第9話 再会

 8畳一間の部屋の中に散乱したアダルトDVD、アダルト本、お菓子の袋、漫画本、ジュースや酒の空き缶、吸い殻で山盛りになった灰皿、シミだらけの座椅子――


 その中心で、源治は最新のビジネス本を読んでいる。


 (クソッタレ。給料が上がらねぇ、資格でもとってホワイト企業に転職してやる……!)


 できるサラリーマンの如く、ここ最近源治はビジネス本を読み耽っているのだが、肝心の内容が頭には入ってこないでいる、学生時代はテストは常に赤点で留年の危機に何度か直面しており、元々の頭の出来があまり良くは無い為だ。


 瓦製パンの給料では源治の生活は常にギリギリ、遊びさえしなければ別に普通に暮らせていける額面なのだが、20代の若者に遊ぶなというのは無理な話である。


 よく先人は辛くなったら下を見ろと言うのだが、今の源治にとってはとっととこんなブラック企業をおさらばしたいと考えるのが精一杯と言った具合である。


 『ブブブ』


 スマホのバイブが鳴り、源治は本に栞を挟み液晶画面を見やる。


 『明日、また新人が入ってくるらしいぞ、しかも今度は社長の娘さんらしい』


 『娘?どうせ、ブスだろう、同族企業かよここは』


 どうせ、他のブラック企業の例に漏れずに同族で固めて俺たちを薄給でこき使って一生抜け出せなくさせるんだろう――源治はそう思いラインを打つ。


 『お前美希ちゃんに振られてからもう半年ぐらい経つべ、アタックでもしてみろよ』


 『あ?しねえよ、所詮水商売の女には興味が無えんだよ、てか、振られる原因を作ったのはお前だろうが』


 こいつがあんな事を送らなかったらもしかしたら俺は美希ちゃんと今でも連絡を取れていたのかもしれない――美希にラインを送ったのだが既読にはならない、ブロックされてしまったんだなと源治は溜息をついた。


 『いや俺はアドバイス的な事をしただけだ。お前今暇?ラッキーに飲みに行くぞ』


 翔太は源治の失恋の原因を作ったのにも関わらずに謝罪の一つを送ろうとはしない。


 『わかったよ、どうせ暇だし行くよ』


 『オッケイ、一時間ぐらいしたら帰るぞ』


 源治はスマホを置き、誰も居ない部屋で深い溜息を付く。


 美希が『ショットガン』を辞めてから半年以上が過ぎて今は4月の初旬、新人が入ってくるこの時期、入ってきた新人は過酷な現場に耐え切れずに辞めて行き、残った者は誰一人として居ない現状――


 なら、派遣社員はどうかと言えば、入ってから一日や一週間したら辞めて行く者が大半で定着しない、工場の勤務は一部の企業は別として、殆どが立ち仕事で神経を使う為に、簿記やMOS等のデスクワーク勤務向けの資格を持っている人間は早々に見切りをつけて辞めて行ってしまう。


 源治は今の仕事をしていて、何度か辞めたいと思い初歩的なパソコンの資格を取ろうとわざわざ高い金を払いパソコン教室に通いMOSのワードとエクセルの資格を取ったのだが、全く役に立つ事はなかった、登録した転職エージェントの人間からは「いくら20代前半で転職しやすいとは言っても、今日日の企業は即戦力を求めていて、資格を持っていても実務経験が無い人間ではIT関連の仕事に就くのは難しい」と瓦製パンよりも少し待遇がいいメーカー、それも生産管理部門を教えてもらっただけだった。


 (生産管理部門といっても結局は現場で仕切ってるだけで、力仕事には変わらないしなぁ、はぁーあ、結局俺は底辺職しかねーって事なのか)


 源治は再び溜息を付いて、立ち上がり、ハンガーに無造作に掛けてある黒のダブルライダースジャケットを羽織った。

 *

 4月とは言っても夜はまだ寒く、町中にはまだダウンジャケットやロングコートを着ている者は数少ないのだが存在する。


 翔太は最近流行りの黒のMA1を着て、鼻歌を歌いながら源治とともに『ショットガン』に足を進めている。


 「お前なんでご機嫌なんだよ」


 「4月と言ったら新人の入ってくる出会いの時期だし、人事の時期じゃん?社長の娘にうまく取り入ることが出来たら、ひょっとしたら出世とかできるかもしれねーじゃん」


 「逆に不安だろ?下手に手を出してみろ?何されるか分かったもんじゃねぇ」


 社長の娘と仲良くして自分の立場を上げようと目論むお気楽な翔太とは逆に、源治はその社長の娘さんと仕事をしていて嫌われたらまず自分の評価が下がるのではないかと不安である。


 店のドアを開けると、正志はタバコをふかしながら新聞を読んでいるのが彼らの目に入ってきた。


 「正志さん、ジーマ二つね」


 翔太は指でピースサインを作り、カウンターに腰掛ける。


 「いつものやつだね、あれっ?どうしたんだい?なんか源ちゃん浮かない顔しているね」


 「いやね、こいつったらね、美希の事をまだ引きずっているんですよ」


 「源ちゃんね、いくら仲がいいって言ってもね、所詮はね、水商売だからね、まぁ俺が言っちゃったけれども。そろそろ忘れてね、別のいい女を探しなね?」


 正志は笑ってそう言い、カウンターの奥へと消えて行く。


 「女かー、まぁでも今はいいかな」


 源治はため息をつき、俺は孤独に慣れているから平気だよ、といった具合で軽く強がってそう言い、メッセンジャーバッグの中からマイダーツを取り出す。


 「でもお前、彼女いない歴イコール年齢だろ?そりゃ世間的にはヤバイだろ。まだ老け込む年じゃなかろうに」


 今の世の中では、大抵の男女が学生時代に恋愛経験があり、25歳までに結婚をして子供を作る流れが主流らしく、所謂ネットスラングでいう『彼女いない歴イコール年齢イコール童貞』という言葉が源治の心には重くのしかかる。


 恋愛をしないと人間は老けるように出来ているらしく、今の源治は実年齢よりも5歳は老けている。


 「取り敢えず俺は明日入ってくる新人が性格が悪くなかったらいいと思っているけどねぇ、それよか、ダーツでもやるか」


 源治は立ち上がりマイダーツを持ってダーツの機械にコインを入れる。

 *

 瓦製パンの1日は、午前8時半から行われる朝礼から始まる。


 (頭痛えな……)


 源治は軽く二日酔いで、事務所に翔太や他の作業員に交じり立っている。


 「お前なんでダーツが強いんだよ」


 「特訓したんだよ」


 翔太も源治と同じく二日酔い気味で頭痛のする頭を抑えながら朝礼を聞きに立っている。


 昨日の晩、源治と翔太はダーツで一戦を交えて、30点差をつけて源治の圧勝で終わり、賭けで勝った金で買ったジーマを源治は飲み、リベンジとばかりに翔太は何度も源治に勝負を持ちかけてその度に返り討ちにあった。


 30畳程の広さの事務所には派遣社員と正社員がいて、死んだ目をした面構えで立っている。


 ドアが開き、瓦製パンの青のユニフォームを着た女性と現場監督に出世した美千代が来た。


 「!?」


 「えー、これから朝礼を始めますが、その前に新しいお仲間を紹介いたします、本日付で製造ラインに配属になった源美希さんです」


 そこには、美希の姿があった。


 茶髪でパーマのかかった髪の毛は黒に戻してショートヘアーにしており、新人社会人特有の緊張に襲われている表情を浮かべて、美希は彼等に一礼をして自己紹介をする。


 これが、美希と源治の二度目の出会いであった――


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