第35話 もふもふ

 

「わたくしは猫神、野播邏乃玉ノハラノタマ様の眷族にして、野駕美のがみ家一族の統括を担っております、猫又の、ハナ、と申します」


 続けて丁寧な口調で挨拶をした白猫が、長い二本の尻尾をうねうねとくねらせた。


 おおー。これは、中々の毛並みの良さですね。やや体毛は短めですが、柔らかく頬触りが良くて、暖かい良い匂いがする。尻尾のモフモフ感は、眷族の猫竜マリカウルのものと比べると、どうしても見劣りするが、艶々でスベスベと指通り良くすり抜けてゆく質感が堪らない。少し体格は大きめで、どちらかと言えば中国猫のような印象が強いが、目もパッチリとしてて美人(猫)さんの顔立ちです。


「あ、あの……理道様?」と、ハナちゃんの戸惑った声が、耳元で聞こえた。


「シュウイチ……何を出会い頭に抱き上げて、スリスリと頬擦りをしておる。初対面で失礼であろう」ウィラルヴァの呆れ返った声が続けて聞こえてきた。


 ハッ…!? しまった、つい持病のモフモフ病が!!


 ……ええ。道端に落ちてる白いビニール袋を、度々猫と見間違えますが何か? 俺が猫好きで、誰かに迷惑かけたの誰か死んだの?


「私も猫竜になろうかなぁ……」ポツリとつぶやくウィラルヴァ。


 それだけはやめて!? 絶対に抗えなくなっちゃうから!!


 車のボンネットの上にピョンと飛び降りたハナちゃんが、やけに人間っぽい仕草で、一つ大きく咳払いした。


「こ、こほん。では、仕切り直させて頂きます。わたくしは、ハナ。人の姿であるときは、それぞれ花の名前を名乗らせていただいております。キキョウにルリ、又はボタンやヒナなど、複数の世を忍ぶ仮の姿がございます」


「ヒナ? え…もしかして、ヒナママさん!?」と、ユウちゃんが目をまん丸く見開いた。


 ニコリと目元を歪めたハナちゃんが、機嫌良さそうに尻尾を揺らつかせる。


「ごめんね優輝君。貴方が理道様の友達だってこと、後になってから判明したの。あのとき素直に、そちらの守護霊さんとお話ししていれば良かったのかもだけど……それはそれで、余計に厄介なことになっていたでしょうから、結果オーライではあるのだけど」


「え? え? マジでヒナママさんなの? 良かったぁ。俺、てっきり死んじゃったもんだとばかり」と、涙混じりに胸を撫で下ろすユウちゃん。言ったあとで「うん?」と首を傾げ「え?え? 猫っ!?」ポカンと口を開けて動かなくなった。


 ふむ。どうやらこの白猫、ユウちゃんの通ってたバーのママさんと、同一人物(猫物?)みたいだ。奈々枝さんと同じ、一族統括の役職にあるみたいだし、普通の人間ではなく、断罪者側こちらがわの存在であることは、間違いない。


 ていうか人間ではなく、神や妖魔のような存在なのかな? それでいて、一族統括の役職にあるというのは……うん。まぁとりあえずは、ちゃんと話を聞いた方が良さそうだ。


「と言っても、あのスナックを経営する野駕美雛菜としてのわたくしは、死んだ扱いになっているのですけど。


 死因は病死です。元々、癌が進行していたということにさせていただいて、一族間でも口裏を合わせております」言って俺とウィラルヴァに向き直り、ペコリと頭を下げる。


 ああ…はい。了解です。把握お願いしますってことね。


 ……うん。なんか、色々と説明していただかなければならないことが多すぎて、話がよく掴めないけれど。


 そんな俺の表情を見て察したのか、ハナちゃんがスッと目元を細めた。どうやら苦笑いしたようなのだが…毛玉でその表情はズルい! ああ…持病のモフモフ病がウズウズと……


 無意識にハナちゃんに伸びかけていた手を、ウィラルヴァにガッシと掴まれる。


「マリカウルら猫竜のイラストを、描いてくれた友達がおったな。……探し出して、私の猫竜タイプを描かせても良いか?」ジトリと殺気に満ちた視線が俺を刺す。


 やめてください! 俺の人生詰んじゃう自由を奪わないで!


「この敷地内は、わたくし共の一時的な聖域と化しております。護衛も居りますので、落ち着いて事情を説明することもできましょう。宜しければあちらで、お互いの状況を確認できればと思っているのですが」


 葬祭場の建物の方に促され、音もなく歩くハナちゃんの後をついて歩き出す。


「数多の神々が、神力を都合するのに苦労しておるようだが、ここは随分と余裕がありそうだな。私やシュウイチでも、破るのには苦労しそうな、見事な結界だぞ」と、建物に施された光の結界を見上げ、ウィラルヴァが毒づく。


「理道様とウィラルヴァ様をお招きするにあたり、細心の注意を払っておりますので」一同を先導しながらこちらを振り向き、軽く頭を下げる。


「それが、解せぬ。我等と面するに、なぜそこまでコソコソする必要がある。このようなしみったれた聖域ではなく、街中の焼き肉屋とか寿司屋とか焼き肉屋とか、面会するには適当な場所が、いくらでもあるだろう」と何気に業突く張りなことをのたまうウィラルヴァ。


 あ。焼き肉食いたいのね貴女。今度連れてってやるから我慢なさい。それじゃあ催促してるみたいでしょうが!


「理道様、ウィラルヴァ様と接触することは、神々の間で禁じられておりますゆえ。接触が許されるのは、旧知の間柄か、あるいはそちら側からの訪問があった場合に、限られております」


 ウィラルヴァの片方の眉が、ピクリと跳ね上がった。「ほう? そのような規定など初めて聞いた。一体誰の思惑だ?」


「先日、関之護神せきのまもりのかみ様より提案され、賛成多数により、議決されましたことに御座います」


 関之護神? ……といえば確か、真樹さんの所属する派閥の最高神の名前だったはずだ。どこぞの企業の社長さんで、人間名は関野守とかいったっけ。


 ということはおそらくこれは……真樹さんが提案してくれたことなのだろう。確かに、俺達の所有する神力を狙って、あれやこれやと美味い話を持ちかけてくる派閥があったっておかしくないし、それは確実に煩わしいことだ。


 いや。有難い話です。これは今度会ったとき、コーヒーの一杯でも奢ってやらねば。


 え? セコい? だって未だ金欠状態は続いてるんだもの! こないだ神崎さんから貰った分は、開業資金とか諸々で消えてしまったし。こないだの蛇貴妃の件の報酬の支払いはいつなんだこのヤロー!


明鬼飛尾あきとび、引き続き見張りを宜しくお願いしますね。対抗勢力の刺客が、いつ襲って来てもおかしくない状況です」


「御意」


 葬祭場の玄関脇に立っていた男に、ハナちゃんが言葉をかけた。


 獣人、と称するにピッタリの風貌をした男だ。着ている服は俺と似たようなカジュアルなものだが、露出した腕や顔からは、焦げ茶色をした長い体毛が伸びており、ボサボサの髪の毛の上には、ぴょこんと小さな猫耳が飛び出している。


 異世界に慣れた俺には、珍しくもない風貌だが、ユウちゃんや店長にとっては、それこそ異世界にでも迷い込んだような感覚だっただろう。ユウちゃんはあんぐりと口を開けて呆然と男…アキトビ君?を見つめているし、店長に至っては、嬉々としてスマホのカメラを構えている。


 おやめなさい失礼でしょう! アキトビ君も照れたようにポーズを決めてるんじゃありません!


「一族でも、一、二を争う剛の者です。邪な輩が訪れても、彼が撃退してくれるでしょう」


「邪な輩、ですか。一体誰が?」問いかけると、ハナちゃんは形のいい白耳をやや伏せがちに、


「わたくしどもは派閥に所属しておらず、五十ほどの少ない数でコミュニティを作っております。誰の助けを借りず立ち回ってゆくことは、タマ様…わたくし共、一族の長であらせられる野播邏乃玉様が、この国に住まうようになってから定められた、一族の掟に御座います」


 ふーむ。この国に住まうようになって……ねぇ。神として成り立ってからということなのか、あるいは別の国から、日本に訪れた神なのか。


 どちらにせよ、一族の総数が五十足らずというのは、かなり少ない方だと思う。現世に人間として生まれている者が、どれだけいるかは分からないが……八百万の神が住まうとされるこの日本では、どこの派閥にも吸収されずに、存続し続けてゆくのも、相当に難儀なことだろう。


 ああ…なるほど。だからか。なんとなく、見えて来たかも知れない。


「ユウちゃんが今、どんな状況にあるか、ご存知ですか?」


 問いかけると、葬祭場のロビーで立ち止まったハナちゃんが、ふうと小さくため息を吐いた。


「存じております。実は……優輝君だけでなく、わたくし共の一族にも数人、タマ様の柱を抜け出てしまった者がいるのです。聖魂の奪い合いというのは、古よりの神々の習わしではありますが……このところ輪をかけて、あちこちの派閥で、似たような事案が頻発しているのです」


 沈痛な面持ちで語るハナちゃんの言葉に、やっぱりかと心の中で頷いた。


 ユウちゃんの同僚も含め、雑誌の付録として付いていたという、あの蝋燭を使った御呪いを実践して、神々の加護下から外れてしまった人間は、数多くいるはずだ。あの蝋燭だけでなく、他の方法で同じように神の樹木から外されてしまった者もいて、なんらおかしくはない。


 加護下にある魂の数というのは、神々にとって、権威の証と言って過言ではない。実際、樹木に根付く聖魂の数が多いほど、神の力は強大になるし、神族としてのランクも上位になる。これは俺とウィラルヴァの世界でも、同様のものだった。


 ことさら、地球の創造主と創造神は現在、世界の運営というものに、全く関与していないという。……そこにどのような諍いがあるのかは、推して知るべしというところだ。


「わたくし共の一族は、その全てが、主神であるタマ様の血筋にあります。わたくしも含め、全てがタマ様の子孫でもあるのです。

 どのようにしてそうなったのかは、説明は省かせて頂きますが……」俯向き気味に言う。


 あまり、大っぴらには言えない事情でもあるのだろう。神と人が交わるというのは、有り得ないことではないが、極々、特殊なケースと言える。


 自分の一族だけで生き抜くと決断させた理由も、きっとその辺りの事情に絡んでいるのだと思う。それを面白く思わない神々も、多数いるであろうからだ。


「一族のほとんどは、これといって特殊な能力を持っているわけでは御座いません。普通の人間として暮らしておりますし、神の血を引く人間であるということも、知らずに生きる者がほとんどです。

 ですが普通の人間より、より多くの霊りょ……神力を、主神であるタマ様に提供することができます。一族の総数が五十ほどと申しましたが、そのうちの半数が、現世に、そして残りの半数は神の樹木にて、あの世での役割を担っているのです」


 ということは一族の半分ほどがあの世にあり、現世に生きる者達の守護霊となっている、ということか。それもまた、無難な数だと思う。


 そもそもある程度、この世で生を受けて子孫を繁栄させなければ、生まれ変わるための器というものを、手に入れることができなくなってしまう。生まれ変わりというのは基本的に、自身の血縁、子孫でなければならないからだ。


 あの世での魂の数というのも、実は重要で、守護霊と呼ばれる存在は、魂の十割がある状態でなければ、成ることができない。


 つまり、一族五十人の全員が、地上に生を得てしまうと、守護霊のいない一族ができあがってしまう。それぞれ一人ずつ、守護霊がついて守るためには、半数というのが一番都合が良い数であろう。


 まぁ力の強い……霊格の高い者ならば、複数の人間をいっぺんに守ったりすることも、可能ではあるのだが……


 なるほど。それがハナちゃんということか。しかも人間として生まれているわけではなく、人間に化けて暮らしているというからには、相当に高い神力を所有していることになる。主神に仕える眷族。いわば、天使のような存在だということだな。


 うん。ピッタリじゃん! こんな可愛いニャフモフした天使なら、喜んで大歓迎……っと、ウィラルヴァに睨まれてるからこれくらいにしておこう。


「それは、数多の神々が割拠するこの国で、わたくし共だけで存続し続けるための、苦肉の策でもありました。できる限り、一族間での繁栄を繰り返し、中には他の神々の加護下にある人間と、恋に落ちる者もおりましたが、上手く折合いをつけつつ、なんとか今日までやってきたので御座います。ですが……」一度言葉を区切り、伏し目がちだった視線を上げる。


「今日までに一族のうちの三人が、タマ様の柱を外れ、他の神々の柱へと拐かされてしまったのです。これは元々の数が少ないわたくし共にとって、たった数人とはいえ、死活問題とも言える重大な事案なのです」


「なるほどな。そのために小細工を弄し、私とシュウイチを聖域に誘導したというわけか。我等は葬儀に訪れただけであり、神々の禁じた接触には当たらないと」相手の思惑を悟り、腕組みして仁王立ちするウィラルヴァ。


 要するに、解決するために力を貸して欲しいということね。いや、こちらにもユウちゃんという、同じ問題を抱えた仲間がいるからには、力を貸すというよりは、協力して事を解決しようという要請ってことか。


 まぁ確かに、協力できる仲間が増えるというのは、有難いことではあるけれど。

「気になるのは、なぜこれだけ厳重な警備を敷かなければならなかったのか、ってところだよね。入り口で見張ってるアキトビ君も、一族で最強の戦士なんでしょ。

 僕ら…というか、理道君とウィラルヴァちゃんに、万が一のことがあってはと配備した戦力とも取れるけど……それこそ、おかしな話じゃない?

 僕もまだ、付き合いが長い方じゃないけど、流石にこれだけはハッキリ分かってる。……理道君とウィラルヴァちゃんは、強いよ。護衛なんて、必要ないくらい」店長が、俺が言いたいことを代弁してくれた。自分ではちょっと言い辛かったことだ。


 言われたハナちゃんが、申し訳なさそうにショボンと肩を落とした。


「その通りで御座います。実は、今回の事案以外にも、わたくし共は大きな問題を抱えておりまして……」


 と、ハナちゃんがおずおずと話を切り出したとき、


「ハナ。そのことは、私の方から説明します」


 ロビーの奥の階段の上から、鈴を転がしたかのように透明感のある、清楚な声が響いた。


 一同の視線が、一斉に階段の上に向けられる。


「初めまして。私の名前は野播邏乃玉。又の名を、野良猫のタマ。明治初期よりこの国に居を構えます、猫神一族の長にございます」


 少女のような、あるいはまだ幼女のようにも取れる、あどけない声音が、狭く静かなロビーの中にこだまする。


 が、


「……え? 誰もいないんですけど?」呆気に取られたユウちゃんの声もこだました。


 えーと……。うん。誰もいない。確かに階段の上、踊り場付近から声は聞こえたと思ったんだけど、そちらを見上げても人影はなく、踊り場に飾られた一枚の風景画が、ロビーからの灯りに照らされ佇んでいるだけだ。


「あれ? あ、申し訳ございません。ここじゃ見えないですよね」と、再び野良猫のタマとやらの声がしたかと思うと、階段の最上段の上に、何か小さなものがモゾモゾと蠢いたのが見えた。


 あ……あれは!?


「改めまして! 野良猫のタマと申します。気軽にたまちゃん、とお呼びください!」


 現れた小さなモフモフした毛玉が、元気良くピョコンと片手を上げた。

 

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