第10話 臨時収入が入りました


 駅に向かうまでに乗ったバスの中でも、目的地の最寄駅に向かうまでの電車の中でも、ウィラルヴァは大人しいものだった。


 バスの中でも電車の中でも、窓際の席に座って、ウキウキした顔で窓の外の流れる景色をジィ〜っと眺めていたし、食べ足りなかった朝食の補充で買った駅弁を頬張りながら、終始ご機嫌の笑顔が崩れることがない。


 駅のホームですれ違った男達や、電車内の通路を歩く乗客が、チラチラとそんなウィラルヴァに視線を送り、目の保養にして過ぎ去ってゆく。


 今日のウィラルヴァの服装は、下は太腿が眩しく覗いたダメージデニムに、白いスニーカー、上半身は豊かな胸元が強調される、ややピッチリとしたシャツの上から、ゆったりめの緑色のチェニックを羽織っていた。


 ファッション系のサイトの閲覧は、就寝前のウィラルヴァの日課になりつつあるが、そこから見つけてきたスタイルなのだろう。……まぁ、趣味は悪くないと思う。というか可愛いと思う。


 ときおり、通り過ぎる男達の視線が、俺の方にもチラリと向けられて、納得いかないような羨ましいような、微妙な顔をされた。


 悪かったね普通の顔で。服装も、どこにでもあるデニムに無地の黒シャツという、オシャレのカケラもないものだし。


 ちっくしょう。向こうの世界では、英雄としての補正があって、それなりにイケメンで通ってたというのに……。こっちでは全然ダメだなぁ。


 まぁ、別に構わないけれど。こっちの世界では、その手のことには、何も期待してはいないのだし。



 駅を出て雑多な人混みの中を歩く。気をつけてウィラルヴァを監視していないと、あっという間に迷子になりそうだと思っていたのだが、駅を出た途端に、ウィラルヴァが俺の腕にガバリと大胆に抱きついて来た。


 無言でウィラルヴァを見やると、俺の視線に気づき、ニコリと機嫌の良い笑顔を見せる。


 ……まぁ、迷子になられるよりはマシか。


 思い至り、スマホの地図とにらめっこしながら、駅から徒歩十分の場所にある、神坂探偵事務所への道を辿った。


 神坂探偵事務所というのが、どういうところなのかは、昨晩、断罪者のサイトをくまなく閲覧して、すでに大まかには把握できている。


 俺とウィラルヴァの世界には、ロードと呼ばれる、シィルスティングという召喚術を扱う戦士がいて、そのロード達を取り纏めていたのが、ロード協会という、一般的に言うギルドのような役割を担う組織だった。


 この世界には、断罪者ディサイダーと呼ばれる特殊な存在があり、神坂探偵事務所の運営するあのサイトの会員となることで、力ある者達の秩序として認定され、ルールに反した神々を粛清する立場になるのだという。


 他にも、例えば重大な天災を未然に防いだり、俗に言う悪霊や妖怪などといった存在を退治したりだったり、仕事の内容としては、多彩なものがあるみたいだ。


 断罪者がどれだけの権威を持っているのかまでは、今一つ把握することはできなかったが……まぁ、例えばウィラルヴァならば、核爆弾の一つや二つ持って来られようと、爆風の中でケロっとして高笑いしているような奴だ。


 そんな連中が寄り集まった組合である以上、ワンチャン、この世界を裏から牛耳る組織、くらいに思っておいて間違いはないのかも知れない。


 というか、創始者がこの世界の創造主だというからには、事実その通りなんだろうけど。


「シュウイチ、あれが食べたい」とウィラルヴァが、祭に出かけた子供のように浮かれた笑顔を浮かべつつ、クレープ屋の店先を指差した。


 せっかく機嫌が良いのだから、無理に損ねさせるのも嫌な予感がしたので、言われるがままに一つ注文し、代金を払う。


 正直言うと、そんなにお金に余裕があるわけじゃない。どうやら今回の報酬は、今日中にも貰えるというので、ちょっと期待してはいるけれど。


 チョコソースのかかったイチゴのクレープを、幸せそうに微笑みながら頬張るウィラルヴァの横顔を見て、ふと、こういった経験は初めてだったと気がつく。


 いや、こっちの世界はともかく、向こうの世界でも、女の子とデートらしいことをしたことは、もちろんあった。


 そうじゃなくて、ウィラルヴァと二人きりで、こうやって腕を組みながら街中を歩くなんてことは、今までになかったことだ。


 二人して、あの世界を安定させることに、ずっと心血を注いできたものなぁ。


 こうやってこの世界で、のんびりと過ごすことができるのも、今だけなのかも知れない。


 この世界にいる以上、俺もしっかりと歳を取って、やがては死に至り、再びあの世界へと転生する。


 そうすればまた、二人で、世界の創造を担っていかなければならないのだ。すでに安定期に入っている世界のため、今回の転移ほどは、厄介ごとは起こらないとは思うけれど。


 そう考えると……ちょっとくらいは、報いてあげたいとも思う。


 こいつが余計なしがらみに囚われずに、息抜きできる機会なんて、そうそうないことなのだから。


「はい」と、ウィラルヴァが不意に、食べかけのクレープを差し出してきた。


「ん?」


「ん? ……はんぶんこ」と言って、口元にチョコソースをつけた顔で、キョトンと小首を傾げる。


 ああ、なるほどね。そういえばこっちに来てからの食事は、さっき食べた弁当や、母の作った飯も含めて、キッチリはんぶんこにしてきたんだっけ。


「いや、いいよ。全部食べろって」


「なんでだ? 二人で一つが当たり前であろう?」全く理解できないと言った感じに、眉間に皺を寄せる。


「まぁ……いらないってんなら食うけどさ」


 機嫌が悪くなっても困るため、素直に受け取る。


 ていうか、乗っかってたイチゴやチョコソースまで、キッチリ半分こにした努力は認めるが……包んだ生地の中に、舌で押し込むか何かしたんだろうこれ。ぐちゃぐちゃなんですけど?


 ……まぁ、食うけども。


 クレープをモキュモキュ頬張りながら、探偵事務所までの道を歩く。ベッタリと腕を組んだウィラルヴァに、道行く人の視線が集中していたが、当のウィラルヴァはどこ吹く風だ。全く気にして……というか、自分に集まった視線に気づいてもいない。


 たまに俺に向けられる男どもの殺気の混ざった視線には、目敏く反応し、キッと鋭く睨み返していたが。


「ここのようだな」とウィラルヴァが、とあるビルの前で足を止めた。


 かなり大きなビルだ。地下には駐車場があり、ビルの裏側にも立体駐車場が建っていて、下層の方は空きが無いほど車が並んでいる。


 てっきり、このビルのどこかに探偵事務所があるのだと思っていたら、どうやらこのビル全体が、神坂探偵事務所の本部らしかった。入口を入って受付けにゆくと、美人の受付けのお姉さんに要件を聞かれたので、ディサイダーのサイトに登録したことと、仕事を終えた報告に来たことを告げると、最上階の四十階へ向かうようにと告げられた。


 スーツ姿の男女が並ぶ中、思い切り浮いた気分でエレベータに乗る。上に行くごとに人が減り、三十五階も過ぎると、俺とウィラルヴァの他には誰もいなくなった。


 最上階に辿り着いてエレベータを降りると、すぐ側に受付のようなところがあり、そこにいたお姉さんに話しかけられる。


「理道秀一様と、ウィラルヴァ様ですね。まずはそちらの部屋へとお願いします」


 エレベータを出て最初の部屋へと促され、中に入ると、ガヤガヤとした役所のような雰囲気の中、黒髪ショートの小柄なスーツ姿の女性が近寄ってきて、


「こちらへどうぞー。理道様の担当をさせて頂くことになりました、神崎泉と申します」と言って、ニコリと愛想の良い笑顔を見せた。


 年齢は俺よりも少し若いくらいに見える。二十代前半といったところだろう。目鼻立もハッキリとして清楚な印象。何より、愛想の良いその笑顔には、すごく好感が持てた。


 ……ギュッ、と腕を組んだウィラルヴァの力が強まった。


 いや、こんなことくらいでいちいち……まぁいい。こいつの嫉妬深さは、今に始まったことではない。


 神崎さんに促されて、白いボードに区切られた一室へと入る。出入口は開け放たれているが、三メートル四方ほどの適度な大きさの空間。どうやら彼女の仕事場らしく、綺麗に片付けられた机の上に、一台のノートパソコンと、飲みかけの紅茶のカップが置かれてあった。


 壁際のソファーにウィラルヴァと並んで腰掛ける。肘掛付きの回転椅子に座った神崎さんが、机の上のノートパソコンをカタカタと操作して、いくつかのファイルを開いたのち、クルリとこちらに身体を向けた。


「では改めて。理道様とウィラルヴァ様の担当となりました、神崎泉と申します。以後、末永く宜しくお願い致します」と言って、ペコリとお辞儀をした。


「どうも、初めまして。……担当、ってどういうことですか?」素朴な疑問をぶつける。


「そのままの意味です。理道様、ウィラルヴァ様の仕事の斡旋から、情報提供、サポート、または要望を伺ったりなど、全てにおいてケアさせて頂きます。私がここで働いている限りは、ずっと、お二人の専用職員として対応させて頂くことになりますので、どうぞ宜しくお願い致します」再びペコリと丁寧なお辞儀をする。


「専用……ってことは、他に担当しているディサイダーはいない、ってことですか?」


「はい。そういうことになります。お二人は、星レベル二千を超える創造主様と創造神様であり、ランクはS級に当たりますので、当然のことです」


「ほう……」生返事を返す。


 というか、ランク付けとかあったのね。


 どうやらディサイダーには、S、A、B、C、Dの五つのランクがあるらしく、そのうちA以上のランクのディサイダーには、個別に専用のサポート職員が付くらしい。


 まぁ俺達の場合は、監視役、という意味合いもあるのだろうけれど。


 続けて、仕事を受ける上での、基本的な流れというものを説明してくれた。


 まず、ディサイダーの本部が引き受けた仕事については、その内容を吟味したのち、適切なランクのディサイダーに、平等に振り分けられるらしい。


 それを受けるか受けないかは、個人の意思が尊重される。


 加えてサイトには、ディサイダーごとの特設ページが設けられてあり、そっちの方でも、サイトに辿り着いた人間から、個別に仕事の依頼が入ることもあるのだという。


 そもそもあのサイトには、神族やその加護下にある人間を除いて、普通の人は辿り着くことはできない。辿り着けるのは、なんらかの問題を抱えた人間であり、例えば悪霊に取り憑かれているだとか、何処かの神々の祟りを受けているだとか、救いを求めている人間がほとんどなのだそうだ。


 そういう人達からの依頼が届いたときには、出来る限り対応して欲しいとのことだった。ちなみに報酬は、自由に設定しても構わないらしい。


 そういえば、報酬といえば……と思ったのも束の間、先にウィラルヴァが、


「今回の報酬はどうなっておる。こちらとしては、思ってもみなかった難題を押しつけられたことになる。結果、事を丸く収めるため、セブラスを眷族に迎えざるを得ないことになった」


 うん。物は言いようという奴だね。まるで虎男とシズカのことを、迷惑に感じているかのような言い草だ。


「それについては、大変申し訳なく思っております。こちらとしましては、結果的にセブラス様と鳴宮様をもディサイダーにお迎えすることができ、感謝の意に耐えません。

 これについては、臨時報酬の方も検討させていただきました」


 そう言って神崎さんは、机の引出しの鍵を開け、取り出した茶封筒を、丁寧な仕草でテーブルの上に置いた。


「百万円入っております。どうぞお納め下さい」


「へ? ひゃくまん?」


 頭が真っ白になった。

 

 


 

 

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