第8話 母親と失恋

 長年のタバコのヤニの汚れで、元々白だった壁は黄色く染まり、DQN達がここでよろしくやったのか、黒のソファからは所々が破けて中身の綿がはみ出ている。

 

 10年前のカラオケ機械なのか、DAMは旧式でよくマイクの音が飛ぶ。


 そんな、場末のカラオケボックスに源治と翔太は仕事での憂さを晴らすかのように、最新のJ-POPを音程がずれた下手くそな歌を披露している。


 歌い疲れたのか、彼等は歌を入れるのをやめてソフトドリンクを飲んで一息入れている。


 「なぁ、すごい気になんだけど、何故美希ちゃんのラインをお前は知ってるんだ?」


 ――俺と美希ちゃんだけの秘密の繋がりだったのに……。


 何故翔太が美希のラインを知っているのか、源治は不思議で仕方がない。


 「え?いや、スマホのゲームで盛り上がってさ、交換したんだよ」


 「そっか」


 「お前本当は美希ちゃんの事好きだろ?」


 「馬鹿言え、水商売の女には興味ねえよ」


 源治は翔太の質問に核心をつかれ一瞬動揺したが、ここで本当のことを話せば多分周りにバラされてしまうだろうと思い、冷静に切り返した。


 「本当かよ?」


 「マジだよ、後少ししたらここ出てラーメン食って帰るぞ」


 「マジかー」


  翔太は少し頭の弱いところがあり源治の本心は見抜けなかったが、多分源治は美希に惚れているだろうなと思い、ドリンクを口にした。

 *

 源治の母親の春香が暮らしている覚醒剤中毒患者のリハビリ施設『Zうす』は、奇遇にもK町の中に存在している。


 白い外観の建物は、いかにも治療施設ですよと言った具合の雰囲気が立ち込めており、繁華街のK町には似つかないもの。


 (ここに俺の母親は入院しているのか……)


 その日源治は会社に私用の為と言って有給を貰い、音無と共に『Zうす』に足を進める。


「先生、もしかしたら俺は親殺しになるかもしれないから、一緒に来てくれないか?」


 源治の頼みを音無は快く承諾した、実の親に覚醒剤を打たれて一生禁断症状に苦しむ人間が実の親に殺意を抱かないはずが無いと音無は源治にそう言って忙しい合間を縫い、今日ここにいる。


 施設の看護師に、音無は事情を説明すると、その看護師は気の毒そうに源治の顔を見つめる。


 建物の中は、精神病棟のデイケアのように穏やかな空気が流れている、源治達は春香がここで穏やかに暮らしているのだろうなと想像する。


 「ねえ!シャブ打ってよ!苦しいのよ!」


 建物中に響く覚醒剤中毒患者の心の叫びに、源治達の甘い想像は音を立てて崩れ去った。


 部屋の中にいる人間達は、ほとんどの人間が禁断症状の影響で頰は痩せこけて体は枯れ木のようにガリガリに痩せている事を源治達は気がつく。


 中にいる看護師は、淡々と彼等の世話をする。


 (こいつらは本当は、ここに居る人達を本気で社会復帰させる気は無いんじゃないのか?)


 源治は、看護師の目を見てそう思う、音無からは、「福祉の仕事に就く人間は大半が、お金目当てで本気で福祉に貢献しようと思っていない輩だらけだ」と聞かされていたし、ネットで見た福祉のスレッドには散々な事が書かれていた。


 「ここが、春香さんの暮らす部屋です」


 看護師は複雑な顔でドアを開ける。


 目の前には、髪の全てが白髪、目は窪み、ほおは痩せこけ、手足は鎖で繋がれて顔と体は無数のシワだらけの女性がいる。


 「あ、貴方が俺のお母さんか……?」


 源治は目の前にいる女性が、80代の老女に見える。


 「源治、源治なの……?」


 「ああ、俺が源治だよ」


 「ごめんね、昔あんな事をして……」


 春香は何かを続けて言おうとしたが、瞳孔は見開き、発作を起こしたかのように激しく体を動かそうとする。


  「!!」


 「発作をまた起こしたのです、禁断症状に1日に何度も襲われるのです、面会は今日はこれまでで宜しいでしょうか?」


 「は、はい」


 看護師に言われるがまま、源治達は部屋を出た。

 *

 肌を這う、黒と紫の毒々しい色をした甲虫、目の前はガラスが砕け散ったかのように四散し、常に襲いかかる前駆症状――


 「なあ源治、お前最近なんか様子おかしいぞ」


 翔太の言葉で源治は我に帰った。


 目の前には空のペットボトルと封の空いた菓子袋が置かれている、ここは源治の家。


 今日は早番で次の日が休み、いつものパチスロ店に出かけようにも今日は新装開店の準備の為にここ二週間は閉店、『ショットガン』に行こうにも時間がある為に源治達は源治の家でテレビを見ながらブレイクタイムを決め込んでいた。


 刑事物のドラマを見ている矢先、源治は先程の症状に襲われていた。


 (これが、先生の言う禁断症状ってやつなのか……?)


 御子柴が話していた禁断症状は、肌に虫が這い景色が歪んで前駆症状に見舞われると源治は聞いて、恐怖に襲われる。


 「いや何でもねえよ、疲れただけだよ」


 源治は立ち上がり、トイレへと足を進める。


 トイレのドアを閉めた瞬間に、源治は強烈な吐き気を感じて便器に吐いた。


 (俺は死ぬまでに、一生こんな症状に見舞われるのか?)


 覚醒剤を一度やったら人生は終わり、一生抜け出せなくなるし強烈な禁断症状に見舞われる。


 (俺はもしかしてあのババアと同じように、一生を更生施設で終わってしまうのか?)


 両手足を鎖で繋がれて、死体のような身体で暮らすという、決して人間らしい暮らしとは言い難い、そんな環境で何年も暮らす春香を見て、源治は得体の知れない恐怖に襲われる。


 人間は、人間らしい暮らしをして初めて人間として扱われると言うが、『Zうす』で暮らす人間は人間とは言えずに、福祉施設で一生暮らす羽目になった廃人、人様の税金で暮らしている家畜、世の中の屑――


(嫌だ、あんなん人間らしいとは言えねえ!ああなったら、俺は死ぬ事を選ぶぞ……)


 源治はトイレを流して、トイレを出て部屋に戻る。


 丁度そこでは、翔太が源治のスマホをいじってなにかを操作していた。


 「てめえ!何してやがんだ!?」


 「ふーんお前、美希ちゃんと結構仲良くしてんだな、安心しろ、お前が付き合えるような手筈はしてやったからな」


 「手筈ってなんだよ!?」


 源治は翔太の手からスマホを奪い返して慌ててスマホを見やる。


 『君の心にヒットマン!ねぇとりあえず今度食事しに行かないか?』


 「お前なんてこと送ってるんだよ!しかも、ラインじゃなくてメールじゃねぇか!取り消しができねぇ!」


 「いやねぇ、こんなにねぇ、熱々なトークしてたらねぇ、こりゃ、付き合うのを手伝いたくなるっしょ!これでバッチリだよ!」


 「バッチリじゃねぇよ!もうあの店には行けなくなっちまったじゃねぇか!」


 「平気だよ、別の女を探せばいいんだよ!」


 源治は翔太の頭を軽く叩いた。


 翔太のスマホがぶぶぶと鳴り響き、翔太はスマホを見やる。


 「なぁ、美希ちゃん辞めてしまうらしいぞ」


 「え?」


 「マジだよ、お金が貯まったから辞めるんだと」


 翔太は源治にスマホを見せる。


 『私、お金が貯まったからやめるね、昨日限りで。じゃあね!源治さんによろしくね!』


 「はぁーあ、あんな可愛い子がやめちまうんだな、楽しみが減っちまったよ」


 翔太はため息をつき、窓の外を見やった。


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