第10話【LOVERS ONLY番外編Ⅱ】
【ロンドン美術館へようこそⅡ】
ギャラリーにも時代の波は押し寄せる。
外観だけでなく美術館の内装も無駄を廃し、シンプルさが近代的な美とされた時代。
美術館の壁には、展示作品の作者の名前だけが書かれている。そんな時代もあった。
「過剰に感傷的で悪しき懐古主義」
20世紀になると、ヴィクリア朝後期のインテリアは評論家から批難される対象になった。ギャラリー思惑はそれとも違っていた。
老朽化を待たずして幾度も改修が成された。
一度完成した絵を塗り潰すように。
この美術館そのものが、古典的な建造物が建ち並ぶロンドンの歴史の中にあって、永遠に完成しない絵画のようだとも称される。
彗や榎本たちが此処を訪れた2005年以降。その時でさえ。ギャラリーの大胆な外観工事が計画され。静かに改築は始まっていた。
創造と破壊は常に繰り返されている。
普遍不滅は展示された絵画のみ。
「さす英国!パンクな美術館だ!」
「お前まさか・・それでそのなりか!?」
「パンクでもありプログレでもある」
「美の殿堂たる美術館のあるべき姿」
その模索と探求こそが遺された伝統だった
バリールーム呼ばれる独特のギャラリー。
他の美術館とは明らかに違って見える構造。
それは建物の外観からはわからない。
その時代。内装を手掛けたのはインテリア デザイナー のジョン デイプリ クレイス。
彼が描いたエントランスホールの天井画は、1916年に館長に就任したチャールズ ホームズ により「美術館にそぐわない」という理由から白い塗料で塗りつぶされた。
「白く塗れ!」
「ああ!確かにそう言ったべな!」
「ミック ジャガー館長が?」
「ノット サティスファクションだべ!」
「いいねえ・・榎本君!」
エントランスホール南側の壁に描かれる予定だったフレスコ画は未だ完成していない。
現在のその壁には、フレデリック レイトン が所有していた、ゴシック期イタリア人画家チマブーエの絵画が1990年代から王室コレクションより貸与されて飾られている。
1928年から1952年にかけて設計された、エントランス ホールの床は、ギャラリーに招かれたロシア人芸術家ポリス アンレプ が制作したモザイクに敷き替えられた。
これはアルバート記念碑に施された凝ったパルナッソス フリーズ に代表されるような、建築物の装飾における19世紀の伝統的慣例への強烈なアンチ テーゼでもあった。
【ミューズの目覚め】
アールヌーボーの時代のミイシャの女神を思い描く人も中にはいるだろう。
しかしそこ描かれたのは、古い教会に据えられたような宗教的なモチーフではなかった。
本来、美の女神のいるモザイクの中心には、イギリス人女流作家ヴァージニア ウルフ 、そしてグレタ ガルボの肖像が置かれた。
アンレプはキリスト教的七つの美徳に代わる自身が考える「現代の美徳」を描き出した。
それは「ユーモア」であり「偏見のない広い心」であり。そうして現代のミューズを囲むようにして、ウィンストン チャーチル、バートランド ラッセル T・S・エリオットらの肖像が配置された。新たなる寓意をそこに。
そんな意図が込められている。
「俺様のような、天才の前にもそろそろ現れていい頃なんだけどなあ」
「へ?なにが?」
「真の芸術家だけに優しく頬笑む・・美の女神ミューズ?誰か知らない?」
「まず・・その性格だと彼女も難しいべ!」
ここはロンドン市街の中心地。
トラファルガー広場。
「歴史的な絵画を通じて、次世代の芸術家を育てる。真の美術の神殿の建設」
かつてそう唱えたのは、建築家のウイリアム ウィルキンソンだった。
彼は用地の選定から、ギャラリー建設のコンぺティションの段階に関わった人物だ。
その手腕をかわれて設計者に抜擢された。
彼が設計し完成させた初代ギャラリー。
「完全なる失敗作」
国民の誰一人が満足しなかった。
ギャラリーの評価は散々だった。
イギリス国王となったウィリアム4世は、
完成したギャラリーを見て言った。
「薄汚く、小さく、狭苦しい穴ぐら」
そんな記録が残されている。
「ちっぽけなジン売り場」
そう書き残したのは小説家サッカレーだ。
正面玄関は胡椒壺と呼ばれたこともある。
穴ぐら、ジン売り場、胡椒壺。
何れも美術館らしくない。
それだけは確かだった。
ウイリアム ウィルキンソン時代。
彼の唱えた理念だけ美術館に残った。
手掛けた痕跡は波に浚われたよう。
今は何も残っていない。
チャリング クロス王室厩舎跡の広場。
かつてここはその名称で呼ばれていた。
現在のトラファルガー広場である。
そこにナショナル ギャラリーを建設する。
発案は、当時の摂政王太子。
後の国王ジョージ4世からなされた。
【王室厩舎跡を再開発する】
それよりギャラリーの歴史は始まった。
コンペティションへの参加を命じられたのは、ジョン ナッシュという建築士だった。
当時は広場の中心部にパルテノン神殿を模したロイヤル アカデミー オブ アーツが建てられていた。
しかし、景気後退の煽りもあって。
この構想は呆気なく頓挫した。
それでもコンペティション自体は1831年まで継続された。ナッシュはチャールズ ロバート コックレル を副建築士として、作成した設計書を議会に提出した。
しかし当時のナッシュの名声は著しく低下しており、ナショナル ギャラリーの設計は、ウィリアム ウィルキンス に委ねられることになる。ウィルキンスは、建設用地の選定に関与しており、コンペティションの最後に数枚のドローイングを提出した建築家だった。
彼のプレゼンと、仕事ぶりが高く評価されての抜擢登用となった。
異例の抜擢を受けた彼は、ギャラリー建設に精力と熱意を持って臨んだと言われている。
しかし着工後、すぐに極度の資金不足による数々の妥協を余儀なくされた。
結果、完成したギャラリーは、全ての点に於いて、完全なる失敗作の烙印を捺された。
完成の2年も前から不評が伝えられ、以後ギャラリーに憑き纏う、数々の不名誉な呼名だけが、雑誌や新聞に掲載された。
ネオ ゴシック建築家オーガスタス ピュージンはそれらを総括して。
「古典建築の堕落」
そう紹介したことが尚悪評に拍車をかけた。
「ほんと・・イギリス人って、悪口や皮肉のボキャブラリーが豊富だな!」
マスコミや批評家は特に辛辣だ。
「過去の美術館の悪口や例えなら、この榎本ガイドを見ればいくらでも書いてあるべ」
「美術館というより悪口のデパートだな!」
「だべ!」
榎本は頷いた。
榎本を「厚木の元ヤン」といつもバカにする彗だが実は一目置いていた。
「才能があるから奨学金も免除になった」
そんな彗の噂を聞けば、本来なら学内でも畏敬の眼差しで見られてもおかしくなかった。
しかし美術の才能は、智識や設問の正解不正解で評価されるものではない。
実際、彗の作品を目の当たりにすれば。
それを思い知らされる。
ただ否定するのも簡単なことだった。
まして人におもねることのない性格。
大学内でも話をするのは榎本だけだった。
彗は心のどこかで、同期の榎本に一目置いていた。この美術館にしろ、その成立ちから調べれば、かなり興味深い論文となるはずた。
榎本は自分と違って講義にもちゃんと出席して、どんなことでも几帳面に記録した。
榎本が手にしているお手製ガイドの【龍怒阿雲制覇】の中身を見れば、彼が繊細な芸術家肌であることが見て取れるだろう。
「倫敦って漢字あるよな・・確か」
「龍怒阿雲!」
「ロンだうん!って・・麻雀みてえ」
改造車や改造バイク、ヤン文字をデフォルメした絵画は周囲に理解されず時にはネタにもされた。しかし彗は榎本の絵が好きだった。
自分には描けない。描きたくないが。
榎本なら将来優れた研究者や美術を教える教師になるやもしれない。知らんけど。
でもそれでいいのか。
「俺たちは、絵描きになるために、この大学に入ったんじゃないのか?」
彗は言葉を噛み殺した。
ギャラリーの改修増設には、多くの名だたる建築家たちが関わるも、国民だけでなく、職員、批評家や報道媒体、王室さえも落胆失望させる歴史を繰り返すことになる。
美の殿堂たるに相応しい美術館の建設。
掲げられた。この命題への模索。
それ故に理想の追求は、外観や内装の整備だけに留まることなく。現在も終わりはない。
黎明期、このギャラリーの特に問題点とされたのは、広場の限られた面積だった。
そのため展示室は一列しか作ることが出来ず、ギャラリーのすぐ裏手には既に、救貧院と軍隊の兵舎が存在していた。
致命的な立地条件の悪さ。
そして、これら異なる施設へ向かう公衆通行権はギャラリー敷地内に設置されていた。
これも長年の仇となった。
当時は、ファサード東西両側のポルチコの利用者が、かなりの割合を占めていたことも、館の抱える大きな問題だった。
ギャラリーの利用者と、他の施設の利用者の流れを分けるため、以前移設のため取り壊されていたカールトン ハウス に使われていた列柱を流用することにした。
本来ポルチコに使用されていた列柱とは様式が全く異なる柱を流用したのだ。これは、ギャラリーの評価を更に下げる結果となった。
広場北部でもっとも荘厳華麗であり、中核を成す象徴的建築物の建設という、当初の目標とは全くかけ離れたものとなってしまった。
また、ファサードの装飾に使用されていた彫刻も、他から流用されたものだった。
もともとはナッシュがデザインした大理石の凱旋門マーブル アーチ に使用される予定であったものが、経済的な問題で使われず、そのまま放棄されていた彫刻だった。
またギャラリー西半分はロイヤル アカデミー オブ アーツが使用しており、面積に余裕のないギャラリーをさらに手狭にしていた。
ギャラリーの施設は、1868年までロイヤル アカデミー オブ アーツとの共有が続いた。
「最初ここが出来たばかりの時は、国立美術館なんて呼べる代物じゃなかったんだと」
「金もなくて廃材とか、俺ら美大生が課題仕上げんのにゴミストあさってんのと、大して変わんねえじゃん!」
「まあ・・それは否定はしねえべ」
「そっちも面白そうだ!見てみたいな!」
「田崎ならそう言うべなあ」
20世紀の建築史家ジョン サミュエルソン は、当時のギャラリーについて、先人たちの意見に大いに賛意を示す文書を残している。
彼は、ギャラリーの半円形のドームと、屋根の輪郭線に沿った2本の小さな小塔との配置を「暖炉に置かれた時計と花瓶で、まったく何の役にも立っていない」と酷評した。
そんな中で、もはや地に落ちたギャラリーの評判と、広場の改修を任された建築家たちの中に、チャールズ バリーがいた。
チャールズ バリー は、現存するギャラリーの重要な改修に関わった建築家の1人だ。
彼が、1840年から開始した美術館と、トラファルガー広場全体の改造案。
その中には、ギャラリーの北側テラス改築が含まれていた。まずは不評の原因の1つの解決を優先事項として、ギャラリーの評価を高めようとする意図があった。
1894年にチャールズ王太子は、当時のウィルキンス設計のファサードと、この時提案された増築計画書に目を遠した。
後のセインズベリ棟のデザインと対比して。
「親愛なる優雅な友人」
そう語ったことで、それまでのギャラリーの悪評は大いに緩和されることとなった。
彼は、構想として、4つのドームを持つ、大規模な古典的様式の建物にギャラリーを建て直すという設計案を出した。
しかしその構想は受け入れられなかった。
その設計案を見た当時の評論家たちは。
「セント ポール大聖堂の悪しき盗用」
そんな激しい非難を一斉に浴びせた。
「イギリス人うっるせえ~箱物なんて整ってりゃいいじゃん!?問題は中身よ!中の絵!」
「まあ、批評が好きなお国柄だから・・ビートルズやクイーンのアルバムだって発売当時は褒めたられたことがないって話だべ」
「なあ榎本」
「一応年上・・なんだへだけど」
不意に彗は言った。
「変わらねえって人に怒られるのと、変わってんじゃねえ!?って人に怒られるのと・・お前ならどっちがいい?どっちを選ぶ?」
彗の質問や言葉はいつも唐突だ。
「ええ!?ええと・・」
榎本は足を止めて考えあぐねた。
そんな時も彗は、榎本を置いて、前をすたすた歩いて行く。答えなんて聞きはしない。
田崎彗はそんなやつだ。榎本はそれをよく知っている。文句をいいつつ追いかけた。
1872年 から1876年にかけて増設された、バリー ルームは、設計者である建築家の名を冠した名称で呼ばれている。
この年からの改修後、バリールームは美術館のその後の展示室の礎となった。
ギャラリーがまず最初に増改築されたのは1860年から1861年にかけてで、建築家ジェームズ ペネソーン による改築だった。
その中のメンバーにも、チャールズバリー名前は既にあった。
この時は、ウィルキンスの設計よりもさらに凝った華美な装飾がなされた。
しかし装飾が増えた分、改築前のエントランス ホールに比べ、閉塞感が増したことで、よりいっそう悪化してしまった。
「この際だから既存のギャラリーを取壊し、完全に建てかえてはどうだろうか?」
そんな計画さえ持ち上がった。
「環境のいい、ケンジントンの、収容能力が高い施設にギャラリーを移設してはどうか」
そんな提案もあった。
そんな中で、1867年にチャールズ バリーから仕事を引き継いだのは息子の建築家エドワード ミドルトン バリー だった。
ギャラリーとバリーにとって幸運なことに、建物の背後にあった救貧院が、取り壊されることとなった。そのおかげで、美術館を増築する建設用地に、かなりの余裕が生まれた。
そしてバリーは、いよいよ1872年から1876年にかけて、最初の大規模なギャラリーの増改築を担当することになった。
内装は、全体的に色鮮やかな新ルネサンス様式でデザインが統一された。
それは現在でもバリー ルームと呼ばれている。大きな八角形の部屋を中心とした、ギリシア十字を模した設計となっている。
バリーの増築は悪評高きウィルキンス設計のギャラリーを補うことに成功したと言える。
しかし、そこで働くナショナル ギャラリーの職員たちからの評価は不評だった。
壮大な外観はギャラリー本来の目的である【あくまでも絵画を展示する場所】という美術館の理念とは相入れぬものだった。
さらに、贅沢に室内を飾り立てることが、将来の絵画購入資金を圧迫すると考えられた。
例えば、15世紀から16世紀のイタリア絵画が展示されていた当時のルームの天井には、装飾や天井画はなかった。
ただ、19世紀のイギリス人芸術家たちの名前が彫られただけの簡素なものだった。
数々の不評もあった。しかしバリー ルームはギャラリーの展示計画の中心となった。
建築家バリーの遺したデザインは、その後、数世紀にわたるギャラリー増改築の際に踏襲され続けることになった。
今彗や榎本たちがいる場所がそれだ。
その結果、英国 ナショナル ギャラリーは、戦乱や混迷の後に訪れる、静けさにも似た、調和のとれたデザインを獲得するに至った。
そんなこんなで目の前の階段を登る。
メインギャラリーは2階にある。
英国式と呼ばれる独特の階段。
それは昔から変わらないものだ。
彗と榎本は、教授やゼミの先輩方の後についてその段に足をかけた。
一歩また一歩と階段を登った。
「いい匂いだ」
彗はそう呟いた。
ここには都心や自然の中とは違う。
微かだが独特の香りがする場所だ
その香りに触れると何故か心が安らいだ。
想像の中のロンドン市街は霧の中で。
いざ訪れてみたら空は快晴だった。
靄っていたのは自分の心だ。
素直な心がそう呟いた。
この香り漂う空気の中にいると。
そんな靄もすぐに消えていく。
そんな気がした。
「匂い?はて?おや?なんだべ!?エスプレッソ?それともパンケーキ・・」
彗の横で榎本が鼻をひくつかせた。
「この匂いがわかるのか?」
隣にいた岩倉教授が彗に言った。
「またテストですか?」
「それが仕事だ」
美術館には他とは違う香りがある。
古い絵具、絵画の表面についた油脂や埃、それらの汚れ取り除くための溶剤の香り。
博物館ならそれに石膏や他にも様々な香りが混じる。しかしここは絵画専門の美術館だ。
「スカラベ」
彗は適当に答えた。
その時頭に浮かんだ。
適当な答えだった。
「なるほど・・当たらずもだ」
教授は口元を緩めて言った。
「これはワニスの芳香だ」
ワニスとは、絵画の額縁の劣化を防ぐために塗る樹脂にオイルを混ぜたものだ。
ここでは描画ワニスと呼んでいる。
油絵の具を溶くために。
絵画に光沢を出すために。
額縁の保護や絵画を決着させるため。
用途に合わせて絵師はワニスを調合した。
今は香りも殆どない、便利な水溶性のワニスが簡単に手に入る時代だ。
100年200年・・時を経て大気に溶け出す琥珀。
密やかに、中世の森林の奥の樹木より滲み出す。噎せ返る樹液の濃密さを孕んでいた。
それこそダ・ヴィンチの時代。
何世紀も昔からだ。
普通は美術館を訪れても匂いはない。
まして世紀の経年を経たオイルなど。
嗅ぎ分けることなど難しいだろう。
しかし此処は絵画修復のための美術館。
そして17世紀18世紀19世紀の絵画が並ぶ。
それは美術館が定めた絵画の黄金時代だ。
ここで再現修復されるは、なにも絵画ばかりではない。描かれ、初めてカンバスから額縁に飾られた絵画たち。その場所その時と、まったく同じ材質の樹木から調合された。
補修された額縁とワニスだった。
けして変わらぬ。変えさせぬものはそこに。
「甲虫とはとんだ発想だが・・面白い!田崎お前は面白いことを言う!」
「先生はおわかりになるんですねえ~」
「これでもお前たちの教師だ」
「それに」
珍しく岩倉教授は言葉を続けた。
「これでもまだ絵描きのつもりだ」
「先生の絵が好きでした」
思い浮かんでも言わぬ言葉もある。
それはこの場所がそうさせたものか。
その時まだ彼は青年だった。
「ふいに現れる」
「へ?」
「ふいに現れて消える。虫みたいなものだ!田崎、お前の絵も言葉も発想も!それでは世間に通用はせんよ!田崎お前は虫だ!」
「ぷぷぷ・・虫だべさ!」
「やっぱこのおっさん虫がすかねえ!」
「虫だけに・・だべ?」
「いや・・俺様はそんなダジャレみたいな、オッサンくさいことはけして・・虫って!」
現在のギャラリーの建物は3代目となる。1832年から1838年にかけて建築家ウィリアム ウィルキンス がデザインした。
その後ナショナル ギャラリーは少しずつ改修に伴い拡張され姿を変えた。
現在では唯一当時の面影を残すのは、トラファルガー広場に面するファサードだけだ。
1991年に西側に増築されたロバート ヴェンチューリとデニス スコット ブラウン の設計によるセインズベリー棟はイギリスを代表するポストモダン建築とされている。
バリールーム完成後更なる調和が考慮され、中央ギャラリーよりセインズベリー棟まで続く回廊イーストウイングが増設された。
その後、拡張工事により、建物の西側までのウェスト ウイングが追加増設された。
これによりギャラリーは、ようやく静謐な、美と調和と安定を手にすることになった。
建物の外観を見るだけではわからない。
正面玄関の扉を潜りエントラスからメインギャラリーのある2階に上がる。
バーン オウルは和名メンフクロウ。
ブラックバードはクロウタドリ。
ブルー ティット・・アオガラ。
ヘン ハリヤーはハイイロチュウヒ。
忘れちゃならない!キングフィッシャー!
ミュート スワンはコブハクチョウ。
それからそれから・・ヨーロッパコマドリのロビン!本命中の大本命だ!
さてこの中で英国の国鳥はどれ?
六角形のルームと左右に広がる回廊。
この美術館のメインギャラリー。
その構造は翼を広げた鳥の姿に似ていた。
変わらぬものはそこにある。
階段を登る巡礼者たちの足もとは覚束無い。
間違って教授の前を歩いてはいけない。
誰に言われたわけではないが。
多分それで正解だ。
足を踏み外さないように注意深く。
これまで通り。これまで通りに。
そんな学生たちの口からも、つい押えきれず小鳥の囀りのような囁きが洩れる。
「マチス・・ゴッホ」
「セザンヌ」
「ルーベンス」
そしてダ・ヴィンチの描いた巌窟の聖母。
そこにあるのは、ギャラリーが絵画の黄金期と定めた神や父の何れ劣らぬ名品の数々だ。
ここに展示された絵画の殆どが、貴族や王室ルートではなかった。
王家や、貴族の御屋敷の奥に眠る宝を、海外に流失させぬため美術館に飾るのとは違う。
市民や観光客からの、大口小口の寄付を蓄えて、歴代の館長自らが買いつけた。
まさに至宝と呼べる絵画たちだ。
ギャラリーの運営と、絵画の購入と、度重なる建物の改築費用捻出するために。
大規模なイベントは歴史上2度開催された。
以後も、美術館は定期的に来館者を迎えるイベントを企画し開催している。
残念ながら、今はその時期に当たらないらしい。それでも学生たちの足は止まらない。
「天国への階段だべ」
彗の隣にいた榎本の口調も熱をおびて滑らかになる。いつもなら榎本に調子を合わせて軽口を叩く彗。しかしこの時は黙った。
やがて一同は階段を登りきる。
炊かれた香と不可視の光りは人に見えぬ。
静寂の中でこそ人に聞こえぬ讚美歌。
永遠なれと祀られた神々を讃える。
ナショナル ギャラリーの心がそこに。
2階メインギャラリー。
そこは何もない部屋だった。
エントランスで来館者を出迎えた、シャンデリアもルネッサンス調の様式も調度品も。此処には何もない。
無味簡素な空間。
真っ直ぐに続く回廊。
左右の壁に飾られた額縁。
そこにあるのは整然と並ぶ絵画だけ。
それが時代の中でギャラリーが取り込んだ。
ポスト モダニズムと呼ばれるものだ。
開館前までに清掃職員が磨きあげた床は、鏡面のように飾られた絵画たちを映していた。
『この美術館を訪れる際には、開館直後か、閉館前の夕方の時刻がおすすめですよ!』
旅行ガイドにはそんな文言があった。
それは絵画をゆっくり観賞出来るから。
開館直後に訪れるとよい。
それにはこんな理由もある。
ガラス張りの天井から射し込む光りが、穏やかな時間だった。
晴れの日ならば、人の足元を照らし、絵画を眺めて歩くには充分な光量だ。
人目に触れない場所に設置された照明機は、飾られた絵画だけを照らすためにある。
光の角度とルクスはひとつひとつ微妙に変えられた調整がされていた。
光は、展示された絵画が最初に飾られた施設や、屋敷の陽光が忠実に再現されたいた。
中世の時代から、画家たちは依頼された作品が最初に飾られる場所を必ず訪れた。
光の当たり具合いを充分に考慮してから、ようやく作品を描いたと言われている。
依頼された絵の中には、自らのアトリエを離れて描かれたものが多い。
その場所に泊まり込み、絵画を完成させることはけして希ではなかった。
朝に夕に、時には備えつけの暖炉の火や、室内の灯りまで考慮して絵を描いた。
最初に絵が飾られた場所。
そこには作品を描いた画家の心がある。
それを再現するのが務めと考えていた。
やがて複数の人影がメイン ギャラリーにばらばらと姿を現す。彼らは来館者ではない。
彼らの服装は実にまちまちだ。
首からは皆同じIDカードを提げている。
そこには顔写真とMuseum curatorの文字。
この美術館の学芸員たちだ。
彼らはまるで、本番の舞台を待つ役者か、スタンダップ コメディアンのように見えた。
その手には台本もテキストもない。
午前とランチタイムの10分間トークのため、それぞれが推す絵画の前に立つ。
ルーム 66【巌窟の聖母】の前に、一人颯爽と向かう女性がこちらを振り向いた。
妙齢という言葉なんて、勿論彼女は知らないだろう。本当は年若い女性を表す言葉だ。
彼女はもうすぐ50に手が届く年齢だ。
けれど見ためよりずっと若く見えた。
瞳の色も髪色と同じブラウンだった。
日本からの来館者たちと目が合う。
彼女の目元は頬笑み唇が綻んだ。
遠くて言葉は届かない。
やがて、ギャラリーの額縁の中に切り取られた、肖像、風景、そこに込められた画家たちの思い、溶け出した時間が緩やかに流れる。
パレットの上の絵具のように。
ギャラリーの女神ミューズが言った。
「ようこそロンドン美術館へ」
【後編 最終話に続きます】
【次回予告】
「ろんどんのメモ作るの超大変だべ!」
「だろうね」
「内装は、時代時代でころろころ変わるし!むきー!スクラップ&ビルドずら!!!」
「ずら?」
「書くのめんどうだら!」
「だら?榎本!お前それ神奈川弁じゃ・・」
「にゃー!!!」
「お・お前・・誰だ!?」
「く・・」
「く?」
「くけけけけけけけけけけけけけけけけけ」
「怖っ!?」
「はっ!」
「お!正気に戻ったか!?」
「なんか・・静岡のくそ田舎で、しくしく小説書いてる哀れな男になった夢見てた・・悪夢だべ!あんな人生まっぴらだべ!」
「随分・・具体的な夢だな」
「次回はいよいよルーベンスやダ・ヴィンチに御対面だべ!」
「フランダースの犬でネロが憧れた?」
「いい話だべ!泣けるベ~」
「パトラッシュ・・オラもうお腹すいて眠くなっちゃったゾ・・」
「パトラッシュ!?俺?パトラッシュ!?いやだべ!まだ悪夢が終わらないべ!それに違うキャラまで混ざってるべ!ほらネロ!キャロットケーキだ!これ食って元気だせべ!」
「オラ!ニンジン嫌い!ぷ~」
「黙って食えやゴルァ!ピーター!うさぎ!そら食え!人参好きだべ!?」
「きゅ~ボタンつけるふりして・・実はお母さんに絞め殺されてる説~!?」
「本当は怖いピーターラビット・・」
「次回も読んでね!」
「予告長くね?」
※クイズの答え
【正解 】この時点では英国の国鳥は決まっていなかった。
ここに挙げた鳥はすべて英国の人々がこよなく愛する鳥たちで国鳥候補でした。つい最近英国の国鳥は、ヨーロッパコマドリ()英名ロビン)に決まったというニュースが流れたばかりです。
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