第5話 過去

 「やっと立会い終わったな」


 翔太は酷く疲労困憊した顔で、ブラックコーヒーを口に運ぶ。


「あぁ、あれはもうこりごりだな」


 源治もまた酷く疲労困憊、疲れ切った顔でドーナツを口に運んだ。


 ここ一週間、彼等の職場では、別の会社と共同で新製品を作るとの事で、その取引先の客が来ていた。


 偉そうな面出来た取引先の客からは、重箱を隅を突くような性根の悪い質問ぜめをされており、源治だけで無く、他の社員もまた疲労困憊で神経をすり減らしていた。


 翔太と源治は残業で全ての業務の引き継ぎを終わらせて、ようやく解放されて、帰り道にあるファミレスでドリンクバーを飲んでいる。


「今日あのババァは来ないよな?」


「来ないだろ。多分。あんな面もう二度と見たくないよ」


 このファミレスには瓦製パンの社員がよく利用しており、たまに彼等は美千代と出くわしてしまう。


 美千代は彼らと会うたびに、人間関係や仕事での愚痴や不満場所を選ばずに、醜く歪んだ顔で面白おかしくヒステリックに話し始めている。


 更に、挙げ句の果てには、精神が歪んでいるサイコパスよろしく『自分は被害者だ、何も悪くはない』と言っているから始末は悪い。


 なら、他の同年代の社員はどうか?と言うと、彼女や彼女がどうだとか、フェィスブックに載せる写真の写りが悪いとか、サーフィンにスノボが楽しみだとか有給を使って旅行だとか、リアル世界が充実しているリア充である事をアピールする話しかない。


 私生活がパチスロや酒しかないアウトローの源治と翔太にとって、彼等の話している事は異世界の住人の会話でしか聞こえない。


「はぁーあ、彼女欲しいな」


 翔太は溜息をついて、目の前に置かれているフライドポテトを一つか二つ程マスタードソースに付けて口に運ぶ。


 源治は長時間話をしていて客の回転率が悪くなりふてくされているリーダークラスらしい黒のネームプレートを胸ポケットに掲げた店員に、大盛りのカルボナーラを頼んだ。


「でもお前、前に金髪の女の子と歩いてなかったっけ?前に写メ見せてくれたよな?」


「あぁ、あれな、別れたよ、俺が底辺労働者だと話したら、お金が無いのが嫌だからって振られたよ、はぁーあ、転職してえな」


 翔太は2ヶ月程前に低偏差値の大学、所謂Fランと呼ばれる大学に通う年下の女の子をパチスロ店でナンパしたと話していたのを『ショットガン』で正志や源治達に、得意げな面構えで自慢げに話していた。


「また行くか?明日」


 源治はポテトの塩のついた汚い手で傷だらけの液晶画面のスマホを操作している翔太にそう尋ねる。


「あぁ、明日は無理だな、親と食事に行くから」


「そうか、親か」


 親と聞いて源治は寂しい気持ちに襲われる。


(そういえば、最近全然先生と会ってないな、久しぶりに会うかな……)


 源治はタバコにを火つけて、店の外の光景を見やる。


 夕闇の帳が降り始めた17時半の時間帯、駐車場に置かれた最新の軽自動車の中から出てきたのは、核家族なのだろうか、源治達よりも2.3歳は年上に見える男女が1.2歳ぐらいの男の子と手を繋いで歩いでいるのをみて、源治は親のいない自分自身に哀愁を覚えた。

 *

 源治の仕事が終わって休みを貰い、先生に会いに行くためにワインレッドのポロシャツとスキニージーンズを履いて決めて、K町から5駅、電車に揺られて行くとA駅に着き、源治はノスタルジックな気持ちに襲われる。


 「こんなクソみたいな町にまた来ちまったのか……」


 U町はK町よりも栄えておらず、駅前にあるのは寂れたパチスロ店、場末感満載のスナック、ぶつぶつと呪文のような言葉を吐きながらマンガ本を見やる眼鏡をかけたきみの悪い男性が外から見える、閑古鳥が鳴いているコンビニがある。


 最新の本がそんなになさそうで、近隣に大型書店が無い為に、この寂れた街で何とか細々と経営をしている小さな書店と、味が薄い事で有名な大衆向けの喫茶店と、全国チェーン店のラーメン店しかない、しがない田舎町だが、確かにここに、源治の青春はあった。


 源治が以前お世話になった児童福祉施設の先生との待ち合わせは、駅前の喫煙所であり、源治は待ち合わせの時間の13時に20分程少し早く着いたのか、ベンチに腰掛けてタバコに火をつける。


 はいている黒のスキニーパンツの違和感に気がつき、スマホを取り出して液晶画面をちらりと見ると、美希からのラインが入っている。


 『レベル90になったよー!』


 (よほど暇なんだなこの女は、恋愛の一つや二つでもしろや、まったく)


 ラインには、ゲームのキャラクターのレベルが上がった事と無料スタンプらしきキャラクターのスタンプが送られてきている。


 美希はB県有数の名門私立大学の法学部に通いながら、昼間は勉学に励み夜は『ショットガン』で勉強をしている苦学生だと以前源治は美希と話をしていて聞いていた。


 『そうか。俺はまだレベル85だよ、凄いね。てか、学校の勉強はしなくていいのかい?』


 源治は美希の今後が心配である。


 K町に住む人間の大半が高卒、中卒、大学中退などの低学歴のDQNで、町にはブラック企業が溢れかえり、ハローワークのブラック企業対策も焼け石に水程度の効果である。


 生活の為に仕方なくブラック企業で勤めて心の中の大切なものが擦り切れて人間が歪んでいる。


 翔太は高卒で卒業後に特にやりたい事もなくフリーターの道を選んで高校時代のパン工場アルバイト経験で瓦製パンで働くことになり、楽観的な性格な為に街にあるDQNのように心が捻くれずに済んでいる。


 対照的に、他の社員は殆どが性格は最悪であり、陰口は日常茶飯事、酷くなると「死ね」だとか「馬鹿」だとか普通の社会人があってはならない言葉を些細なミスをした同僚に吐くのは当たり前である。


 源治は、まだ心が擦り切れてはいない為に、そんな言葉を周囲に吐くことはないのだが、いつも鏡を見るたびに、自分の顔と心は歪んでいるのかと不安に襲われる。


 『単位取っちゃって、今度は資格の勉強なんですよ。この前話していた行政書士です』


 (俺とは断然住む世界が違うんだな……)


 危険物取扱者資格の問題集を買ったのはいいのだが、1ページ見て挫折して古本屋に売りさばいて缶コーヒーを買った自分との歴然の差に源治はただ打ちひしがれる。


 『頑張ってね』


 『源治さん今日店来ないんですか?マスターがオムライスの練習を重点的にさせているんで、ちょっとオムライスには自信がありますよ』


 『うーん行きたいんだけどね、ちょっと今日知り合いと会うんだよ、行けたら行くよ』


 『分かりました、お待ちしております♡』


 (ハートだと、可愛いじゃねえか……)


 仮にそれが営業スマイルだとしても、孤独な日々を送る源治にとっては嬉しい事限りなし。


 美希とのラインが、心が擦り切れずに必死に毎日の怠惰で過酷な仕事を耐えるカンフル剤のようなもの。


 (これじゃあ世の中から、水商売がなくならないわけだな……)


 源治はふふ、と笑い、煙草を口に運び煙を肺に入れる。


 水商売に熱を上げる男の大半が、恋愛に飢えている、源治は彼女がいない期間が長い為金を無駄に使う風俗や水商売とは距離を置くようにはしているのだが、毎日のように美希とラインで他愛もない話で盛り上がっていることもあり、『ショットガン』に一人で行く機会が増えた。


 源治は今週夜勤な為に、ほぼ毎日のように出掛けてはジーマをちびちび一杯だけ飲んでは美希とはゲームや漫画、映画やアニメなどの他愛のない話をしているのである。


 勿論翔太との深夜でのゲームセンターでの100円パチスロの誘いは「眠たいから」と嘘八百を述べて断りを入れている。


 源治はタバコを灰皿に押し付ける


 「源治」


 後ろから、低い声が聞こえて後ろを振り返った


 「御子柴先生……」


 そこには、白髪混じりの初老の男が立っている。

 *

 K町からバスで10分ほどの距離に、児童福祉施設ミコ☆ミコ園はある。


 灰色の建物に、庭には滑り台やブランコなどの遊具が置かれていて、小学生ぐらいの子供がそれで遊んでいるのが源治の目に映り、哀愁を感じる。


 (ここにいる子供達は将来苦労するのが目に見えてわかる、俺がそうなんだ……クソッタレ、世の中は親とか自分の力ではどうにもならない事で差別しやがる!)


 世間というものは差別と偏見で満ち溢れており、障害者、親がいない、片親、親が水商売をしている、顔が不細工等個人のバックボーンが普通の人間の条件ではないとの理由で人間にケチをつけてそれを相対的な人間性の評価にしてしまうから始末に悪い。


 源治はこの園で3歳から18歳になるまでの15年間過ごして社会に出た。


 学校やアルバイト先での差別、いじめは一通り経験をして、中学時代に思春期特有の原因が分からない得体の知れない苛立ちに任せていじめっ子の腹を包丁で刺して一年程鑑別所に入った経緯がある。


 高校は御子柴の尽力で何とか底辺高校に入れたのだが、「こいつは人殺しの孤児だ」と悪評が立ち周囲が距離を置くようになり孤立してしまった。


 そんな理由で、高校卒業を機に、新しい人生をやり直したらどうかとの御子柴のアドバイスに従い、U町から離れて、わざわざ数駅も遠くのK町で仕事を探して働くことにしたのだ。


 御子柴と源治は部屋の中でタバコをふかして、今までの話をしている、御子柴の顔は源治が話している間ずっと複雑な表情を浮かべている。


 「源治、お前ももう21だな、お前に話しておきたいことがあるんだ」


 「え?」


 「お前のお母さんがお前に会いたがっているとしたら会いたいか?」


 「……え、いや、それは」


 源治は動揺を隠すかのようにたばこを取り出そうとしたのだが、手が震えてしまいテーブルの下に落としてしまった。


 「まぁいきなりこんな話をしても難しいのかもしれないのだがな、お前がここに預けられてからずっとお母さんから連絡を受けていて、生活に余裕ができたからお前を引き取りたいと言われていたんだ」


 「そうですか、でも俺は今更そんな事を言われても会うか会わないかとそんな返事は今すぐはできません、向こうにも生活があるでしょうし、考えさせて下さい」

 

 「そうか、だなここに来れば、お前のお母さんの連絡先のことはいつでも教えてやる、心の準備ができたらいつでもこい」


 「ええ、疑問があるのですが、なぜ俺は預けられる前の記憶が欠落しているのですか?」


 「それはな、今だから言えるのだが、お前はお父さんから虐待を受けていたんだよ」


 「やっぱりそうですか」


 自分が実の父親から虐待を受けていた事に源治はあまり疑問を感じない、ここで暮らす子供達が預けられた理由の大半が親からの虐待である。


 「薄々そんな予感はしてました、でもなんで俺はその時の記憶を覚えていないのですか?」


 「それは、お前の脳が虐待の記憶を封じ込めてしまった。人間の脳はな、ひどいストレスに襲われると記憶が失ったりするんだ……」


 御子柴は複雑な顔をして口を開く。


 「いえ、いいです」


 誰が好き好んで、自分が虐待を受けていた記憶を知りたいのか、仮に知ったとしたら自分は多分親を殺しに行くだろう、源治はそう思い床に落ちたタバコを拾い火をつける。


 「そうか、たが、ふとしたはずみで記憶が蘇るのかもしれないから、それは覚悟しろ」


 「……」


 子供のはしゃぐ声が、源治の耳に鳴り響いた。


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