縫う車道を走るのは完全自動化された自動車だ。SF作家が夢に見た様な空を飛んでいる車が無いわけではない。

その代わり巡回ドローンが数十メートル上空をプログラムされた通りに飛翔して、逐一町の状況を警察の監視サーバーに送り続けている。

もちろん警察に所属している二人はこのリアルタイムな情報を見ることができる。

 幸太朗は空中を滑る様にして通り過ぎて行ったドローンを一瞥して口を開いた。

「該当人物の数日前の行動は?」

「ちょっと待って下さい。今、検索します」

 リヌアが歩きながら答えると、数秒してから。

「特に問題は無さそうです。SNSの発言に関しても過激なものはないですね……一応データを送ります」

 幸太朗のアイズにリヌアが脳内チップ記憶領域で検索した個人の数日間の移動歴や、買い物の履歴などが映し出される。

「聞き取りで得られた自然記憶領域に関する情報もありますけど」

「一応送ってくれ」

 現状、人の脳内には記憶領域が二つある。

それが脳内チップ記憶領域と自然記憶領域だ。

脳内チップ記憶領域はネットにアクセスし、必要な情報を瞬時に取り出す技術だ。もちろんデータは他人と共有できるし、自分専用のサーバーが一人一つは与えられるため保存も可能だ。

 このおかげで今まで暗記科目と言われていた教科は全て無くなり、創造性が必要な授業が学校で取り入れられている。

 逆に自然記憶領域は生体での記憶する部分のことを言う。忘れることを前提としているため、裁判での証言や捜査の情報として殆ど用いられることは無い。だが、この部分にこそ知られたくない記憶が存在するのだ。

 なにせ脳内チップ記憶領域は公正情報管理局からアクセス権を求められると拒否が出来ない。犯罪の実行計画や闇取引の日時をわざわざ入れる輩なんていないのである。

「行動と思考の一致が確認されているし。多分キュアライフの摂取を忘れてるだけだろうな」

「でも調査はするんですよね? 忘れているだけならスマホに連絡行きますし、別に言いに行かなくてもいいじゃないですか」

 一定間隔の距離を開けて歩いているリヌアが不満そうな表情をする。確かに問題が無さそうならば出向く必要はないのだがそうもいかない。

「リヌア。俺達、社統部はな……」

「犯罪履歴の人間を取り締まる事で未然に再犯を防いでいる重要な役目を担っている部署なんですよね? その為にはこくみん健康委員会から配られている『キュアライフ』を正しく服用しているかがカギになる……でしたっけ?」

 リヌアがもう聞き飽きたといわんばかりの顔をする。

「ああ。『キュアライフ』は国民の健康維持のために配られてるってのはもちろんだが、気分を落ち着かせて冷静な判断を出来るようにしてくれる」

 だから、犯罪履歴のある奴らは尚更服用しなければならない。また感情的になって事件を起こされたらその責任は社統部に行くしな。

「まあそこまで分かっているなら、ちゃんとしろよリヌア」

「はあ、先輩がだらしない男の人だったら言い返せるのにい」

「残念だったな。ま、俺がだらけていてもリヌアには見つからないようにするさ」

 地図に映し出されている場所にたどり着くと、熱狂している人だかりがあって、それらを押しのけて二人は現況へと進んでいく。

 この騒ぎの中心にいるのは、幸太朗達と同じような格好をしている二人の若者だ。

衝撃緩和スーツを着て、両腕にはグローブをはめている。履いているシューズも僅かに靴底が厚く底には穴が開いている。

疑似魔法ができてから行われる決闘、マジックデュエルの最中なのだ。

「っしゃあ! これで終わりだ! ファイヤーボール!」

 短髪の男が腕のカードリッジにカードを差し込み、それから指を鳴らす。

すると小さな火花が散って手の平に丸い炎が生まれた。グローブに仕込まれた装置が火を消すことなく形を作っているのだ。

「燃えろっ!」

単髪の男はすかさず相手に投げつけた。

 もう一人の男も疑似魔法を発動出せる。

「負けてねえっての! ウォーターバリア!」

 そう叫んで両手を突き出すとグローブの表面に数秒で水滴が集まり、凝縮されて円状に薄く広がった。

 炎と水は互いにぶつかり合い、お互いを相殺するも、二人は既に次の手を打っている。シューズから勢いよく発せられた風圧を利用して、地上を滑る様に移動し相手に迫る。

 肉弾戦が始まるのは目に見えていたが。

「二人ともそこまでだ。一旦マジックデュエルを中止しろ。キュアライフの血中濃度を調べさせてもらう」

 そう言った幸太朗に、ぶつかりそうになっていた二人がぴたりと止まり、観客も静まりかえった。

「なんだ社統部かよ。このまえチェック受けたぞ」

短髪の男が唾を吐いて睨みつけてくるも、

「いつだ? 検索結果では、前回の接種期間から三週間たっているぞ。キュアライフの接種は一週間に一度だろ」

 幸太朗は一切動じないでさらに前へと歩き出す。

 男は舌打ちをしてカードに手を伸ばしたが、警察に所属している幸太朗には危害を加えることは出来ない。

「刈白幸太朗の権限で今すぐに疑似魔法を停止させる」

 脳内チップから発信された情報は瞬く間に、疑似魔法の管理を行っているフェイクマジック株式会社に送られ、男の行動が無意味になる。

「くそっ、疑似魔法が発動しねえ! こんなの横暴だ!」

「ただ濃度を測るだけだろ。数秒で済む。それとも逮捕されたいのか?」

「ったく、分かったよ」

「最初から大人しくすればいいんですよ。ちゃんとキュアライフを摂取していればマジックデュエルを中断されなくて済むんですから」

 とリヌアが腰に手を当てて額にしわを作った。

 フェイクマジック株式会社の提供する、シューズとグローブ、スーツ。それにDNA登録されたカードを使えば、誰でも大きな力を……科学の力で魔法を使っているように見せる。それが疑似魔法を安易に手に入れることができるようになった。

『発達した科学は魔法と見分けがつかない』という理念を元に展開されているサービスだが、使い方によっては従来警察が所持していた銃よりも強力だ。

 だからこそ、さっきの様に公的な権限があればすぐに止められるのだ。

「てか、警察のくせにノーガンかよ」

「よくそんな単語を知ってるな」

 銃よりも疑似魔法を使って捜査する警察の事を、銃を使わない、ということでノーガンと呼ぶ。

銃よりも疑似魔法は汎用性があっていろんなことに対処できるから、若い警察官が好んで使う傾向にある。

もっとも、昔ながらの伝統を重んじて疑似魔法を使わない奴の方が多いが。

「はい、動かないで下さいね」

 リヌアがボールペン型の簡易検査キットを取り出すと、男の腕に押し当てた。先に着いている数ミリの針が血液を吸い上げ、次にキットの側面についているランプが緑に光る。

 それを確認するとほっと安堵した息を漏らすリヌア。一番困るのはここで赤色の点滅が入って暴れられることだ。

 キュアライフの血中濃度が下がれば再犯率はぐんと高くなり、犯罪を犯していなくても刑務所行きになることが多々ある。

「これでいいかよ」

「ああ。それじゃあ次は……」

 幸太朗が対戦相手の男に目を向ける。アイズには一カ月前にチェックを受けていると表示されている。

 見たことない顔だな。

 犯罪履歴のある奴は確かに多いが、定期的にチェックするため顔を覚えることがある。まあ都心部には人口が流入して来るばかりで、犯罪者も増えているし、ここ数日でリス

ト入りした奴なんだろう。

「ほら手を出せ」

「……いや、俺は……」

「勝負はすぐに再開すればいいだろ。早くしろ。まだお前の他にも検査する奴が」

 幸太朗が促すと、なんと男は踵を返して走り出してしまった。

「あっ! ちょっと!」

 簡易キットを握っていたリヌアが声を上げる。

「エアウォーク!」

 シュウウッと靴底の超小型モーターがいくつも駆動し、またたく間に男の背中が遠ざかっていく。

しかし幸太朗とリヌアも出遅れない。こういった案件は過去いくつもあった。

「ああもう、何で逃げるとか面倒なことするんですか……!」

 悪態をつくリヌアだが、愚痴を言いながらも男の疑似魔法停止を要請した。

だが既に発動してしまっているため、効果が切れるまでは追わなければいけない。

「おい止れ!」

「はあ、はあ……誰が止るかよ! 警察だがなんだか知らねえが、捕まえられるもんなら捕まえてみろっての!」

 男が大通りに飛び出すと、たちまち何事かと通行人は騒ぎ出す。

しかし二人はその程度で見失いはしない。巡回ドローンがしっかりと男をとらえており上部に取り付けられているカメラが犯人を捕らえているからだ。

 その情報がリアルタイムでアイズに送られ、幸太朗とリヌアは道に迷うことはない。

 男は客引きを行っている自立型ヒューマノイドを倒し、それから頭上に並走しているド

ローンを睨むと。

「撮ってんじゃねえ!」

 暴言を吐きかけて大きく飛び上がり、がっしりと両手で捕まえて地面に叩きつけた。

 飛行用のエンジンがボンッと音を立てて、割れたカメラのレンズが周囲に散乱すると、

またすぐに走り出す

「リヌア、あいつの停止要請したんだよな?」

「もうとっくにやってますよ!」

 叫ぶリヌアの声を聞いて幸太朗は舌打ちをする。

 あまりにも持続時間が長すぎる。

 あの広場を出てから三分は経過している。疑似魔法のカード一枚の効力はせいぜい二分が限度だ。防犯の観点からいつまでも発動することは出来ない。それに他の魔法が使えず、戦いの場面展開が無いとエンタメとして成立しないため、フェイクマジック株式会社が疑似魔法に制限時間を設けているのだ。

 脳内チップから公式サイトにアクセスして確認してみるも間違いはない。

「ちっ、角を曲がった……路地に入り込まれるぞ」

 ドローンが本来ならば追尾しているはずだが、今は違う。逃げられれば面倒な事になりかねない。

 二人は男が曲がった場所で一度立ち止まった。

「リヌアはこのビルの屋上にのぼって上から追ってくれ! 俺はそのまま後を追う!」

 曲がり角にある大きなビル、その上を指さして幸太郎が指示を出す。

「わ、分かりました!」

 カードリッジに新たなカードを入れ二手に分かれた。

 リヌアはビルを見上げて大きく飛び上がると、三階の窓の淵に手をかける。さらにもう数回飛び上がって屋上へと降り立った。

 幸太朗と言えば、うす暗い路地に入り込み、少し前を行く男に焦点を合わせた。同時にアイズで情報を映し出す。

 名前は飯田雄大。都立大学卒業。前科は強盗で初犯。執行猶予三年。やっぱり、四日前に判決が出ているな。

「で、キュアライフの接種も行ってはいたが……吐き捨てていたのか」

 こくみん健康委員会から提供されるキュアライフは、各地に設置されている投薬機から買うことができる。その場で錠剤を服用すれば、接種日が更新され警察にも目をつけられないが、こういった『何が何でも飲みたくない』奴はいる。そういう連中は舌下に潜ませて後で吐きだすのだ。

「しつこいぞ! いい加減に諦めろ!」

「飯田雄大、お前が止れば終わる事だ。それに……お前のような輩を放っておけば、あの事件みたいになりかねない。何としても捕まえる」

 世の中を変えてしまった事件のことを自然記憶領域から引っ張り出して、幸太朗は歯ぎしりをした。

 雄大はさらに狭い路地裏に入り込み、左右の壁を蹴って上へと登って行く。

そこで幸太朗は立ち止まり顔を上げた。

「はっ! ノーガンもたいしたことねえな! そこで黙ってみてろがああああぁぁぁ!」

 下で止った幸太朗に余裕な視線を向けた雄大だが、それが致命的だった。屋上へと飛び出した瞬間、リヌアが真横から特大の回し蹴りを頭部に叩きこんだのである。

 幸太朗の目にははっきりと、雄大の顔がリヌアの足によって歪んだのを目撃した。

あれじゃあしばらく起き上がってこないだろう。

「先輩~! もうこっちで処理しますよ」

「ああ頼む!」

 上から覗いてきた後輩に手を上げる。取りあえず壊されたドローンの回収手配と交換を要請すると、リヌアがもう一度顔だけ出してきた。

「こっちは終わりましたよ! あと村井さんから連絡で、もう今日はこの辺りで引きあげろってことらしいです!」

「ああ。分かった!」


 幸太朗とリヌアが警察社統部のオフィスに着いたのはそれから一時間後のことだった。

 上司の村井春一のいる部屋に足を踏み入れると、彼は二人を見てギシッと椅子の背もたれに体重を預けた。

 元自衛隊でレンジャー過程を終了したその体は大きく、眼光も不良どもなんかより鋭い。

「今回は少し苦戦したようだな。ドローン一台とヒューマノイド一台、しかもヒューマノイドの方はホログラム機能がおしゃかになったらしい」

「それはあいつに、捕まった雄大に言ってください。子渡したのは俺じゃないんでね」

 肩をすくめてみせた幸太朗。

「ああ請求はたっぷりとしてやるつもりだ。それで俺に何か用なのか? 捕まえた後の処理には問題ないように思えたが?」

 角刈りの頭を撫でて、春一は手元の資料を目で追った。

 そう、すでに帰宅の許可は出しているはずなのだ。

「実は、あいつが使っていたカードなのですが、大幅に時間が立っても効力が失われず、調べた所、未承認カード……つまりはDNA登録を行っていないカードでした」

 幸太朗が春一に時間を取ってもらったのはこれを言う為だ。

 ポケットから出した一枚のカードを机の上に置くと、春一は肩眉を吊り上げた。

「DNA照合がなされていないのに発動できるとは信じられんが……もし本当だとすれば、かなり厄介だな」

 疑似魔法を使うには、フェイクマジック株式会社と国に対してDNAの登録が必要となる。

 国への登録は生まれたときに役所と病院が行うため、ほとんどの個人との紐づけができている。

 そして疑似魔法を発動する際の全てのカードにも、それを行ってフェイクマジック株式会社に承認を得なければならない。

 どちらか一つでもかけている場合、カードを使ったとしても疑似魔法は発動しないのだが、雄大が持っていた数枚は違った。

「非正規のカードを作れるということは、異様に強力なカードも作れるということですからね。フェイクマジックの方に製造元と出所に心当たりがないか調べてもらいます。もしこれを放置して置けば……池袋無差別殺人事件の再来です」

「あの事件からもう二十年か……二度と起こしたくない事件だな」

 春一は目を細めて腰かけに体重を預けた。

「俺が社統部に入った理由はそれですから追わせてください。あんなこと、二度と起こさせません」

「分かった、この件は引き続き追ってもいい。だが今日はもう終わりだ、お前の相棒は外の椅子で寝ている頃だろうだしな」

 そう言われて幸太朗は右手にある扉を一瞥した。その先は何の変哲もない廊下。ただ簡易ソファーが一つ置かれているだけだ。リヌアは今そこに待たせてある。

「でしょうね。組んで数か月間ですが、物理的に距離を置かれていますよ」

「今の若者の代表格だな。職務適正統計や思考編統計、行動理論基準値の把握が正確になって来ても、人の心のうちまでは明かせないってのは、やっぱり人間はどこまでも面倒な生き物だな」

「企業の面接がマニュアル化しすぎなんですよ。意欲も内面も見ないで形だけならやめればいいんです」

 小学生から大学二回生までの勉学成績、得意科目や運動能力、家庭環境などをデータ化し、職務適正統計グラフを作る。それに加えて雑誌やニュースなどの各個人が行う情報収集による興味傾向グラフや、買い物履歴から算出される好みの味や定期的な習慣を見て企業側は採用している。

 警察も例に漏れないわけだが、個人の考えまでは完全に把握できるわけが無い。リヌアのように職に適性が高くてもやる気が起らない人間は存在する。

「まあでも適宜やっていきますよ。それでは失礼します」

 幸太朗が部屋を出ると、廊下の長椅子でリヌアが舟をこいでいた。金髪を垂らして西洋の貞子みたいで少し笑ってしまう。

「起きろリヌア、帰るぞ」

 うーん、と小さな声を上げてリヌアは幸太朗の顔を寝ぼけた様子で捉え、ハッとして立ち上がり両手を前に突き出した。

「近いです、近すぎます。少し離れてください先輩」

「あのな……普通の距離だろうが」

 呆れる幸太朗をよそに、リヌアは素早く一メートルほどの距離を保つ。

「いいですか? お付き合いしないとくっ付いてはいけないんですよ」

「俺がそんなに変なことするように見えるか! ったく誰がそんなことを言ったんだよ」

「ネットに書いてありました。DNA情報で好みの外見が百パーセント見つけられる時代に必要なのは、心なんですよ。ですから、外見だけで近寄ってくる男は……」

「話しずれてるぞ。そもそも公正情報管理局が認可している記事なんだろうな?」

 情報が溢れる社会では、何が正しい情報なのかが分かりずらくなっている。真実を書かれていても、嘘に交じってしまえば見つけににくくなってしまう。

 そんなことがないようにするため設立されたのが公正情報管理局だ。国が運営する組織であり、公的な文章から全企業の従業員規約などまで把握している。ここに登録されている文章の書き換えも、全てログとして管理局が残し承認するのである。

 国お墨付きの信頼たりうる情報、というわけだ。

「いえ、まあ……認可されていない個人ブログみたいなやつでしたけど……おススメの記事ってことで広告に出て来たんですよ」

「若者のネットリテラシーはどこに行ったんだ!」

「知りませんよ~、それよりもう、今日はもう帰っていいんですよね? 私めちゃくちゃ眠いんですけど」

 話しの切り替わりが速すぎる……。

「ああ、情報は後で共有する。はいお疲れさん」

 幸太朗が首を縦に振るとリヌアは「ではまた明日」と軽く挨拶をして、さっさと姿を消してしまった。

 白一色の廊下に静寂が訪れると、幸太朗も靴音を響かせ、それから一階直通エレベーターに乗った。

 すでに二十二時を回っていて、一階のロビーを歩いていると警備ドローンとヒューマノイドがやってきて帰宅を促すアナウンスをしてくる。

 ヒューマノイド頭部にあるスキャナーを用いて幸太朗という個人を特定すると。

『社統部所属、刈白幸太朗さん。帰宅時間です。本日の残業申請は出ておりません。明日の出勤時間は……』

「分かってる。それよりも、ちゃんと警備してろよ」

『かしこまりました』

 人間のホログラムを纏ったヒューマノイドは小さく頷いて、ドローンと共に去っていく。

 つい十年ほど前まではここまでホログラムは発達していなかった。第一世代の登場があった時は、不気味の谷をそのまま具現化した様な気味の悪いモノだったのを記憶している。しかし今となってはそこら辺を歩いていても、街頭スキャナーに引っかからないと気が付かない。

 警察署を出ると真っ先に目に飛び込んできたのが、街頭ホログラムだ。人気のニュース番組が流れている。

『人のDNA解析によって、様々な病気の予測が出来る時代だからこそ、キュアライフは日々摂取しなければなりません』

インタビューを受けている女性、永久歩は長い白髪を揺らしてそう言うと、妖艶に微笑みを浮かべた。

『医療費はキュアライフが普及する前と比べて五分の一にまで減りましたね。通院しなければいけない人も減っているのだとか。これはいい傾向ですね』

『はい。しかしキュアライフが現代の万能薬といっても過言ではないのですが、実際のところ、キュアライフと同等かそれ以上に、皆さんの運動や食生活がかなり重要になってきます』

『なるほど。少し話は変りますが、以前に言われていた新しい研究の成果は進展があったのでしょうか?』

 ニュースキャスターが身を乗り出して瞳を輝かせる。この世界ではどの分野でも進歩となると大勢の人が興味をそそられるのだ。

『我々、こくみん健康委員会は人の永遠を願っていますが、その為にはどうしても排除しなければいけない病気、というものが存在します。現在その病気に効く薬はすでにキュアライフ内に混ぜておりますが、さらに精度を極め、効果範囲を広げるための試験を行っています。まだ詳しいことは言えませんが進捗としては問題ないとみております』

 なんて具体性のカケラも無いことを言うも、しかしニュースキャスターは満足しましたとばかりに頷いて、深いため息をつく。

 期待するのは無理もない、塩基配列の解読は歩が言ったように病気の予防に繋がっている。生まれた直後に個々人の先天的、後天的な病気はほぼ特定できるし、キュアライフはそれを特定し防いでいる。

 顔を上げて街頭ホログラムを見ていると、少し離れた場所から歓声が聞こえてきた。

 さっきの場所で新たなマジックデュエルが始まっているようだ。この時間帯だと学生も社会人も関係なく遊んでいるのだろう。

 だが、幸太朗は彼らと近い歳でも混ざる気にはなれなかった。少し足を止め、また歩き出そうとすると。

「社統部のノーガンにとっては、あの程度、お子様のお遊びのように映るのかしら?」

 嫌味な声に前を向くと、見知った女性が立っていた。

 幸太朗と同じようにスーツを着て、ポケットに手を突っ込んでいるのは及川昭。モデル体型でスーツがよく似合っている。

「なんだよ昭か。銃を持っている古臭い警官に分かるのかよ」

「うるさいわね。ノーガンの方が数は少ないのだけれど」

 こんな風に嫌味を言ってくる同期は、歩き出した幸太郎の隣に並んだ。

「聞いたのだけれど、ドローンを一体壊したっていうのは本当なのかしら?」

 心の奥底で猛烈に笑っているって声音だ。

「俺じゃない。簡易検査を拒否った奴だ。やっぱりキュアライフの摂取は必要だな」

 改めてそう思った幸太郎は一人頷いた。

「元受刑者の再犯率は五割。多い数字とは言っても、スキャナーやアイズ、街頭ドローンがある現代で、あなたの仕事はそれほど難しくないはずよ」

 腕を組んだ昭は少し落胆の声を漏らす。内容こそ責めている様な感じではあるが、口調は世間話を友人としている時のようだ。

「想定以上の事態が起こったんだよ、カードが……」

 違法の認可カードの事を打ち明けようとして、幸太朗は口をつぐんだ。

「いや、何でもない」

「ま、元受刑者が何を仕出かすか予想つかないのは分かるのだけど、よく疑似魔法なんて使えるわね」

 昭や幸太朗達の年代にとって、疑似魔法は悪い印象が強い。安易に力を手に入れることが出来るおかげで、法整備が整う前はこれを用いた犯罪が急増したし、痛ましい事件が起こったからだ。

「あなたも池袋無差別殺人事件の被害者でしょうに」

 フェイクマジック株式会社が『発達した化学は魔法と見分けがつかない』というコンセプトを元に作った疑似魔法は多くの人に衝撃を与えたが、革新的な技術に付きまとう善悪の議論からは抜けだすことが出来なかった。

 疑似待魔法はグローブとカードリッジ、そしてカードの三つがあれば野外で火をつけられる。災害時に水を生成できる。簡易な発電機にもなる。

 だが個々人の扱い方が雑になれば自身にも、他人にも被害を与えることは明白という観点から、運用までの意見は完全に二つに分かれていた。

発表段階で既に世論の意見は対立し、日々激化していく中で起きたのが、『池袋無差別殺人事件』だ。

反対派の過激な何人かが賛成運動を行っている人物や開発事業に関わった人間を襲ったのだ。悲劇は爆発的に広がり、特に池袋ではもはや戦場のような光景が広がっていた。

そしてあの時……幸太朗と昭の両親は命を落とした。

「そうだな。でも被害者ヅラはするつもりはないし、あの事件を繰り返さないための今使える最も便利な道具ってだけだ」

「そういうこと……まあ無駄に仕事早いから、あの時のことを覚えているってことは嘘じゃなさそうね。そうじゃなきゃ仕事の鬼なんて言われないもの」

「無駄は余計だ。というかそっちの担当は件数が少なさそうだけどな」

「カメラにドローンにヒューマノイドに、いろいろ街中を監視しているから殺人なんてめったに起きないわ。しかもキュアライフのおかげで自殺率も下がっているから、正直少し暇ね」

 だったらノーガンに来い、と言いたかったが、どうせ聞き入れるはずもない。

「いい世の中だな。あの事件が嘘のようだ」

「良いかどうかは別として、変な事を起こそうものなら今じゃすぐに掴まるもの」

「少し窮屈な気もするけどな」

 幸太朗は僅かに視線を巡らせて小声で呟いた。安全に社会を回していくためには自由を手放すのは必要な事だが、そう思う時もある。

「同感だけど他の人の前では言わないことね。仮にも警察組織の一員なんだから」

「分かってるさ」

 昭とは駅で別れ、それから幸太郎は帰路についたのだった。


「先輩、昨日の件はどうなったんですか?」

「…………」

「先輩、聞いてます? カードのことはどうなってるんですかー?」

 社統部オフィス。その一角で幸太朗は横から話しかけられているのに気が付かず、目の前の画面を見つめていた。

 表示されているのは『池袋無差別殺人事件』の当時の記録だ。

「『池袋無差別殺人事件』って……何で今更、そんな事件の事を見返しているんですか?」

「ああ、いや別に」

「カードの件じゃなくて、この記録の話題には反応するんですね」

 慌てて横を見ると、リヌアがムスッとして呆れた様な声音をだした。

 すまないとは思っても、一メートル離れた場所から聞こえてくるんだから、自分に話しかけられていると気が付くのは至難の業だと内心で愚痴をこぼしてしまう。

「すまん。何も聞いてなかった」

「はあ。昨日のことですよ。フェイクマジック株式会社に審査出してるんですよね?」

「今確認取ってるぞ。何かネットで噂みたいなものでも見つけたか?」

「ああ、昨日のリテラシーのこと言ってるんですか? しつこいと嫌われますよ?」

 腕を組んだリヌアが、冷め切った眼で幸太郎をとらえる。

「悪かった。それでどうしたんだよ」

「じゃあ今日も外で巡回ですか? 私あんまりマジックデュエルの所とかに行きたくないんですよね」

 じゃあ何故、社統部に……という疑問を投げかけてみようとしたが、多分それは無駄なことだろう。職務適正統計グラフだけに頼って入社する奴は珍しくない。

 効率よく社会を回すための弊害だ。いや、回っているのならば結果的に問題ないのかもしれない。

「まあでも働かないわけにはいかないんですよねえ」

「不良娘がちょっといいことを言って感心してしまう親の気持ちがわかるな。俺はもう泣きそうだよ」

「不良娘って……なに言ってるんですか先輩。私は真面目な部類に入るんですよ?」

「真面目って、どの辺が?」

「近頃じゃDNA登録しない外人が増えてるんですから、その辺りを取り締まった方がいい、とか考えている所とかですね」

「お、おお。ニュースとかよく見てるんだな。意外すぎるぞ」

 リヌアが心外だと言わんばかりの顔をする。

少子化に陥った国はIT技術を発展させる方へとシフトし一時的な人手不足の穴を埋めることに成功した。

 だが、それで根本的な問題は解決しなかった。

人の移動が高速リニアで行われ、情報が瞬時に自分の頭に入ってくる時代になったばかりに、仕事はなくなるどころか増える一方なのだ。

 そのせいで前時代的で安価な外人の技術支援制度は生き残り続けているし、流入が絶えることは無い。

 リヌアもその中の一人だからこそ情報を仕入れているのかもしれない。

「でも残念だが、観光や技術支援制度での短期的在日外人のDNA登録を促すのは、他の課の仕事だぞ」

「まあそうですけど~」

「今日のリストを送っておくから目を通しておけよ。すぐに出発だ」

 社統部に送られてくる犯罪者リストは毎日更新されている。他の社統部の人間が定期検査を行った人物が被らないようにするためだ。

「はーい」

 幸太朗はディスプレイに表示していた『池袋無差別殺人事件』のページを消して、それからオフィスを出た。

 日中の巡回ドローンの情報を脳内チップ記憶領域から引っ張って来て、アイズのレンズ越しに人々の顔を確認しながら、リストにある犯罪者の名前と照合していく。

 何もかも順調で怖いくらいだったが、幸太朗は違うことが気になって足を止めた。

「買い食いはあまりするなよ、一応仕事中なんだからさ」

 アイズのフォーカスがコンマ数秒だけ止ってリヌアの顔を捉えた。

「先輩は真面目すぎなんですよ。私たちの仕事は力仕事なんです。というか今日、少し巡回長すぎません?」

「ああ。まあ少しな」

 違法カードのことが頭によぎってしまい、さらに警戒を強くさせているのは間違いなかった。

 それに昨日は昭と会って初心を思い出してしまった。何のためにここにいるのか再認識したところで、仕事に熱が入っているのかもしれない。

「『池袋無差別殺人事件』と関係あるんですか?」

 リヌアの視線が左右に動いてる。たぶん、事件の事を検索しているのだろう。

察しのいいやつだ。

「えっと、疑似魔法関係についての騒動で、肯定派と否定派が対立。それで……ってここから百人規模の暴動が起きてるじゃないですか!」

「当時は国にDNA登録して公的医療を受けるシステムが導入されてたんだが、ここでも問題が起っていてな。被さるようにして今度は娯楽までそれが必要になったんだ」

 いや、ほんとはシステムだけが問題じゃなかった。

 当時はDNA管理担当である大臣が中華系のマフィアと取引していることも問題視されて、国の信用はがた落ちになっていたのだ。

「今じゃ考えられないですね。国へのDNA登録も民間企業へのDNA登録も結局同じじゃないですか」

 リヌアは驚きを一瞬みせたものの、すぐに売店で買ってきたコロッケを美味しそうに頬張る。

「それが嫌な時代もあったんだよ。何せ、汚職議員は芋づる式に連れたからな」

 返事をするとリヌアはふーん、と既に興味を失った返事をするが、ぴたりと足を止めて、口に運びかけたコロッケの手を止めた。

「この刈白って名字の人……」

「俺の親だ。それと幼馴染の昭の親も犠牲になっている」

 何人も犠牲になってしまった事件があっても、国は現況である技術を廃止させようとはしなかった。

 それを娯楽へと変化させることで税収の役割としたほどだ。

「よく国が持ちましたね」

「普及させても国民が全員海外に行くわけないからな。人口減少と安価な労働で消費が衰えていたからマジックデュエルに使う金を回させたかったんだ」

 そして思惑通り、国民は過去のことを忘れて、事件の原因となった疑似魔法で遊んでいる。

「……」

「っておいおい、急に黙り込むなよ」

 離れてじっと立っているリヌアが頭を掻いた。いつもの無愛想顔も、今だけは気まずそうにしている。

「いつも通りにしてくれないと」

 幸太朗が言いかけたところで、アイズに春一からのメールが映し出された。

 フェイクマジック株式会社に依頼していた違法カードについてだ。

内容自体は全く難しくないが、厄介な事に向こうがカード情報を出すのを渋っているらしい。

 幸太朗はすぐに春一へと電話をかけたが、社統部の予定表では現在会議中になっていた。

「マジかよ」

「どうしたんですか先輩?」

「この前取り締まったカードの情報、渡すのを相当嫌がっているらしい」

 無理もない。DNA登録は安全装置なのだ。警察が停止権限を持つことで人々は安心して使用しているが、それができなければフェイクマジック株式会社の信用はがた落ち。

 捜査過程で情報が漏れないか心配しているのは一目瞭然だった。

「大丈夫ですよ先輩。一枚くらいそんなカードがあっても、どうってことないですって」

「リヌア、お前、それ本気で言ってんのか?」

 ぎろりと眼光鋭く幸太朗は彼女を捉えた。

「もし一枚じゃないとしたらどうする? まともな奴だったら警察に届け出るかもしれないけどよ、この前みたいに止められないって可能性はあるんだぞ」

 幸太朗達が使っている正規のカードは時間の制限がある。しかしこの違法カードはそれが大幅に長くなっており、長期戦になれば負ける可能性は大いにあり得るのだ。

 最悪の場合、警察権限では止められない装備一式も出てくるかもしれない。

「今からフェイクマジックに行くぞ」

「え、巡回は?」

「終わりだ。優先順位的に違法カードは放っておけないからな」

 幸太朗は春一から送られてきたメールに、今からフェイクマジック株式会社に向かう旨の変身をすると、今度は目的地への地図をアイズに映し出した。

 二人は高層ビルの間を移動するリニアモーターカーの不気味な浮遊感に身を任せながら、五駅離れているフェイクマジック株式会社の最寄り駅まで十分もかからずに到着する。

 それから歩いて五分。

「ネットで画像を見たことあるんですが、実際に来てみると、すごいビルですね」

リヌアが上を見上げて感嘆のため息を漏らす。

「派手すぎるのも問題だと思うけどな」

 高層ビルの一面がホログラムで被われていて、フェイクマジック株式会社の提供する疑似魔法の大会広告が映し出されている。

 サブカル系の大手企業でも、ここまで大々的にビル全面を用いた自社製品の宣伝なんてしていないのに。

「宣伝媒体は公正情報管理局に常に見られていますから、表に出しにくい企業はかなりあるんですけどね」

「広告に少しの不備でもあれば、すっ飛んでくるからなあいつら。まあ載せてるってことはクリアしているんだろうけど」

 様々な情報が飛び交う現代では、店の看板から駅の広告まで、全ての広告内容が常に監視されている。特に企業の広告に対して国の公正情報管理局は敏感だ。

 企業広告と実際に公正情報管理局に出された内容が一致しているか、それを扱った際の民間口コミなんかも見て、適切に運営されているのか監視しているらしい。

「行くぞリヌア」

「うー、なんかお腹痛くなってきたあ」

 エントランスに入ると、真っ先に目に入ったのがフェイクマジック株式会社が開発してきた機器の展示物だ。右手側には受付があって女性のホログラムを纏ったヒューマノイドがじっと待機していた。

 二人がヒューマノイドの前に立つと、額のセンサーが反応して顔をスキャンする。同時にゆっくりと口が開く。

「警察社統部の刈白幸太朗様、三上リヌア様ですね。本日のご用件は何でしょうか?」

 公正情報管理局に登録している名簿一覧から引っ張り出してきたのだろう。自己紹介する手間が省けて助かる。

「先日、違法カードの製造について調べるよう手配していたんだが、結果を渡さない理由を聞きたい」

「少々お待ちください。担当の者をおよびいたします」

 不気味の谷を越えたヒューマノイドはそこで停止すると、数秒ほどして再び口を開いた。

「申し訳ありません。該当の件ですが、ただいま調査中となっております」

「こっちに来た回答では情報を渡せないとある。調査中じゃないだろ?」

「申し訳ありません。不確定な情報はご提供できません。公正情報管理局から捜査補助の証拠として認可され次第ご連絡いたします」

「すぐにでも情報が欲しい。何か分かった事はあるんだろう?」

 身を乗り出して問いただしてみるが、ヒューマノイドは同じ文言を繰り返すだけだった。

 呆れた様子で天を仰いだ幸太朗だが、そこで引き下がるわけにはいかない。

 けれど二人が来ているにもかかわらず担当者も出てこないとなれば、話す気はもっぱらないのだろう。

「巡回に戻りますか先輩? どうせ村井さんの方に情報提供できないって連絡来てるんですよね?」

 リヌアの言う通りだ。すでに上に話がいっているのだから、無駄かもしれない。

 カード一枚。

 普通ならリヌアの言った通り、これであの事件の様な事がおきるなんて到底思えない。しかし幸太朗の頭の中のサイレンがけたたましく鳴っているのだ。

「……公正情報管理局に行ってみるか。そこで提供できないんであれば引き下がるしかないな」

 捜査に有効な情報ならば、不正確でも警察に渡す義務が生じる。フェイクマジック株式会社は多分、公正情報管理局に何も言ってないはずだ。まあそれはそれで問題だし同時に報告してもいいかもしれない。その時は別の管轄になるだろうが鬱憤は晴らせるだろう。

「うへぇ、まだ行くんですかあ……けっこう遠いですよお……」

 

 二人が訪れたのは国の情報保管庫である公正情報管理局だ。

 三つの円柱形のビルが三角形に配置され、それぞれが五本の渡り廊下で繋がっている。敷地内を飛んでいたドローンが幸太朗とリヌアの顔をスキャンすると、そのまま飛び去

って行く。

「本当に先輩、行動力在りすぎ……」

「リヌアは巡回に戻ってもいいんだぞ。まあそれもそれで外回りなんだけどな」

「むっ。横暴ですよそれー」

「どこかがだ。普段の自分の発言を思い出してみろ。自然記憶の方にもちゃんと刻まれてるだろ」

「……すいません」

 どうやら自覚はあるようだ。

 しゅんとしたリヌアに、しかし幸太朗はそれ以上つめ寄る事は無かった。

「まあ、格闘経験も疑似魔法の扱いも並み以上だし、頼りにはしてるんだぞ」

「……なら許します」

 と言ってリヌアは一歩距離を詰めて笑みを浮かべた。

 公正情報管理局の建物の中はドーナツの様な構造になっている。螺旋状のエスカレーターが建物の内部を貫通しており、オフィスはその周りに設置してあるのだ。

 案内役のヒューマノイドが近づいてくると、無機質な顔を近づけてきた。

「フェイクマジック株式会社の違法カードについてだ。こっちには何も情報が来てなくてな。提供してくれるものが無いか直に尋ねに来た」

「その件であれば、いまは渡せないと村井様の方に伝えてあるはずですが?」

 そう言ったのはヒューマノイドではなかった。

螺旋のエスカレーターから降りてきた一人の女性が幸太朗とリヌアを視界にとらえて、落ち着いた声音で言う。

フェイクマジック株式会社が公正情報管理局にあのことを言って無いと思っていたがそうではないらしい。

「公正情報管理局の上塗愛子と申します」

 白一色の服に身を包み、目立つ青髪の女性は一礼して、二人の前までやってきた。

「よく俺達が来ること分かりましたね」

「公正情報管理局のサーバーにアクセスしようとした形跡がございましたので、直にこられるかと予想するのは簡単ですよ。それに街中のドローンで来られる姿も見ていますから」

「なるほど、しかし理解しているなら話が早い。捜査に関する情報は不正確でも、進展すると分かれば貰えるはずだが?」

 青い短髪を揺らして、ふふっと微笑んだ愛子は踵を返す。

「確かにそうですね。まあここで話すのもあれですし、どうぞこちらへ。状況だけでもお話は出来ますから」

 白一色のタイトな服に身を包んだ彼女はゆっくりと歩きだし、その後に幸太朗とリヌアは続いた。

 リニアの技術を利用したエスカレーターは、床から上がってくる板に乗るだけだ。音も無く浮遊して五階の表示が見えると、そこで降りて愛子の自室まで案内された。

 大型モニターが壁に埋め込まれ、それとは別に、彼女のデスクの上にはいくつものホログラムディスプレイが展開されている。

「リヌアさんはモニターが珍しいですか?」

「ええまあ人生で二回目ですね見たのは」

 なるほど、と相づちをうった愛子は自分の席に座った。

 ホログラムは広く使われるようになったが、細かい部分を映し出す際にはモニターの方がまだ上を行く。

 完全に娯楽用だな。

「上塗さん、何を教えてくれるんだ? フェイクマジック株式会社のカードで事件が起きている。その情報は捜査に必要で公正情報管理局の情報精査が完全でなくとも警察には渡せるはずだ」

「任意で、ですけどね。ただ今言えることはフェイクマジック株式会社の違法カードの情報の受け渡し日は二か月ほどかかると言うことです」

「たった一枚のカードに? いくらなんでも時間がかかりすぎる」

「こちらとしても、慎重になる案件です。フェイクマジック株式会社の展開する疑似魔法は多くの人に『セキュリティに置いて万全』とされています。しかしこれはそれを根本から揺るがす問題です。この事がお分かりでしょう?」

「だから捜査を進め、原因を突き止めるためにも必要なんですよ」

 苛立つ幸太朗はあからさまな態度を取って見せたが、それでも愛子は首を横に振るだけだった。

 確かに警察へ引き渡す証拠となるような物を精査するには時間がかかる。それは知っていたが、たかがカード一枚の製造履歴ですら貰えないというのか。

「……分かった。リヌア、戻るぞ」

「え、もう出ちゃうんですか?」

 リヌアが愛子を一瞥した。

「直に聞いても情報を貰えないんだ。無駄だろうな」

 幸太朗は踵を返すと、何も言わずにそのまま公正情報管理局の外に出て行った。

「しっかしあの人、かなり頑固でしたねえ。しかも少し笑うだけで他の表情は作らないなんて気味悪いですよ。ああ寒気がします!」

 両腕を擦っているリヌアが足早になる。

「仕方ない。情報が無いんじゃ、直接……」

とそこで幸太朗は言葉を切って、春一からメールが来ていたことに気が付いた。

「ん、昭からも来てるのか」

 春一の名前の下に昭の名前も表示されていたことに若干驚く。

 社統部を嫌っている昭はよほどのことが無い限りメールしてこないからだ。

「つまり裏を返せばよほどのことがあったってことか」

「どうしたんですか先輩」

「署に戻れってメールが来ていてさ」

「呼び出しですかー。何やらかしたんです?」

 にんまりとしてくる後輩に幸太郎は。

「うるせ」

 悪態をついた。

 すぐに警察署へ戻った幸太郎は廊下でリヌアに待つように指示をして一人入った。

「失礼します」

 幸太郎の声を耳にした春一は作業中の手を止め、顔を上げると神妙な顔つきをする。

 部屋の中に昭がいないってことは、また別問題なのか?

 そう考えていると、重々しく春一が口を開く。

「何で呼ばれたか見当はつくか?」

「いえ。分かりません」

「単刀直入に言うと、違法カードの捜査は他の者に引き継いでもらうことにした。重要案件を扱っている奴にな」

 その言葉を聞いて幸太郎は目を見開いた。

「しかし、この事件は任せてもらえると、そう言っていたじゃないですか」

 思わず大声を出しそうになった幸太朗は、グッと拳を握りしめて春一を正視する。

「公正情報管理局から連絡が来たぞ。刈白が来て違法カードの事を尋ねられたとな。こちらからの催促は別にかまわんが、既に情報提供できないと伝えられているのを忘れたか?」

「……それは」

「一人で走りすぎだ。だから俺が変更申請を出して置いた。この案件は慎重になるべきだ。スピーディーな対応はもちろんだがな」

 黙り込んだ幸太朗は唇をかんだが、抗議しても何も変わらない事は承知していた。

「誰が引き継ぐんですか?」

「及川昭だ。彼女の部署の案件は殺人やテロなんかの比較的に優先順位の高いものばかりだ。今回の件はうってつけだろう」

 知っている名前を聞いて幾分か幸太郎の中の不安と怒りが解けた。しかしどこか引っかかることもあった。

 まだ読んでいない昭からのメールの内容がこの時点で想像ついてしまうが、変な奴に渡されるよりはましだ。

「刈白と三上には別件を追ってもらうことにする。詳細は送っておくから読んでおけよ」

「別件って、キュアライフ摂取の仕事はどうするんですか?」

「それは別の奴に任せておけ」

 つまるところ他部署の下に入れというわけか。

「分かりました。失礼します」

 部屋を出ると、すぐにリヌアが何か聞きたそうな顔を向けてきた。

「違法カードの件から外されて、他の事件を振られたよ」

「やっぱりですか」

 そう言いながらリヌアがアイズを操作する。

「ついさっき届いたメール届きましたよ。『連続変死体事件』って書かれていますけど、また面倒くさそうな案件ですね。業務内容は情報収集ってありますけど、巡回はどうするんですか? 仕事の合間にやるとか言わないでくださいよ?」

 苦い顔をして「もう絶対に嫌だ」と語ってくるリヌア。

「キュアライフの摂取取り締まりは他の奴がやるそうだ。俺たちはその情報収集とやらに精を出せばいいさ」

 厄介な事件にアサインされたもんだ。

「詳細を見ておいてくれ、俺はちょっと用事あるからな。昼休憩が終わったら一階で合流だ」

「りょーかいでーす」

 リヌアの返事をきいてから幸太朗は昭から来ていたメールを開く。

『違法カードについて話があるから、屋上で待ってるわ』

 淡泊な文字列だが、そこからは異様な感覚が漂っている。

ノーガンを嫌っている昭から連絡が来るだけでも異常なのに、直接話を聞くための待ち合わせまで指定してきているのだ。

 警察署の最上階まで行くと、そこから階段を使って屋上へと出る。

いつも昼食時は混雑しているのだが、ピークを過ぎた今人はいなかった。

 真四角の面積を確保してある屋上には、いくつかベンチがあり人工芝が敷いてある。

「何の用だよ」

 ベンチに座っている昭の隣に幸太朗は腰かけて、ため息交じりに問う。

「あなた、違法カードの件から外されたのね」

 そう言いながら昭は座った位置をずらして幸太朗と距離を取った。

「ああ。公正情報管理局に行ったのが原因で、一人で走りすぎだって村井さんから言われたよ」

「そうかしら? 大抵のことはネットで調べられるけれど、直接行かないと聞きだせない事は山ほどあるわ。そんなこと知っているはずなのだけれど」

「メールでの解答が来てたんだよ、情報の精査が必要で渡せないってな」

「おかしいわよ。捜査の進展が見込めれば不十分でも提供する義務があるわ」

 僅かに息を荒げた昭は、少し重い口調で続けた。

「私も村井さんからこの件を受けた時に『時間は掛かってもいい』って言われたわ。バカな話よね。このカードが出回れば何が起るか想像できてないなんて」

 昭の口調からして、幸太朗と同じ未来を思い浮かべたに違いない。

現在は年金や社会保障だけでなく貯金や各個人の行動までもが監視されている。

 おかげで賛否両論あった疑似魔法は、さらにフェイクマジック株式会社のセキュリティを追加することによって世に普及した。

 このセーフティが効かなくなると、どんな行動を起こすのか具体的な予想はつかないが、最悪のケースは想像できる。

「貴方が私と同じシナリオを思っているのは想像つくけど……ノーガンじゃ頼りにならないって気が付いたのかもしれないわね」

「お前んとこだったら何かできるのかよ」

 幸太郎は隣の昭を一瞥した。

「分からないわ。基本的に私たちが動くのは事件の情報が入ってきてから、もしくは起こった後だしね。カード一枚製造されたって理由で動いたことはないわ」

「カードを使ったとしても使用履歴は残っていないだろうから、難しいだろうな」

 疑似魔法を使う際にはその行動履歴や戦い方、試合中の言動なども履歴として残る。そこから犯人の足跡をたどっていけたらいいのだがそれらを割り出すことは不可能だろう。

「でも突き止めて見せるわ。このカードがどこで作られて、どの経路で世に出回ったのかね。心配はしなくていいわ」

 ふふんと、鼻を鳴らす昭。忙しくなりそうで楽しみにしているんだろう。

 こいつに当たって正解だったな。ノーガン嫌いではあるが、やってくれそうだ。

「頼りにしてるぞ。でも、話しはそれだけじゃないんだろ?」

 幸太郎の事件を引き継ぐだけならわざわざ呼び出したりはしない。

「ええ。貴方が担当する変死体事件について話しておこうと思って呼んだのよ。こっちが本題ね」

 そう言われて数分前にリヌアが口に出した言葉を思い出す。アイズに送られてきていた村井からのメールを開くと『連続変死体事件への移動』と題がうってあった。

 要約すると、街中で起る変死体事件が二件起っていて、これを調査するようにとのことらしい。

「リヌアが確か情報集めるだけって言ってたな」

「それで終わりだと思わない事ね」

「だよなー。これ以上のことをやらされそうだ」

 そもそも昭の部署は人手不足ってわけじゃない。それに専門的知識が必要なところだから、情報収集にしても幸太郎たちをアサインする理由が見つからない。

「一部では……ノーガンが適正じゃないかって意見があるの」

 そうきたか。と幸太郎は納得した。この変死体事件には疑似魔法が関わっているのなら、声がかかってもおかしくはない。

「疑似魔法が関係っって言っても、具体的にはどんなことが起きてるんだ?」

「一人は水中で焼死体、もう一人は炎天下の中で溺死ね」

 一昔前なら頭が痛くなるような事件だろうが、現代じゃそうはいかない。疑似魔法を使えばどちらでも可能だ。

 しかし、問題が一つある。

「カードの持続時間を考えるとそんなことにはならないんだけどな」

「ええ。貴方の言う通り。基本的に時間制限のある疑似魔法で、この二つを起こすのは難しいのよ」

 時間制限だけじゃない。水や炎といったものは手の平サイズで魔法が出現する。溺死するにしてもピンポイントで口と鼻を塞がなければいけないし、焼死体にしたって、殺せるほどの火力は普通でることはない。

 そもそも身体のスーツには衝撃緩和や熱寒耐性といった防護機能がいくつもあるから、まず傷をつけることが自体が難しい。

「雷系で気絶させてから……って事か」

「考えられる線としてはそうだけれど、気絶防止はグローブやシューズに埋め込まれているわ。それに心拍数や血圧監視の装置もあるのだから、何かあれば救急に連絡が行くようになるのよ」

 グローブとシューズの安全装置は立証済みだ。幸太朗も何度が助けられたことがある。

「とにかく報告書と現場を見てからだな」


 変死体事件の捜査は酷く難航していた。昭が言ったように情報収集だけで終わらないことは、目の前の光景から分かってしまった。

「なんだよこれ」

 閑静な住宅街の一画で、焼死体を見つめた幸太朗は悪態をつく。リヌアなんてもはや近寄ってみようともしない。

 死体があるのはいいとしても、気になるのは格好だ。

「……本物の魔法使いみたいじゃねえか」

 率直な感想が口から出てしまう。

 死体は立ったままで、衣服は魔法使いが来ているローブの様なものだ。伸ばした腕に杖を持ち何かと戦っている一場面のようでもある。

「先輩、よくそんなの見てられますね」

 口元を抑えているリヌアは立っているのもやっとのようだ。

「お前は聞き込みに行ってろ、身元は分かってるからな」

 さっきDNAの鑑定結果が終了しているはずだ。脳内チップ領域から検索をかけると閲覧できる。

「う~、今回だけはそうさせてもらいます」

 素早く踵を返したリヌアは、一目散に去っていく。

 被害者は疑似魔法を始めたばかりの男性。二十歳で無職。ドローンからの映像によるとガラの悪い連中と付き合っていた姿が写っている。

「コスプレする要素は無いって事か」

 被害者が死ぬ直前にあった相手は判明していない。

巡回ドローンが住宅街まで見回る様に設計されていないのだからここで焼死体になっても見つからないのは仕方ない事ではあるが。

 脳内チップ領域からネットにアクセスして、衣服の購入履歴がある事を突き止めると、それをアイズに映し出す。

 しかし内容は充分では無かった。

 魔法使いの衣装を購入した店は数か月前に倒産しており、そこでの購入履歴は抹消されている。

「あてにならねえな」

 現場を見渡しても、ホログラムの黄色テープと周囲を囲う青いブルーシートだけで、捜査員は一人もいない。

 外で何かやってはいるようだが、もうこれ以上現場から得るものは無いと見込んだのだろう。

 幸太朗は昭が言っていたもう一つの変死体事件。溺死の事件をサーバーから引っ張ってくると、顎に手を当てた。

「これも同じような格好なんだな」

 溺死の死体も魔法使いのような格好にされている。

 まるで扱っているのが疑似魔法じゃなくて、本物の魔法と言わんばかりの手口である。

 こっちの方をリヌアに任せてみるか……。

 幸太朗はスキャナーの通話設定を確認して後輩に発信すると、すぐにつながった。

「リヌア、悪いがもう一方の……」

『先輩! 助けてください! 今大変なんですよ! ちょっ、こいつら……いい加減にしろ!』

 鼓膜が破けそうになるほどの声が響き、思わず幸太朗はしゃがみ込んでしまった。

 慌てた様子の音が断続的に続く。

「リヌア! 今どこにいる!」

『被害者の実家の……近くの大通りを抜けて……巡回ドローンに今写りましたので……本当にしつこい!』

「おい、待ってろ!」

 すぐさまドローンの映像をアイズに移しだし、次にアイズの地図を表示させてリヌアの位置をとらえる。

それから大腿部に手を伸ばすとカードを引き抜き、エアウォークを発動させ、現場から駆け出した。

 ドローンの撮った写真から推測するに、リヌアを追いかけているのは三人。いずれも覆面を被っていて素顔は分からない。

 けれど、疑似魔法を日常的に使っているノーガンであるリヌアが降り切れないって考えると少し厄介な相手たちだ。

「面倒だな」

 リヌアに再び通信を試みるが、逃げるのに必死なのかつながる様子はない。

 幸太朗は舌打ちをすると、そのままビルの立ち並ぶ大通りへと飛び出した。疑似魔法の効力が切れそうになるところで、もう一度カードリッジにエアウォークのカードを読みこませ、さらに速度を上げる。

 地図を注視していると移動する赤点の高度が変わった。おそらく人通りを裂ける為に、高層ビルの上を渡っているに違いない。

「いい判断だ」

 路地裏で囲まれるよりも逃げ場はあるし、加えて一般人の邪魔にもならない。

 幸太朗は一度大通りに出ておしゃれなカフェの入っている建物の角を曲がって、細い通りに入り込むと上を見上げた。

 一瞬だけ黒い影がビルの間を飛翔し数人が走っているのを目視する。そして一番初めに視界を横切ったのは間違いなくリヌアだ。あの金髪は目立ちすぎる。

 すぐに壁の引っ掛かりに手をかけ、シューズの底から噴き出している空気を利用して、滑る様に上っていくと数秒してから屋上にたどり着き、視界が開けた。

「あっちか」

 すぐに目標の姿を捉えて足下を蹴ると、ぴったりと男たちの後ろに食らいついた。

幸太郎はカードリッジに炎系統の魔法、ファイヤボールを読みこませる。

 指を鳴らすとグローブの外側に摩擦で静電気が走り、同時にグローブのカケラそのものに引火して炎が出来上がる。

「はああッ!」

 幸太朗は思い切り投げつけると、炎弾は僅かにカーブしたものの、連中の一人の背中に吸い込まれて直撃し、僅かな爆発音と白煙が立ち込める。

「どわっ!」

 声からして男だな。

 ぐらついた一人は何事かと後ろを振り返るが、その時にはもう遅い。

「がふぅぅっ!」

 強烈な幸太朗の拳が鳩尾にヒットし、覆面の男は一撃で気を失うとその場に倒れ込んだ。

「気絶防止プログラムが働くまで二分ってところか」

 脳内で秒数を数えながら、幸太朗は再び走り出す。覆面を被っている奴らはあと二人。どちらも仲間が急にいなくなったのを見て足を止めている。

「追いかける手間が省けたな」

 覆面の二人はすぐに身構えると、右手を突き出し、雷を放ってきた。

 グローブに仕込まれている微量電流圧放射装置によって、ゲームの様に雷が掌から飛び出してくるのである。

 そんなもの、目を閉じていても避けられる。

 そう判断したが幸太朗だがすぐに目を見開いて、その場から大きく飛び退いた。直後に激しい音を立てて雷がコンクリートに穴をうがった。

「威力段違いじゃねえか!」

 エアウォークの効果時間だけじゃなくて、攻撃魔法の威力までが上がっているなんて思いもしなかった。

 これは本格的にヤバいな。

 下手をして直撃すればどうなるのか、それを考えただけで鳥肌が立ってしまう。

 幸太朗は身を伏せて滑り込みながら覆面の一人に接近し、ファイヤボールで煙を起こし視界を奪う。

 次にすぐさま後ろに回り込むと、相手を地面に倒して鳩尾に一撃を叩き込んだ。

「あと一人だな。そのカード、どこから手に入れたのか教えてもらうぞ」

 残った相手は緊張しているのか荒い息をして構えているが。

「は、やれるもんなら」

「本当にウザかったのよ!」

 構えている相手の後ろからリヌアが凄まじい蹴りを放ち一撃で沈めてしまった。

「はあ、スッキリしましたね先輩」

 一仕事した後のような達成感をにじませたリヌア。

「……そうだな。そろそろ気絶防止プログラムが発動する。拘束するぞ」

「もうちょっと褒めてくださいよ。こいつら強かったんですよ。逃げてひとり仕留めただけでも凄いと思いますけどねえ」

「まあ、最後の一人片付けてくれたおかげで、他の奴を拘束できる時間が確保できたのはありがたい」

「お、おお! 先輩が褒めてくれた!」

「うるせ。さっさと仕事しろ。ほめたこと台無しになるだろ」

 ビルの屋上で伸びている覆面の男たちに手錠をかけ、それからカードをすべて取り上げる。ここまですれば問題ない。グローブとシューズはカードが無ければただの手枷足枷にすぎないのだ。

 リヌアが護送ヘリを要請している間に、幸太朗は目が覚めた男に尋ねた。

「このカード、どこで手に入れた?」

 人差し指と中指で挟んでいる違法カードを男の顔近くまで持ってくる。

 カードの属性と効果時間は一般的なものと相違なく書かれているが、DNA登録済みの表記が無いし、威力が桁違いだ。一見しただけでは見分けはつかない。

「はっ、俺達はただ頼まれただけだ」

「頼まれた? 誰に何を?」

「しらねーよ」

「知らない奴から頼まれたのか?」

 立ち上がった幸太朗は男を見下ろすと目を細め、疑似魔法で炎を手に宿す。

 それがどんな意味なのか、分からないほど馬鹿では無いようだ。

「マジで知らねぇって! 顏も隠してたし、マジックデュエルしてたら話しかけられたんだって! このカード使えば絶対に勝てるってさ!」

「じゃあ私を追いかけていたのはなんでよ」

 リヌアが眉根をつりあげる。確かに使うだけならばリヌアを追う必要はない。

 後輩は仁王立ちして腕を組むと、怯えている男の声を待つ。

「条件があったんだよ。社統部のノーガンを殺せってさ。ノーガンのせいでそいつは何かの計画が上手くいってないって……」

「警察関係者じゃなくて、ノーガンを狙っているのか。いや正確には社統部なら誰でもいいってことか」

「てことは、配っているのは元受刑者かもしれないですね」

 憶測にすぎないが、十分にあり得る。キュアライフ接種の指導に従わない奴には、力づくってこともあるからだ。

 そんな事を考えていると、真上からプロペラ音が聞こえてくる。

「あ、護送ヘリ来ましたね」

 リヌアが手を振ると、増員がヘリから飛び降りてくる。

しかし。

「引き継ぎ事項を……」

「いや、それは必要ない」

幸太郎は口を開くのを遮られた。

異様なことに護送ヘリから降りてきた連中は全員口も開かずに作業をしていく。

捉えた不良たちをヘリに乗せて、内輪だけで話を進めていくのだ。幸太郎とリヌアの二人には情報共有なんてしてたまるかといった様子もうかがえる。

「おい、そのカードは……」

「これも持ち変えるように言われている。意見があるなら正式な手続きを取ってくれ」

 その口調からこのカードがどんな存在か知っているようにも思えた。

 幸太郎とリヌア、昭、春一の四人しか知らないと思っていたが、かなり情報は多くの奴に浸透しているようだ。

「……分かった。そうするとしよう」

 一連の作業が終わり、ヘリが飛び立つ直前になって、やっと幸太郎に声がかかった。

「今後の書類等手続きはこちらで行います。お二人は引き続き捜査に戻ってください。では失礼します」

 結局、こちら側には何もなしか……。

 ヘリはそのまま飛び去って行き、豆粒ほどの大きさになったところで。

「はあ、疲れました。あの人たちほんと機械みたいでしたね。ヒューマノイドかもって疑っちゃいましたよ。というか、先輩が追いたかった違法カード、残念でしたね」

「一応、違法カード所持って事は昭の案件って事になるはずだ」

 それならば後で聞きだせばいい。

 けれど今は。

「あいつらの身元データ取っておけよ」

「そう言うと思ってましてー、いま検索中ですよ」

 リヌアが親指を立てウインクする。

「なあ三上、さっきの『ほめたこと台無しになる』ってのは撤回する。三上は他の奴らと比べたらよくやってくれてると思うぞ」

 一瞬だけ硬直したリヌアは、それからにんまりとした表情を作った。

「……もう一回、もう一回言ってください先輩! 録音しておきますのでー」

 変に拝みとしてきたが、幸太郎は首を横に振った。

 あいつらの持っていた違法カードがどこから出てきたのかは見当もつかないが、素性さえ分かっていれば監視カメラや巡回ドローンから行動を追える。そうすれば渡した人物にたどり着くだろう。

「情報はあったか?」

 しばらくして尋ねると。彼女は金髪を揺らして首を縦に振った。

「はい。さっきの奴らのデータ送っておきますね。それと変死体事件の被害者とは何の関係も見られません」

「ま、その辺りでのつながりは無いだろうな」

 とりあえず違法カードの足を追うのは後にして。幸太郎は腕を組むと神妙な面持ちをリヌアに向けた。

「それよりも今日みたいなことがあればすぐに連絡をよこせ」

 この社会で人の目が届かないところなんて、あまりない。そう、『あまり』ないのである。

 古ビルや一部の旧市街地なんかではカメラもなく、妨害電波も飛んでいるところが存在する。そこへ連れ込まれたら幸太郎でも探すのは困難になる。

「はあ、この程度だと、一人でもいけますよ」

 リヌアが強がってみせるが。

「通信一発目に『助けてください』って言ってたの誰だよ。ちゃんと残っているからな」

「あれは気が動転していたんです!」

 頬を膨らませるリヌアに幸太朗は苦笑いしてしまう。中々扱うのが難しい。

「あ、先輩、ちょっと失礼します」

 といってリヌアの眼球がせわしなく動く。

 アイズに映っている文を読んでいるのだろう。

「どうした?」

「あー、今度私が呼び出し食らっちゃいました」

 さっそく護送した奴らの聴取が行われるらしく、追いかけられたリヌアも来てほしいとの要請が入った。

 上司の幸太朗にはメールは届いていない。どうやらリヌアだけお呼びのようだ。

「じゃあ行って来い」

「えー、先輩はついてこないんですか?」

 不安というよりも、面倒くさくてしょうがないといった顔をするリヌア。

「三上だけにメール来てるから、お前だけ呼ばれてんだよ。まあ、さっきみたいな連中がいても困るから、途中まではついて行くがな。そのあと代わりに調査をやっておくから、どこまで進んだのか……って捜査途中で襲われたんだったな」

 つまり進捗的にはゼロである。

「そんな目で見ないで下さいよ。しょうがないじゃないですか」

「分かってるって。お前のおかげで違法カードは一枚だけじゃないってことは分かったし、こうして悪用される例も確認できたんだ」

 もっと捜査員が必要になる。規模が大きくなって危険性がさらに高まればフェイクマジック株式会社だって情報を出さずにはいられないはずだ。

「でも変死体事件との関係は分からないから別の部署に持って行かれますけどね。増員してもこっちには来ないかもしれませんよ」

 そう言われると幸太朗は何も言い返せなかった。

 違法カードを配っている奴と、変死体事件は全くの別物かも知れないのだ。事実、違法カードを配った人間が狙っていたのは社統部のノーガンだったのだから。

「ま、隙を見て昭から聞きだすさ」

 幸太朗は肩をすくめることしか出来なかった。

リヌアと一緒に署まで戻ると、出迎えたのは昭だった。

「なんでよりにもよってノーガンの貴方たちが……襲われるのかしら」

「うるせえ。こっちも捜査中に襲われて困ってんだよ」

 腰に手を当てた昭は、仕方ないとばかりに首を垂れると話を切り替えた。

「一応、違法カードがらみだから、今日リヌアさんへの聴取は私が行って、襲ってきた男たちには村井さんが行うそうよ」

「は? 村井さんが? あの人は社統部だろ」

 そう、捜査権は昭の部署に移ったはずだ。

「厳密には重犯罪部署の人も一人いるらしいわ」

「まあ疑似魔法がらみだし、社統部の村井さんが話を聞くって名目じゃないですかねえ」

「三上、それは名推理だな。多分当たってる」

「まあいいわ。それじゃ行きましょ」

 そう言いながら、昭はリヌアを連れて署内に入ろうとしたが、数歩あるいて立ち止まった。

「貴方は来ないの?」

 幸太朗が着いてこないのを見て、昭は眉根を寄せる。

「リヌアの方にだけメール来てたろ。俺はお呼びじゃないはずだぜ」

「はあ、別にいいわよ。変死体事件にも疑似魔法が関わっているって報告は既にしているの。だから今回同行するなら、理屈をつけて説明しておくわよ。この件、追いたいんでしょ?」

 さすが昭だ。伊達に昔から一緒にいる仲じゃ無い。心を見透かされている気分だ。

「いいのか?」

「何度も言わせないでよ。どうせ聴取が終わったら、私から聞きだそうって考えでもしてたんでしょ?」

 図星を疲れた幸太朗はさすがに背筋に寒いものが走ってしまった。

 現代の技術をもってしても思考の読み取りに関しては不可能だと言うのに、二度も心の中を見透かされるとは。

「ったく、超能力者かよ。借りは返すぞ」

「こんなこと、なんでもないわ。ほら、早く行きましょ」

 三人はそれから警察署内部にある地下一階へと向かう。ここは取り調べを行う階であり、基本的に外で仕事が完結してしまう社統部である幸太朗とリヌアは中々来る機会が無い。

 電力の節約をしてますと言わんばかりの薄暗い廊下に、防音設備の整った部屋がいくつもある。

「ここに来たのは、入社当日の施設案内くらいだな。あと警察のパンフレットとか」

「意外と部屋数多いんですね」

「都市部への人口集中が続くから、数年前に改築したんですって。でもここが満室になったところは見たことが無いわね。もしかしたら、半分埋まっていることもまずないんじゃないかしら?」

 入室にはDNA認証で各部屋の電子ロックにアクセスする必要がある。

 昭が壁に設置してある真四角の装置に指を押し当てると、ピピッと音が鳴った。

ロックを解除して、部屋の中にリヌアを招き入れる。もちろん幸太朗は外で待機するかしない。

「それじゃあリヌアさん少し借りるわ」

 そう言って昭が扉を閉めると、耳鳴りがするほど静かになった。

 隣の部屋を一瞥すると見知らぬ男が聴取を受けていて、げんなりとした顔をしている。聴取時間は最高でも三時間が限度だから、警官側はそれまでに何か聞きだそうとやっけになっているのだろう。前のめりになって捲し立てている様子だ。

 完全防音の中では時間の感覚が無くなりそうだ。幸太朗はアイズに送られてきたメールに目を通していくも、新しいものは無かった。

あの変死体事件の現場にいた警官は捜査しているはずだが、その進捗報告は何一つ上がっていなかった。

「それの連絡もなしか」

 もともと詰まっている状態だ。すぐに新しい情報を持って来いと言う方が無理があるのかもしれない。

 しばらくするとリヌアと昭が一緒に出てきた。

「三十分ってところか。案外早かったな」

「ええ。聞くことは数点だけだし、別に嘘をつくなんて疑いもないのだから当り前よ」

 昭が腕を組んで何気なしに言う。

「昭さん、先輩と同い年なんですね。しかも大きな事件を扱っているとか。ライバル? 的な存在なんですねえ」

「ライバルでもなんでもないからな。というか本当に聴取したのか昭?」

 軽く昭を睨みつけたが、彼女は知らん顔だ。

「相手をリラックスさせるためには雑談が必要なのよ。それにほら、リヌアさんから『先輩なんて追い抜いちゃってください』って言ってくれたわ」

「ちょっ! 昭さん! それ言わない約束じゃないですか~」

 この二人、もうこんなに仲良くなったのか。リヌアなんて信頼できる出来ない云々言って俺と距離置いていたんだが。

 幸太朗は額に手を当てて、女子の結束力の素早さに感服してしまう。いや、でもリヌアはさっそく裏切られていたし、そうでもないのかもしれない。

「先輩、私と昭さんが話しているからって変な顔しないで下さい」

「いつもの顔だ、失礼な奴だな」

 二人がそんなやり取りをしていると昭はアイズを弄って何か確認をし、すぐに用事があるとのことでその場を去っていった。

「俺達も戻るか。被害者家族への聞き込みは済んでないしな」

「りょーかいです」

 幸太朗とリヌアは警察署を出て、二人の被害者の家へと向かった。


 数日後。幸太朗とリヌアのアイズに表示されていたのは、十件ほどの開封されたメールだった。

 全て件名は違うが内容は一緒。変死体のさらなる犠牲者の報告である。

 二人は移動の疲れから、汗だくになっている体を冷やすために、名も知らない小さな公園のベンチに座って天を仰いでいた。

「先輩、私たち頑張りましたよね? 私、真面目ですよね? 職業適性の数値なんてガン無視するほどに適正ありますよね?」

 人ひとり分のスペースを開けて座っているリヌアが、うわの空で尋ねてきた。

「当り前だ」

 これには幸太朗も同意するしかない。

「一番疲れたのは被害者家族に『違法カード』の情報を漏らすことが出来ない事ですよね。説明してる途中で私泣きそうになりましたよ」

「しょうがねえだろ。あんなもんが出回っていると知れたら社会は混乱するぞ」

「どう考えても違法カードと変死体事件は繋がってますよね……」

 この十件の被害者の身元と死因はデータで送られてくるが、犯人を見つけるのは至難の技だし、繋がっているとも思えない。

 ネット上に情報が集約、検閲される時代において、足を使っての捜査と言うのは中々どうして大変だ。

「と言いますか、あいつら、本当にやる気あるんですかね? 私たちとは違う部署ですけど情報共有全くないのは許せないですよ」

 愚痴を吐くリヌアが何を言いたいのかはよく分かる。

 昭と同じ部署の奴らは勝手に動いてる。しかし先ほどリヌアがこぼしたように情報一つ共有しようとしない。

 逐一蓄積される情報は捜査を、そして捜査に関する思考を左右する。道に迷っても戻り、新たな発見への道が示される手がかりだ。

「連携する気は全くないだろうなあ」

「このままだと犠牲者、また増えるかもですね」

「それが一番心配だな。ネットじゃあ既に噂広がってるからなあ」

「げっ、マジですか……」

 リヌアを一瞥すると彼女の瞳がアイズの奥で動いている。きっと検索をかけているのだろう。

 しかし情報が統制されている今では、公正情報管理局によって捜査に関するものは文章から画像、URLまですべて削除されてしまう。

 だからネット上にアップされたとしても、せいぜい一分くらいが限度だ。

「公正情報管理局が全力を駆けているからな。見つからないだろ」

「見事に消されてますねえ。すごく仕事速いです」

「投稿者の携帯端末は多分もう使えないだろうな。IPアドレスを突き止め、そこから全ての接続を落としているはずだ」

 携帯会社に要請すれば個人の端末の接続など造作もなく操作される。

「けれどこうして情報が上がっていると言うことは、完全に人の移動予測や視線の位置予測は行えないって事ですね」

 呑気な口調のリヌアは、さっき買った分厚いコロッケパンを頬張った。相変わらずよく食う奴だ。

「ていうか先輩はその噂、どこで手に入れたんですか」

「偶然見たんだよ」

「偶然ですか……私も見たかったなあ」

「なあ、俺が言っておいてなんだが、噂が広まってるって言葉信じるのか?」

 現代じゃ脳内チップ記憶領域にありとあらゆるものが書き込まれ、閲覧でき、それが目に見える形で残っている。

 そして目に見えるものこそ人々は現実だと認識するのだ。だから魔法使いの変死体の画像が残っていればみな信じる。

 逆に何かについての全ての情報が消され、自然記憶領域に残っていたとしても、それを人々は信用しないのだ。

 昔からの親友ならばこの法則に当てはまらないことはあるが、人間関係が希薄な現代において見知らぬ他者が自然記憶領域から引っ張ってきた言葉など妄言に過ぎないのだ。

「ま、先輩が嘘つく必要ありませんしねえ」

 だから、こういったリヌアの見解は少々珍しい部類に入る。

「あ、そうだ。私キュアライフ取ってきます。最近、食べ過ぎなの見抜かれているんですよね」

 ふと思い出したようにリヌアは立ち上がる。

 キュアライフが摂取できる投薬機は、歩いて十分ってところだろう。地図を見れば嫌でも表示されている。

「じゃあ行くか。そろそろ休憩も終わりだしな」

 二人は静かな公園から、さわがしい街中へと歩き出す。

 キュアライフ投薬機はコンビニでやるのが一般的だ。すでに社会のインフラになっているコンビニは無人化になっていて、キュアライフ投薬機を集客の一部に充てることで利益の一部をこくみん健康委員会に流している。

 リヌアは大通りにあるコンビニの自動ドアを潜って中に入っていくと、真四角の投薬機の前に立った。

投薬機の上部にあるカメラがリヌアの顔を認識し、そこから以前の投薬履歴を引き出してくる。

続いて、現状の健康状態が危機の画面に表示され、前回の投薬時との変化が示される。これによって日々の体の変化を人々は逐一知る事ができ、重大な疾患を予兆することができる。

 自身の体の状態を伝えられると、キュアライフの接種頻度や食事、運動、ストレスに対するアドバイスが送られ、そしてやっと最後にキュアライフの錠剤が投薬機から出されるのだ。

 コンビニの外からリヌアを見ていると、彼女は視線に気が付いたのか、顔を向けてきた。

「早く終わらせろ」

 と口を動かしてみるが聞こえないだろう。

 リヌアはふいっと顔をそらして、それから手にした錠剤を一気に呑みこむ。

 コンビニから出て来た彼女は舌を出して苦い薬を飲んだ時の様に顔をしかめた。

「私これ嫌いなんですよね。もう少し飲みやすくしてもいいと思うんですけど」

「ああ俺も苦手だけど、おかげで一昔前みたいに特定の食事の摂取に敏感になることないからな。これさえ飲んでおけば間違いない」

 健康はもはや自身で管理することは無くなった。それはキュアライフのおかげだと言っても過言じゃない。

 自分の体のことを知っているのは自身では無く機械だ。まあ、取りあえずデータに示されている数値は把握してはいるが、関心があると言えば嘘だ。

 もしその数値をまじまじと見つめる時が来るとすれば、接種時に警告音が鳴った時だろう。

「間違いないって……まあそうですけど」

「でも今のままだと、摂取量は多くなりそうだけどな。食いながら巡回している暇があるなら運動したほうがいいだろうな」

 なんてツッコむと、食い意地が張っているリヌアが頬を膨らませる。

「大丈夫ですよ。キュアライフはちゃんと取ってますし、疑似魔法の練習もしてますし」

「太らない様に願うばかりだな」

 昼休憩が終わって、幸太朗達がたどり着いたのはガラス張りの高層マンションだ。

 ここに被害者が一人いる。

円柱型で真ん中にエレベーターが走っているため、全ての部屋から外の景色が見られる仕様になっている。

「金持ちですね、いいところに住んでますよ被害者」

「名前は荒川守、職業はフリーランスのエンジニアだな。フェイクマジックの立ち上げにも少し関わっていたが、こくみん健康委員会にも所属していた……」

 主にカードの読み込み機能、グローブに着けられているカードリッジに関する場所を担当していたらしい。この開発後に池袋連続殺人事件が起きており、その一端を担ったストレスから事件の後は全く別の案件を請け負っていたようだ。

 エレベーターで被害者の部屋の階に到着すると、既に黄色いテープのホログラムが張られてあり、警備用のヒューマノイドが立っていた。

 二人はヒューマノイドの間を通り抜けて、被害者の部屋の扉を開け中へと踏み入る。

 主人がいなくなった部屋は静かな機械音とそのランプの点滅が寂しく支配していた。

 4DKの間取りで、キッチンには殆ど料理をした後が無く新品そのものだ。

 リビングとベッドルームは日当たりがいい場所に決めてあり、仕事部屋にはホログラム造影機が三つと、高価な椅子が置かれている。

「部屋の完全スキャンは終わってます」

「被害者以外の指紋や毛髪は出て無さそうだな。他の資料は……っと」

 警察署内のサーバーから脳内チップ領域をつかって捜査中の情報を引き出す。

「自殺って可能性が濃厚だな」

「あっ先輩、これ見てくださいよ」

 リヌアがそう言いながら部屋の片隅に置かれている、フェイクマジックのシューズやグローブを指さす。

 ここの被害者は池袋無差別殺人事件の引き金となった疑似魔法の仕事からは手を引いたはずだ。となればこんな物、見たくもないだろう。

 幸太朗の言いたいことを察したのか、リヌアは眉根を寄せた。

「変ですよね? なんでこんな物があるんでしょうか?」

 幸太朗は首を縦に振ると、それから部屋の中を改めて見回してみる。しかし、不自然な点といえばリヌアが言ったことくらいだろう。

「もしかして違法カードはここで作られたんでしょうか? カードリッジの仕組みを知っていればカードそのものの仕組みも分かるでしょうし」

「かもしれないが……そうすると社統部を狙っている理由が分からない。それにこいつはもう死んでいる」

「仲間がいて、仲間割れとかですかね」

 分からない。

 そもそもどうして社統部なんだ。

犯罪を取り締まる部署では無く、すでに更生した者の経過観察を旨としている部署だ。

 そうなれば更生させたくない……と考えるのが普通だろう。

 更生させないことで何かあるのか。

 違法カードの製造者は社統部を狙い、同時に変死体を作り出している。それも変な衣装を着せてだ。

 考えても手持ちの札ではまるで見当もつかない。

「完全に手詰まりだな。荒川守はただの被害者だろう。ここじゃカードの製造は出来なさそうだしな」

 違法カードの製造に増えるかもしれない変死体。幸太朗の背後には言い知れぬ不安が迫って来ているのを感じる。

「リヌア、街中のヒューマノイドの情報を貰いに行くぞ。ここまで来たやつが映っているかもしれないからな」

「情報の始まりはいつでもリアルから、ってことですね」

「ああ。リアルで何か起きないと煙は立たないからな。特に今はデマや誤情報が成り立たないから、この法則は必ず成り立つはずだ」

 世にあふれているヒューマノイドの役割は人の仕事を補助するだけではない。全てに公正情報管理局の監視が入れるようにしているため、カメラ部分は一種の録画装置にもなっている。

 このマンションの外側には監視カメラもあるし、被害者の足取りは追えるはずだ。

「でもそれなら他の人がとっくにやってますよ」

「俺もそう思うが、何も情報が来てないってんなら調べるしかないだろう」

 捜査が後手に回っているかもしれない。犯人の手掛かりは何もないし被害者たちの共通点もないのだ。

 いや、情報が無さすぎると言うのがそもそもの問題なのだが。

「ったく、本当に機能してんのかよ」

「何がです?」

「全てだよ。変死体事件に関する情報が昭から渡されたものと、いまリアルタイムで調べているもの以外何もないんだからな」

「でも機能はしてるんじゃないですか? 脳内チップ記憶領域で警察署のサーバーにアクセスする限りでは情報は蓄積されていますよ」

 そう言ったリヌアの言葉を信じて幸太朗はサーバーにアクセスしてみると、確かに情報が更新されている。

 だが。

「なんだこれ、いい加減にもほどがあるだろ」

 更新されているのは被害者の家族構成や、捜査員が捜査した場所や日付だけだ。重要な事は何一つ書かれていない。

「やっぱりそう思いますか」

 リヌアは苦笑いして誤魔化した。

「それで、ヒューマノイドの録画情報ってもしかして」

「公正情報管理局に集約されているな」

 幸太郎が苦い顔をすると、それと同調したようにリヌアも顔を歪める。


 二人が公正情報管理局に赴くと、待っていたのは以前対応した上塗愛子だった。

 切りそろえた前髪の奥から、キラリとした瞳が二人を捉える。

「今日はどうされました?」

「街中のヒューマノイドのカメラ映像で探してほしい奴がいるんです」

 幸太朗は被害者の生前の写真を愛子に見せた。

 彼女は目を細めて被害者の顏を数秒見つめると踵を返す。

「どうぞこちらへ。しかし街中のヒューマノイドと言うのは具体的にどの部分ですか? それと時刻は?」

「ある程度絞りはつけてあるんでね。足取り追えればそれでいいんですよ」

 死亡推定時刻は既にサーバーにあがっていたから、その辺りから詮索すれば被害者を殺した犯人の足取りはつかめるはずだ。

 二人は愛子の部屋まで通されると、適当に座るように促されて、ふかふかのソファーに体を沈めた。

 愛子は自身のデスクへ向かうと、ホログラムの画面を映し出し、キーボードを操作する。

「そのマンションから、出るところまでを見つけるのは簡単ですよ」

 愛子はものの数秒で該当人物がマンションから出ていく映像を見せてきた。

「早いな」

「画像と映像で同一人物を特定しただけですよ。ノーガンが持っているアイズと同じ技術です」

 愛子はふふっと口の端をつりあげ、幸太朗に移していた視線を再びホロに戻す。

「そういえば、先日不審な輩に襲われたのは大丈夫でしたか?」

 幸太朗達に目を向けないまま愛子が言う。

 それが何のことなのか、考えるまでも無い。

「何で知ってるんですか? こちらに情報は流していないはずですが」

「街中のドローンを見てたんですが、大通りでそこの御嬢さんが追いかけられている映像を発見しましてね」

 幸太朗は隣に座るリヌアを一瞥すると、バッチリと視線が合う。

「別にせめてないからな」

「責められてもこまります」

 短い会話は数秒で終結し、愛子が叩くキーボード音だけが響き、ドローンとヒューマノイドに映っている画像が切り替わっていく。

「指定された日付だとここのレストランにいて、こっちにも移動してますね」

 愛子が被害者を見つけるたびに口を動かす。

 この時代には無数のカメラがある。巡回ドローンにヒューマノイド。人の行くところほぼ全てが監視されている。個人のプライベートが許されるのは自宅のみと言っても過言では無い。

「刈白さん、ここまででいいでしょうか?」

 愛子は被害者が家に帰るまでの間に接触した人物をリストアップした。

 殺される前日、被害者に接触した人間はあの違法カードを使っていた連中と、友達らしき人物だった。

「一日のうちに、この二人とあっているのか」

「そのあとは家に帰っているだけのようですね。でも先輩、挙動がおかしすぎません?」

 リヌアの言うとおりだ。

被害者は帰宅の最中、何かに追われているみたいに後ろを振り返っている。その視線の先を探したが、ドローンには特に怪しい人物は映っていない。

 そして被害者のマンションがある住宅街に逃げ込んでいる所で映像は切れている。

「ここは被害者が最後に入って行った住宅街で、先の映像はありません」

 愛子がキーボードを打つ手をぴたりと止めて、幸太郎に視線を移した。

「この住宅街に設置されている防犯カメラにはアクセスできないのか?」

「……本気で言っていますか?」

「ああ。被害者が襲われる場面が映っているかもしれないからな」

 幸太朗が頷くと愛子はあきれ顔をして、背もたれに体重を預けた。

 彼女は額に手を当てると、少しばかり考えて口を開いた。

「私たちの役目は監視ですが、あくまでも情報の監視なんですよ。街中の広告を監視すると言う名目でヒューマノイドとドローンへのアクセス権を持ってはいますし、こうして捜査に協力は出来ますが」

 その先は、仕事の範囲外、いや建前上でもプライバシーは保たれるべきと思っているのか。

 どちらにせよ、ここで引き下がるわけにはいかなかった。春一は変死体事件の犯人を追えと言っていて、その先には昭が担当している違法カードの存在があるはずだ。

「これ以上、死人を増やしたくはないんだ」

「私も同じ気持ちです。ですがここから先に進んでしまえば、言い訳が効きません。せめて村井さんの許可を取ってください……というか、そもそも警察の方でそのあたりの情報は都ってあるでしょう? サーバーにアクセスしてみてはいかがですか?」

 その映像すらも共有されていないから来たのだが、流石にここでは譲ってはくれないか。捜査だからと言って多数の私的監視カメラに潜入出来るわけじゃない。

 幸太朗は渋い顔をして、アイズを操作して上司に確認を取った。

 だが帰って来た返事は期待していたものでは無い。

「ではやはり、ここまでですね。先ほどの動画は送っておきます。活用してください」

 ホログラムを閉じた愛子に幸太朗はまだ煮え切らない思いだった。しかしここに居ても何の解決策にもならない。

「焦りすぎですよ、刈白さん」

 心の中を見透かされたかのような瞳を愛子が向けてくる。

「犯人は分からず仏は増える一方なんだ、焦るに決まっているだろ!」

 拳を握って思わず大声を上げた幸太朗は、言ってからハッとした様子の表情を浮かべると、奥歯を噛み締めて声を小さくする。

「SNSにだって画像が上がっている。この事件に気が付いている奴もいるんだ。ネット上の情報は誤魔化せても自然領域記憶までは誤魔化せないぞ」

「刈白さん、自然記憶領域を信じるなんて本気で言ってるんですか?」

 愛子がリヌアとは違って正しい反応を見せる。

「本気だ。消されたからそれしかないだろ」

 彼女が驚くのも無理はない。しかし幸太朗は引かなかった。

「犯罪者の思考と同じだ。本当に大切な、他人に知られたくない事は自然記憶領域に保管している」

「どうかしています。自然記憶領域は信用なりません。個人の遺志で自由に書き換えられますから。口に出したとしても嘘である可能性があります」

「それはサーバー上の記事や動画も同じだろ」

 そう言うと、愛子がさらに目を見開き、それからすぐに目を細めた。幸太朗に冷たい視線を突き刺し、整った唇が軽やかに動く。

「お言葉ですが、私たちの情報に間違いはありません。完璧ですし、加筆しようものならばログもきちんと残ります。一昔前の、バカみたいな黒塗り書類なんてのはあり得ないんですよ。刈白さんは国の機関である我々を疑うと言うことですか?」

「そこまでは言っていないがな」

「とにかく。自然記憶領域は不確かなものですから、SNS上から消えた動画の事を言ってもだれも信用してくれません。大丈夫ですよ、知られていませんからね」

「さっきも言ったが、確実に見た人物は存在する。この頭の中に入っていることに間違いはない」

 幸太郎は自分の頭を人差し指でつついた。

「いいえ、存在しません」

 幸太朗の反論に一秒もの隙を与えず愛子が否定する。

「存在はしませんよ刈白さん。この時代にサーバー上で確認できないということは、存在しないも同じなんです。自然記憶領域は一日覚えていても翌日には忘れてしまっています。数日もすれば『見間違いだった』となるんですよ。覚えていない、認知されていないと言うことは存在しないことと同義ですよ」

「どういうことだ……一体何を言って……」

 喉の奥に引っかかりながらも、やっと出た声は独り言のように小さくて弱かった。

 愛子はその問いに応えようと口を開きかけた所で、視線を自身のデスク上に向ける。

「少し用事が出来てしまいました。今日はお引き取り下さい」

「待て、まだ話は」

「終わりです。刈白さんは少し焦っていらっしゃるようですので、少し落ち着かれることをお勧めします」

 愛子の態度はこれ以上話す気はないといったものだ。幸太朗は大きく息を吐くと「ご協力ありがとうございました」と事務的な挨拶をしてから、公正情報管理局のビルから外に出た。

「結局分かったのは、あの不良どもにあっていて、それから友人とも会っていた。ってことだけだな」

 しかし違法カードを渡している雰囲気ではなかったし、むしろ友好的だった。友人の方にしても世間話をしているだけのようで、これといった収穫はない。

 被害者が何かにおびえているそぶりを見せていた帰路でも、接触者たちの方に異常な行動は見られなかった。

「ですねえ。肝心な殺人の瞬間が無いなんてがっかりです。住宅街のカメラ映像を確認できればよかったんですけどね」

「公正情報管理局から情報提供できないし、村井さんもダメって言ってるんじゃなあ」

「なんか邪魔されている感じですよね。公正情報管理局からも村井さんからも情報の共有ができないって判断されるなんて、ふつうあり得ませんよ」

「公正情報管理局に詰め寄れば取れるはずなんだがな……」

「村井さんの許可取れませんしね。直談判します? 滅茶苦茶めんどいですけど~」

 リヌアが案を出してくる。

確かにそれしかない。春一の許可が無い限りは公正情報管理局の上層も動かないだろう。

 けれどここでまた走ってしまったら、違法カードに繋がっているはずのこの事件からも外されることになってしまう。

「少し落ち着けか……」

 愛子に言われた言葉を口にすると、それを聞きとった後輩が、意気揚々と。

「それじゃあ署に戻って、休憩ですね」

「三上、さっきの発言はどこに行ったんだよ」

 幸太朗は焦りを自分の中に抑え込み、ぎこちなく笑みを浮かべて首を縦に振った。

 社統部のフロアは誰もが席を外していた。リヌアも財布だけ持って外に出かけてしまっているため、今は幸太朗一人だ。

「こういうのも悪くないな」

 閑散としたフロアを見渡して腰かけに体重を預ける。

 聞こえるのは外を走る車の音と街中に響く街頭ニュースのキャスターの声。窓の外を一瞥すると、マジックデュエルが今日も行われている。地上にある広場と、低層ビルの屋上の二か所だ。

 こうして見ていると、本当に魔法を扱っているみたいだ。

「発達した化学は魔法と見分けがつかない……だったっけか」

 フェイクマジック株式会社が疑似魔法の装置を発表した際、そんなことを言っていた覚えがある。

 確かに数十年前の人間が見れば、魔法を扱っているように見えるだろう。

 地上を滑る様に移動し、火や水を空中で作り出せば、相手にぶつけることもできる。しかしそれは遊びの域だけには留まらない。

 災害の救助時や遭難時にも役に立つし、一部の人の間では生活に欠かせないものだ。

 だからこそ、違法カードなんてものが出てきたら、発生した瞬間に潰さなくてはならない。

そんなことを考えていると、ここに居ることがもどかしくなってきた。愛子から落ち着くように促されたものの焦燥はつのるばかり。

「先輩、休めましたか?」

 振り返るとリヌアが部屋に入ってきた所だった。

「少しだけな」

「ふーん、で、またマジックデュエル見てるんですか。というか皆本当に好きですね」

「一昔前の娯楽とは違うからな」

 娯楽は増えたがフェイクマジックは別格だ。

 ゲームの世界をそのまま現実に持ってきたような感覚だから、ゲーマーが熱中するのはもちろん、エンタメ性の高さから多くの企業が注目している。

 それに格闘技とは違って体格差や性別はあまり関係ない。リヌアが男たちを蹴とばし、疑似魔法で攻撃できるのがその証拠だ。

「私なら仕事以外ではしたくないですね」

「そんなこと言いながら、結構好きなんじゃないか? 動き見る限り相当やってるだろ?」

「バカ言わないで下さい! 休日にマジックデュエルなんてするわけないじゃないですか。先輩に付き合わされて平日は疲れ切っているんですから」

 リヌアが席に着くとダラッとうつ伏せになって机に額を押し当てた。

「そうか? いつも少し離れて歩いてるだけだろ?」

「なに言ってるんですか! ちゃんと私もアイズで通行人を見てるんですよ。ほんと目が痛くなりますし、歩きすぎて足も痛くなります」

「でも着いて来てくれるあたり、これからもかなり頼りにしてるぞ」

「うわっ、それ口説いてます? 仕事上の関係だけですから、ダメですよ!」

 両腕で自分の体を抱きしめる仕草をしたリヌア。

「休憩は終わりだ。すぐに外に行くぞ」

「頭冷えたならいいですよ」

「とっくに冷えきってるさ。とりあえず聞き込みの続きだ」

 幸太朗とリヌアは外に出て、マジックデュエルが行われている広場の横を通る。

 大学生があつまり、社会人の観客も見える勝負を横目に過ぎようとした時だ。

「あんた達ノーガン? さっき警察署から出て来たよね?」

 この頃、やけに運が悪いなと幸太郎は思った。

「ぞろぞろとガラの悪い連中がいるんだな。ここは都心のなかでもオフィス街だぞ。お前たちは学校にでも行ってろ」

 幸太朗は目の前に立ちふさがった数人の男に目をやった。

 全員覆面こそしてはいないが、黒いマスクにサイズのやたら大きいパーカーはこの周辺に溶け込んでいない。

「俺らがどこに居ようと関係えねえだろ。それよりも、仲間が世話になったな」

 その言葉で幸太朗は身構え、太ももにあるカードケースに軽く触れる。

攻撃一歩前の行動だ。

 名前も知らない男だがアイズで見ると、スキャンできてしまう。マスクをしていても個人の区別がつく箇所はいくらでもある。瞳の色に大きさ、目蓋、髪の生え際に顔のライン、これだけそろっていればDNA検索で誰なのか一発で分かってしまう。

「山田孝雄。高校中退後にフリーターになるが、それも一カ月で暴行事件を起こして解雇か」

 後ろにいる奴らもスキャンしようと視線を動かすが、その前に孝雄が眉根をつりあげて、疑似魔法のカードを引き抜いてグローブに差し込もうとした。

「てめえには関係ねえだろうが!」

「やれやれ」

 先に引き抜いたのは相手だが、幸太朗の方がカードをグローブに読みこませる動作は早かった。

 数秒の差で幸太朗の掌に炎が宿ると、躊躇なく敵の胸元に拳と共に叩きつける。

「ぐっ、があぁっ……」

 軽い爆発が起こったかと思うと、相手の体がくの字に曲がって吹き飛んだ。

「安心しろ。こちとら正規品しか扱ってないから、軽いやけどと痛みぐらいで済むだろ。なんらなまだ立ち上がって来ても……ってなんだあいつ?」

 一度瞬きをした幸太朗は眉根を寄せた。孝雄は立ち上がるどころかずっと地面にうずくまったままなのだ。

 この手の輩はすぐに反撃してくるものだと思ったが、こいつは案外もろいな。

「先輩、もしかしてあいつスーツ着てないんじゃないですか! だとしたら相当な衝撃ですよ」

 グローブかシューズをはめるのならば、同時にスーツの着用義務が発生する。逆にスーツだけならば問題ないが。

 一番の身体保護機能を有しているスーツを着ないで、グローブとシューズをはめるなんて聞いたことが無い。攻撃される危険性を分かっていないのか。

「一応、スーツを着ていないのは規約違反だ。フェイクマジックに報告を入れる。それと、公務執行妨害で逮捕だ。あんまりノーガンに喧嘩吹っかけるなよ」

「それじゃあ、拘束するので両腕だしてくださいね」

 テキパキとリヌアが事後処理を進めていくのを一瞥して、幸太朗は残った男たちを視界に入れた。

 孝雄が倒れていることに動揺を隠せなかった仲間達だが、どうやらここで逃げる気は無さそうだ。いやむしろ闘気は増しているようにも見える。

 流石に大通りで問題は起こしたくないのだが、この時間帯は昼食に出ていたサラリーマンたちも各々の職場へ戻ったらしく、幸いにも人は少ない。

 早く片付ける方がいいか……。

 判断を下して幸太朗は軽く膝を曲げると、ホルダーからカードを取り出してグローブにセットする。体がふわりと浮き、エアウォークが発動して瞬く間に風になり、拳を握った。

 グローブが読みこめるカードの枚数は一枚。

一人倒しても、ラグが出来てしまう隙を与えれば致命的だが、その対処法はいくつかある。

「その一つが格闘に持ち込んで仕留めることだ!」

 魔法が使えることが醍醐味なのだが、それを一切無視した方法。

 相手は魔法で対処してくると思っていたのだろう。手にしているのはファイヤーボールのカードだ。

 しかし、炎が構成されて投げるまでの時間を考えれば幸太朗が一歩先を行く。

「このっ!」

 一人が悪態をつくが、その発言の直後に幸太朗は拳を顎に叩き込む。

 ぐらりと視界が揺れた敵は何が起こったのかさえ分からすにその場に倒れ込むと、ただ視点の定まらない瞳で幸太朗を見上げるだけだった。

 あと三人。

 次の標的を捉えると、彼らはすでに疑似魔法を発動して振りかぶっていた。

「ファイヤーボール!」

 相手の声と共に勢いよく炎が放たれ、それをしゃがんで回避し懐へ飛び込んだが。

「ライトニングショット!」

 バヂッと嫌な音が耳に入ってくると、既に体は反応していた。

 炎を放ってきた敵に拳を入れる前に、他の奴が邪魔をしてきて、大きく飛び退いて距離を取る。

「やるな」

 ライトニングショットを放った敵のコントロールが良すぎる。味方の眼前三十センチに雷を落として幸太朗を引きはがしたことに思わず感心してしまう。

 しかし連携に感心している場合では無い。あと一人いたはずだ。

「後ろか!」

 振り返った瞬間に特大の回し蹴りが顔面に放たれていた。

 顔の左部分に腕を持ってきてなんとか防ぐと、今度は背後からもう一度ファイヤーボールを放たんとする声が聞こえてきた。

「ちっ」

 三対一でこの連携の練度。少し予想を間違えたか。

 幸太朗は地を蹴って十メートルほど飛び上がると、敵のファイヤーボールを回避する。

 しかし避けたのは間違いだった。疑似魔法はそのまま飛翔して、通りを歩いていた一般人へと向かう。

「まずい、避けろ!」

 空中で体勢を立て直して叫ぶと、ビジネススーツを着た男性はハッとして視線を疑似魔法へとむけ、しゃがみ込んだ。

 途端に地面に直撃し大量のコンクリート片が宙を舞ってサラリーマンに襲いかかる。

 男たちはそんなものはお構いなしとばかりに、着地した幸太朗を狙って追撃の耐性に入った。

 幸太郎の着地時を狙っていたのは格闘になれた奴だったが、そいつの突きを受け流し、がら空きの鳩尾に一撃をめり込ませる。

「ぐっ、うぅっ」

 幸太郎は的確な一撃で相手を仕留め、後ろに回り込み関節を決めたまま盾代わりにすると、疑似魔法を放たんとしていた二人がぴたりと止まった。

「どうする? 関節を外せばスーツを着ていても元には戻らないぞ」

 失神の際はスーツの蘇生機能があるが、さすがに骨折や傷口の治療を行うことは出来ない。

「お前たちが仲間の仇討をしに来たのはよく分かった。質問に答えれば今日は見逃してやってもいい。言っておくが俺はまだエアウォークしか使ってないからな」

 たった一枚のカードで三人を相手に出来ることを伝える。いや、この状況下だと一人関節をキメているから、二人だ。

この時点で実質的に相手が格下である事は一目瞭然だった。

まだ立っている奴らは手に持っていたカードをホルダーにしまい、グローブを腕から外すと放り投げた。

「……名前はオズってことだけしか知らねえ」

 初めに口を開いたのは幸太郎がとらえている男だ。

 オズ……魔法使いが出てくるあの有名な本に由来しているのか?

「本名じゃないな」

「ああ。オズって奴に頼まれただけだ」

「この前捕まえた奴らも同じようなことを言っていた。ノーガンを殺すように頼まれただけだとな。しかしお前たちが安易に警察組織の人間を狙う仕事を引き受けるのかは疑問だな」

 こいつらだって大人だ。公的機関に喧嘩を売ってただで済むなんて微塵も思っていないはずだ。

 他に何かあるなら話せと言わんばかりに、幸太朗は捻り上げている敵の腕を締め上げた。

「いっ……!」

 悲痛な声を漏らす仲間に、男たちの顔に焦りが生じる。ここで仲間を置いて逃げて行かない事だけは褒めるべきかもしれない。

「後は金だ……データじゃなく珍しく現金で受け取った」

 紙幣は過疎地域や地方で使われる。金の足取りを追われたくない政治家なんかも現金で支払う傾向にある。

 同じように足跡がつかないようにするためか……こいつらが捉えられることは既に想定済みって事だな。

「じゃあ最後だ。お前たちは疑似魔法で誰かを殺したことがあるか? それか別の奴らに役割があるとか話はあるのか?」

「……そんなわけないだろ」

「本当か?」

「知らねえよ。でも最近は変な死体の画像がアップされてるってのは知ってるぜ。まあでもその……検索しても引っかからねえから、見間違いかもしれないけどよ」

 やはり出回っていたら目につくか。

 それ以上は何も知らないと言う男たちの額には汗がにじんでいた。

 幸太朗は盾代わりにしていた男を離してやると。

「さっさと行け、次会ったらまじで容赦しないからな。それと三上が介抱している男は、病院に送ってやる。見舞いにでも行ってやれ」

 幸太朗はそそくさと逃げていく彼らの背中を見送ると、さっきファイヤーボールの被害にあった男性の元へと駆け寄った。

 既にリヌアが事情を話していて、会話の流れが途切れた所で。

「申し訳ありません。私の不注意です」

 幸太朗が頭を下げるも、スーツの男はにっこりとほほ笑んで首を横に振った。

「いえ、気にしないで下さい。あのような連中から治安を守っているということは理解しております」

「ありがとうございます」

「それにしても、ノーガンは凄いですね。まるで手足の様に疑似魔法を使う。その辺りのマジックデュエルとは比べ物になりません。本当の魔法使いみたいだ」

 黒髪の男はメガネの奥の瞳を細め、すっきりとした顔のラインに収まっている口を三日月の形にする。

「本物の魔法使いですか?」

「ええ、昔漫画で読んだ様な魔法使いでしたね。タイトルはもう忘れちゃいましたが」

 ゆっくりと立ち上がりながら男性は服に着いた埃を払った。シャツには破片で空いた穴があり、もう着ることは出来ないだろう。それにズボンにも穴が開いているしこれはスーツ一着無駄になっている。

「あー穴が開いちゃってる」

 苦笑いをする男性に、幸太朗は何と言っていいか分からなかった。あまりこういう場面に社統部は出くわさないのだ。

「あの、スーツは……」

「いえ、お気になさらないで下さい。まあもし何かあった時の場合もありますし、連絡先だけ教えてくれませんか?」

「ああ、では業務用の番号ですが、お渡ししておきます。何かあれば一報ください」

 お互いにメールのアドレスを交換し、脳内チップ記憶領域に保管する。

「では僕はこれで失礼しますね」

 まだ体の痛みが残っているのだろう、体の節々を撫でながら去っていく男性の姿が見えなくなると近くにいるリヌアが口を尖らせる。

「先輩、気を付けてくださいよ! さっきの人、簡単に許してくれたからよかったものの、変な人だったら、裁判だ―とか言い出すんですからね」

「分かった、気をつけるよ。それよりも倒れた男は?」

「全身打撲ですが、意識もあります。救急車を呼んだのでもうすぐ到着すると思いますよ」

 遠くの方でサイレンが聞こえてくると、その一分後には救急車が到着し、男を運び去って行った。

 幸太朗とリヌアは少し面倒な手続きと、捜査への影響を春一に報告する。

「面倒事がないなら、後の処理は任せるそうです」

「まったく、所々適当だなあの人は」

 肩をすくめて幸太朗が苦笑いすると、それにつられてリヌアも困った様な顔をする。

 そうしてお互いの視線が重なった瞬間。何か大きく固いものが衝突する音が響き渡った。

「な、なんだ今のは!」

「先輩、こっちです!」

 音がした方へと駆けつけると、大通りに衝突した救急車と軽自動車があった。

 ボンネットが弾け、内部部品をむき出しにしたまま二台は横転し、炎に包まれていた。

 この時代、車の衝突事故は一年に一回あるかないかだ。車の位置情報と自動運転化の技術が進歩したことで、交通事故は人が運転する時代よりも激減した。

 だからもし、事故が起こるとすれば、整備不良や手動運転切り替えなど人間が関わっている可能性が高い。

「リヌアは消防局に電話してくれ! 俺は中の人を……」

 指示を出すが一際大きな爆発音が周囲の空気を振動させ、炎の熱が体を駆け抜ける。

 素早く顔を覆い、それからうっすらと瞳を開けると、救急車の中から黒い男が這い出してきた。幸太朗は素早く水系統の疑似魔法を発動させて、火だるまの人間を消化するが既に遅かった。

 黒焦げで煙を上げる人体はその場で倒れ、一言も発さないまま息絶えてしまい、まるで消えた焚火の様に白煙を上げていた。

「先輩、消防車は既に向かっているそうです」

「分かった」

 焼死体の傍らに跪いて、アイズで読み取ろうとしたが、さすがにこの状態で個人の特定はできない。体内の細胞を削り取れば特定できるのだろうが。

「偶然ですかね。正体がバレるから口封じとか……」

「分からねえ」

 今も燃えている車の方へと目を向ける。アイズにナンバープレートを読みこませると、衝突してきた車はどこにでもあるものだった。

 通行記録によると、毎日この時間帯にこの辺りを通っていて、使用目的としては営業用と書かれている。

「通行記録を見る限り、この道路を通っていることを知っていれば、何か仕込めそうだけどな」

「人為的にやったとしても無理ですよ。救急車がこの道を通る事なんて分かるはずありません。違法カードとは関係なく偶然の事故じゃ無いんですか?」

 リヌアの言葉はシンプルで納得しやすい。そう考えると偶然の一言に尽きる。

「偶然だろうな……運行記録見る限りじゃ、確かにここに居ても不思議じゃないし、救急車もつい数分前に呼んだんだ」

 だけど幸太朗の中には腑に落ちない部分もあった。

 主防犯は二人。違法カードを配って社統部を狙うやつ、変死体事件を起こしているやつだ。

 二人のうち片方は間違いなくこの町の監視網を熟知している。いや、しすぎていると言っても過言じゃない。変死体事件を起こしている犯人は公正情報管理局が使うドローンにも監視カメラにも、ヒューマノイドにも捉えることが出来ないのだから。

「もし、自動運転を操作し、予知できるとしたらどうだ?」

「予知って、もしかして魔法使いみたいな力が犯人には本当にあるってことですか?」

 あの衣装を見たからだろうか、幸太郎はその可能性がしてならなかった。

 現代でも捉えることができない不可思議な生物。情報網に引っかからず、それでいて着実に人を殺していく存在がいるのだろうか。

 いや、そんなことありえるはずがない。

「リヌア、もっと現実的に考えろよ。ここまで自在に情報を操れるくせに、肝心の情報だけ出してこなかった奴が一人いるだろ」

 そこでリヌアは目を見開いて幸太朗の思考を読み取った。

「ま、まさかでもそれじゃあ」

「この国の情報をほぼすべて網羅し、しかも自由にいじれる存在なら、今の事故だって可能だろうな」

 僅かに目を伏せて幸太朗は自分の考えを吟味する。

 もし仮説が正しければ全てに説明がつく。しかし、そこまでする理由が見つからない。わざわざ特定人物を消す必要があるのだろうか。

 情報社会の今、全ての記録を抹消すればそれで終了じゃないか。いや、人間そのものを消す必要性があったのか。

「とりあえず、引き継ぎをすませたらもう一度、変死体の捜査に戻りましょう先輩」

「いや、リヌアは今日付けで他の部署に異動するよう、村井さんに掛け合ってみる」

 いきなりのことに後輩は目を大きく見開く。

「先輩、な、なにを言って」

リヌアが理由を尋ねようと口を開くが、その前に幸太朗が続ける。

「この事件、裏で誰かが糸を引いているってレベルじゃない。途方もない奴を相手にしている感じだ」

 頭に浮かんでくる感情は間違いなく恐怖だが、何が恐怖なのかと具体的に問われると言葉にすることができない。

「それじゃあ尚更、先輩一人では無理ですよ!」

「かもな。でも今日襲ってきたやつみたいに疑似魔法を使いこなす奴が出てくると、さすがにきついぞ」

 今日襲ってきた連中は中々いい腕だった。おそらくだが、初めは金だけ持って逃げようと考えたに違いない、でもそうもしなかった。もしくはできなかったんだろう。

金を貰う代わりにノーガンを襲う。その危険性がどれだけの物か分かっているはずなのに、行動を移した。

疑似魔法で太刀打ちできない相手に力で脅されたか、それとも大きな組織に脅されたか……いずれにしても一筋縄ではいかない。

「異動って事にすれば、村井さんも仕方なく承諾するだろ。やめるわけじゃないんだからさ」

 以前、リヌアの態度について春一の前で愚痴をこぼしてしまっていた。彼女には悪いがそれを利用すれば、不自然さも残らないし、言い訳としては十分に通じるはずだ。

「でも……」

「まだ新人には荷が重いって事だ。何とか昭と一緒にやっていくさ」

「ちょ、ちょっと何言ってるんですか! 嫌に決まってますよ」

 確かにリヌアは愚痴をこぼしながらでも付いて来てくれている。そこに一定の責任というか、やる気みたいなものが見えているのは感じ取っている。

 けれど、今回の件でその意思を、熱意の炎を消すわけにはいかないのだ。

「やります! この事件、最初はただ変死体だけって思ってたけど……実際はそうじゃないってことくらい薄々感じてるんですよ。野放しにしたら本当にとんでもないことになりそうなんです!」

 そう言われて幸太朗は額に手を当てた。

「けれど、俺がカバーできる範疇を超えるかもしれないんだぞ。危険すぎる」

「言っておきますけど、その辺のことは分かったうえで所属してるんですよ? 試験時と、配属時の二回にわたって確認されましたから」

 胸を張ったリヌアに幸太朗は苦笑いしてしまう。そう言えば自分も同意書は欠かされた記憶がある。

「今まではそんな熱意無かったように感じるけどな」

「まあそうかもですけど……」

 意気消沈するリヌアを見て幸太朗も引き下がれなくなってしまう。

 多分、今この状態は彼女の熱意が消えている状態なのだろう。だとしたら、移動こそリヌアの意思を奪い取ってしまう最悪の方法だ。

「分かった。引き続き頼む。でもあまり無理はするなよ、戦闘になったら俺が前に出る」

「だから、私も戦いますって!」

 リヌアが頬を膨らませて講義してくる。

「りょーかいだ。それじゃあさっきの話は無かったことで……改めてよろしくな」

「はいっ! がんばりますよ先輩」


「革命的思考は常にシステムの外側からもたらされる。社会に従順でない君たちなら、それをなしえると思っていたのだが少々違ったようだね。君たちは負けた挙句に、のこのことしっぽを巻いて戻ってきたんだから、期待外れもいいところだ」

 廃墟区画。都心部から一時間離れた場所で、今は用途をなさない町。その建物の中の一部屋で、男は目の前の青年たちに問いかけた。

 低く落ち着いていて苛立ちこそ見えない声音だが、それでも問い詰められた青年たちは肩をビクリと上げて萎縮している。

「僕は力を貸した。違法カードに資金。それに仲間の仇討をしたいからと聞いたから襲ったあの二人のノーガンの写真も渡した。なのに、帰ってきたのかい?」

 男は破けたスーツの上着を脱ぎ捨て、被っていたカツラを取ると、今にも崩れそうな椅子に腰かける。

「オズ、申し訳ありません。でもあいつは強いんですよ、エアウォークだけで二人はやられました」

 震える声音で青年が口を開くと、オズと呼ばれた男は小さく頷く。

「見ていたよ。確かにあれは強かった。疑似魔法の世界ではグローブとシューズ、スーツのおかげで性別年齢なく誰もが戦うことができるが、彼は別格だろう」

「だったら……俺達が叶わなかったことは別に」

「だからこそ逃げずに戦うべきだったんだよ。今の社会システムは個人の塩基配列から病気の特定だけじゃなくて統計学と合わせれば適職まで算出することができる。キュアライフを使えば健康も増進され、完璧といってもいい社会だ。でも固定化された社会には意味がない。才能も努力も認められない世界になっているんだ。だからこそ、君たちが好きなマジックデュエルでは圧倒的な才能がある者にも立ち向かってほしかった」

 オズはすらりとした長い脚を組むと、それから自身のグローブをはめて柔和な笑みを浮かべる。

「ですが、格が違いすぎます」

「君たちはフェイクマジックを道楽だと思っているようだけど、それは間違いだ。これは本物の魔法だよ」

「本物の魔法? 一体何を言って……」

 青年がキョトンとした顔をすると、オズはその先を言わせないとばかりに目にもとまらぬ速さでファイヤーボールを放ち、彼の体に穴を開ける。

 どさっと土埃をあげて顔面を地に着けた青年はピクリとも動かない。

「ひっ!」

 悲鳴を上げたのは青年の後ろで俯いていた別の青年だ。

 さっき幸太朗に追い返されて恐怖を知ったばかりなのに、オズの殺人を見せつけられて完全に気が動転してしまっている。

「分かるかい? これは魔法なんだ。自由に炎を出すことができるし、雷だって発生させることができる。でも火種でもあるんだ。魔法の根源は勇気だからね。このグローブとマジックはそれを具現化するための道具に過ぎない」

 オズは立ち上がり、委縮している青年に歩み寄ると自分のグローブにさしていたカードを見せた。威力を増したファイヤボールを作ることができる違法カード。使った者の名前も指名も登録しなくていい。それにフェイクマジック株式会社の方に使用履歴も送られない。

「これと同じものを渡しただろう? 君たちの連携は決して悪くなかったし押していた。なのに負けてしまった敗因は何だろう?」

「それは、覚悟が無かったから……」

「そうだね。正解だ。一人倒れた時点で、少し臆してしまった。遠目から見ていても分かってしまったよ。完全に気持ちで負けていたんだ。数値では測れない、勇気というもので変えられるところを、君たちは変えなかった」

「……」

「まあ反省しているようだし、君は去っていいよ。早くでて行きたまえ」

 ほっと安堵した様子の青年は踵を返すと、足早に扉に近づき取っ手に手をかける。

しかしオズは雷の絵が描かれているカードをグローブにセットして、彼の背中を見つめ手の平を向ける。

「ライトニングショット」

 バチッと雷が走り、今まさに出て行こうとした彼の背中に一撃が直撃する。痙攣する青年はバイブレーションの様に体を振動させながら地に伏した。

「君たちを使ったのは失敗だったな」

 目的は達成できていないどころか悪化した。ノーガンを殺すために雇った奴らは使いものにならず、オズといういつも使っている偽名がバレてしまった。

 もちろん、偽名を口にしてノーガンにばらした奴は、救急車の中で消えてもらった。

 あの道でノーガンに仕掛けさせたのはオズであり、当然そこの交通量や通勤車などは念入りに調べていた。規則化された移動経路が分かってしまえばあとは違法カードで少しばかり位置情報をつかさどるチップを壊してやればいい。

 オズは机の上にあるホログラム投影機を起動させ、旧友と一緒に映っている画像を表示させる。

「守、君が亡くなって残念だ」

 オズの友人、荒川守は写真のなかでピースサインを作っていたが、今はもう生きていない。

 彼と接触したのは数日前。

フェイクマジックのカード読み取り機器部分に『何かを見つけた』と報告があって、街中で顔を合わせた。

守からしてみればすでに関わりたくない機器だったのだろうが、それでも彼が開発当初から抱いていた違和感の果てに突き止めたものは、とんでもない物だった。

それから数回顔を合わせた。

もちろんオズが守と直接接触したのは初めの一回だ。

二回目以降の連絡手段は用心した。

わざと守に挙動不審な行動をとらせて、誰かに追われているような行動を見せるように促した。もし守が監視されているならば、監視しているものは『彼の視線の先』を追うはずだ

 しかしそこには誰もいない。

 オズは守のすぐ横にいた。そこならば共犯者だとは気が付かない。

そして二人がすれ違う瞬間に紙で書いたメモを渡す。

古典的だが、かなり役立つ。

「今日まで少し行動してみて、君がネット上にこの情報をばらまかずに僕に話をした理由が今ならわかるよ。普通にやるのでは一矢報えない。もっと大きく、根回しをする必要があるね。とくに自然記憶領域を信じない者たちの考えを改めさせるよ」

 今までのことはネットに書かれ、即座に削除されても問題ない。大切なことは皆が『確かにあった』と自然記憶領域を認識し、チップ内記憶領域を疑うことから始めるためだ。

 そしてうまくいっている。今SNS上では魔法使いの衣装を着ている死体のうわさが広がっている。

「本当に大切な記憶というのは、自然記憶領域にあるものだ。安易に機械によって保存され自身の意識から遠ざかっているものを大切などと人は呼ばない。忘れたくない意思があるからこそ価値があり、本物がある」

 オズは友人とともに共感した言葉を口ずさんだ。

 ホログラムを操作して、社統部に配られる元受刑者リストに目を通す。

 活躍してくれているのは元受刑者だ。再犯しやすくその特性を利用すれば違法カードであっても安易に使ってくれる。

 一般人に渡したところで、こう易々と使ってはくれないし、広まる速度は遅くなる。

 けれど、その過程で元受刑者の監視をする社統部はかなり邪魔だ。

「だからあいつらを消すように仕向けたが、やっぱり使えなかったか。いや、社統部にあんな奴がいたことが誤算だったな」

 いや、誤算はそれだけじゃない。

 変死体を作ることは彼らにもちろん指示していたが、数が多すぎる。

 ターゲットは指示している。けれど、それ以外にも変死体を作っている奴がいる。

「僕の計画を隠れ蓑に何かやっている奴がいるのか。まったく面倒なことだ」

刈白幸太郎と書かれたメールアドレスの名前をじっと見つめる。

 違法カードのことはすでに感づかれている。そして誰かが配っているということも容易に想像しているだろう。

 こいつが捜査の担当者かは不明だが、ただのノーガンじゃない。

 幸太郎に会ってオズが一つ分かったことがある。

こいつは簡単にシステムから逸脱する存在だ。

「上の言葉を信じるというよりも自身の感覚を信じるタイプだな」

 向こうはこちらに気が付いていないかもしれないが、先に始末しておいたほうがいいかもしれない。

 いや、しかし焦りは禁物だ。守が手に入れたものはカードリッジの秘密ともう一つある。

 こいつの出どころをまずは調べる必要があるだろう。

「君からもらったこのリスト……幾つか疑問点があるからなんだ」

 一つ。警察部外者の守が何故元受刑者のリストを持っているのか。

 二つ。元受刑者リスト、と記載されているが、なぜ元受刑者じゃない人間の名前まで表示してあるのか。

「そして最も最たるものが……『ザ・ニューワールド研究所』」

 守に気を付けるように言われた『ザ・ニューワールド研究所』と言う単語が、情報社会なのに検索しても出てこない。

 守が殺されたのはこのリストを流したからか、それとも他の何かがあるのか?

いずれにしても守と会った自身も消されるだろう。その証明が今日されるはずだ。

オズはホログラムの画面を新しく開いて、そこに映っている映像を正視する。

 そこは街中にあるマンションの一室だ。テーブルとパソコン、そしてオズのホログラムを纏ったヒューマノイドがただ座っている。

 『ザ・ニューワールド研究所』という検索をしたのはここからだ。ログを追ってくれば自然とここに行きつくはずだ。

 しばらく時間が経過すると、部屋の扉がノックされる音がスピーカーを通して聞こえてきた。

「来たね。今回はどちらが駆られる側なのか、思い知るだろう」

 手元のキーボードでオズはヒューマノイドを歩かせて扉へと向かわせる。それから物理的な鍵を外す。

 瞬間。覆面を被って銃を装備した輩が勢いよくなだれ込んできた。ヒューマノイドを蹴り倒し自動的に起き上がろうとしているそれに、彼らはここぞとばかりに銃弾を撃ち込み始めた。

 さすがに銃声音はしないが、それでも銃弾が金属に当たる耳障りな音は消せなかった。

 覆面を被った一人が手を上げて静止するように合図をすると銃声が止んだ。

 その代わりに、あっと驚く声が入ってくる。

『なっ、ホロを纏ったヒューマノイドか!』

 扉を開けたのがオズ本人だと思ったのだろう。慌てた様子の声が流れてくると、また別の声も入ってきた。

『罠だ! 一時退……』

「いや遅いね」

 ホログラム越しにほくそ笑んだオズは、キーボードのエンターを押して、ヒューマノイドの内部に仕込んだ爆薬を爆破させる。

 設置しているカメラが揺れて何も映らなくなったが、結果は見なくても分かった。

「守を襲った奴らだろうな。初めに僕を狙っていればよかったものの」

 友人が襲われてからあの家には戻っていない。

「顔がわれているのは少し厄介だが……ん? さすがにここも突き止められたか」

 オズは窓の外に目を向けた。窓から入ってくる車のヘッドライトに目を細めるが、そこにいるのは自宅に侵入してきた集団と同じ装備をしている輩だ。

 監視カメラを辿って、この区画の入り口までたどり着いたのだろう。

 廃墟区画には巡回ドローンも広告用のヒューマノイドも入ってこない。ここを的確に見つけるとしたら、この辺りを根城にしている浮浪者に金でも渡して聞き出したのかもしれないな。

「まあどうでもいいか」

 オズはスーツとグローブ、そしてシューズを素早く身に着けると、部屋の外に出る。

「両手を頭の上にあげて、大人しくしろ!」

 銃口を向けてくるのは数人の男達。いずれも覆面をしていて正体はわからないが、半円状になってオズの前に展開する。

「もし君たちが職務適正統計グラフに頼ってその職を選んでいるのならば、すぐに引いた方がいい。人生の半分以上を費やす『仕事』を外部から決められた数値で選ぶのならば、君たちに自身に価値はないからね」

「聞こえなかったか! 動くなと言っている!」

「やれやれ。君たちじゃあ、僕には勝てない。今君たちの目に映っているのは僕の肉体的な情報なんだろう。けれどね、時として人間はそれ以上の行動もするし結果も出す。その証明を今からしてあげるよ」

 素早くカードを引いたオズに対して、躊躇なく覆面たちは発砲し弾丸の雨を浴びせてくる。

「エアーシールド」

 外に出る前に読みこませておいたカードの効果が発揮され、スーツに仕込まれている超小型のファンが風を外に押し出す。それによって銃弾はオズに当たる直前で停止した。

「なっ! くそっ!」

「遅いね。ウォーターカッター」

 突き出した右手から圧縮された水が飛び出して、今まさに撃たんとしている覆面の兵の体を突き抜ける。

「ぐっ、あぁッ……」

 だがこの集団はプロだ。一人の仲間が犠牲になったところで怯むことはない。

 ダダダダッ!

 うるさい発砲音が連続するも、効果時間が継続しているエアーシールドの前では無力だ。

「この世になぜノーガンが存在するのか分かっていないようだ」

 独り言をつぶやきながら、オズはエアウォークを発動させて地面を滑る。

 目にもとまらぬ速さで彼らの右手側へと回り込むと、効力時間ぎりぎりのエアーシールドのカードを再びカードリッジに読みこませた。

「こいつ、早い上に撃ってもきかないぞ!」

 一人が弱音を吐くと、その分だけオズへの攻撃が弱まる。

 適職検査、心理的職業診断、職務適正統計グラフなんかを用いて採用し、採用される社会において人は歯車にすぎないし、企業もそれを求めている。

 けれどそれは、人間の真価を殺しているに過ぎない。

 真価は数値には計れない部分にこそある。

「……やはり甘いな」

 オズは高く飛翔し、敵集団の中に着地する。

 目についた一人を回し蹴りで叩き伏せると、素早くカードを引き抜き、後ろにいる兵に標的を変える。

「ファイヤーウォール」

 グローブ内で可燃性の気体を空気中から選別し、さらに加工して放出すると、それに静電気で起った小さな火花を着火させる。

 火炎を放射したオズは右手をワイドに降って、取り囲む兵達を燃やしに入る。

「ぐあぁぁッ!」

「うああああッ!」

 少し前、衣服に着火した火を消す動画を見た。訓練時は冷静だし、教官もいる。だから適切な対応をすれば沈下するのは難しくない。

 けれど、今の彼らは焦燥している。たった一人の人間を殺すどころか、一人また一人と倒されているから、冷静なんてものじゃない。

 敵兵はマスクを外して撃つことを止めてしまい、服を叩いて一人でダンスを踊っている。

 その時点でオズの勝利は確定した。

 残っている敵にはファイヤーボールを顔に直接たたき込み、ウォーターカッターで心臓を一撃で貫く。雷系統で痙攣させればスーツを着ていない彼らは気絶したまま焼かれる結果となった。

 周りに転がる名前も知らない兵達を一瞥して、オズは目を細めた。

「ファイヤーウォールを放った際に、君たちは勇気をもって飛び込んでくるべきだった」

 片手が塞がれ、炎によって敵の姿はオズからでも見えなかった。不意打ちでもされていれば負けていたかもしれない。

「まあ今言ったところで遅いけどね」

 オズは彼らが乗ってきたと思われる車両に近づいて、中の様子を伺う。

 調べても特に何も出てこなさそうだが、ダッシュ―ボードを開けると若者たちに配っていた違法カードが数枚あった。

「なるほど。この重装備と、ここまでの情報の特定からするに……厄介なやつらが手を組んだものと考えるのがいいだろうね」

 しかしそうなると、ますますリストの意味が分からない。やはり早急に、そして慎重に調べる必要がありそうだ。

オズは思案するように顎に手を当てて瞳を伏せた。


 警察署の屋上では、幸太朗はモテ男だった。両手に花という言葉があてはめられるのは間違いないが、あまりいい気分では無かった。

「及川さんどうしたんですか?」

 屋上のベンチに座っているリヌアは、膝に乗せている弁当に手を付けずに尋ねた。その視線は隣に座っている幸太朗の前に立つ昭へと向けられている。

「何の用だ? まさか捜査が進まない事をバカにしに来たわけじゃないよな?」

「今日は捜査について話したいことがあったのよ」

 ベンチに座っている幸太朗を見て、昭は難しい顔をした。

「珍しいな。昭が俺を頼るなんて。いつも一人で解決しているイメージがあるけど」

 あくまでイメージだ。本当のところは幸太郎も知らない。

「一人で解決って……私はそんなに優秀じゃないわ。それよりも」

 昭は何かを言おうとして一瞬だけ口を開きかけたが、視線を落として閉口してしまう。

 プライドが許さないと言う訳では無そうだ。その表情は幸太朗もよく知っている。自分の無力さで何も出来なかったときの顔だ。

 親を失った時、幸太朗も同じ顔をしたことがある。

 それと同じくらいに、昭の中では屈辱的な何かがあったのだろう。

 幸太朗は彼女が話しだすのをじっと待った。隣のリヌアが何事かと慌てているのは放っておいていいだろう。

「実は……違法カードの捜査から外されたわ。しかも全員ね。ほかの人に引き継ぐのだそうよ」

「は?」

「え?」

 その告白に思わず幸太朗はすっとんきょな声を上げてしまった。

 リヌアもぽかんと口を開けて固まっている。

「そうか……でも全員って……フェイクマジック株式会社からの情報提供はあったんだよな? 捜査は進展してるはずだし、別に止める意味なんてどこにもないじゃないか」

 幸太郎はなんとか頭を落ち着かせてゆっくりと自分に言い聞かせるように発する。

「ええ、まあ。どこからか情報が漏れたみたいで、一部急いだ輩が犯人を取り逃がしてしまったって聞いてるわ」

「聞いてるって……誰から?」

「村井さんからよ」

 犯人を取り逃がした? そんなことがあり得るのか?

「だから全員解散。私は貴方が担当している変死体事件に加われとのことよ」

「お前がいたから安心はしてたんだけどな」

 こうなる事は予想がつかなかった。昭なら慎重だし下手を打つ心配もないから、捜査からは外されないと思っていた。

 それに何より違法カードの拡散を防ぐためには彼女の熱意は必要不可欠だった。

「違法カードの件は放ってはおけなかったのに、こんな結果になってしまうなんて」

 唇をかみしめた昭は、大きく息を吐くと。

「ノーガンと一緒には働きたくないのだけど、これから宜しく頼むわ」

 幸太朗は目をぱちくりすると、目の間の人物が本当に昭なのか疑わしくなってきた。

「ホロじゃないよな?」

 なんて冗談を言うと、話しに置いてけぼりになっていたリヌアが横やりを入れてきた。

「ちゃんとした本物よ」

「そ、そうか。でも取りあえず、変死体事件に加わってくれるのなら大歓迎だ」

 捜査員は増えるほどにいい。手が足りていないのはどこの部署もだが、来てもらえるのならば有難い。

「ですねー。他の人たち、社統部の私たちに情報共有しませんもん。昭さんから何か言ってやってください」

 リヌアがやっと弁当に手を付けておかずを一つに含んだ。

 横を一瞥しながら幸太朗もまた手にしたパンをかじる。

「三上の言うとおりだな。あいつら同僚だろ」

 昭から引き継いだ事件なのだから、彼らを知っているはずだ。

 これでやりやすくはなるだろう。

「情報共有はするわ。それで、やっぱり次は公正情報管理局にでも行くのかしら?」

「もう行ったさ。結局犯人の画像は無かったな」

 つまりは完全に手詰まりと言う訳だ。

 昭はそれを察すると、幸太朗達がまとめた報告書を脳内チップ領域から引っ張り出してきてアイズに表示させる。

「ドローンは入れそうなのだけどね」

「そこからさきはプライバシー云々だってさ。公正情報管理局のくせにだぜ」

「『池袋無差別殺人事件』のときから変わってないわよ。あの時に発足した機関だけど、そこだけは守っているようね」

「お二人は昔からの知り合いなんですか?」

 不意にリヌアが箸を止めてそんなことを聞いてきた。

 幸太朗と昭は目を合わせると、まるで打ち合わせをしたかのように同時に肩をすくめる。

「幼馴染って感じかしら」

「感じじゃなくて、幼馴染だろ」

 同じ釜の飯を食った仲と言うほどではないが、小学校から大学までは同じだった。

「なんかいい響きですね。私はそういう人いないから、少し憧れちゃいます」

「他の人からも何回も聞いたわ」

 他人からは羨ましがられたりしたけど、いいことばかりじゃない。

 池袋殺人事件のせいで二人の親は他界し、最悪な事態を共有しているのだ。苦労は二分の一にはならない。何故ならお互いの家族は親戚みたいなものであり、いってしまえば家族と四人も無くなるという異常事態なのだ。

 絶望が二倍になって幸太朗とリヌアに襲いかかってきたのは、二人の記憶に新しい。

「まあおかげで、俺達は警察に入ったわけだ」

「でも貴方がまさかノーガンになるとは思わなかったわ。疑似魔法を使うなんて……」

 苦虫を噛んだ様な顔をする昭。ノーガンを嫌っている理由はもう嫌というほど聞いたし、知っている。

「こっちが治安維持には手っ取り早いんだよ」

「どうだか。私の方が大きな事件を担当しているわ」

「部署の関係だろ。それだったら、日々街の安全に貢献しているのは俺の方が上だ」

 あの事件を起こすまいと意気込んだはずだが、今となっては変な関係になってしまっている。

 だけど幸太朗はこの関係は嫌いじゃない。競い合っていると言うことはまだあの時のことを忘れていない証拠でもあるし、結果としては池袋殺人事件のような大事件を防ぐ一助になっているからだ。

 火花を散らす二人。その様子を見ながらリヌアは火種を投げてしまった事を後悔して、弁当のおかずを一つ口に放り込んだ。

 昼食後、昭は同僚たちに幸太朗と情報を共有するよう説得するため別行動をとった。

「俺達も情報共有の続きと行きたい所なんだが……」

「先輩なに調べているんですか?」

 幸太朗は自分のデスクに向かってホログラムにとある捜査の状況を映し出した。

 そこに記されている内容を目にして一度だけ心臓が跳ね上がったが、それでも予想の範囲内だった。

「これは…………リヌア、ちょっと出てくる」

「え、先輩どこに?」

「村井さんのところだ」

「でも今は会議ですよ? 部屋にはいませんよ」

「ああ、それでいい」

 幸太郎は十分ほど席を外して、それから何食わぬ顔でまた戻ってきた。

「先輩、村井さんが不在なのに、村井さんの部屋に行って何をしたんですか?何しに行ったんですか?」

 ジトっとした目で見られて幸太郎はわずかに頬を引きつらせたが、まあ聞かれることは想定内だった。

「村井さんのアイズを使って、違法カードの捜査資料を盗み見た」

 リヌアに耳打ちすると。

「ちょっと、な、何やってるんですか! そんなこと知れふがふごおお」

「声大きいって」

 慌ててリヌアの口をふさぐと、数秒して落ち着くのを待ってから続ける。

「違法カードの捜査に関してはロックが掛かっていて、俺たちのアイズからじゃ見れなかったんだよ」

「それで、どうだったんですか?」

 幸太郎の手をどけたリヌアが尋ねてくる。

「解決済みになってたぞ。昭は誰かに引き継いだって言ってたけど、現状は誰も捜査していない」

「え! でも昭さんは他の人に引き継いだって確かに言って……ぐももも~」

 声が大きいリヌアの口を塞ぐと、幸太朗は自分の唇に人差し指を当てて静かにするようにジェスチャーを送った。

 後輩が小さく頷くと、幸太朗はそっと手を離す。

「昭には報告しておくけど、内緒だぞ」

「でもこれって……明らかに何か隠してるじゃないですか」

「分かってる。公正情報管理局の印も確認した。解決済みになってたぞ」

「未解決事件が国の機関によって解決済みになるなんてことあるんですか?」

「無いに決まっているだろ。この件は俺たちのような奴には知られずに処理され、ひっそりと公にされるはずだ。もちろん『解決済み』としてな」

 資料には事細かに事件の内容が掛かれるかは不明だ。一部を改ざんしているかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 しかしそんな真実は誰にも分からない。なぜなら公正情報管理局という、情報を適切に保つ組織が判を押しているのだから。

 信じるしかない。

 幸太朗がわずかにため息をつくと、そこでリヌアの顔が僅かに白くなっている事に気が付いた。血の気が引いて、肩が震えている。

「今ならまだ」

「それ以上先は言わないで下さい。こんな事知ったら、さらに引き下がれないじゃないですか。辞めませんよ」

 幸太朗にとっては願ってもいない申し出だ。

「よしそれじゃ俺達も外に出て……っと昭からだ」

 アイズに備わっている通話機能が音を鳴らした。

 幸太朗はすぐにでると、そこに映し出されている昭の顔を見ながら、リヌアと歩き出す。

「どうした?」

『いま同僚をとっちめていたのだけど……どうやら、被害者の中に一人だけ他の被害者と違う人物がいたわ。それに被害者同士のつながりも見えてきたの』

 ため息交じりと共に送られてきた資料をアイズに映し、被害者の一覧を目で追う。

「なるほど。前半の変死体被害者のつながりは分からないけど……後半はエンジニア系が三人続いているな」

 つまり一覧にある数人は目くらましで、本命は恐らく後半に固まっている奴らだろう。

「んで怪しい奴がこの守って被害者か」

 たしか、フェイクマジック株式会社と、こくみん健康委員会にいたはずだ。

『怪しいと言うよりも、他の被害者と比べて唯一、この人物が着ている衣服の購入元が特定できたのよ』

「調査は進めてるのか?」

『もちろんよ。国内の登録店と合致した情報が……出て来たわ』

 幸太朗のアイズにも昭が情報を送ってくれる。

 衣服を購入した店の名前は『ドンドン・ホーテ』どこにでもある安売りの大型チェーン店だ。

『購入した支店はここから近いわね』

「分かった。それじゃあ三十分後にそこで合流だな」

『了解。こっちの説教が終わったらすぐに行くわ』

 応答を切ると一部始終を聞いていたリヌアの瞳が輝いていた。

「やっと進展できますね」

「とにかく急ぐぞ。これ以上死人を出したくないからな」

 幸太朗とリヌアは署を出ると、すぐに待ち合わせ場所へと向かう。

 今だにSNS上では噂が呟かれていては消えている。

公正情報管理局は余程問題にはしたくないらしい。まあ、捜査自体を打ち切った時点で関与していることは確かだろう。

 目的地へと到着すると、すぐに昭が来た。

「早いな。部下の説教は済んだのか?」

「ええ、とりあえず一発ずつ殴ってきたわ」

 昭は右手をひらひらと振って余裕の表情を見せたが、僅かに赤くなっていた。

「しかしよく見つけたな。このチェーン店の品物なら全国各地にあるだろうに」

 だから特定の店舗での購入と言うのは見つけるのが難しいはずだが。

「守の住所から一番近いし、商品はここの店舗限定だったのよ」

『ドンドン・ホーテ』は全国に展開する雑貨屋だ。所狭しと商品が並んでいて、若者に人気がある。

 三人は店内へと足を踏み入れると、そこは闇鍋を具現化したような世界だった。

 物理的な棚というものは既に取り払われているが、その代わり宙に商品ホログラムが浮いている。回転しているものや、ちかちかと点滅してはファッションショーの様に自分をアピールしている。

「初めて入りましたけどここ凄いですね!」

「なんだって!」

 後ろからついてくるリヌアが何か言ったような気がして、幸太郎は聞き返した。

「……何でもないです!」

 大音量のBGMが体中の血液を振動させて、一メートルにも満たない距離にいる人間の声を遮っている。

 耳元で話しても分からないのだから、もう少し音量は下げるべきだろう。

 昭に続いて商品のホログラムをすり抜け、目もくらむようなレーザー光線が三人を照らし出す。

「人いないですね! 店員さんどこなんでしょうか?」

「ここはほぼ無人だぞ!」

 何とか聞こえてきたリヌアの疑問に大声で返答する。

 労働者の非正規が八割になり、所得はバブル時代と言われていたころの五分の一にまで減ってしまった。おかげで小売店は安さの競争を始めたが、それは小手先の対応に過ぎなかった。海外の労働者では大量の商品説明や、案内が出来なくなっていた。

 ここではホログラムを用いて一足早く他店舗との差別化を図って生きのこっている。

 ホログラムに表示されている購入承諾ボタンや個数を選択すれば、後日家に直接届けてくれるのがありがたい。

 店の一番奥にたどり着き、スタッフオンリー、と書かれた扉の前にやってくると、すぐさま案内役兼警備用ヒューマノイドが姿を現す。

「そちらは従業員のみ入出可能となっております」

 ドンドン・ホーテのマスコットキャラのホログラムを被ったヒューマノイドが、三人の前で両手を突き出した。

「警察だ。スキャンしろ」

 ヒューマノイドの顔がグッと近づいてくると、両目部分が緑色に光って、顔の認証を始める。

「警察、社統部所属の刈白幸太朗様ですね。認証確認いたしました」

 横にいた二人もスキャンされ、一通り終わると、幸太朗はすぐに切り出した。

「ここの商品を買った奴を知りたい、情報を出してくれ」

 日付と名前、そして商品名を伝える。

「検索いたしますので、少々お待ちください」

 しばらく黙りこんだヒューマノイドは、数秒してから再起動したかのように口を開くと、耳を疑うようなことを言った。

「お伝え頂いた方の来店は確認できませんでした。代わりにその商品を購入された方は、当日はお一人で来店されています」

「購入した奴は誰だ?」

「購入時のクレジットカードを参照中……お名前は永久歩様です」

 その名前はどこでも聞くことができる。街中の広告では毎日のように出ているし、誰もが摂取しているキュアライフを研究している人物だ。

 資料によると守もこくみん健康委員会に所属していたはずだ。その時のつながりが何かあるのだろう。

 大物の名前が出てきて幸太郎たちは互いに顔を見合わせるが、ここでは冷静な話し合いもできないため一度店の外へと出た。

「はあぁっ、ちょっと息苦しかったですね」

 リヌアが深呼吸をして大きく腕を天に伸ばす。

「こくみん健康委員会まで絡んでいるとなると、もう、何がなんだか分からなくなってしまうわ」

「まだ関与しているって確定じゃないだろ。守関連でつながりはあるけどさ」

 しかし煮え切らない。何せここまで幸太郎は自分の所属する警察と、国の組織である公正情報管理局を疑っているのだ。

 額に手を当てる幸太朗は大きく息をはくと、リヌアの方へと視線を移した。

「少し調べて欲しいことがあるんだが、頼めるか?」

「襲われた被害者たちが何をしていたかですよね。多分、何か記録は残していると思いますけど」

「ああ、頼んだぞ。俺たちはその間に、こくみん健康委員会に行ってみる。ただ用心しろ、この前みたいなやつらが襲ってきたら、すぐにでも逃げるんだ」

 リヌアは幸太朗の忠告に首を縦に振って、足早に去っていった。

 

 幸太郎と昭は都市部から僅かに離れた場所にある、こくみん健康委員会の本部ビルへ足を向けた。

 キュアライフの製造、研究、販売、健康食品の広告、さらには新生児のDNAにおける先天性、後天性の病気診断まで手を出している大企業だけあって、圧倒される敷地面積を有していた。

「奇妙な所ね」

「同感だ。これじゃあ企業イメージとは真逆になりそうなんだがな」

 正門から入ると、広い芝生の庭が二人を迎え入れた。その中央を自動道路が横断しており、ベルトコンベアに乗せられている様な感覚で、二人はビルの入口へと運ばれていく。

「自然的なものはこの企業には無いと思っていたのだけど」

「神様の領域に踏み入った企業だからか?」

「ええ、人間が一番っていうエゴのような場所だと思っていたわ」

 以前は遺伝操作や胎児のDNA改変は踏み入ってはならないとされてきた。しかしそれを初めて超えたのがこの企業だ。

「出来た当初は、凄い反発だったらしいわね」

 こくみん健康委員会の提唱した「受胎前先天性疾患予防」は親に一定の投薬をすることで、生まれてくる子供に先天性の病気が現れにくくするためのものだったが、これが大成功した。加えて塩基配列の解読による病気の預言が的中し続けたこと、それに対する治療薬が開発され出したことで、反発していた国民は掌を返したのだ。

「まあ、俺の中じゃ信頼性は揺らいで、ちょっと怪しくなってきているけどな」

 二人は巨大なビルの入り口にたどり着くと自動道路を降りて。正面の大きなガラス戸をを潜り抜けた。

 同時にヒューマノイドがやってくると、顏認証のためのスキャンを始める。

「社統部所属の……」

「永久歩さんはいるかしら?」

 機械音声を遮って単刀直入に用件を伝えた昭の言葉を、ヒューマノイドは受け取ってしばらく思考するかのように沈黙した。

「ただいま、呼び出しております。少々お待ちください」

 お辞儀したヒューマノイドがどこかへ行くと、すぐに目当ての人物が姿を現した。

「おお! 珍しいお客さんだ! 警察の方が何か用ですか?」

 腰まである白の長髪で、すっきりとした顔立ちの歩は芝居がかったように両手を広げた。研究者と言うから白衣でも着ているのかと思ったが、かなりラフ……というかどこかの教祖みたいなゆったりとした衣服をまとっている。

「荒川守さんのことで少し伺いたいことがあります。お時間ありますか?」

「ええ、ええ。時間はたあっぷりとありますよ! 守を調べればここにたどり着くことは分かっていましたから、予定はいくつか開けてあるんですよねえ」

 仰々しい歩が付いてくるように二人を手招きする。

 こくみん健康管理委員会の建物の中はかなりカジュアルな感じだった。机がいくつか適当に置かれていて職員はその日の気分で好きな席に座れるのだという。

「管理職だけが自室を持っているんですよ」

 なんて言いながら幸太郎たちを歩は自室へと案内してくれた。

 彼女が自身の椅子に腰かけたのを見て、幸太朗はさっきの話の続きを切り出した。

「俺達が来ると言うことが分かっていたと言うのはつまり、購入された魔法使いの衣装から足跡をたどられると思っていたってことか? それともまた別の何かがあるのか?」

 ピクリと歩の眉が上がったが、それでも彼女はゆっくりと椅子の腰かけに体重を預けて、指を組んだ。

「関係性からですよ。私と守は恋人でしたから」

 それは初耳だ。昭の同僚からの情報が無かったか、もしくは隠していたか。

 幸太朗は前のめりになって、少し視線を落として悲しげな表情を作った。

「守さんが亡くなった事はご存知ですね」

「ええ。聞いています。優秀なDNAをお持ちだったのに、ほんとーに、とても大変残念です」

 今度は幸太朗の眉がピクリと上って口を開こうとしたが、その前に昭が話しだす。

「それはどういう事かしら? 愛していなかったと?」

「あっはっっは! 愛ですか? 男女がくっつく際に重要なのは互いのDNAであって愛では無いんですよ!」

 歩はポケットから小型のホログラム投影機を取り出して、机の上におくと、キュアライフの映像を映し出した。

 それからうっとりとした眼差しでその画像を眺める。

「キュアライフの役目は病気の予防だけではなく、塩基配列の適正化にあるのですよ。この意味がお分かりですか?」

「適正化……」

「はい!」

 歩は立ち上がると恍惚とした笑みを浮かべて両手を振った。

「塩基配列による先天性の病気の予防を行うことで、次の世代は特定の病気になりにくい体質を持ちます! さらには現在確認されている後天的な病の抗体も出来上がります! これが適正化なのです! そして男女が付き合うということはこの適正化されたDNAを後世に残していくことなのです!」

 胸に手を当てて硬骨な笑みを浮かべ幸太郎の前までやって来ると、顔をぐっと近づけた。

「人の永遠! 進化の継続。社会の発展がそこにはあるのです!」

 次に昭の方へと顔を近づける歩。

「私の研究も身もすべては社会のためにあるのです! キュアライフは塩基配列の適性をし、そしてこの身はその証明となるのです! 病気がなく完璧に配置された塩基配列を持つ人間が社会に適切に配置され平穏な日々が続くことこそ、我々の目標なのです!」

 自信をも実験のサンプルにしようとする歩に、幸太朗と昭は顔を歪ませた。

「その思想、かなり偏ってることを自覚しているのかしら?」

「ええ。ですが……わたくしが完全な社会へのレール敷いたことに間違いはないのです!」

 キュアライフの開発過程に至ったのは、まさしく彼女の様な思想があったからだ。

 しかしおかげで人間の健康への意識は薄れて、自身の体のことも全て他人任せになってしまった。

 幸太郎はわざとらしく咳払いをして。

「分かりました。それでは衣服の購入についてお聞きします」

 歩のペースを一度切ろうと切り出したが、幸太朗は歩から何も聞きだせる気はしなかった。

 守の恋人であることを自ら打ち明け、死んだことに同様していない。今更、魔法使いの衣装のことで何か問い詰めても無駄だろうという考えが芽生えていた。

 その証拠に歩は表情を一変させて、何事も無かったかのように席に座る。

「ああ、あれは催し物の衣装ですよ。彼が死ぬ前日にパーティがありまして、その時の衣装です。ご覧になられましたか? 素敵でしょう?」

「貴方が届けに行ったのは何故ですか?」

「恋人の役目ですからね!」

 ここでその関係性を持ってくるのか。

 幸太朗は隣を一瞥すると、唇をかんで顔を歪ませる昭が瞳に映った。

「死ぬ前の守さんに何か異変は?」

「いいえ。特には。キュアライフも接種していましたし、健康状態は完璧!」

「そんなものは分かっているわ。心理的にどうだったかということなのだけれど」

 幸太朗の変わりに口を開いた昭は立ち上がって歩を見下ろした。その握っている拳は今にも振り上げられそうだ。

「ううーん。どーでしょうかねえ。私は彼では無いので分かりません。それよりも、感情的になっての捜査はしにくいのではないでしょうか?」

「この……!」

「貴女は何も分かっていないようですから、言っておきますが……そもそも感情を持ち出す事自体が今の世の中では必要とされていません。たとえば企業の学生採用基準は熱意よりも職務適正統計グラフと個々人の賃金合意に基づいて判断されます。恋人選びにおける選択は性格や趣味が合うかどうかを差し置いて、年収と職業を一番重視すると答えた人が九割です。それに……」

歩がさらに口を開きかけた所で、幸太朗が口を挟んだ。

「その話はもういい。守さんの様子が分からないのであれば……何か事件に巻き込まれるようなことが無かったか聞こう」

「知りません」

 たった一言でスッパリと言い切った歩は、さらに質問はないのかとその瞳で訴えてくる。

 さっきまでの仰々しい行動はすっかりおさまっていた。

「では彼が頻繁に合っている人物は?」

「ああ、ええっとですね。業務上ですと、誰とチームを組んでいるのか、どのような作業をしているのか、くらいは分かります。けれど個人的にと言うのは把握できませんね」

 歩はホログラムを映し出すと、それを二人に見せてくる。

 羅列してあるのは従業員の一覧だ。次に荒川守の名前を表示させて、彼の一カ月の行動記録が現れた。

「数日前までのはないのか?」

「彼は事件前に退職してフリーのエンジニアになっていますよ。まさか調べてないわけで

は無いでしょう?」

 幸太朗は小さく頷くと歩は続けて。

「守さんの出勤票と、業務内容などは差し上げます。ですが、あまり参考にはなりませんよ。彼は人と接するのが好きじゃなかったので」

「でも貴女とは付き合っていた」

「ええ不思議な事ですね」

 にっこりとした表情を顔に張り付けた歩に、幸太朗は内心でため息をついてしまった。

「それでは、彼が殺された日はどこに居ましたか?」

「ここで仕事をしていましたよ。インタビューを受けていました。次のキュアライフ改良についてね。記者に確認を取りましょうか?」

「いえ、結構です」

 歩がテレビ出演していることは誰でも知っているし、その辺りまで守が関係していることは無さそうだ。

 ここら辺が潮時だろう。結局得られたのは歩が守の恋人だったこと、それに歩は守が死んだ日に現場にはいなかったこと。守は人見知りで誰かと頻繁に接触することは無かったことだ。

 幸太朗が諦めて席を立ちあがろうとした時、アイズが鳴った。

「リヌアか、どうだった?」

『はい! 共通点がありましたよ! 殺されたエンジニア職の方は全員、マジックデュエルをしていたようで、カードリッジ内のDNA認識部分を弄っていた跡がありました』

「DNA認証部分……けどそこを弄ったから殺されたってわけじゃないだろ?」

 弄るだけでも問題にはなるが、殺されるほどのことでは無い。

 問題は、弄った後で何かを見つけたのだ。

『はい。一番重要なのは……行動履歴が随時フェイクマジック株式会社に送られていたことです。規定では疑似魔法使用のための道具から得られるのは防犯のためのDNA配列のみとなっていますが……』

「つまり行動を見張られていたって事か。その履歴が送信された先はフェイクマジックだけか?」

 そう尋ねると僅かな間をおいて、リヌアは続けた。

『何故か、こくみん健康委員に送られています。DNAデータとマジックデュエル中の使用カード履歴、発言履歴なんかも送られています』

 そこまで聞くと幸太朗は顔を上げて目の前にいる歩を見据える。

 リヌアには何かしらの手がかりを掴んでほしかっただけだが、それ以上のことをやってくれたようだ。

 幸太朗はリヌアの成果を目の前の歩に告げると、口の端をつりあげた。

「これはどういうことでしょうか?」

 リヌアの声をアイズのスピーカーで再生させると、初めて歩の顔に焦りが生じた。

 もちろん幸太郎はそれを見逃しはしない。

「知りませんよ。アイズ越しにいる方の情報が本当ならば、もっと上の人間に掛け合ってください」

 それ以降、口を一文字にした歩は、だんまりを決め込んだとばかりに、腕を組んだ。

だけど何か知っている事は把握した。歩の周辺をさらに調べれば何か出てくるはずだ。

「行くぞ昭。今度はさらに情報を手土産に持って来よう」

「そうね。それまでここにいればの話だけれど」

 二人は睨みつけてくる歩に一礼すると、こくみん健康委員の建物から出た。


「見たかしら? あの顔、ざまあ見ろってこういう時に使うのね」

 僅かに上機嫌になっている昭が誰にでもなく呟く。

 リヌアは確かにすばらしい働きを、そして絶好のタイミングで報告してくれた。

 その一撃は、恋人が死んでも無表情だった彼女の顔を動かすほどに。

「なあ昭、仕事じゃなくても俺達は才能や数字で適した生き方をしていて良いのかな?」

 急に話題を変えた幸太朗を一瞥して昭は僅かに考え込んだ。

「いいか悪いかなんて分からないわね。昔は小学生や幼稚園生の時に『将来の夢』なんてものを書かされていたようだけれど、今じゃ小学校入学初日から個人の能力はある程度決められていて、適した選択肢の中から一つ選ぶって形になってるわ」

 昭はぴんと人差し指を立てると。

「つまり時代よ。そういう時代なの」

 そう一言置いてから彼女は周りを見渡した。

「けれどまあ、結構今は誰でも替えが効くようになっているわね。金融、物流、ITに小売りまで何かも仕組みの土台が出来てしまって、人間が行う仕事の領域なんて簡単なものに切り替わっているわ。替えが効く社会ね」

 彼女の言葉を端的に表すならばこの社会でスペアは簡単に見つかると言うことだ。

しかしその犠牲になったのは、ほかならぬ『自分』だ。種を残す目的は社会システム維持のためであり、脳内チップ領域がある事で人の基本的能力は均一化された。

 特別な誰かにしか出来ない仕事、なんてものはない。ただ適性があるかどうかで……まるで時計の歯車を入れ替える様な感覚で人は補充されていく。

「辛気臭い顔しているわね」

「うるせー」

「まあでもあれは、いわゆるブーメランよ」

「ぶーめらん?」

「あの永久って女は、感情は不要なんて言っていたけれど……あの女自体がもはや仕事熱心になっているのに気が付かなかったのね」

 言われてみればそうだ。あの熱心さが無ければ、今頃メディアに出ることも無いだろうし、キュアライフの開発に携わっていないはずだ。

「ひょっとすると、守を普通に好きだったのかもな」

だからこそ、自身のクレジットカードで、あの魔法使いの衣装を購入し送ったのだろう。わざわざ遺伝子的な情報が欲しいだけならば、そんなことをする理由が無い。

「その辺は分からないけれど、どうかしらね。まだ人の心までは読みとれないわ」

 二人はリヌアとの合流地点を決めて足を進めていたが、ふっと、昭は上を見上げて。

「でもこれは違法カードとつながりがあるのかしら?」

「ま、そっちの方は打ち切りになっているからな……路線的にはこっちから追うしかないだろう」

「は? 打ち切り? それってどういうこと? 誰かに引き継がれたんじゃないの?」

「あっ、えっとな……」

そう言えば彼女にはまだ違法カードの捜査が打ち切りになった事を伝えていなかった。

いや、そもそも打ち明ける気も無かったのだ。

 しかし顔を近づけて昭の迫力に、今更しらを切る事は出来ない。

「近い、近い。教えるから少し離れろ」

 その情報を伝えると、昭は天を仰ぎ見てしばらく口を閉ざしていた。

 手詰まりどころじゃない。捜査そのものができなくなる可能性もある。

「貴方はこの変死体事件もストップになると考えているの?」

「ああ。十分にあり得るな。しかもこちとら事件の犯人に近づいたどころか……さらに危険になったな」

 変死体事件の犯人じゃなくて、フェイクマジック株式会社とこくみん健康委員会とのつながりを暴いた今。

「俺達が先に動けなくなる可能性がある」

 そこでアイズが着信の音を鳴らした。

幸太朗は発信元の名前を見ると、先の言葉を確信する。


 幸太郎にかかってきた着信は春一からだった。急遽戻ってこいとの要請に二人が署に行くと、通されたのは独房だった。

 狭くて年代物の蛍光灯が唯一の光だ。簡易ベッドが二つ、丸テーブルが一つ。

「村井さん、これはどういうことですか?」

 幸太朗は鉄格子の向こう側にいる上司、春一を見据えて体からあふれ出そうな怒りを抑え込む。

「君たち二人は職権乱用でしばらく大人しくしてもらいたい。もちろん手助けをしたリヌア君もすぐに来るだろうがね」

「私たちが職権乱用? あの永久歩って人から何か言われたのかしら?」

「……君たちの役目は社会を脅かそうとしている犯人を捕まえることが目的だったはずだ。しかし、現状では君たちこそが、社会を脅かしかねない存在になって来ている」

 その言葉を聞いて幸太朗は眉根に皺をよせ、昭は腕を組んだ。

「詳しくは言えないが、調査が終わるまでここに居てもらうしかない」

「俺たちが社会の敵になるなら、てっきり殺されるのかと思いましたよ」

「ふん。上司のアイズを使って情報を盗み見て何を気取っている刈白」

「どうして、違法カードの捜査が解決済みになっているんですか」

 春一のアイズを使っていることがばれてしまった以上、隠さなくてもいいと判断した幸太郎は噛みついた。

「すでに終了したからだ。犯人は見つけ、接触もしている。後はこちらで処理するのみだからな。本当は変死体事件から犯人を追ってほしかったのだがな」

「名前はオズですね」

「……そこまで知っているならばもういいだろう。そこでおとなしくしてけ」

 そう言って春一は去っていくと、幸太朗と昭は視線を合わせた。

「ノーガンを襲った犯人は、フェイクマジックの職員でもないし、こくみん健康委員の人間でもないって事ね」

 もしどちらかに所属していたならば、幸太郎たちに追わせるまでもないだろう。

 ここまでの情報を整理すると幸太郎は、はっとした顔になった。

「フェイクマジック株式会社はDNA情報取引を見つけたエンジニアを始末する必要があったんだ。そこで目をつけたのが、巷で起きていた変死体事件なのか!」

リヌアが見つけた情報の送信。それをきっとエンジニアたちは見つけたのだ。

 そこで各組織は今話題になりかけている変死体事件を隠れ蓑にして殺人を決行したのだろう。

「……そう言うことなら、企業が自分達に不利益な人間を殺害しても、変死体事件に巻き込まれていると説明すればいいだけだわ」

「オズってやつに気が付くのが遅かったな」

 昭は簡易ベッドの上に腰かけると、ため息を吐いた。

「ええ。たどり着く前に、こうなってしまったのは、想定外だったんでしょうね」

「そうだな。でも動機が分からない。繋がっている企業はどれも社会の発展や治安の維持に関わっているだろ。リヌアが見つけた、規約違反なんてものは理由をつければ……それこそ行動学と健康のデータ収集、何て言ってしまえば皆納得すると思うんだがな」

「さらに裏があるのね。情報操作ではどうしようも出来ない大きなことが」

 昭の言葉に幸太郎はおぞましい景色が脳裏をよぎった。

 完璧な社会システム。

 誰もが過不足なく役割を果たし、問題が起きればすぐに替えが効く完全なシステム。

 人間としての健康は増し、ほぼすべての病気の予防ができる長寿社会。

 そんな完璧が、完全が、安全が、信頼が、一気に崩れ去るようなことがありうるのだろうか。

「そんなことさせるもんか! 俺たちがどれだけこの平和を願ったか!」

 幸太郎は牢の鉄棒にしがみつくが、びくともしない。

「落ち着きなさいよ。そういえばリヌアちゃんには何て言ったの?」

 ここに来る前、既に嫌な予感がしていた幸太朗はリヌアに一報を入れていた。

「何を言われても戻って来るな、隠れてろ。ってだけな。後の方針も決めておけばよかったんだが」

 このままでは何も進まない。

 オズを逃したということは、違法カードは増え続けるということだ。

 公正情報管理局は国中の情報を管理しているとは言っても、街行く人々の目につくものまで制御は出来ない。

 今は巡回ドローンが入り込めない住宅街がおもな事件現場になっているが、それが人通りの多い場所に移るのも時間の問題だ。

 だが、悠長に待つなんてできない。

 違法カードを使った社統部ノーガンへの攻撃は既に行われているし、犠牲が増えれば取り返しのつかないことになる。

「リヌアちゃんが、私たちが戻ってこないことに怪しさを覚えるのを待つしかないわね」

 昭はそう言うと壁に寄り掛かって瞳を伏せた。

「そうだな」

 幸太郎も鉄格子から離れてベッドに座り込むと、深呼吸をして頭を冷やし、天にも祈る気持ちでリヌアを信じることにした。


 幸太朗から送られてきたメールを見たリヌアは、巡回中に見つけた監視の行き届かない路地に身を隠していた。

 こうして幸太朗からリヌアのみにメールが送られてくるのは珍しい事では無い。しかし、春一からの命令を無視しろなんてことは初めてだった。

 けれど、不自然な捜査打ち切りを知ってから、自分が所属している組織を疑い始めていたため、幸太郎の指示をどこか納得もしていた。

「一体何がどうなってるのよ。でもこれって……やっぱり捜査中止になった事と関係があるのかな」

 警察署に入って行った幸太朗と昭がもう二時間は出て来ていない。それにメールを発信しても返答も無いのだから、入ろうにも入れなかった。

 どうしようもできない状態に切羽詰まっていると。

「あの、すいません」

 そう話しかけられてリヌアは振り返った。

 立っていたのはどこかで見たことがある男性だ。スーツを着て、顔のいい男性。そしてその物腰の柔らかさから、すぐに思い出すことができた。

「あの時の! もう怪我は大丈夫なんですか?」

「おかげさまで、たいしたことはありませんでしたよ。それよりもどうしたんですか? 警察署の前をうろついて」

 そう問われてリヌアは苦笑いを浮かべた。

一般人に話すわけにはいかないため、取りあえずお茶を濁して話を聞くことにした。

「いえ、少しだけ人を待ってるんですよ。それよりも、今日は何か御用ですか?」

「実は親友に連絡を取ろうと思っていたのですが、繋がらなくて……それを調べて欲しかったんですが……ノーガンの方って今忙しいですか?」

「えっとまあ、そうですね」

 苦笑いを浮かべてみるが相手はそれで引く様子はなかった。逆にぐいっと顔を近づけてくる。

「じつは荒川守と言う友達がいまして、数日前から連絡がつかないんですよ。社統部の方は街の巡回をしてますよね? それでもしかしたら知っているのかもしれないと思いまして」

 男は友人の名前をわずかに強調して言った。

「あらかわまもる……」

 何かを聞き出せるかもしれない。幸太郎と昭が現状どうなっているかは置いておくにしても、捜査は続行しなければいけない。

 反芻したリヌアは好機とばかりに口を開いた。

「話を聞かせてください」

 情報源は歩からしか得られないと思っていたけどここにきて、とんでもない人物が転がり込んできた。

 署の入り口が見える場所の喫茶店に入り込み、リヌアは重要人物の名を口にした男性と向かい合って座った。

「それで荒川守さんがどうされたのでしょうか?」

「なるほど、その反応。やはり君たちも守が怪しいと踏んでいたのか」

 男性はぼそりと呟くと、リヌアが首をかしげる。

「いえ、何でもないですよ。それよりも実はこういうメモを残していましてね。ニューワールド研究所というのに聞き覚えはありますか? 実は検索しても出てこないんですよ」

「ニューワールド研究所……聞いたことありませんね」

 そういいながらもリヌアはアイズのメモ帳機能を使って記録しておく。

「そうですか……あと、彼が僕に残したリストのようなものがありまして。何か分かりますか?」

 男性はテーブルの上にホログラム投影機を置いて起動させた。

 リヌアは見覚えのあるそれをまじまじと見て、それから視線を男に移す。

「これをどこで?」

「送られてきたんですよ。何か分かりますか?」

 一瞬口を開きかけたリヌアはしかし、言っていいものか迷って閉口する。

 いや問題はないはずだ。再犯率の高さから社会では元受刑者のリストは誰でも見ることができる。企業なんか犯罪履歴がないか警察署のデータにアクセスして検索しているのは誰でも知っている事だ。

「元受刑者リストですね」

「本当ですか? おかしいな。ここには犯罪をしていない僕の友達もいるんですよ」

 男性が指さした名前の横には、住所が載っていている。加えてリスト自体は公正情報管理局のマークが上隅にあるから、間違ったものではないのだろう。

「え、ちょっと待ってください」

 リヌア達はこれがずっと元受刑者リストであり、キュアライフを摂取していない場合の指導対象だと聞いている。

 慌てて自身のアイズにリストを表示させて比べるが、彼が提示しているものと齟齬が一切ない。

 今度は企業の採用担当が応募者の犯罪歴を調べるサイトにアクセスする。

 そこに記されている名前と、自信がいつも見ている名前はすべて一致、漏れや余りは無いはずだが。

「こんなに……名前の不一致があるなんて……」

 ざっと見ただけでも数百人単位で異なっている。リヌアがいつも配られているリストの方が圧倒的に人数が多いのだ。

 なるべく男に表情の変化を見せない様に努力してみるが、誤魔化せている自身は無い。

 このちがいは何を基準に? 誰でもいいわけじゃないはず。

 考えがまとまらないリヌアはちらりと、対面の男性を一瞥する。彼も顎に手を当てて考えているが、一般人には期待はしない。

「……これを荒川守さんが持たれていたんですか?」

「ええ。連絡が途絶えてしまう少し前に渡されました。さっき言ったニューワールド研究所には気をつけろとも……」

「確か、こくみん健康委員会に所属されてましたよね? そこから持ってきた、ということでしょうか?」

 リヌアが尋ねると、男は小さく首を縦に振った。

「そう言ってました」

そのことがそもそもおかしい。こくみん健康委員会はキュアライフの開発や人体に関しての研究機関だ。

こんなリストを、しかも社統部に配られ『犯罪者』と認識されているリストを持ち合わせている理由がない。

 そう考えながらも署の方へと目を向けて幸太朗が出てこないか観察する。

「まあでも、警察の方でも分からないのであれば、お手上げですね。一応、情報だけは渡しておきます」

「分かりました。ありがとうございます。捜索願はこちらの方で出しておきますね」

 リヌアは先に席を立って会計をすませようとしたが、男性が肩に手を置いて来て。

「ここは僕が払いますよ」

 半ば無理やり会計をすませてしまった。

 店の外へ出てもやはり幸太朗の影は無いことに不安を覚えたリヌア。実は男性と話している時に通話を試みていたのだが、全く反応していない。

「それでは私はここで」

「はい、僕も仕事に帰ります」

 男はリヌアが去っていくのを見つめて踵を返した。

 それから、ポケットに手を入れてわずかに視線を落とし歩き出す。

「あの女はこのリストの存在を知っていたが、リストの出どころを知らなかった。おそらく意図的に隠されていたに違いない。この時点ですでにリストを共有していた警察と、こくみん健康委員会はつながっている。それにリストに判を押した公正情報管理局も関わっているとみるべきだろう。そして守がフェイクマジック株式会社に関しての情報を得たことによって狙われた、と考えるべきだろう」

 一度自身の脳内で状況を整理した男は、次に社統部の事情について考えることにした。

あの女の挙動からするに幸太朗は忙しいというよりも自由に動けないといったところだろう。

「署の前でノーガンがウロウロしているなんてさすがに不自然すぎるね」

 二時間近くも女は自分の所属する組織に戻ろうかどうか迷っているそぶりがあった。

 幸太朗の命令で戻って来るなと言われているのか、それともただの仕事のミスで叱られるのを恐れているのか。

「いや、後者はあり得ないな」

 見た限りでは、彼女はかなりの勇気の持ち主だ。

 男は首を横に振って、余計な事を考えすぎていると改めた。

 情報は提供した。けれどあげっぱなしと言う訳じゃない。もちろん、貰うことにするさ。

 警察の捜査情報にアクセスするのは危険すぎる。ならば彼から勝手に伝えてもらうほかない。

「その間に、もっと魔法使いを増やさないとね」

 男は街の行く人の中に紛れ込んで空を見上げた。

 偽りの自由。自身の個体情報を取られ、行動を監視された中で生きていくのはさぞつらかろう。

まるで番号を割り振られた家畜だ。魔法を手にしておきながら、洗脳された脳では反旗を翻す事も出来ない。

君たちには幼少期から取られているデータ以上の力があるのだと教えてやらないといけない。自身で考え道を選び、社会を形成するための駒では無くその逆、社会を作っていくのだと教えなければ人々は停滞したままだ。


 地下牢に鉄格子を蹴る音が響く。

「はあ、はあ、ビクともしないわね」

「さすがに疑似魔法無しじゃ無理か」

 幸太朗と昭は額に噴きだす汗をぬぐって、忌々しげに鉄格子を睨みつけた。

 脱出を試みたが、やはり容易くはない。生身だと人間は鉄棒一本折る事すらできないのだ。

 一時期は冷静に努めようとした。けれど監禁されて四日が経ち、薄暗い地下牢とまずい食事で精神的な限界が予想よりも早く来ていた。

 いや、不自由だけならばいいかもしれないが、幸太朗達の中には変死体事件が広がってしまうという焦燥もあった。

 リヌアが入ってこないということは言いつけどおりに隠れているからだろう。それだけが唯一安堵できることだ。

「先輩、やっと見つけましたよ」

「「は?」」

 しかし、その安堵も聞き慣れた声が耳に届いて一瞬にして消え去った。

 ひょっこりと顔を覗かせて牢の中にいる二人に目を向けているのは間違いなくリヌアだった。

「おまえ、何してんだよ」

「せっかく助けに来たのに、何てことを言うんですか。私だってここ数日は結構大変だったんですよ」

 不満を述べながらも、リヌアは太もものカードケースから、炎系のカードを引き抜いた。

 ちょっと離れるように二人に合図する後輩はカードリッジにカードを読みこませる。それからぎゅっと鉄格子を握りしめると、幸太朗と昭を閉じ込めていた鉄棒は疑似魔法で熱せられてドロリと溶けてしまった。

「お礼は無いんですか?」

「あ、ありがとう」

「助かったわ、リヌアちゃん」

 リヌアは持ってきた二人のアイズを手渡し、次に幸太朗のフェイクマジック道具一式を渡して早く着替えるように促す。

 昭とリヌアが、顔をそむけている間に幸太朗はいつもより慌ただしく着替えた。

「着替えたらついて来てください。退路は確保してあるので」

 幸太朗と昭はリヌアに続いて足早に出口へと駆け出した。

地上への扉を開くと、そこはいつも知っている一階フロアとは異なる光景が広がっていた。

警報が鳴り響いていて、視界はスモッグによってすこぶる悪かった。ヒューマノイドが何体か倒れているのが辛うじて見え、床に落ちたドローンは羽を折られて飛べなくなっている。

「これリヌアがやったのか!」

「他に誰がいるんですか。私もここまでするはずじゃなかったんですけど……しなくちゃいけないと思ったんですよ」

「なんだテロリストのみたいな台詞は」

 幸太朗は小さくため息をつくも、彼女を攻める気にはなれなかった。

「重粒子スモッグ使っているので時間稼ぎは出来ると思いますが、急いで出ましょう」

 リヌアの後を追って、幸太朗と昭は出口へと駆けだした。周囲はまだ現場に対処しきれていない職員が慌ただしく駆け回り、後からきたドローンがスモッグを外へ出そうとやっけになっていた。

 しかしリヌアの撒いた重粒子スモッグは、普通のスモッグの様に風に流されにくい構造をしている。その為室内で使ってしまうと悲惨な事になるのだが、どうやら今回はそれがいい方向に働いたようだ。

 行き交う人々に交じって外に出た三人は、すぐにその場を離れた。

「リヌア、ガス撒いたところ多分カメラに写ってるぞ」

「ですよね……でもちょっと、そんなことよりも、今度は私の命が危なくて……」

 彼女は苦笑いをしているが、言っている内容は切羽詰まっている。

 理由を聞きたいところだけど、今は隠れる場所を決めるのが先決だ。

 街中じゃ既にカメラで追われているだろうし、ここまでしてしまった以上、住宅街に逃げてもドローンは追って来るだろう。

 だが幸太朗には一か所だけ、そんな監視が入っていない所に心当たりがあった。

「で、ここ野ざらしなのだけど、本当に見つからないのかしら?」

「問題ない。巡回ドローンは主に大通りの監視だし、ヒューマノイドが裏路地に入って来てもここまでは、登ってこられない」

 いつも外に出ていたからこそ分かる場所。署から離れている廃れたネオン街にある廃墟の屋上に三人はいた。

 ホログラムによる広告はなく、裏路地や屋上には廃棄物がごまんと捨てられ、浮浪者のたまり場になっているから隠れるにも丁度いい場所だ。

「異臭が凄いのだけれど」

 昭は腕で顔の半分を被い、背後に積まれている廃棄ヒューマノイドや残飯に目をやった。

「仕方ねえだろ。取りあえずここが一番安全なんだ。それよりも、リヌア、命を狙われているってどういうことだ?」

 署から逃げ出した時に後輩が言っていたことを思い出す。

 リヌアは事件の大きさを受け止めて、かなり意気込んでいたのは分かっている。けれど、あんな無謀なやり方をするような奴では無い。

「先輩、以前スーツを台無しにしてしまった男の人、覚えていますか? 少し物腰柔らかい」

 そう言われて、頭の中に一人の人物がヒットした。

 幸太朗が小さく頷くと、その先をリヌアが続ける。

「その人と会って話したんですよ」

「あの時のこと何か言われたのか?」

「いえいえそうなくて、その人と話しているときに『ニューワールド研究所』って単語が出てきたので検索してみたんですが」

 とそこで一息ついてリヌアは続けた。

「翌日、銃を持った人たちが部屋に押し入ってきたんです。ニューワールド研究所という検索履歴から、私を突き止めたようで」

「ニューワールド研究所? 聞いたことないな」

 幸太朗がアイズで検索しようとすると、慌ててリヌアが止めに入った。

「私が言っていたこと聞いていましたか? 検索しないでください」

「あ、ああ。そうだったな」

「私も聞いたことないわね」

 腕組みをした昭も興味津々といった雰囲気を醸し出していた。

「検索結果はゼロです」

「ゼロ? でもそれが原因なんだろ?」

「はい。押し入ってきた奴らの男が確かに言っていましたから。というか全員返り討ちにしてやったので、吐かせもしたんですけどね」

 してやったりと言わんばかりの顔をするリヌアだが、すぐに表情に影を落として。

「でも直後に、自決しちゃいました。おかげさまで、現在家の中は血だらけですよ」

「ったく、マジかよ。でも逃げ出してくれてよかった」

 リヌアの頭に手を置くと、後輩は照れたように叩いて。

「先輩がいけないんですよ。掴まるから……ほんと、どうすればいいか分からなかったんですから。でも助けなくちゃって思って」

 これ以上ないくらいのファインプレーだ。

 昭がリヌアの背中を叩いて、微笑み「ありがとう」と礼を言う。

「おかげで助かったし。そいつがオズだってわかったぞ」

「え? 先輩、本当ですか?」

「その男もニューワールド研究所を調べたんだったら、襲われてるはずだろ。けれど生き残っている。村井さんが少し前に『犯人から逃げられた』って言ってたのに当てはまる。」

 そう考えると、やはり違法カードはあの男が配っているに違いない。

「リヌアちゃんの話から察するに、ニューワールド研究所の情報はその男も持っていないようね。どうせ聞きに来たんじゃないかしら?」

「だろうな。こっちに探りを入れに来たんだろう」

 自らの姿を現さない奴だと思っていたけど、単独犯ではやはり限界があるらしい。

「先輩、どっちを追います? オズか、ニューワールド研究所か。ここまで来たら突っ切るしかないですよね」

 リヌアが口元を引き締めて言う。

 違法カードをばらまくオズ、ニューワールド研究所への道を知る者を殺す三つの機関。

 どちらが危険性が高いのか一目瞭然だ。

「それなら、私がニューワールド研究所を突き止めるわ。貴方達って疑われてそうだし」

 昭はそう言うが、幸太朗はすぐに頷けなかった。

「でもどうするんだよ。ニューワールド研究所を追うのは良いとしても、名前を出した瞬間に何されるか分からねえぞ」

 問題はその単語自体にあるのだ。口にすればどうなるのか既に分かり切っている。

「ま、そこは考えがあるわ。それよりも貴方はオズの次の手を考えた方がいいんじゃないかしら?」

「オズは変死体を増やすことを第一の目的としているかもしれないが、固執してるわけじゃないだろうな。きっと荒川守の死と関係がある組織に復讐を企んでいるはずだ」

 元受刑者は再犯しやすい。この傾向を使って、カードを配っているのだ。そして彼等を更生する社統部が邪魔になったのだろう。

「リヌア、アイズの中にオズの顔は入ってないるよな?」

 職務上、記録する必要が多々あるためスキャナーには自動録画機能がついている。これは全てのアイズについていて、署内のクラウドに随時保存されていくのである。

 一般市民にもこの事は公表してあるし、捜査意外には使わないと公言もしているのだが……今となっては怪しい。

「ああっと、ちょっと待ってくださいね」 

 リヌアが検索をかけていると、頭上から激しいプロペラ音が降りかかってきた。

 顔を上げるとホバリングをしているヘリがあって、三人を見つけたと言わんばかりに静止している。

「くそっ!」

「刈白君。何が安全なのかしら」

悪態をつく幸太朗と昭。だが、するべき事は既に分かっている。

幸太朗はすぐにカードを手にして臨戦態勢に入る。

「俺が引きつける、リヌアと昭は逃げろ!」

 幸太朗はそれだけ言うと自らの手に炎を出現させて、思い切りヘリに投げつけた。

 ヘリに直撃するも、その直後にノーガンが飛び降りてくる。

「早くいけ!」

鬼のような形相と、怒号に昭とリヌアはその場からかけ出した。

 幸太朗の周りに数人の元同僚が降りてくると、彼らは僅かに訝しげな顔をする。

「村井さんからの命令だ。捕えろとな」

「殺せ、の間違いじゃないのか?」

「……それは最悪の場合だ。ノーガンの最大の役割は元受刑者の更生、それによる治安維持のはずなんだが、まさか刈白が犯罪者になるなんてな」

 同僚がそんなことを真顔で言う。

「本当に俺をとらえるつもりか? 言っておくが、この平和になった世の中を壊そうというなら、敵側なら容赦しない」

 牙をむき出しにする幸太郎に同僚は僅かに躊躇を見せてカードを引き抜こうとした手をぴたりと止めた。

 数日前、署にいたころとはもう違う。全くの別人だ。

 しかし、そんな威嚇を行っても元仲間たちは行動した。

 見事な速さでカードをグローブに読み込ませると、疑似魔法を発動させる。さすがに日常的に使っているだけあってその辺の奴よりも数段は早い。

 けれど、それでも幸太朗には及ばない。

「ファイヤーウォール」

火炎を放射し取り囲んだ同僚と自身の間に一線を引く。

 次にエアウォークを発動させて身体を加速させると、炎の壁の中から飛び出し一目散に逃げ出した。

「刈白! 大見え切った割に逃げの一手とはな!」

そう声を上げて敵は幸太朗の後ろにピッタリと張り付いてくる。

幸太朗が地上へ飛び降りると彼らも追随しようとした。けれどここは最先端から置き去りにされた町だ。

ホログラムは無くビルとビルの間には。ネオン管をつけた看板を吊るすための細いワイヤーや電線が蜘蛛の巣の様に張り巡らされているのだ。

そんなことを知らないのか、ノーガンの一人は『龍庭園』と書かれた飲食店の赤い看板に衝突し、痙攣して落下する。

 幸太朗は地上に降りると出店許可も出ていないような屋台の通りを駆け抜ける。行き交う人々は左右に退いて道を開けるも油断はならない。

いつも巡回している大通りの一般人とは全く異なる世界の住人だ。

 振り返ると、追ってくるノーガンめがけて、鉄パイプを持った浮浪者がフルスイングをかます。

「ごあっ!」

もろに顔面にヒットしたノーガンが横転すると。ここぞとばかりに袋叩きにしていた。

 取れるものは取る。それがここのルールだ。

「金目の物おいてけやぁ!」

 三下の様な台詞を吐いて幸太朗の眼の前に初老の男が飛び出してきた。手にしている得物はヒューマノイドの片腕だ。

 そんながらくたで殴り掛かってきた男の初撃を大きくとんで回避する。いつもならこの後は捕えるが、今はそんな余裕はない。

 廃墟の雑多ビル群を抜けて市街の裏路地へと逃げこみ、それから大通りへ出ると後方を確認する。

「何とか振り切れたか」

そう安堵したのもつかの間だ。幸太朗達が逃げ出したことで街中には大量の巡回ドローンが配置されていた。

 この異常事態に街中の人々はどよめき、一部の若者はいままでにない現状をイベントと勘違いしているのか、写真を撮りまくっている。

「これじゃあ逆に動きにくいな」

 幸太朗は舌打ちをすると、肩で息をしながら目についたファミリーレストランに入った。

 ビルの細長い階段を上がり、すりガラスの入った扉を開ける。

「いらっしゃいませ」

 対応するヒューマノイドがやって来て店内に案内しようとするが、そこで幸太朗は凍りつく。

 逃げたことは既に同僚にばれているし、春一も知るところだ。

 警察と公正情報管理局が繋がっているのだとしたらヒューマノイドのカメラ機能を使い、居場所が特定されてしまう。

 すぐに踵を返したが、どかどかと靴音が聞え、一気に背中に汗が噴き出してきた。

「こっちだ! 裏口を固めて取り囲め!」

幸太朗はすぐに周囲に目を走らせ、どこかに脱出口が無いか確認するも、あらかじめ用意されているなんてことはない。

店内にいる客はざわめき、不審者の幸太朗に警戒心を見せているが、誰一人として近づいてはこなかった。

 だったら……。

「サンダーショック!」

バチッと右手に電流を走らせ、店のブレーカーへ向けて疑似魔法を放つ。

照明がぶっつりときれて、店内が僅かにうす暗くなると、客が悲鳴を上げた。

同時に迫って来ていた足音が一時的に止んだ。人質を取ったと予想したのだろう。

 このあいだにエアウォークを発動させて、窓ガラスを突き破り細い裏道へと飛び出した。

「捕まえろ!」

 裏口を見張っていたノーガンが、なんと銃を設けてきた。疑似魔法の速度で敵わないならば、人差し指を引くだけの銃が手っ取り早いと考えたのだろう。

 実際、敵は幸太郎の姿をとらえると、乾いた音を鳴らした。

 だが。

「マグネット!」

 幸太郎も敵の姿が見えた瞬間に疑似魔法を発動させた。

磁気を操る疑似魔法を発動させ、右手を横に振った。すると、銃弾が軌道を変えてビルの壁面に穴を穿つ。

もう一度手を振り、今度は路地に置かれていた廃棄予定の鉄くずが宙に舞いあがると無造作にノーガンへと襲い掛かった。

「ああッ!」

 ガラクタの雨に打たれたノーガンは,ものすごい勢いで壁に衝突すると、そのままずるりと地面に落下して気を失った。

 しかし幸太郎はすうっと目を細めると。

「さっき言ったことは嘘じゃないからな」

 気絶しているノーガンの足をへし折り、腕の関節を外す。

「ぐっ、ああああああ!」

 気絶していたノーガンは悲鳴を上げたが、もはやスーツの処置の領域を超えているためここでは対処できないことは明白だった。

 幸太朗は悲鳴を聞きながら、アイズでリヌアと昭に連絡を入れる。

 あの二人と合流したほうがいいだろう。

『あ、先……輩! 大丈……夫ですか!』

 音声が悪い。邪魔されているのは明白だ。

「今どこにいる? すぐに合流するぞ」

『は……い、今は……』

 ザザッと酷いノイズが入りリヌアの声が途切れてしまっている。幸太朗は内心で悪態をつくが話し続ける。

「エイチのロク、三十で合流だ」

『分かりまし……た!』

 巡回時に扱う記号をこういう時に使うとは思わなかった。しかし、これで確実に伝えられたはずだ。

 幸太郎は目的地へ向かってすぐに走り出した。見えている追っては二人。けれど、時間をかければ援軍は際限なく来るだろう。

「ウォーターカッター!」

 狭い路地の中で細い水を放つ。縦一列で追いかけてくる先頭のノーガンの頭部にヒットし、後ろへ思い切り後転していくと。

「ファイヤーボール!」

 今度は敵の疑似魔法が幸太朗を襲ってくる。

「ウォーターホース!」

 右手を突きだし大量の水でファイヤーボールを消すと、敵はエアウォークを使って水びだしになりながら突進してきた。

「いい加減に掴まれ!」

 右の回し蹴りを放ってきた敵の一撃を受け止め、反撃を試みて拳を突き出したが、それは防がれてしまった。

 さすがに同じ格闘訓練を受けただけはあって油断ならない。

 水系統の疑似魔法を受けた時は基本的にびしょ濡れになるだけだ。だからその時はエアウォークで接近すると言うのは一種の常套手段。

 しかし、今回はそれがあだになる。

 幸太朗は大きく飛び上がると同時にカードを引き抜くと僅かに口の端をつりあげる。

「サンダーショック!」

 電流が水びだしの裏路地に走ると、びしょ濡れのノーガンが痙攣する。幸太朗はその後ですぐにさっきの仕返しとばかりに顔面に拳をめりこませた。

「はああ!」

 幸太郎はそのまま倒れた相手の上にまたがり、こぶしを作ると思い切り叩き込んだ。

 二度通ってこられないよう、この処置は必要なものだ。

 あの時の、『池袋無差別殺人事件』のような惨劇を繰り返させるわけにはいかない。

「はあ、はあ」

 もはや顔の形も残っていないノーガンはうめき声も上げられなくなっていた。

 幸太郎が立ち上がると、さっきウォーターカッターで倒した男が起き上がろうとしていた。

「痛てえ」

 後頭部を抑えたノーガンに、幸太郎は素早く迫ると、その口に手の平を押し付けた。

「んぐう!」

「ウォーターホース」

 ごばっと男の口に大量の水が入り込んでいく。

 効力が切れてもそのまま口元を抑え込んでいると、やがて相手はぐったりとした。

 そこでやっと幸太郎は手を離すと、目的地へと疾走する。

 指示を出した場所は観光地だった。旧時代の電波塔や博物館、美術館が集まっている区画である。景観保護のためにカメラはなく、入り口のチェックも無い。それにこの区画まで追ってこられても敷地はかなり広いため見つかるまでの時間はかかるだろう。

 しかしもちろん警戒は必要なため、巡回の時には必ずと言っていいほど立ち寄る場所だ。

 その中でも特に内部での戦闘が激化しないと思われる美術館を幸太郎は集合場所として指定していた。

 予定通り、幸太朗はそこで二人と合流すると、美術館の中に入り一番上の階にある物置小屋へと入り込んだ。

 扉の前には『掃除用具』と書かれているホログラムがあるため、まず一般人は入ってこない。

「ここを解放すれば結構お客さん来ると思うんですけどね」

眺めは良いため、リヌアが言ったことはあながち間違いでもない。

街の警備が想定以上に厳しいため、三人は一度オズを追うことは諦めることにした。その変わりに『ニューワールド研究所』が何なのか突き止めるため、策を講じる。

けれど、策とは言ってもそんなに難しい事じゃない。どこにでもありふれたものを使って、身の危険を回避しつつ、相手に訪ねることができる。

「二人とも、こくみん健康委員に入る準備が出来たわ」

 策はたった一時間で昭が作り上げる。


 昭がこくみん健康委員の建物に入ると、すぐに出てきたのは永久歩だった。

 歩の部屋に通された昭は、少し硬めの白い椅子に腰かけた。どうやら応接室で話す内容では無いことを察しているのだろう。

 ガラステーブルを挟んで、歩が腰を下ろすと口を開く。

「ようこそ! ようこそ! ずっとお待ちしていましたよ!」

「私はそんな乗り気じゃなかったのだけど、仕事だからしょうがないわ」

「あら、それは残念! それにしても今日は刈白さんはいらっしゃらないのですね?」

「ええそうよ。何か問題でも?」

「いいえ、ただ今度は、手土産を持ってくるなどと言われたものですから。期待していたんですよ」

 そう言われて昭は数秒間、考え込んだ後、思い出したように口を開く。

「ああ。あのとこね。もちろん持ってきたのだけれど、三つほど質問していいかしら?」

「どうぞ。今日はテレビのインタビューも無いので時間はありますよ」

 そんな余裕を見せる歩だが、昭の持っている情報がかなり気になっている様子だ。先日の別れ際にリヌアがとんでもない情報を見つけたのを知っているからだろう。

 初めて会った時のオーバーリアクションもどことなく小さく思える。

「まず、フェイクマジック株式会社から、こくみん健康委員へのDNAおよび日常行動記録の情報流出があった事は突き止めたわ。これは変死体事件の被害者の調査をして判明したのだけれど、認める?」

「さあ、どうでしょうか? 私の手元には個人情報は来ておりませんので」

「……では二つ目、こくみん健康委員である荒川守さん、彼がなぜノーガンが巡回時に使用する元受刑者リストを持っていたかご存知ですか?」

 これにも歩は肩をすくめるばかりだった。当人とは恋人関係ではあったが、愛情なんてものは無く、それゆえに所有物には興味がないそうだ。

「では最後、ニューワールド研究所、という単語をご存知ですか?」

 これが一応、最後の質問であり、最も聞きたかったことだ。

 荒川守が殺されたのは、あのリストを持っていたからでは無い。

 この『ニューワールド研究所』と言う単語を調べてしまったからだ。現にリヌアが同じ轍を踏んでしまい襲撃されている。

「それは……及川さんでしたっけ? その単語はどこで?」

 歩の瞳が揺れて明らかな動揺が走っていた。

「荒川守の友人が知っていましたよ。ですが、検索しても出てこないんですよ。貴方は何かご存知ですか?」

「い、いえ。検索しても出てこないのならば……存在しない研究所でしょう」

「ではこれを聞いてもですか?」

 歩はホログラム投影機に触れて、一部の動画を映し出す。

 それはリヌアが襲われた際の動画だが、監視カメラに映っていたものだ。映像は鮮明に、そしてちゃんと音声までも取られている。

『ニューワールド研究所を知る者は全て殺せとの命令だ。中に何人いようが逃がすなよ』

 動画を停止させた昭は腰かけに深く体重を預けると腕を組んだ。

「これを見る限り相当綿密に隠された組織ね。検索にも引っかからないとなると公正情報管理局も絡んでいるはずよ」

「まさか二人も取りにがすとは……警察の部隊も役に立たないんですね」

 なるほど、初めはオズを取り逃がし二回目はリヌアを逃がしてしまったということだろう。

「しかしこの、私の知人を襲った武装集団にはニューワールド研究所というものがすでに知られているようですね」

「いいえ知りません」

 動揺を隠して、歩はきっぱりと言い切った。

 彼女は乱した心を整えるように大きく息を吐くと続けた。

「用を終えた彼らには消えてもらっていますので」

 あっさりととんでもないことを言う歩に、しかし昭は動揺を見せはしなかった。

この時代にいっさいの情報をネット上に残さない集団を手引きしているのが誰なのか改めて考えさせられる。

「雇われた方は気の毒ね。まさか国直属の機関から依頼を受けたのに命を落とす羽目になるなんて」

「国だから、大企業だから大丈夫、信用できるなどという宗教的な考え方をする方がいけないのですよ」

 世界には宗教が溢れていた時代があった。しかし今作ではそれも廃れつつある。一部の寺社仏閣は観光地であり、精神的な祈りをささげる場では無くなった。

 進学から就職まで己のグラフを記録され、適性を見出される世界でははっきりとした道が立てられている。そこには安定しかない。精神的なその安定は宗教と言う曖昧なモノから具体的な数字に置き換わっている。

「何かを信じるというのは人の良い一面だと思いますが。それを踏みにじってまで隠す価値があるの?」

「あります。社会を回していくうえで、これ以上ないほどに大切なモノです」

「研究所と付くからには、何かを研究しているのでしょう?」

 歩はまぶたを閉じて思考すると、長く息を吐き再び視界に昭を捉える。

「この先を聞いたら戻れなくなりますよ」

「ニューワールド研究所、という単語を知っているのだから、生きて帰れるとは思ってないのだけれど。検索履歴を辿られて襲われた人物がいるのだしね」

 覚悟は出来ている、ということだ。

「ニューワールド研究所とは、簡単に言ってしまえば『非協調性発現因子』をもつ人間を研究し、排除するための組織です」

「非協調性発現因子?」

「社会を回すために必要なのは全ての人間が同じ方向を向いて足並みをそろえることです。しかし時として、それからはみ出る者がいます。警察の方なら心当たりは嫌というほどあるでしょう?」

 昭は即座に頷いた。いや、頷くしかないだろう。もし法からも倫理からも外れる人間がいなければ警察の役目なんてない。

「そのような方たちを排除するための研究……ってことね」

 喉がカラカラになりそうな昭はなんとか発する。握っていた拳はとかれていて、歩の話す先を予想してしまう。

「けれどそんな、誰かを見極めるなんてことが……出来るはずないわ」

 職業柄、犯罪者や元受刑者に頻繁に合っている。彼らの行動理由はくだらないものから、同情を誘うようなものまで様々だ。

 そこには彼らの意志が存在し、予測などできるはずがない。

 だが、そんな考えを読んだかのようにして歩が首を横に振った。

「こくみん健康委員では広告の通り、先天性の失調や後天性の病気……たとえば癌になりやすい塩基配列を特定しそれを予防するキュアライフを作っていますが、その研究は日々更新されています。そして、その過程で見つけたのが『非協調性発現因子』です」

 フェイクマジック株式会社から送られてきた、塩基配列と行動を分析し続けた結果、特定の配列を持つ人物は著しく社会規範を乱す行動、または過激なマジックデュエルを行っていることが判明したのである。

「しかし国に登録している情報だけで十分でしょう?」

「いいえ、十分ではありません。国に登録している人よりも、フェイクマジック株式会社に登録している人が多いんですよ。これは移民も含めてですが……故に貴重なデータが取れています」

「けれど、それくらいならば隠さなくても……いえ違うわね……排除の方法に隠す理由があるのね」

「おっしゃる通り。この因子はまだなぞが多いのですが、既に特定できているものもあります。そして既に手は打ってあります」

 昭の背中に寒い何かが走った。つまり、選別は既に行われているのだ。

 その方法を模索するために昭の頭脳が回転する。

 一人ひとり該当する人物を見つけて排除するなんて面倒な真似はしないはずだ。もっと一気に、そして、人が気がつかない方法を取っているに違いない。

 戸惑いを隠せない昭を見て、歩はここぞとばかりに口の端をつりあげる。

「キュアライフ。この中に因子を持つ者を殺すことのできる成分が含まれています」

「それじゃあ! すでにそれで死んでいる人が……」

「いいえ、まだいません。特定周波数の電波を与えることで、キュアライフで摂取した薬物が効力を発揮します。私たちが見つけた現段階での『非協調性発現因子』を発見すると、その人間は死に至ります」

 昭は思わず自身の喉に手をやって生つばを飲み込んだ。

「大丈夫ですよ。及川さんがその因子を持っていなければ、薬の効果はありません。まああなた方が使っているリストには因子を持つ人間の名前がのっているんですけどね」

「それじゃあ、あそこに元受刑者以外の名前が載っていたのは……」

 ノーガンが因子を持つ人間に強制的にキュアライフを摂取させていた……そこには犯罪者の更生なんて大義名分は無い。一種の毒をノーガンは無理やり市民にとらせていたのだ。

「けれど、そんなことをすればどうなるのか」

「どうにもなりませんよ。これはセーフティなんです。過激な思想、行動をする者が池袋無差別殺人事件を起こすような場合、もしくはそれに該当する……つまり現在の社会が脅かされそうになった場合に発動します」

「しかしそれは個人の……」

 そう言いかけた所で昭の言葉を止めるかのような仕草をしてきた。

「個人の意志、思想。それは社会を回すうえでは邪魔になる場合があります。旧社会では個人の意思が大切であるとされてきました。しかし現在ではそれは無用です」

 ビッグデータから推測される行動統計グラフと塩基配列の解析による能力の特定によって、人は適切な役割を与えられた。

人の意志が介入する隙は殆どなく、そのために幼稚園から就職まで個人の適性を伸ばす教育が行われている。

 おかげで景気の低迷はここ十年ないし、雇用も安定している。自殺者数も減り世の中は安心安全の一途をたどっている。

「さらにキュアライフによる健康の維持のおかげで病気にかかる事は無くなり健康寿命も延びました。これが今の社会です」

「それを守るのがあなた方の使命だと言うわけね」

「素晴らしいでしょう! これこそがまさに完全なセーフティ。社会を健全に保つためには精神的に、そして肉体的にも管理されなければなりません! キュアライフはそれを叶えているのです!」

 歩はそれからホログラムを閉じると、パチンと指を鳴らす。

 すぐにドタバタと重武装をした名前も知らない部隊が何人も押し入ってくると、椅子に座っている昭を取りかこんだ。

「随分と物騒な連中ね」

「ニューワールド研究所の存在を知ったのならば、消えてもらいます。もちろん春一さんには適正に処分したと伝えておきますし、公正情報管理局の方では行方不明処理を……まあ数日後には捜査終了でしょうけど」

「ネット上から消せても、他の人の記憶には残るわ。いつでも私たちを動かすのは脳内チップ領域に保管された記憶じゃなく、自然記憶領域にある記憶よ」

「刈白さんも同じことを言ってましたね。忘れることを前提とした記憶領域に何の価値が……」

「違うわね」

 歩が皆まで言う前に昭が遮って首を振った。

「忘れちゃダメな事だから、この体に、脳に焼き付いているのよ。データじゃなくて心に」

「戯言はもういいですよ。貴方達、始末しなさい」

 一斉に銃口が火を噴き昭の体を……貫通しなかった。いや正確には鉄でできたボディが銃弾を僅かに弾いたのである。

「まさか……ヒューマノイド!」

 席を勢いよく立ち上がった歩の目が見開かれる。

 鉄の爆ぜる音が響く中、ホログラムが消えると昭のクスクスとした笑い声がスピーカーから漏れ出る。

「残念だったわね。今発信した音声は全てこちらで録音しているわ」

「……! 全員、このヒューマノイドの出所を調べなさい! 逆探知して及川のいる場所を調べなさい! そこに脱走したノーガンもいるはずよ!」

 歩はヒューマノイドの向こう側にいる昭を睨みつけると。

「そんな音声を持ったとしても、何の役にも立たないわ。加工を疑われるのが……」

『加工なのかい?』

 歩の言葉に被せるようにして別の音声が響く。それはヒューマノイドを通した昭の声ではなかった。


 歴史的建造の中で幸太朗は苦虫を噛んだ様な顔をしていた。

 リヌアのスーツの襟裏に仕掛けられていた旧式の盗聴器をとって忌々しげに見つめる。

「オズか」

『刈白幸太朗。僕のニックネームを知っているのか。まあいい、今はそんなことを話している暇はないからね。ニューワールド研究所の真相が分かった今、僕の取るべき行動は一つだ。市民に勇気を渡して、自らの意志を奮い立たせることだ』

「一体何をするつもりだ」

『刈白幸太朗、君たちには感謝している』

 そこで一区切りしてオズは続けた。

『そのお返しとして面白い物を見せるから、少し待っていてくれ。それじゃあまた後で』

 オズはそれだけ言うと通信を切ってしまう。

 幸太朗は悪態をついて持っていた盗聴器を床に叩きつけ、ぐしゃりと踏み潰すと拳を握った。

 あいつがリヌアと接触してきたのは、情報を聞き出すためじゃない。本当の狙いは、これから手に入れる情報をこうやって仕入れるためなのだ。

「すいません、私のせいで……オズに情報が行ってしまいました」

 しょんぼりとするリヌアの頭に幸太朗は優しく手を置いて首を横に振る。

「気にするな。手遅れにはまだなっていない。オズはたった今情報を手に入れたばかりだからな。何かを準備するにしても時間は掛かるはずだ。その前に見つけ出す」

「奴が何かをするとしたら……今の情報を流すはずよ。それも文章じゃなくてリアルタイムですぐに……公正情報管理局が入らないようにするわ」

 ここからはあいつが表に出てくるはずだ。街の不良を使うような不安定な事はやらないだろうし、リヌアと接触して立ち去るだけの様な控えめな行動もしない。

 確実に、そして即座に計画を実行に移すはずだ。

「リアルタイムで、公正情報管理局が入りにくい……今どきネット配信でも難しいですよ」

 サーバーを持っている企業は公正情報管理局と契約をしている。その為すぐにダウンさせられてしまうのである。

 独自の回線を持ち、なおかつ人目に映る媒体と言えば……。

「テレビか」

 どこも経由せずに直接配信されるテレビの生放送は、公正情報管理でも止めるのが難しい。もちろん、放送前にチャックは入るし、リアルタイムだって放送作家はシナリオをちゃんと公正情報管理局に渡している。

 けれど、もし占拠でもされてしまえば、止めることは容易じゃない。

 テレビ局そのものを抑える必要がある。

「全国放送をやっている局があったよな?」

「私、場所知ってますよ先輩!」

 リヌアが手を上げると、幸太朗は首肯する。案内は頼むとするが、それよりももう一つ行く必要がある場所があった。

 それを察してくれたのか昭がため息をつく。

「それじゃあ私は中枢発電所へいくわね」

「発電所? どうしてですか? オズがいるのはテレビ局じゃ……」

「それと、もう一つ。ニューワールド研究所の電力を落とす必要があるわ。薬物の効果を発揮させる特定波長の電波を出させないようにするためよ」

 中枢発電所は、文字通り国の中心にあたる発電所である。

 ここで発電されたエネルギーが無線で各地の変電所へと送られていくのである。膨大な面積を誇るが、コントロールルームを探すのは難しくないはずだ。

 それに物理的に様々なものがつながっているため、どこかで爆破などを起こせば瞬く間に広がり電力の供給はストップするはずだ。

 そして全ての電源を落としてしまえば、キュアライフの薬物は作用しないはずだ。そして最悪の状況で発動する大量の殺戮も止められる。

「止める手段は持ち合わせているのか?」

「中枢発電所の独立サーバー内に施設の制御コマンドがあるわ。それを弄れば……」

「けれど、あの物騒な連中がいるかもしれないぞ。悠々とサーバー内を歩いている時間はないぜ」

 そう言うと、昭は顎に手を当てて、数秒考えこんだが意地悪な笑みを浮かべた。

「その時は物理的になんとかするしかないわね。爆破とか……とにかく刺し違えてでも止めるわよ。それよりも、リヌアちゃん、幸太朗を頼むわ」

 昭が微笑むと、リヌアは敬礼をして、はきはきと答えた。

「分かりました、先輩は任せてください!」

 それは逆じゃないのか。

「リヌアちゃんに託したわ」

 なんでそうなる。

 なんて幸太朗が思っていると、昭がつめ寄ってきて人差し指で胸を突いてきた。

「ちゃんとしなさいよ」

「お互い捕まらないようにな。きっとすでに警察は発電所に警備を回しているはずだぞ」

 歩のことだから、これくらいの先回りはしているだろう。

「何とかするわよ。それと、これを持っていくといいわ」

 昭が見せてきたのはポケットに収まるくらいの小型の拳銃だ。まるでスパイ映画に出てくるような小さなものだった。

「おいおい銃は……」

「疑似魔法には敵わないことくらいは分かってるわよ。でもオズはあの事件の再来をしようとしているのよ? 私も一緒にいると思って欲しいわ」

「分かったよ。でも本当に撃てるのか」

「十メートルほどの距離で当てれば即死よ。ま、使わなくてもいいわ、お守り代わりだからね」

 幸太朗とリヌア、そして昭は外に出ると観光客に紛れて、エリアの外に出た。幸いにもまだ場所は特定されていないようだ。今のうちに移動した方がいいだろう。

「それじゃあ行ってくるわ。二人も気を付けて」

 昭が発電所の方へと歩き出すと、それとは逆の方へ幸太朗とリヌアも歩き出す。

 二人は街へ直行しなかった。既に顔がばれており、巡回のドローンに見つかると厄介な事になるからだ。

 途中のドンドン・ホーテに立ち寄り、サングラスや付け髭、ウィッグを現金で購入しその場でつける。

 互いに目を合わせるとこんな時だと言うのに思わず吹き出してしまった。

「先輩、全く似合って無いですね」

「リヌアもだぞ。なんだその付け髭は」

 一通り笑いあった後、幸太朗はリヌアに連れられてテレビ局へと向かった。

 その途中で見た街の様子はいつも通りだ。

「先輩、ホロじゃなくて正解でしたね」

 真横を通り過ぎる巡回ドローンを一瞥しながら、リヌアが呟いた

「ああ。巡回ドローンのカメラにホロ用のスキャン機能付いてたな」

 ホログラムを被って歩に会っていたことは既に知られていて対応もされている。

 こくみん健康委員と警察の連携はかなりのものだと舌を巻いてしまった。

「あとどのくらいだ?」

 走るとどうしても怪しまれる。

 急ぎたい気持ちを抑えて幸太郎は尋ねた。

「十五分程度です。この大通りを抜ければ……」

 リヌアが言いかけて足を止めると、彼女は顔を上にあげた。いや、あげざるを得なかった。

 大通りの街頭ホログラムに映し出されているのがオズだったからだ。

リヌアに盗聴器を仕掛け、一連の変死体事件、そして社会を脅かす違法カードを作り上げた男。

「……オズ」

 幸太朗はホログラムに映し出されているその姿を睨みつけた。

 突然ニュースが切り替わり、化粧をしたニュースキャスターから異様な雰囲気を持つ男に変わったのだから、周りの人々も視線を上にあげていた。

『初めまして。私の名前はオズ。突然だけれど今日は君たちに伝えたいことがあって、テレビ局を占拠した。とても重要な事だ。今から流す映像を信じるかどうかは君たち次第だが、現状を変えようとする意志があるのならばその手伝いをする準備はすでに出来ている』

 オズの視線がカメラから僅かに逸れると、そこから別の映像が流れ出す。

 映し出されたのは昭と歩。それだけで何の話が行われようとしているのか察しがついてしまった。

 幸太朗とリヌアは真っ青になった顔を見合わせて走り出すも、こんな人ごみの中でかけ出す二人組があやしくないはずがない。

 すぐにヒューマノイドが二人を捉えて追いかけてくるも、足の速さで人間が勝てる設計にはされていない。

 リヌアがエアウォークを発動させ、体を回転させて後ろを振り返ると同時にヒューマノイドに蹴りを叩きこんだ。

 ガギインッ、と鈍い金属音が響いて、ヒューマノイドの頭部だけが明後日の方へと吹き飛んで行った。

 しかし一度こんな事を起こしてしまうと、目をつけられるのは必然的だ。

 他のヒューマノイドの目が二人を捉える。その間にもオズの演説は続き、人々は信じられないと言った表情を顔に出していた。

『君たちはこの情報が嘘だと思っているだろう? 会話の内容、リスト、非協調性因子なんかも全てでっち上げで、加工した映像だとね。しかし情報は情報だ。一昔前と同じで情報は誰でも加工できるし、現代でもそれは変わらない。扱う人間が常に正しい情報を提供するとは限らない。悪意に満ちている可能性もある』

オズは疑似魔法で使われるカードを一枚、見せてきた。

『これは誰でも使うことができ、誰にも止めることが出来ないカードだ。カードは魔法だ。君たちの背中を押す魔法なんだ。化学では見いだせない己の中の意志を奮い立たせてほしい』

 街行く人々は、そんなことを言われても、とばかり動揺するだけだ。テレビ局に行けばあれが手に入ると言うことは分かるが、それでもまだ自身の危険を感じないのならば動くはずもない。

 だがオズはそんなことも予想していたかのようにすぐに次の行動に移る。

 テレビに映っているオズは横に一人の青年を立たせた。それから話の中で出てきたリストを表示させて視線を落とす。

『この青年は元受刑者ではないがリストに名前がある。彼は毎日キュアライフを摂取し、学校では成績優秀。現職業適性は政治家だ……しかしリストに名前がある時点で生死は他人に握られている。この時点で君たちは諦めるのだろうか? それとも戦うのだろうか? 君たちはどちらの意志を選ぶ?』 

 オズはポケットから何か黒い物体を取り出した。

 よく見えないが、金属のカケラらしきそれを青年に握らせると。

『こくみん健康委員の永久が言っていた特定波長の電波を出す装置を彼に握らせた。今から、先ほどの映像が嘘ではない事を証明して見せよう。では初めてくれ』

 青年から一歩離れたオズはカメラの僅か上に視線を向けて頷いた。

 数秒後、さっきまだ立っていた青年がガクガクと震えだし、口から泡を吹くとばたりと倒れる。

 しかしオズは慌てる様子を見せずに、青年を運び出すように仲間を呼ぶと彼を運び出させた。

『微弱な電波だからこそ、彼だけに影響を与えたが……たとえば巡回ドローンやヒューマノイドから発せられることができるとしたら、どうだろうか? 君たちは自分が知らぬ間に犯罪者の様な扱いを受け、そして他人の意志で死んでいく……しかし僕は君たちに力を与えようと思う』

 それがさっきの違法カードなのだ。

 街は既に静まり返っていて、オズの声だけが響いていた。足を止めた人々の顔が蒼白になっていく。

『カードは身を守るための防護柵では無い。守っていては根源を駆除することは出来ないからね。さあ、選べ。青年の様に何の抵抗も無く死んでいくか、それとも敵を排除するか。言っておくが、彼らは容赦はしないぞ。すぐにでも、死人は出る』

 そう言った瞬間だ。

 走る幸太朗の視界に映った青年がもがき苦しみだした。オズの隣で死んだ奴のように口から泡を溢れさせてその場にばたりと倒れる。

「くそっ!」

 幸太朗は駆け寄ろうとしたが、後ろか追ってくる複数のヒューマノイドがそんな余裕を与えてくれるはずもない。

 リヌアも不安そうな顔で青年を見ていたが、その視線の先を別の通行人にやると、顔を青くする。

 幸太朗も彼女の見ている方へと目を向けると、新たに倒れている人が数人いるのだ。

 昭が間に合わなかったのか? だとしても放送直後から倒れるはずもない。これを準備するためには少しの猶予が必要なはずだ。

 しかし、ニューワールド研究所に関するデータはどこにも存在していないし、昭と歩の会話の中で、この計画が実行されるにはそれなりの時間が必要であると考えているものはいない。

 その証拠に二人が倒れた時点で街中はパニック状態に陥った。辺りには悲鳴が反響し、何をどうすればいいのかといった人々が続出する。

 街中の様子はオズも見ているのは間違いなかった。見計らったようなタイミングで再び彼が口を開く。

『止める手段は一つ。根源を叩くことだけだ。しかしタダと言う訳にもいかない。今から自らの意志で三人。人を殺してもらう。これが出来た者のみカードを与えるとしよう。言っておくが……映像に移っているニューワールド研究所の武装に立ち向かえるのはこのカードだけだ』

 疑似魔法は使い方によっては銃よりも役に立つ。だからこそ、警察が持っている銃に対抗できるのはあのカード、それも警察の停止権限を受け付けない違法カードが必要だ。

「先輩このままじゃ……」

「大変な事になるぞ」

 あの時の記憶が鮮明に頭の中に蘇ってくる。

 多くの人が傷つき、亡くなった池袋無差別殺人事件。辺り一帯は血で染まり、実弾が使われるも、しばらくは収集することは無かった。

 幸太朗と昭の両親の命を奪った痛ましい事件の、いや、それ以上の事態が今まさに起ろうとしている。

 奥歯を噛み締めた幸太朗はパニックになっていく街中を見ることしかできなかった。

 テレビ局の前まで来ると、そこには地獄が広がっていた。

 たった数分しか経っていないのに、道端には死体が転がり返り血を浴びた人々が、テレビ局内に入ろうと押しかけているのだ。

 遠くの方からパトカーのサイレンが響き、ヘリのプロペラ音も聞こえてくる。さすがに行動が速い。しかし惨劇はもう始まってしまっている。

「リヌア、電気系の疑似魔法で一般市民を気絶させろ!」

「いや、でもそれは……」

 リヌアが躊躇するのも無理はない。明確な規約違反だからだ。スーツを着ていない者に疑似魔法を放つことは禁止されている。

 警察が法を犯し犯罪を止めることを考える時が来るとは思わなかった。

「サンダーショック!」

 幸太朗が放った雷は子供を襲っていた中高年を気絶させ、命を救った。

「わ、分かりました!」

 顔面蒼白のリヌアが上ずった様な声を出す。

 このままだと池袋無差別殺人事件以上の被害が出てしまうのは間違いない。

 幸太朗はエアウォークで駆けながらさらにカードリッジに疑似魔法を読みこませ、テレビ局の入り口に群がる人々に掌を向ける。

「サンダーショック!」

 バチリとグローブに電流が走り、青い稲妻が群がっている人間に命中し。

「ぎえぇッ!」

 と獣の様な悲鳴を上げてばたりと気絶する。

 リヌアも続いて疑似魔法を使い鎮静を計るが、幸太朗達の行動に気が付いた人々は口々に叫ぶ。

「ノーガンだ! 俺達を早速殺しに来たぞ!」

「あの放送は本当だったんだ!」

 叫びとも、絶叫とも取れる声音の市民が牙をむき二人を敵として捕らえる。

「先輩このままじゃ、及川さんが成功しても」

 市民に疑似魔法を放つリヌアの顔に、大玉の汗が光る。

「バカぬかせ、まだ抑えられる! オズを仕留めてカードの流出を防ぐんだ!」

 幸太朗は刃物を持った市民を視界に入れると、すぐに気絶させたが即座に右側から男が迫ってきた。

「俺達になんてもん飲ませ続けてたんだ! 死ねえぇ!」

 その怒りは分かるが矛先が違う。しかし話をしても無駄なのは一目瞭然だ。

 男の鳩尾に思い切り拳をめり込ませて即座に沈静化させ、それから今も映っているオズを睨みつける。

「絶対に捕まえてやるからな」

「先輩! 入り口から人が出てきます!」

 後輩の声にハッとして幸太朗は言われた方向へと視線を向けた。

 テレビ局の自動ドアを抜けてきたのはガラの悪い連中、オズの手下で間違いないだろう。彼らは疑似魔法のスーツとグローブ、シューズを身に着けていた。

 三人は血に染まった衣服をまとう民衆に興味はないとばかりに幸太朗とリヌアを睨みつけてきた。

「オズさんが言っていたのはこいつらか」

 丸坊主の男はいかつい顔をニヤリとする。

「あーあー、何人か気絶させてるじゃねえか」

 そういいながら優位を平然と見まわしたのは長髪の男だった。長い髪を後ろで一本にまとめている。

「ま、退屈しなくて済むよな。実は俺、何人かノーガン仕留めたんだぜ」

 ピアスの通った舌を出して自慢話をする男が指を折って数える。

いかにもな風貌をした三人、彼らは統一されたジャージを着ていて、緑色の文字で『エメラルド』と書かれてあった。

 すぐにアイズで探っているとやがて、該当する集団が浮かび上がる。

「マジックデュエルの上位ランカーか」

 国際大会も開かれるマジックデュエルにはもちろん順位が着いている。その上位三人が今目の前にいるのだ。

 街の不良なんかよりもよっぽど厄介だ。

 こいつらは元々刺激を求めて始めたやつらだ。現状に慣れてしまえば、こいつらが飛びつくのは容易に想像できる。

「まさか、ランカーを従えてるとはな。さすがに想定外だぞ」

「ノーガンが病院に運ばれたって情報、確かに上がってますよ先輩」

 リヌアがボソッと呟いたのが聞こえたのか、三人のうち一人が反応して、眉を吊り上げた。

 幸太朗が一歩前に出て臨戦態勢を取ると、横のリヌアも同様に拳を握った。

「私が二人引き受けます」

「な、なに言ってんだ! 俺が三人纏めて叩き潰すに決まってるだろ。リヌアは下がってろ」

「私もノーガンの一人ですよ。大丈夫です」

 前言を撤回して頷くと、視線を三人の中の一人に向ける。

「ヒュー、威勢がいいなあ」

 丸坊主の男が口笛を吹くと、リヌアをじっと見つめ、他の二人が攻撃態勢を整える。

「分かった。だが、二人は無理だ。お前は一人引き受けてくれればいい」

 とはいったものの、勝算は五分五分だろう。

 敵はノーガンを屠るだけの力がある。病院に運ばれたノーガンが誰なのかまだ確認はしていないが、リヌアでも苦戦するだろう。

「そっちの話は決まったようだな」

 丸坊主の男がカードを引き抜くと、幸太朗は鼻で笑った。

「猶予を与えてくれるなんて、この前の奴らよりはやりやすい」

 軽く挑発するも敵はのってこない。それどころか、活きのいい獲物を見つけた様に口の端をつりあげる。

「それじゃあ時間もねえ、さっさとやっちまうぜ」

 舌ピアス男がそう言うと同時に、マジックデュエルが始まった。

 幸太朗には少し期待があった。この勝負を見せれば疑似魔法は使い方によっては危険なものであると人々は思ってくれるはずだと。

 手を出すのはいいが、それなりのルールを守り節度が大切であると。そうしないと怪我人どころか死者が出るのは明白なのだと知って欲しかった。

 しかし、それが裏目に出てしまう。

 周りから歓声が上がり、幸太郎が後輩の方へと目を向ける。

 そこにはリヌアが舌ピアス男と拮抗している姿があった。遠距離攻撃に徹し、軽やかに舞う姿で追い詰めていく。

 加えてさっきまでオズが映っていた画面が切り替わったかと思うと、そこに新たな映像が映し出された。

 それはオズが銃を構えた武装集団と戦っている映像だ。その芸術とも呼べる動きでオズはたちまち窮地を脱している。

 この二つで人々は確信する。

 たとえキュアライフで命を握られ、銃で抵抗されても怯えることはない。あのカードさえ手に入れたら助かるのだと。

 一瞬だけ、幸太郎は戦いから意識をそらして街の地獄絵図を想像してしまった。

「油断が見えたぜ!」

 その声が聞こえた時にはもう遅い。幸太朗が相手をしている二人は絶妙なタイミングでファイヤーボールを放ってくる。

 爆発と熱が頭部に直撃し、一瞬意識を持って行かれそうになるが、大きく飛び退いて距離を取る。

 だが。

「予想通りだなあんた!」

 こいつら、先を読む正確さが半端じゃない。

 幸太朗の真後ろにいつの間にか回り込んでいた坊主の男がニヤリと口をつりあげた。

 右腕を振りかぶった敵のモーションから、近接攻撃と判断して身構えたが、視界の下に僅かに入った左手に意識が行く。

 フェイントか!

 拳を握った右手は無視し、大きく体をひねると左手から放たれるサンダーショックを裂ける。

「ちっ!」

 悪態をついた相手に、しかし間髪入れず幸太朗は握った拳を突き出した。

「それは読み通り」

「んなわけあるか」

 拳をパッと開くと、幸太朗の手から炎が勢いよく放たれる。

 ただの物理攻撃だと思っていた坊主頭の防御を爆発で弾き飛ばすと。

「くっ」

「知ってるか、窮地になると人間は本能的に一般的な回避行動をとりやすいんだ」

 離れようとした敵にさらにつめ寄って、こんどは正確に拳を顔面に叩き込んだ。

「がっ……あっ……」

 ドサッとその場で倒れた相手の額から血があふれ出す。しかし幸太郎は容赦せずに起き上がろうとしてくる男の頭に強烈なけりを入れた。

 ゴギンッと嫌な音が響くと、坊主男の首が約八十度回転しばたりと倒れる。

「ひぃっ! く、首が尋常じゃねえ方向に曲がってるぞ!」

「そういう風に蹴ったんだ。当たり前だろう」

 確かにこいつらの実力だったら、ノーガンの中で太刀打ちできる奴は数人程度だろう。

 だからこそ、生かしては置けない。

「さてと、あとはお前だけだな。ここでグローブ捨てたら逮捕だけで済ませてやる」

「逃がしてはくれねえのかよ」

「何でこんな事に加担した? ランカーなら疑似魔法の怖さも楽しさも知っているだろう? オズがしようとしているのはこの世界の破壊だぞ」

 諭すように言ってみるが、男は長い髪を揺らして横に振った。

「オズが俺達に接触してきたとき、君たちは魔法使いだ、と言ったんだ。それは手から火や雷を出す事じゃなくて勇気があるとね」

 勇気……確か同じような事をオズは言っていた。

「疑似魔法は引きこもっていた俺に光をくれたんだ。これを使った瞬間に世界が開けたさ。親も友達も俺を見る目が変わった! だからこそ許さない。俺が勝ち取った自由をあいつらは奪い取ろうとしている! いや、既にこの命は握られてるも同然だな。だったら戦うしかねえだろ!」

「……分かった。そうだよな」

 キュアライフを摂取するのは生れてから数か月後。

 はっきりとした自我を持った時には人々の命は自分のものでは無くなったのだ。

 けれど、今ならば……自分の命を他人には握られずに生きていくことが、機械のような社会システムにあてはめられるだけでなく、自分の意志で道を決めることができる未来を取り返せる。

「分かってくれなくてもいいぜ。けれど、俺らから命を奪うな!」

「……何を言ってる。この状況を見て、命を奪うなだと! 奪っているのはオズやその取り巻き達だ! 赤く染まった服を見て異常だと思わないのか!」

「思わないね。皆、洗脳から解放されたがっているんだ。その証拠さ」

「だったら……」

 幸太朗がカードケースに手を伸ばすと、それとほぼ同時に相手も抜く。

 だが。

「ファイヤーボール」

 先に声を出したのは幸太朗だ。

 炎の弾を投げつけ、敵の直前で爆破させると噴煙を辺りにたちこめさせる。

「この手を使う奴多いよなあ! 煙の中から出てきて、不意打ち一撃で一気に決めてやろうってさあ! ノーガンも結局は……」

「ファイヤーボール! ウォーターカッター!」

 相手の声を聞く気はないとばかりに幸太朗は立て続けに魔法を撃ちこんで行く。

 それからファイヤーウォールで敵を囲い、逃げ道を塞ぐ。

「容赦ねえ、どっちが犯罪者か分かったもんじゃねえな」

 そんな声を無視して幸太朗はサンダーショックを水びだしの地面に流し込むと、軽口は聞こえてこなくなった。

 煙が晴れると、水たまりの中でしびれている相手がいた。

「ウォーターカッターを流した時に注意するべきだったな」

 当然のごとく馬乗りになってこぶしを振り下ろし、相手の頬骨が砕け、歯が数本折れるのを確認すると立ち上がる。 

 幸太朗はそれからリヌアの方へと目を向けると、彼女は地面に座り込んで肩で息をしていた。

 相手は後輩の眼の前で伸びて白目をむいている。

「勝ったようだな」

「あ、先輩も勝ったんですね……って一人死んでます、よね?」

 リヌアが頬を引きつらせるが、幸太郎は躊躇いなく首肯する。

「殺した。それにあと一人も、食事ができないほどに顎の骨を砕いてやった」

 異様な雰囲気をまとう幸太郎は『何か問題があるのか』とリヌアに視線で問う。

「いえ、あの、そうですか」

「そんなことよりもだ。厄介な事になったぞ」

 テレビ局の方へと目を向けると何人もの人が既に入っていた。その間にも殺し合いは行われ、大きなガラス窓の向こうにも地獄が広がっていた。

 幸太朗とリヌアは一目散にテレビ局へと足を踏み入れ、一階の案内板を数秒で頭に叩き込む。

 このテレビ局にスタジオは三つあるが、二つは工事中。そして空いている一つのスタジオのみで収録を行っているようだった。

 そうなるとおのずと行先は決まる。

奔走する幸太郎が窓の外へと目をやると、警察のヘリが降りてきて数人のノーガンが列をなし、何台ものパトカーで入り口をふさいでいた。

「あいつらよりも先に捉えるぞ」

「はい!」

 幸太朗と警察のどちらがオズを捉えても彼の運命は変わらないだろう。

 けれど社会がこの先がどうなるのかはまるで違うだろう。

「警察がオズを捉えてもこの世界は何も変わらない。情報は操作され、一年も、いや一カ月もするとみんな忘れるだろうな」

「でもそれは……許されません。ここまで死人が出ているのに、それを無かったことにするなんて」

「けど奴らなら簡単だ。公正情報管理局によってネット上の記事は全て書き換えられる。現在も過去も。そして自然記憶領域にある記憶は文字通りの役立たずだ」

 この事件もすべて削除され社会は通常に戻る。

 けれど幸太郎たちが捕まえれば、オズを引き渡すことを条件にしてキュアライフの摂取をやめさせることができる。

 しかもオズには違法カードを作る才能もあるのだから、脅威と引き換えに国は要求を呑むかもしれない。

「その切り札でニューワールド研究所を解体させ、キュアライフの接種も辞めさせる」

 今までの習慣を……それこそ、人が食事を取るということを一部否定するかのような社会になってしまう。

 健康を管理することなくキュアライフに依存しすぎた人々にとって、寿命が縮んでしまうと言った代表的な衰えだけを考えてみても精神的な悪影響は間違いなくある。

「公正情報管理局も解体ですね」

 テレビ局内を走りながらリヌアがうんざりした様子で呟く。

 情報の正しさを保証する機関が機能を果たしていないのだから、脳内チップ記憶領域はもう信じることが出来ない。

 全ての情報が書き換えられ、今では裁判で信用不十分として扱われる自然記憶領域のみが真実を持つ。

「警察ももうダメだし、ここまで来るとすべて信用できなくなるな」

 春一に捜査を打ち切られ、牢に入れられたことは記憶に新しい。

 オズの考えていることは分からないでもないが、もっと他に方法があったはずだ。

スタジオまでたどり着くと、ニュースキャスターの座る席にオズが腰かけていた。

 回転式の椅子にゆったりと足を組み、机の上には違法カードが何枚も置いてある。

「かなり大量に置いてたんだけどね。先に来た人たちが根こそぎ持って行ってしまったよ。今頃は外で警察とぶつかっているんじゃないかな?」

 それに、と呟いてオズは続けた。

「配っている所は全国各地にあってね。ネットでも情報は既に拡散してあるよ」

「公正情報管理局が黙っていないぞ」

 幸太朗が牙をむき出しにして見せるが彼は肩をすくめるだけだった。

「ネット上では無敵に近しいけれど、現実じゃそうはいかないよ」

 さすがに脅しはきかないか。

「それでも手は打ってあるよ。すでに公正情報管理局の職員が何人か動いてくれてね。削除速度は遅くなっていてもうネットでは大騒ぎさ。君たちも見てみるといい。ここまできたら公正情報管理局も個々人のアカウントを削除しない限り収まらないと思うはずなんだけどね」

 幸太朗はオズが僅かでも変な動きに出ないか凝視していたが、隣のリヌアはかなり気になっている様子だった。

「リヌア、調べてくれ」

「はい」

 スキャナーでリヌアは今流行っているSNSに片端から目を通していく。

 すると数秒もしないうちに報告してきた。

「先輩……これ凄いことになってますよ」

「かなり配ってるって言ってたな」

「はい。でもそれだけじゃありません……違法カードを受け取るための条件が悲惨な状況を作り上げています」

 人を三人殺した者に配る……そんな行動をするはずがないと信じたいが、現実は違う。

 寿命を延ばし健康を増進させるものだと信じてきていたキュアライフが、実はそうではないと知り恐怖しているのだ。

 すでに自分の命は他人に握られている。もしそれを取り消すことができる可能性があるのならば、誰もが違法カードに手を伸ばすだろう。

「新しい社会の誕生を見れて光栄だね」

「これは破壊だ。池袋無差別事件よりもたちが悪い」

「破壊が無いと創造は出来ない。今ここは地獄だ、それは破壊しなければならない。それが……僕と守の願いでもあるからね」

 しかしその上に成り立つ社会は果たして正常なのだろうか。

「別の道があったはずだ」

「ない。これしか方法は無い。刈白幸太朗、君はなぜ牢を抜け出してきた? 法や会社規定に従えば君はまだ牢の中に居なければならない」

 オズはわずかに口の端を釣り上げると続けた。

「システムの中にいては止めることが出来なかった状況があるから君は抜け出してきた。誰かに任せておけば止められたかもしれないが……現状、ここまで来ているのは君たちだけだ。それは何故かもう問うまでもないね」

「意志があるからだとでも言いたいのか」

 ふふっとオズは軽く微笑むだけだ。

「君と僕は似ている。そして同じように君もこの社会を変えたいと思っているのだろう?」

「違う! この異常な状況とニューワールド研究所の大量殺戮を止めたいと思っているだけだ!」

 何よりも優先されるのはこの事態を止めることだ。

「止めようとするのは素晴らしいけれど、皆も真実を知って行動をしている。諦めも考えているんじゃないのかい?」

「かもな。でも俺が社統部に入った理由は、あの事件を再度起こさせないためだ」

 素早く太ももに手を伸ばして収められているカードを取り出す。カードリッジに読み込ませ、それから手に炎を宿した。

「早いね、刈白幸太朗」

 笑みを見せるオズに幸太朗は眉根を寄せ、警戒心を出す。普通なら真っ先に動いて先手を取る事も考えるのだが、その選択肢は言い知れない不安によって真っ先に消えた。

 しかしオズがとった行動は手を差しだしてくることだった。

「よかったら僕の仲間になってくれ。君は自身の意志で行動している。そんな人間を増やしたいんだ」

「バカを言うな。俺が人殺しに加担するとでも?」

「……非常に残念だ」

 瞬間、幸太朗はとっさに炎を投げつけたが、それは無駄になった。

 水の壁が出来上がり、炎を打ち消したのだ。

「ウォーターウォール……さきに仕込んでいたか」

 けれどそれだけじゃないはずだ。

「ファイヤーボール!」

 後ろにいたリヌアが声を上げて疑似魔法を撃ちこんだ。効果の落ちたウォーターウォールをすり抜け、向こう側に到達するも声一つ聞こえない。

 じいっとリヌアが目を細めると、ハッとしたように声を上げた。

「先輩、上です!」

「ちっ!」 

 幸太朗は舌打ちをすると上を向くことなく、その場から飛び去った。

 瞬間。

 幸太朗が立っていた場所に青い稲妻が落ちる。

「さすがは刈白幸太朗のパートナーだ」

 天井に足裏をつけて立っているオズが感心したように言と、くるりとまわって着地する。それから身構えている二人を見据え目を細めた。

「三上リヌア、君はどう言った意志で社統部に入ったんだい? 適性がよかったから?」

「初めはそう思っていましたよ。だけど、事の大きさを知って……」

「刈白幸太朗の意志に動かされたか」

 そう言うとリヌアは口を閉ざした。

「いや、それも意志の一つだ。君たちの他にも数人、僕に気が付いた奴がいた。けれど、上からの命令でさっさとやめてしまっていたよ。適性は確かにある、けれど歯車そのものなんだ。君たちには遠く及ばない」

「褒められてもうれしくは無いですね!」

「それは残念だ」

 幸太朗はリヌアを庇うようにして前に立ちながら、カードへと手を伸ばし魔法を発動させる。

「「ファイヤーボール」」

 その行動はオズと全くの互角だ。二人の間に爆発が起り余波が襲ってくる。

互いにエアウォークを発動させて接近すると格闘戦になり、リヌアもここぞとばかりに参戦する。

「はあッ!」

 リヌアの放った蹴りを受け止めたオズ。次に数秒の差があって、幸太朗が反対側から敵の頭部を目掛けて拳を叩きこんだ。

「悪くはないが、ベストでは無いね」

 難なく受け止めたオズに対して幸太朗はすぐさまもう一撃を放つ。

「読んでいるさ」

「どうかな?」

 ニヤリとした幸太朗の口元を見たオズの目が一瞬見開かれる。

「こっちが本命です! ファイヤーボール!」

 幸太朗の拳は囮。

敵の隙を突いたリヌアが右手を突き出す。

しかしオズは信じられない速度で顔を傾けて、疑似魔法を回避したのである。

完璧な連携とフェイントがはずれリヌアの腹部に大きな隙ができる。

「が、あッ……」

 オズはリヌアの腹部に拳をめり込ませ、くるりと回転してから幸太朗のこめかみに肘を叩きこむ。

 その恐るべき速度にリヌアはスタジオの端まで吹き飛び、いち早く察知した幸太朗は身をのけ反らせたが強い振動が脳を揺さぶった。

 一度離れるも、すぐにオズは畳み掛けるように距離を詰めてきた。

「拍子抜けだな」

オズは難なく幸太朗の首根っこを掴み上げる。

「がああッ!」

「皆が皆の意志で行動し、その一歩として疑似魔法を使う。そうなったとき、僕たちの中には本物の魔法ができあがる」

「こんなバカげたことをこれ以上させる……ものか!」

 オズの顔を殴りつけると、敵は幸太朗を離してよろめきながら後ろに下がった。

「お前がやっていることはニューワールド研究所と同じことだ。人を殺せない者はカードを貰えずに弱者となる……」

「それは意志無きものだ!」

「違う! 殺せないというのは普通の感情だ! このやり方は間違っている……生死を問い、それで人を動かすなんて、どう考えてもニューワールド研究所と……あいつらと同じだろう」

 オズはふうっと怒りを鎮めるように一息はくと。

「刈白幸太朗。失望したよ。意志を持っていても変えようとしないならば、結局は歯車に過ぎない。ここで死んでもらおう」

 目にもとまらぬ速さでオズはカードを引き抜き、掌を向けてくる。

 幸太朗はその場から飛びのくとウォーターカッターが通り過ぎる。

「ちっ、さすがに早いな」

 悪態をつき、幸太朗は転がりながらサンダーショックを放ち、反撃を開始する。

 疑似魔法がスタジオ内でさく裂し、二人はエアウォークを使いながら互いのサイドに回り込もうとする。

 時折マグネットシューズを使って壁や天井に張り付き、敵の死角に入り込もうとするがオズも幸太朗も移動技術に関しては互角だ。二人とも相手を視界の外に出すことは無い。

 らちが明かないと考えた幸太朗は室内にファイヤーウォールを続けて放つ。

「火事による酸欠で、僕を外に出そうとしているのか。でも外は警察が囲んでいるんだが、君はいいのかい?」

 攻撃の意味をはっきりと捉えたオズはそれでも焦りを見せなかった。

「ああ、お前を捕まえられるのならば問題ない」

 幸太朗は意識がもうろうとしているリヌアを担ぐと、酸欠状態になりつつあるスタジオから外へと飛び出した。

 オズも二人の後を追って飛び出してくると、またたく間に警察が取り囲んで銃を向けてくる。

「動くな!」

 揃った声が二人を抑えようとするが、

「マグネット」

「ファイヤーウォール」

 幸太朗が彼らの銃を取り上げようと、磁力を発生させる疑似魔法を使う。だがそれを見越してか、オズは一斉に彼らに火を放ったのである。

 普通の疑似魔法カードならば多少の火傷ですむのだが、奴が使っているカードは別物だ。

「うわああ!」

「火を消せ!」

 その叫び声を聞いて幸太朗は奥歯を噛み締めるが、オズはニヤリと口の端をつりあげた。

「君なら、そうするだろうと思っていたよ」

「このッ! オズ!」

 こいつはマグネットで相手を無力に出来ることも知っていたはずだ。けれどそうはせずに攻撃する道を選んだ。

 幸太朗は最速で迫り、あらんかぎりの魔法を撃ちこんだ。

 エアウォークで飛び上がると、敵の頭上を取り、脳天めがけて拳を振り下ろす。

 しかしそれは読んでいたとばかりにオズは僅かに屈みこんで回避した。

「なッ!」

「無策での攻撃は感心しないね。でもその感情の強さには敬意を表するよ」

 オズは真上にいる幸太朗の腕を掴むとそのまま無造作に地面に叩きつける。

 ゴヅッ!

 鈍い音と共に激しい痛みが頭部に走った。

「ぐ、うッ……」

 短い悲鳴を上げたが、両腕に力を入れて即座にその場から離れる。瞬間、オズのファイヤーボールがさっきまで居た場所に放たれる。

「さすがにヤバかったな」

 額から流れてきた血を拭うと、幸太郎は相手を見据える。

警官隊に移った炎はもう少しで沈下しそうで、一部では隊列を組みなおしていた。しかし彼らもどちらかといえば敵になる。復活したからと言って助力を求めるのは出来そうにない。

「彼らは少し邪魔だな。運に任せるのは好きではないのだが、これを使わせてもらおう」

 ポケットから出してきたのは、スタジオで見せた黒い物体。

 確か特定波長の電波をだし、キュアライフの中にある薬物を発生させる装置だったはずだ。

 あのテレビを見ていた者ならば、猛ダッシュで逃げたくなるような産物。そしてそれは今幸太朗達を取り囲んでいる警察の人間も例外では無かった。

 銃でも疑似魔法でも防ぐことが出来ない。無差別の攻撃。自分の中に既に爆弾が仕込まれているという現実を突きつける物だ。

「おい、あれ……」

「なんか変な電波を発生する奴だっけ?」

「その結果をお前も中継で見たろ」

「あっ……!」

 不安は徐々に広がり恐怖へと変化し皆の顔が青ざめていく。

 公的権力も、手にしている銃も役に立たないのだから、当然の反応だ。

「諸君、これが君たちを死に至らしめる装置だ! 既にその体内にはキュアライフから摂取された毒物が眠っている! これを仕込んだのは誰だか既に見当はついているはずだが……まだ犬になるつもりか!」

 演説するような口調でオズはさらに続けた。

「彼らはニューワールド研究所の存在を知った者は決して生かさない。一人残らずだ!」

 その迫力、鬼気迫る声音に二人を取り囲む警察はしりごみをしている。

「ニューワールド研究所が本気を出せば国のどこに逃げても無駄だ。犬になるよりも戦え! その為の方法は既に教えているはずだ! そして行動するものは既に動き出している!」

 オズが指さした先は街頭ホログラムだ。そこには現在街で起きている悲惨な出来事が映し出されている。取材をしているニュースキャスターは顔に汗をにじませて遠巻きからリポートしているようだ。

『こちらは九州の変電所です! ご覧ください! 変電所を守っているのは日本では見たことも無い重武装をしている人たちです。それに対して近くの住民は疑似魔法カードを手にして向かい合っています! ……ただいま入った情報によりますと、各地で同じように見たことも無い武装集団が発電所や変電所を警備しているようです! オズと名乗る人物の発言はどうやら正しかったようです!』

 キャスターの映し出すそれは生中継だ。

 オズは最後の止めとばかりに、警察に問う。

「君たちは行かなくていいのかい? 発電所を停止することが出来れば、生きる希望はまだあるぞ」

 最後は優しい口調で諭すように言い聞かせると、それを気に取り囲んでいた警官隊は互いに目を合わせて、自分の命を取り戻すべく散って行った。

「どうだい僕の演説は?」

「詐欺師のようだな」

「詐欺師さ。実際、この装置にそんな効果は無いんだ」

 とんでもないことを口にして、オズは手にした装置を放り投げるように捨てる。

 カランと乾いた音がするも、幸太朗の耳には聞こえていなかった。

 詐欺だと? あの演出全てが嘘だったと言うのか?

「犠牲になった者たちには、あらかじめ毒薬のカプセルを渡していたからね」

「そんな……」

「でも安心していい。カードの効力は本物だ」

 なんの罪悪感も無いオズに幸太朗は歯ぎしりをすると、僅かに重心を低くした。

「……これで決める」

「さあ来い、刈白幸太朗。君の憎悪はネットに保存されているデータ以上の能力を発揮するはずだ」

 オズもこれが最後だと言わんばかりに表情を引き締めた。

 僅かな沈黙が流れると初めに動いたのはオズだ。カードに手をかけて素早く疑似魔法を発動させると、ファイヤーウォールを発動させてくる。

 幸太朗はほんの数秒遅れて、ウォーターカッターで炎の壁に穴を穿つも、敵は身をひねって回避した。

「サンダーショック!」

 オズの反撃が幸太朗の視界に映る。

 幸太朗はすかさず横に飛んで転げたが、その衝撃で太ももに固定していたカードホルダーが外れてしまう。

 カラカラと音を立てたホルダーは炎の壁の向こう側に消えていく。

「くっ、しまった……こうなれば」

「終わりだ」

 幸太朗の最後をその目で確かめようとオズが炎の壁を超えてくる。

 オズがカードホルダーに手を伸ばし、新しい疑似魔法を発動させようとする。

 しかし。

「ああ、終わりだオズ!」

 幸太朗は転んだ拍子に手にしていた小型の銃をオズに突きつけた。

「なっ!」

 驚きに目を見開いたオズの顔に一瞬だけ恐怖の色が浮かび上がる。

 人差し指に力を入れると、乾いた音が響き、相手の頭が勢いよく弾ける。

 倒れ際のオズと目があったような気がした。彼は微笑んでいて、とても悔しがっているようには見えなかったが、それは気のせいかもしれない。

 オズが地に伏す音でようやく幸太朗は変な幻覚から正気に戻った。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 肩を上下させ死人が動かないのを確認し、それから手にした銃を数秒見つめるとポケットに仕舞い込んだ。

 昭に感謝だな。

「先輩!」

 意識がはっきりと戻ったリヌアが駆け寄ってくると、近くに倒れたオズを見た。

「終わったんですか?」

「ああ」

 幸太朗は力強く頷くと、リヌアはほっとした様子で胸に手を当てた。

 だがここで休んでいる暇などない。

「昭の方は、どうなっているかわかるか?」

「それが、何も連絡はありませんが、SNS上で中枢発電所の映像が流れてきています」

 リヌアが言った通りSNS上にはありとあらゆる画像と動画が張り付けられては流れていた。普通ならば公正情報管理局が削除するのだろうが、現状そこまで手が回せないのだろう。

「この様子だと物凄いことになっていますね。行きましょう。早く止めないと……」

「ああ。分かってる」

 幸太朗は今も流れているニュースに目を向けた。

 地方の変電所前で衝突している市民と武装集団が写っている。

 戦い慣れていない市民が勝てる見込みは無い、普通ならそう思うだろうが違法カードを手にした彼らはほぼ無敵と言っても過言では無かった。

 疑似魔法登場初期から、銃や刃物に対する強さ比べの様な動画は配信されていたし、一部の軍マニアの間では戦法も提案されていた。

 ファイヤーボールは目くらましにも、攻撃にもなる。エアシールドは銃弾を止める盾。サンダーショックは一部の電気的罠をショートさせることもできるのだ。エアウォークを使えば走るよりも早いから、地雷を踏んでも問題ないとされる意見まである。

 二人は近くにあったバイクに二人で乗ると、放置されている車両の間を縫いながら街の中を疾走する。

 街の中は地獄絵図だ。

 道端には煙草の吸殻よりも死体が多い。数メートルごとに内蔵をまき散らした人々が地面に横たわり、その表情は苦悶に満ちていた。

 ある者は心臓付近に包丁を刺されたままガードレールに寄りかかり、ある者はべっこりと凹んだ頭部で座り込んでいる。

 それでもまだ絵図は広がるばかりだ。鉄棒を持つ市民が残り何人殺せば違法カードを貰えるのか数えているし、すでにカードを手に入れた人々は公的建築物に押し入ろうとしている。

「こんな……ひどすぎますよ!」

 リヌアが腰に回している手に力を入れてくるのが分かる。

「予想以上だな」

 幸太郎は唇を見占めて、アクセルを全開にする。

 中枢発電所は、国の全電力を賄う大きな発電所だ。どうしても敷地は広大になってしまうため、人里離れた場所に作られている。

巨大なソーラーパネルが山一面に敷かれ、風力発電の施設が巨大なプロペラを回してお

り、少し離れた所に山間部には水力発電と地熱発電がある。

敷地の中央に巨大な鉄塔が無線で格変電所へと電力を送っている。ここから地方の変電所へ電力を飛ばしている。

施設の周りには大きな輸送機駐車用のスペースと設備点検用の建築物がいくつもある。

さらにここまでの道のりは環境依存の発電を維持するため一本道となっている。

「先輩、あれ見てください!」

 後ろに座るリヌアが指さす方へ視線を向けた。

 目的地へ続く大通りは渋滞していて、その先にある発電所からは黒煙が立ち上っていた。

 しかも目的地に通じる一本道はバイクでも通れないほど車が乗り捨てられている。

「走った方が速そうだな」

 幸太郎とリヌアはバイクから降りて駆け出した。しかしここに駆けつけているのは二人だけではない。

 堪忍袋の緒が切れている人は車を乗り捨てて中枢発電所へと、血相を変えて走っている。

 そんな中で社統部の衣服を着ている二人が目立たないはずがない。

「おい、ノーガンがいるぞ!」

 一人が叫ぶと人々が幸太朗達へと視線を向け、こだまのように連呼して騒ぎ立てる。

 警察組織もニューワールド研究所の隠蔽に加担していたのは明白なのだから、二人も敵として認識されているのだ。

「走るぞリヌア、エアウォークを発動させろ」

そう命令を出すが殺意とも呼べる感情の中を走り切るのは難しい。

 二人は停止している車の間をすり抜けて一直線に発電所を目指すが、一直線の道を走ってるだけだ。周囲から違法カードを使った疑似魔法が容赦なく降り注いでくる。

「サンダーショック!」

「ファイヤーウォール」

 幸太郎が襲ってくる人々を気絶させ、リヌアが炎で道を作る。

 違法カードとグローブ、シューズだけを手に入れ、スーツを着ていない人々はバタバタと倒れていく。

 感電死しようがリヌアの炎に巻き込まれようが、考えている余裕はない。

 殺してでも先に進む。

 それだけが幸太郎を支配していた。

 発電所の周囲では連続した発砲音が響き、至るところから黒い煙が立ち上がっていた。地面には違法カードが散らばり、遠くからは魔法名を叫ぶ声が聞こえてくる。

 発電所はぐるりと金網で囲まれているが、その大きな出入り口の前では銃を持った集団が密集しており、そこに向かって民衆が疑似魔法を放っているのだ。

 そしておおよそ民衆は二つに分かれていた。

 個々人で攻める者と集団で攻めるものだ。

 とくにこの戦いを押しているのは集団で戦っている奴らだった。

「煙幕後にサンダーショックで敵の電気的装備を無力化しろ! エアーシールドは常に貼っておけ! 左右に展開している部隊に通達、三秒後にファイヤーボールで攻撃。三、二、一……撃て!」

 男の声が聞こえたかと思うと、少し離れたところでは。

「前衛はファイヤーボールを連続して打って! その後後衛がエアシールドを展開して前衛の盾に! 一歩前進して! それと救援部隊はいつでも駆けつけられるように気を抜かないで! この調子でどんどん距離を縮めていくよ!」

 女が集団に指示を出していた。

 ほかにも同じような団体が武装集団を攻撃していて、その口調から察するに知り合いのようにも思える。

 これはおそらくゲーム仲間だろう。ネット上で知り合っている者同士がリアルで集まって動いているのだ。

彼らはそれぞれの攻め方を生かして歩を進める。対して、銃を放ち対抗している武装集団は一歩、また一歩と後退している。

 民衆が善戦しているように見えるが、敵はこの国を手中に収めている組織だ。そう簡単にここを落とせるわけがない。

 そして嫌な予感が的中する。後ろから聞こえてくる不規則で不気味な金属音が気になって振り返ると、唇をかんだ。

ここまでの一本道をヒューマノイドが一斉に駆けて来ているのだ。

「背後から新手だ! 街なかのヒューマノイドが向かって来るぞ!」

 別の市民が叫びだし敏感に反応した数百人が陣形を反転して態勢を立て直す。

 その辺の特殊部隊と同等かそれ以上の動きで息が合っているのは感心するしかない。

 だが敵の姿は地上だけにとどまらない。

 いくつものヘリが高速で向かってきているのだ。そしてヒューマノイドよりも空からの攻撃が民衆にとっては厄介だった。

 ヘリから無数の銃弾が降り注ぐとすぐに死体の山が出来上がる。

エアーシールドの効果範囲はスーツを着ている範囲と、顔面の前方部分だけだ。頭頂部までは被えない。

 一矢報いようとファイヤーボールを飛ばしても、さすがに数百メートルも離れている航空機には届かない。スーツにも炎を生成できる限界があるのだから。

「先輩、私たちも足止めを」

「いや、電力を止める。その為にも昭を探してきてくれ」

 予定通りならば昭がここの電力をすべて落としているはずだが、この状況を見る限りでは失敗したか手間取っているかの二択だ。

 幸太朗はアイズで昭への通信を試みた。しかし電源が切ってあるのか、それともこの場所にジャミングが仕掛けられているのかは分からないが通じなかった。

「でもそんな時間ありませんよ! 私たちだけで突破した方がいいと思います!」

 リヌアの言うことはもっともだ。時間は無い。後ろからはヒューマノイドが迫り、前方はまだ武装集団と衝突をしている。

昭から得る情報は発電所内への経路だけだ。

 その重要性と時間を天秤にかけると、幸太朗は小さく頷いた。

「俺達だけで行こう」

 切羽詰まっている状況での判断が正しいのかは分からないが、焦燥が幸太朗の判断を後押しする。

 しかし武装集団の壁は厚い。

 発電所の周りは壁と有刺鉄線でぐるりと三百六十度、囲まれているし隙が無い。二人で突破するとは言ったものの具体的な作戦が立案できるなど到底考えられなかった。

 すると、聞き慣れた声が耳に入ってきた。

「あなた達やっと来たのね」

 そこには全身傷だらけの昭が立っていた。手にした銃は武装集団から奪ったものだろうが、既に弾丸は尽きていて彼女は放り捨てた。

「お、おい大丈夫か? 探してたんだぞ、通信もつながらないしさ」

「そうですよ! てかボロボロじゃないですか」

 幸太郎とリヌアが声を上げると昭は肩をすくめた。

「まあ見ての通りよ。初めはこの集団に紛れて中に入ろうと思っていたのだけど、予想以上に武装集団が厚くて失敗したわ。それに広大な敷地には壁があって到底一人では入れないし」

「それじゃあ、入り口は見つからなかったのか?」

「何言ってるのよ、ちゃんと見つけたわ。でも正面からじゃないけどね」

 昭は得意げに言って見せて首を縦に振った。

「ここの発電所は新設された場所じゃないの。昔の施設をそのまま応用しているのよ。そこで目をつけたのが非常口よ」

 旧施設を少しばかり改築して建てられた発電所には、新旧二つの出入り口が設置されているのだと言う。その際によく使用されるドアはロックも最新型で、銃火器で撃とうとも扉を破る事は出来ない。

 しかし旧施設の非常口だけは違う。

 発電所の地下を通り僅かに離れた所に別の建物があるのだが、ここが非常口の出入り口となっているそうだ。

「扉も以前のままだし、ヒューマノイドが守っているだけよ。突破出来れば中へ入れる可能性があるわ」

「場所は?」

「ここから十分ほど行った場所よ」

 昭が見つめる先は発電所の裏手にある森だ。

三人は警備の固い正面から離れ、戦場を横切って行く。右から流れてくる銃弾が鼻先を霞め、冷や汗が噴き出すも止る事は無い。

武装集団も市民の方ももはや消耗戦になっているが、圧倒的に不利なのは市民の方だろう。後方からヒューマノイドが迫って来て戦力は二分されているのだから。

幸太朗達は血だまりを蹴り、死体を飛び越え、山間部にたどり着くと目的地へと続く細く整備されていない道へと足を踏み入れた。

昭を先頭にして木々の間を縫いながら前進していく。後方から聞こえてきた銃声が僅かに遠くなり、乾いた土の臭いが強くなった。

しばらく走ると、昭が足を止める。

「あれよ」

 見えたのは小さい真四角のコンクリート作りの建物だ。何の飾り気も無くて、ただ役割を果たすためだけの建造物。

 近づくと三人の足音を捉えたのか、扉の前にいた二体のヒューマノイドの目が光り動き出す。

いや、それだけじゃない。幸太郎たちがここにたどり着くと予想していた人物が一人立ちふさがった。

「遅かったな」

 幸太朗とリヌアの直属の上司であり、元自衛隊員の春一までもが姿を見せたのだ。

「旧発電所の入り口について知っているのは電力会社かここの建設会社くらいなもんだと普通は考える。けれど、警察の捜査で来たことのある及川なら別だよな。ここに来ると思っていたぜ」

 先回りされていた、しかしそれに臆することなく先手を打ったのはリヌアだった。

エアウォークを発動させると一気に間合いを詰める。

「はああッ!」

 脳天めがけての踵落としをフェイントとして、すぐに体制を低くし下から上へと蹴りを放った。

「遅い」

 春一は顔色一つ変えずにリヌアの蹴りをかわすと、その足を掴み放り投げた。

 クルクルと起用に回ってリヌアは着地するもがっくりと膝をついて苦い顔をする。

「足首が……」

 投げられると同時に捻られたのだろう。

「お前たちの野望もここまでだ。大人しくしろ」

「あんたも、因子の持ち主かも知れないって考えなかったのか?」

 キュアライフが狙う因子は未だに謎が多い。特定されている者は既にその命を握られている。

 いや、特定されていなくても持っている可能性はあるのだ。あのリストに表示されていた人間よりももっと多くの人々が対象になっていることはまちがいなかった。その中に春一も含まれていると考えはしなかったのだろうか。

「ふん、その辺は大丈夫だ。なんせ俺達はキュアライフの摂取してねえからな」

「は?」

 一瞬だけ、幸太朗の脳内が白紙になる。

「当り前だろう。死ぬかもしれない物を飲むなんて普通じゃあないからな」

 その普通じゃない事をこの国の人々はやってきたのだ。健康維持と促進、病気の予防を売りにして国営事業として拡大させ、接種を義務づけた。

 こくみん健康委員はキュアライフを改良するごとに大々的に告知し、国の直轄機関である公正情報管理局も、接種内容に関しては判を押していた。

 そんなことをやっておきながら、当の本人たちは摂取していなかったのだ。

「お前たちはどこまで卑怯な奴らなんだ!」

「しるかそんなもん。俺はこの安定を維持する義務があるんだよ」

「義務だと?」

「ああそうだ。俺は自衛隊員を辞めた後世界を飛び回ったけどな……悲惨だったよ。下水処理の出来ない地域は水汲み場に糞が沈んでる。内戦じゃあ子供が銃を持って日々練習してんだぜ? 炊き出しに群がる奴らはその場で喧嘩してしまいにゃ殺し合いにまでなる」

 そこで春一は過去を吐き捨てる様なため息を一つついて眉根をつりあげた。

「この国はそんなことになっちゃいけねえ。誰もが安定を保つために、社会を維持するために生きなくちゃならねえんだよ。非協調性発現因子を持つ人間を取り除くのは当たり前のことだ! そうしてこの国は長く続いていける!」

 春一の声に、しかし幸太朗は首を横に振った。

「違う! それは絶対に間違っている! 社会を保つために人間を殺すなんてことは間違っている!」

 激高した幸太朗は太ももにあるカードを引き抜いてグローブにセットする。体を僅かに浮かせるエアウォークを発動させた。春一かばう様にして二対のヒューマノイドが立つ。

「そいつらは任せなさい!」

 激しい銃声が鳴り数多の銃弾が幸太朗の横を霞めて追い抜いて行く。

 二体のヒューマノイドの胸元にいくつも穴が開くと、痙攣しながらその場に倒れ込んだ。

 だが、重要な個所を外したのか、ゆらりと二体は起き上がってくる。

「分かった。任せたぞ」

 小さな声で呟くとそれが聞こえたのかは分からないが、昭は大きく頷いた。

「先輩、先手を打ちます!」

「リヌア、お前足はいいのか?」

 まだふら付いている後輩の姿を捉えたが、その目は死んでいなかった。

「なんとか……そんなことよりも。ファイヤーボール!」

 的確にリヌアの放った疑似魔法が春一に向かうが、敵はあらかじめ発動していたエアーシールドに守られていて編然としていた。

「ファイヤーウォール」

 低い声音と共に幸太朗の眼の前に炎の壁が出来上がるが、これでは向こうも見えていないはずだ。

 お互いに敵の配置が見えないが。

「サンダーショック」

 続けざまに春一は疑似魔法を発動させ、それをヒューマノイドに当てた。

 一度だけ体を跳ねさせたヒューマノイドは動きが別物になるが、それだけじゃない。発声機能を利用して聞きたくなかった声が出てくる。

「ようやく追い詰めましたよ、手間をかけさせてくれますね」

 公正情報管理局の上塗愛子だ。少しばかり嬉しそうに聞こえるのは気のせいじゃない。

「死神っていうかそれよりもたちが悪そうだ。ここで死んだ人たちの情報も書き換えそうだな」

「それはそうでしょう。こんな事件を後世に残してはいけません。あらゆる記憶媒体、サーバー内から完全に削除します」

 自然記憶領域は当てにならない。年月が経てばいつかは忘れてしまう。

「知らなければ思い出しようはありません。行動の仕方も、結末も、そしてここまでたどり着き、私たちの計画を知った事さえも全て……皆忘れるでしょう」

「けれど、大切な記憶は絶対に、ここにある。自然記憶領域にこそ、とどめておかないといけないんだ」

「まだそんなことを言っているのですか……愚かなことです」

 ゆらりとヒューマノイドが体を前に倒し四つん這いになると、そのまま二体とも幸太朗の方へと走ってきた。

 昭の射撃が幸太朗の横を駆け抜けるが、機械は最新機種にアップグレードしたかのような動きを見せた。

「なッ! そんな動きが!」

 二つの的は大きく跳躍し、鋭利な爪を指先からだして木々に張り付いた。

 かさかさと虫の様に動き回り、昭の射撃を回避しながら迫ってくる姿は見ているだけで鳥肌が立ちそうだ。

 戦争映画の様に銃をぶっ放す昭だが、その攻撃がヒットしても敵は僅かに動きを止めるだけだった。

「昭さん! 私が一体相手します!」

「分かったわリヌアちゃん。右の奴をお願い!」

「はい!」

 リヌアは木々を飛び移るヒューマノイドに狙いを定めた。疑似魔法を放つ。

 幸太朗は二体を視界の外に出すと、消えた炎の壁から姿を現した敵を睨みつける。

 春一に投げかける言葉はもうない。二人の意見はどこまで行っても並行なのだ。

「ファイヤーボール」

「サンダーショック」

 同時に疑似魔法が放たれ炎と雷がぶつかり合い、乾いた土が巻き上がる。

 二人ともエアウォークを発動させ、互いの姿をその眼差しに捉えながら疑似魔法を打ちあう。その動きは相手を知っているからこその動きだ。

 魔法が衝突し、二人は木々の間に一瞬だけ隠れては再び姿を現し魔法を放った。

 幸太朗はリヌアと昭の方を一瞥したが、ヒューマノイドの動きに良く着いて行っている。しかし拮抗しているのも時間の問題だろう。

 耳に聞こえてくるのは機械の足が駆けてくる音だ。土を蹴って大勢がこちらへと向かってきている。

 まあ、応援を呼んでいない事は無いだろうが、これ以上あんなヒューマノイドが増えたら勝てる見込みなんて無くなる。

 幸太朗は疑似魔法の打ち合いから格闘にスタイルを変更する。

「焦っているのか刈白?」

 早期決着にしようとしていることを読まれている。

 エアウォークを発動させ春一に接近をすると拳を叩きこんだが、その手は既に読まれていた。

「諦めろ、刈白。もうすぐヒューマノイドの大群が来る。それに……」

「電波波長の準備はもうすぐよ。これで因子を持つ人間を一掃できるわ」

 春一の後を引き継いだのは愛子だ。ということは既に発電所の中にはいるのだろう。

 しかしそんなことはさせない。

 幸太朗は大きく息を吐き出して、目の前にいる春一に迫った。

「はあッ!」

 渾身の一撃を放ち、春一のガードの上から殴りつける。そして、同時にファイヤーボールを放った。

「ぐああぁッ!」

 敵の顔面に放った炎が爆ぜると同時に素早くボディに一撃を入れてやる。続いて、くの字になった相手の頭部に膝をおみまいしてやった。

「が……あッ!」

 春一はその場に倒れ込み、鼻頭を抑えるとゆっくりと顔を上げて幸太朗を睨みつけた。

「秩序を守るためにお前は警察に入ったんだろう、何故こんな事を……」

「お前たちがやっていたのは支配だ。人間を家畜の様に生産し、そして騙しながら生きながらえさせる」

 そんなものに力を貸すために警察に入ったのではない。

「そうしないとこの国は終わっていた! 人口は減り、旧市街の様な暗い街が増えることは間違いなかった。それを止めたんだ俺達は!」

 旧市街……浮浪者がうろつき、巡回ドローンの監視からも見放された場所。そこには生きる希望も未来さえも無かった。

 確かに過去の資料を漁ると人口減少のグラフがわんさかと出てくる。一度滅びに向かったのは間違いなかった。

「我々は救世主なのだ! たとえなんと言われようとこの国を亡びから救った……」

 そこで春一の背後から、疑似魔法、サンダーショックがヒットし、無数の銃弾が体に穴を穿つ。

 春一の後ろにはいつの間にか二体のヒューマノイドの掃除をし終えたリヌアと昭が、肩で息をしながら立っていた。

「先輩、もう行きましょう」

「そうね。話を聞いている時間は無いわ」

 幸太郎はピクリとも動かない上司を一瞥して視線をあげる。

「ああ、いくぞ」

 幸太朗の声に二人は頷く。

 掃除用具小屋みたいな古びた建物の中に入ると、地下へと続く階段が口を開けていた。乾いた風が頬を撫でて、微かな機械音が聞こえてくる。

 一段降りるとセンサーが作動して壁の灯りがつく。

 三人は急ぎ足で下ると、数分もしないうちにまっすぐな廊下へとたどり着いた。そして五十メートルほど離れた場所に扉が見えている。

 もう三人とも考えていることは一緒だ。誰が合図せずとも一直線に走り出す。

「あの扉は開けられるのか?」

「ええ。旧施設の時のままだから大丈夫よ」

 幸太朗はエアウォークを発動させ長い助走をつけると、古びた鉄ドアに蹴りを入れた。さびれた蝶番がギリリとねじれて、その限界がすぐに頂点に達すると衝撃を抑えきれなくなる。

 鈍い音を立てて吹き飛んだドアの向こう側にはシンプルな世界が広がっていた。真っ白な部屋の中央に一本の銀色の鉄柱が天井を突き抜けて通っているだけだが、ここの役割は格変電施設に電波を飛ばす事も担っている。

 構造は簡単すぎるが、部屋の広さは尋常じゃないくらいに広い。

 幸太朗はぐるりと周囲に目を走らせると、ここにいるのが自分達だけじゃない事に気が付いた。

 鉄柱の向こう側にはコントロールパネルがいくつも並び、そのホログラムの前に二人の人物が座っている。

 キュアライフを製造した永久歩と変死体事件の情報を操作した上塗愛子だ。

「意外に早かったですね」

「オズを殺した所までは褒められたのですが、その後が問題でしたね」

 三人が目の前にいると言うのに全く緊張の色を出さない二人は、聞き込みで尋ねた時と同じような表情を見せた。

 コントロールホログラムの前に座っている彼女達は、立ち上がり、幸太朗と視線を交差させる。

 幸太朗とリヌア、昭はそれぞれの得物を手にしたが、相手の握っている物はそんな生易しいものでは無かった。

「それは……?」

 幸太朗が肩眉を上げて問うと、試験管に入った緑色の液体を顏の前にまで持ってきた愛子は表情一つ変えずに口を開いた。

「これは新しいキュアライフです。たった今完成し、キュアライフの製造工程に組み込まれています」

「まだそんなことを考えて」

「ただし、全国民に対応できるものを加えています。この意味がお分かりですか?」

 そう、この騒動を現在のキュアライフで押えたとしても、非協調性因子を持たない者は抑制することが出来ない。

 ではどうするのが最適なのか……彼女達は一つの答えに達したのである。

「そんなことをすればどうなるのか分かっているのか?」

 しかしそんなことは百も承知なのだろう。だからこそそんな代物を作ったのだ。

「先輩、あんなの無茶苦茶ですよ……全国民に毒を飲ませておくってことですよね」

「銃なら直ぐに仕留められるわ」

 カードを構えたリヌアと照準を定めた昭。だが、奴らは向かってくる気配なんかない。

「我々の失敗は人選をしたことでした。おかげで完全にこの暴動を抑えきれなかった」

 しかし奴らが持っている物はそれを可能にする。

 暴動が起きた際に、一部だけを鎮めるのではなくて、全てを一斉に終わらせることができるのだ。

「ですから、私たちはすぐに方向転換をしたのです」

「方向転換? どういうことだ」

 幸太郎が声を上げると。

「刈白幸太朗。貴方に託します。製薬データはすべて保存してありますし、材料さえそろえば小学生にだって作れるでしょう」

「いまあの電波を流す準備はすでにできています。しかしそれは行いません。刈白さんにはここまでのことを引き起こした責任を負ってもらいます」

「何を言っている……」

 愛子と歩は懐から小さな小銃を取り出すと、銃口を自身の頭に向けた。

 二人の瞳が僅かに揺れ一瞬の躊躇が見えた。

 小さく息を吐いた彼女達は目を見開き、同時に人差し指に力を入れた。

 パンッ!

 と乾いた音が響き鮮血を床にまきちらして目の前の二人は倒れる。

 昭が構えていた銃を降ろすと短いため息を吐く。死体に近づいて二人を見下ろし、それから地面に転がっている新しいキュアライフへ視線を移した。

「外はもう止められないわ。私たちが防ぎたかった事態を止められなかった……」

 あの事件の再来を引き犯さないために活動してきた幸太朗としては、反論できない。

 外から聞こえてくる戦争映画の様なド派手な音が近づいてくる。あれだけのヒューマノイドを投入しても市民たちは突き進んでいるようだ。ここに到達するのも時間の問題だろう。

「ともかく、まずは……」

 幸太朗はコントロールホログラムに目を通し、発動直前だったニューワールド研究所の計画を全てストップさせた。

 同時に発電所内のスピーカー音量を上げると、首謀者二人を倒したことを告げ、特定波長の電波を止めたことを発表した。


 数年後。あの時の面影はまだ街中に残っているものの、殆どの国民が普通の生活に戻っていた。

 荒らされた建築物の修復と、街に散らばった人の内臓の片付けが一番時間がかかったという統計が出ていたのは記憶に新しい。

 国の信頼は失墜し、以前よりも増して国民の目が入るようになった。全ての情報公開が義務付けられ、キュアライフの成分に関しても民間の製薬会社が成分分析の調査を行った。

 より多角的な方向から情報はアプローチされ、それを皆が監視する。

「オズが望んだ世界になったんでしょうか?」

「さあな」

 分かるはずもない。職務適正統計グラフは廃止されずにまだ使われているし、疑似魔法はあれから大幅に使用制限がされた。

 変わったのはこの国の人々の情報に対する意識とそしてキュアライフだけだ。

 旧キュアライフの製造は完全にストップし、接種拒否が国民に蔓延するのは早かった。

 だが健康を外に委託していた人々はもはや、自身の体のことについて管理することが難しくなっていた。

 だから、これから先もずっとこの、緑色に輝いているキュアライフを飲むことはやめられないはずだ。

「あの事件は起こさない」

「ですね。もう私は正直関わりたくないですよ。もし今度起ったら、どこか山奥にでも逃げて治まるのをまちますよ」

 あの地獄を体験したのならそう思ってしまうのもやむを得ない。

 リヌアが大きなため息をつくと、後ろから聞き慣れた声が耳に入ってきた。

「そんな所で何しているのかしら?」

「昭か。別に何もしてねえよ。ちょっと昔のことを思い出していただけだ」

「ま、何のことか分かるけれど」

 昭が隣に並ぶと三人は高層ビルの下に広がる光を瞳に映した。

 人々は流れる。まるで潤滑油の様に社会を回すために動いて行く。表面だけ見れば依然と何も変わらないだろうが、おそらく内面ではあの事件をきっかけに何かが変わったはずだ。

「そう言えば記録の方はどうなっている?」

「順調に削除が続いているわ。現在確認されている『ニューワールド研究所』を含む単語は二千四十個、数年前の事件に関する単語を含めると一万」

「それでも一万か。でもまあ完全に消えるのももうすぐだな」

 脳内チップ記憶領域からはすでにあの反乱の検索はほぼ不可能となっている。そして関連する言葉も随時削除している。

 時代と共に、皆忘れていく。

 大切な記録はデータ上に残さない。忘れてはいけない意志と共に自然記憶領域にあるべきものだ。

 毎日毎日、あの事件の事が削除されていないか監視している奴もいたようだけど、僅か数日でそれを止めてしまった。

 それに加えて検索数も日に日に減っていっている。おかげで無作為に削除しても誰も気が付かない。

「そうね。計算ではあと三カ月ほどで、情報は完全に消えるわ。でもよかったの?」

「ああ、別にいいさ。今度こそあんな事件は絶対に起こさない」

 あの後、国内の放送局で生中継を行った。荒れている民衆はついにニューワールド研究所の魔の手から逃れたと思って暴動は収まり、それから復興が始まったのだ。

 しかし終わらせるだけではダメだ。同じような事が起った際には素早く収束させて、次につなげる必要がある。

 眼下に賑わう人ごみをから目を反らして幸太朗は踵を返すと、その胸元に光るバッジが一度きらりと輝く。

「ニューワールドはこれから始まる。秩序の為だ、仕方ないけど皆にはあの事件のことを忘れてもらおう」

 幸太朗はその決意を確かめるようにして胸元の『ザ・ニューワールド』と表記されたバッジに手を当てた。

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ザ・ニューワールド 桜松カエデ @aktukiyozora

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