第34話空っぽの心(百合編)
「いやあ、誰か、助けて」
「無理だって。はあ。もう好きなだけ喚いてて。僕は戻るから」
柚木は部屋に戻って言った。いくら押せども叫ぼうとも何も起きなかった。渋々部屋にもどると柚木はキッチンで調理をしていた。
「おかえりなさい。もうすぐできるから、待っててもらえます?」
私は力が抜けたようにリビングのソファに座り込む。キッチンテーブルに次々と料理が運ばれてくる。でも私はカーテンが開けられた神戸の海が望める高層階から景色を眺めていた。
「ほら、できた。我ながらあっぱれ。百合様、食べてくださいね。夕方には社長はお戻りになるから。それまでゆっくりとしててください。ああ、今は外出も控えてくださいって、出れないけど、いずれ出れるようになるから。それまで、体調もあるだろうしゆっくりしててください。では私は隣にいますから、いつでも呼んでください」
出された食事もとらずに呆けていた。母が言った病院での言葉。別荘での父の言葉。逃げた私。何もかもが嫌になって膝を抱えた。
目の前は、明るい光が差し込む神戸が一望できる場所なのに、私の気持ちは塞がれたままだった。
テレビをつけて気持ちをごまかした。何もしていないのにお腹がなった。疲れに頭痛に、そして空腹。だけど食べる気は起きなかった。一日中そのリビングのソファから見える神戸の景色を呆然と眺めていた。夕陽が沈み夜になった。
部屋には私一人だ。テレビの音だけがずっとしていた。夜になると、先ほどの柚木という男とは別の使用人の女性がキッチンに来た。
「あらら、食べてないわね。お嬢様、体調はいかがですか?」
私は無言で答えた。
「ああ、これじゃあ社長に怒られますね。片付けないと」
私の居場所はなかった。誰ともわからない使用人と夕刻を過ごすと今度は玄関口の扉がまた開いたように思えた。
「百合さん。元気にしてるかい?」
そこに現れたのは高津だった。膝を抱えたまま私は高津を見てすぐに塞ぎ込んだ。
「社長。お嬢様、口もつけてません。もう一度作り直しますか?」
「いや、今日は出来合いのものを買って来た。君はもういいよ。百合さん? 食べてください」
使用人は部屋を出て行き、ソファ前のテーブルに置かれたのは出来合いのお弁当だった。匂いが充満する。ぐうっとお腹が鳴った。それが聞こえたのか、高津は「食べないと体によくないですよ?」と言う。
「………」
私はまた無言で答えた。
「どうしました。気力も尽きたって感じですか。しばらくここでゆっくりしてください。なんでもご用命あらば用意させます。それに料理も作らせます。ただし、外出は今は控えてください。洋服も化粧道具もお持ちしてあります。まあ、あなたの好みに合うかはわかりませんが。スタイリストもつけます。どうぞお姫様。なんでもご要望ありましたら言ってくださいね」
その言葉に私は、小さく小さく言った。
「……えして」
「えっ? 聞こえません」
「家に帰してください」
「それは私との婚約が条件です。お父様も仰っておられたでしょう」
「父とあなたはどこまで結託してるのですか!?」
「おやおや、元気になって来られましたか?」
「クッ」
「帰すわけにはいきません。あなたは僕の妻になるんですから」
「なるわけないでしょう! 今回神戸に来たのは父と向き合い話すためです」
「君のお父様はもう長くない。知っているね。だったらお父様を笑顔で送ってあげようとは思わないのかい?」
「余命宣告されたからって、死ぬ前提で話さないでください。」
「だったらどうする? 君はお父様を放って、また
「帰して、ここに幸せはないわ」
「よーく考えろ。君の幸せは京都じゃない。もう一度よく考えて。
「な! なんてことを。やっぱり先日恭吾を襲ったのはあなたの仕業?」
「仮だよ、仮、何を言っている。もし京都に戻るとする。そうしたら今度はもうお父様になんて報告する? 余命いくばもない方にそんなことを言ってみろ。もっとお父様の寿命は縮まるかもしれない。今度こそお父様の死に目に会えないかもな」
「………」
「いいかい、君はあと一年ちょっと、それだけ我慢すればいい」
「何を言っているの? あなた……」
「そこまで嫌われたのも初めてだよ。だから、お父様の気持ちだけ受け取って、お父様が生きている間だけでも、仮の夫婦になればいい」
「高津さん、何を急に」
「急じゃない。これは以前から思っていた。初対面が悪すぎた。だから先日のランソワールの店でもそうだった。俺は
「高津さん……」
「ごめん。俺は下手くそさ。気持ちの持って行き方が昔から下手くそでね」
「………」
「しばらくここには居てもらう。近々またお父様と話す機会を設ける。その時まで大人しくしててくれ。このままここでずっとそうしているのもいい。ベッドルームは君の部屋だ。いつでも寝れる。じゃあ、俺は隣の部屋にいる」
高津はリビングを出て行った。私は夜の神戸の景色をずっと眺めた夜になった。自分でも自分の意思がわからなくなっていく夜だった。
◆◇◆◇◆◇
朝ソファで眠っていた。目を覚ますとテーブルには朝食が置かれてあった。
(全ては使用人の柚木に任せてある。女性の飯田というものも時期に来る。俺は仕事に行って来る。大人しくしててくれ)
高津の置き手紙だけが置いてあった。
まだ朝の七時。朝食も食べる気は起きずにいた。今頃店のみんなは心配しているだろうか。恭吾も店長も……。私は店に連絡を入れたくなった。
トイレに行こうと廊下に出る。すると廊下の端に備え付けの電話があった。
思わず受話器を取った。ランソワールの電話番号は覚えていたため店に電話をしてみようと思った。
「はい、ランソワールの森です」ランソワールに繋がった。
「も、森さん? 私、百合……。今、高津さんの邸宅にいるんだけど、どこにも行けなくて、監視がついてて、軟禁状態なの。助け……」
「いけませんね。外出と外部との接触は今は控えていただけませんか」
柚木に電話が突然切られた。受話器を置き、電話線も外されてしまった。
「柚木さん!わたし……」
「言い訳はいいです。私はあなたの世話係です。世話をあまり焼かせないでください」
「………」
私はその言葉に何も言えずにリビングに戻ることしかできなかった。
朝食も用意されていたが、食べなかった。空腹で眠ることもできずにまた夜になる。
今日も夜遅くに仕事から帰宅した高津と少しの話し合い。いずれも自分の意見をぶつけたが、結論には至らない。ただ以前と違ったのは、高津が「逃げなくていい、嫌われててもいい、一日ずつ俺の気持ちをわかって欲しいだけだ」と言う言葉だった。
食べないでもう数日が過ぎた。
「いつまでそうしているつもりだい? 食事はした方がいいぞ」
高津のそんな優しい言葉も私の空腹と同じ空っぽの心には響かなかった。だけど、次の日あまりにも空腹すぎて、柚木の作ったスープだけ飲んだ。今日はもうベッドの中で一日を過ごした。昼すぎ、目を開けながら天井を眺めていると、ベッドルームの扉を叩く音がした。
「お客様です」
誰がこんなところに来るのだろうと、私は高津に用意された衣服に着替えて、リビングに入っていく。するとそこにはランソワールで働いている森さんがいた。
「百合、やっぱりいた」
森さんは、私に抱きついて来た。
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