第2話 バー『ショットガン』

 30畳程の空間の端の隅に置かれているベルトコンベアの機械からは、キイキイと言う小気味よい音が流れ出ている、この機械は高度経済成長期に造られた年代物、ここで作業をする人間の生まれた年かそれ以上に年季が入っている。


 ベルトコンベアから運ばれてくるパンに袋を詰めるという、典型的な気の遠くなる作業、その作業をここにいる毛髪混入防止の為のつばの付いた帽子と白の割烹着に身を包んだ人間達がいる。


彼らは、まるでここにしか居場所が無いと言った具合なのか、小学生でもできるような単純作業を嫌な顔を一つせずに黙々と行っている。


 「ちょっとねえ、遅いですよ!もっときびきび動いてくださいね!」


 眼鏡を掛けた、中年の女――影山美千代(カゲヤマミチヨ)は、清楚な名前とは裏腹に顔は不細工、化粧はきつく、禁止されている香水の匂いをこれでもかと周囲に撒き散らしてここにいる社員の人間の苦労を分からずに怒鳴り散らす。


 就業のベルが鳴り引き、ここにいる男女は苦行とも捉える事が出来る作業から解放されて、各々がロッカールームに足を進める。


 源治は、深い溜息を付いて、ロッカールームに入っていく。


 (こんな糞のような仕事ならば、事務かウエブ関係の職業訓練学校にでも行っておけばよかったかなあ、俺……)


 数か月間のネットカフェ難民生活から、生活困窮者自立支援制度を利用し、源治がようやく今の職場に辿り着いたのがほんのつい一月前の話。


 源治が務める瓦製パンは、昭和50年ごろ、日本がまだ高度成長期で景気が良かった頃に、パン屋で修行していた源龍臣(ミナモトタツオミ)が裸一貫で興した企業で、調理師などのその道の専門家を使い、徹底的なマーケティングにより業績は上がり続け、今や日本で知らないものはいない大企業に化けた。


 主な生産品はあんぱんであり、北海道産の小倉あずきと小麦を100%利用し、味はとろけるように美味く、度々テレビや雑誌で紹介されている逸品。


 あれから、生活困窮者自立支援制度を利用した源治は、困窮者向けの住宅で一月暮らした後、ハローワークでたまたまここの正社員募集を見つけ、支援員の助けを借りて書類選考と面接を突破した。


 数年前から行われている政府の雇用政策の影響からか、ハローワークの有効求人倍率は過去最高水準を記録しており、ハローワークには連日の様に新しい求人が沢山出てきているような状況である。


 ハローワークで急募という事は、ブラック企業ではないのかと源治はネットの転職関係のサイトで知ってはいた。


転職関係の掲示板や某巨大匿名掲示板には悪い書き込みはボーナスが少ないとか昇給が低いだとか、愚痴程度しかなく大きな事件とかが書いて無かった事と、困窮者住宅の立ち退きが迫られていた為、否応なく背水の陣の覚悟で源治はここを受ける事にしたのだ。


 瓦製パンは月給制で給料は月に15万円、昇給あり、ボーナスは約一月分、労働時間はシフト制、6時半から15時半の早番、8時半から17時半の日勤、15時から24時の夜勤があり、夜勤は深夜手当がつくために夜勤のある月は18万円近く稼ぐ事が出来る。


 高卒の給料でいえば平均的であり、余程の贅沢をしなければ、一人で普通に暮らせていける額である。


 源治の住むK町に、瓦製パンの求人がハローワークで出ており、生活福祉課の支援員の協力の元職歴が一年ほどしかない源治の履歴書や職務経歴書の作成、どちらかと言えば本番で緊張してしまう源治の模擬面接を綿密にして対策を練った。


正社員で登用されたのだが5名の募集にもかかわらず2人しか応募がなく定員割れで入れたと後で聞き、源治は軽くガッツポーズを取った、この待遇は普通に暮らしていける額だったのである。


 だが、人間という生き物は何か少し辛い事があると逃げたくなってしまう繊細な生き物であり、たった一月しか勤めている源治は今の環境が嫌で仕方がない。


 「お疲れ様です」


 源治は早番のシフトを終えて、引き継ぎとパソコンでの業務メールをそこそこに、事務所を出て行った。


 ロッカールームには、源治の同僚達がいて着替えをしている、正社員や契約社員の他に派遣社員がおり、瓦製パンは人件費削減の為に近隣の派遣会社を雇い、派遣社員を安く使っているのだ。


 源治が今の職場が嫌な理由に、若い女性があまりいない事が挙げられる。


数名程、女性社員はいるのだが、顔が不細工で、しかも年齢は三十路が大半で家庭持ち、早い話が出会いがないからだ。


 「よう」


 源治の隣のロッカーで、着替えをしている茶髪のオールバックの男は、スマホをいじっていたが源治に気がつき声をかける。


 「あれっ?お前今日早番だったか」


 「あぁ。日勤だったが、早番をバックれた派遣社員がいて、代わりに来てくれって言われたんだよ。ついてねぇや、パチンコで馬鹿勝ちする夢を見たんだぜ」


 そのオールバックは、財布を落としたかのような残念な顔で溜息をつき、スマホをポケットに入れる。


 「そいつぁついてねぇな。でも金曜日だからいいじゃねぇか」


 「そうだな、いつものように、飲みに行くか」


 「そうだな」


 源治はロッカールームを開けて、作業着を脱ぎ捨てる。



 鳴海翔太(ナルミショウタ)と源治は同じ時期に入社した同僚。


 会社が倒産してネットカフェ難民で食いつぶして、生活困窮者自立支援制度を利用して瓦製パンの正社員として入った源治とは違い、翔太は比較的裕福な実家に生まれ、高校卒業後にやりたい仕事がなく色々なバイトを経験した後にパン工場での勤務経験を買われて入社した経歴の持ち主。


 年齢は共に同じ21歳であり、瓦製パンの側にある一戸建ての一軒家で親と一緒に暮らしている。


 「あの台全然でねぇな!」


 午後17時半を過ぎた時、源治と翔太は不機嫌そうな顔でパチスロ店から出て、駐輪場へと足を進める。


 源治達の交通手段はビックスクーターとバイクであり、源治はバイク、翔太はビックスクーター。


 源治は、普通自動車免許を持っていない代わりに、自動二輪の免許を高校生の時に土木建築のアルバイトをしながら取得して、瓦製パンに入ってすぐに中古の原付を購入した。


 (次は車だな、雨の日寒いしな)


 源治の住む町にある自宅から、瓦製パンまでのアクセスは主にバイクであり、雨や雪の日はバスで通勤するのだが、会社員達が車を乗り回しているのを見て、源治は羨ましいと感じているのである。


 仮に免許を取って車を持ったとしても、維持費が持たない、バイクの維持費だけで月に1万円はかかっており、昇給が見込めない瓦製パンの給料では我慢するしかない。


同様に翔太も車は前に持っていたのだが、維持が難しくなった為に売り、仕方なくビックスクーターに乗っているのだ。


 「だから言ったじゃねえか!あの店のパチンコはクソ台ばっかなんだよ!」


源治は、クズな翔太を見てため息をつく。


 (こいつ本当に駄目人間だな……)


 「勝てると思ったんだけどなぁ、残念だぜ!お前が羨ましいぜまったく!」


 源治と翔太は、瓦製パンから少し離れた場所にあるパチスロ店で二時間程パチスロに興じていた。


 源治はスロットで2万円勝ち、翔太はパチンコで2万円負けてしまっていた。


 「飲みに行くべ、憂さ晴らしに!」


 翔太はタバコを排水溝に投げ捨てて、ビックスクーターにまたがる。


 「お前いつも憂さ晴らしに酒ばっかじゃねぇか」


 「そうだな。まずは一度家に帰ってからだな。デブリン飲酒運転でパクられたらしいし」


 デブリンという、ゴブリンのようなあだ名の中年太りの社員は、別の部署にいるのだが、つい最近飲酒運で警察の御用となり、会社を懲戒解雇になった。


 「そうだな、お前が駅から近くて羨ましいぜ、俺ん家微妙に遠いんだよ」


翔太の家は瓦製パンのあるK町の最寄駅から自転車で15分ぐらいの距離にある。


 「じゃあ、19時に待ち合わせな!いつも通りに!シャワーとか浴びたいしな」


源治は汗で潮が吹いた黒のシャツの袖を捲る。


 「そうだな」


翔太は髪の毛をかき上げて、ビックスクーターのエンジンをかけた。


 K町はM市内でも繁華街として知られており、大型のショッピングモールが駅のそばにあり、駅周辺には500円で大盛りのカレーやラーメン、定食を出してくれる良心的な店や、格安の居酒屋がある。


そして、大抵どこの街にもあるのだが、スナックやキャバクラ、ガールズバーにピンサロなど必要悪の代名詞が何軒か軒を連ねている。


 そこに住む人間と言ったら、普通の人間も中に入るのだが、大抵がヤンキー系の血気盛んな人間、所謂DQNか、海外の人間がいてよく警察が彼らの起こすトラブルに手を焼いている。


 彼等はジャンクショップの価格破壊で簡単に購入ができるSIMフリーの中古のスマホを使って無許可の動画撮影や、スマホのゲームを車や原付、ビックスクーターに乗りながら操作している。


その為に、あちこちで事故が多発したり、可愛い女の子を誰彼構わずナンパして所構わずに性行為をし、それを面白半分にYouTubeやニコニコ動画に投稿する馬鹿な輩がいて、近隣の住民との揉め事が1日に必ず数件起きるから、シャレにならない魔境の町。


 源治は、こんな糞のような街からすぐにでも出たいと思っているが、月給15万円程の雀の涙の給料では引っ越しの貯金はままならない。


もっとも、翔太との遊びでそんなに貯金はできないという自業自得の日々を送っているため、出ることが出来ないし、仮に出たとしても会社から遠くなるのは目に見えてわかる。


 翔太もまたこんな町が嫌いで、口うるさい親との兼ね合いがなかったら出ていきたいと、よく二人で源治の家で飲んで愚痴っている、二人ともこの町が本当は好きではないのだ。


 だがそんな街にも、源治や翔太にとっての憩いの場所がある。

 源治と翔太がいつも仕事後の金曜日に利用している飲み屋に、『ショットガン』というバーがある。

 

 7月の金曜日の夜という事もあり、この店のあるM市L駅周辺は人の波でごった返している。


 源治はシャワーを浴び、グレーのタンクトップと赤と黒のチェック半袖シャツ、ダメージジーンズにレザーサンダルと言った何処にでもいるストリート系の若者の格好をして、駅の喫煙所で電子煙草を吸いながら、翔太を待っている。


 「おえええええ」


 後ろの方で誰かが嗚咽する声が聞こえて、源治は慌てて振り返ると、スーツを着たサラリーマンが吐しゃ物を駅前で吐いているのが視界に入り、思わず目を伏せた。


 その隣では、金髪の坊主が大音量でスマホの音楽を流して、酒を飲みながら地面に座り込んでスマホのゲームをやっている。


 (DQNばっかだ、相変わらず糞みたいな町だ……)


 B県は町の治安があまり良くは無く、ネットスラングの用語でいうDQNが多く生息する場所としても知られており、源治の住むK町や瓦製パンにもDQNは数多くいるのだ。


 (あいつ遅えな……)


 源治は翔太にラインを送るのだが、既読にはならない。


 駅のホームからは、何やら声が聞こえる。


 「ねえ、これから俺と飲みに行かないか?」


 「いやちょっとごめんなさい」


 「ねえいいじゃない、行こうよ」


 「駅員さん!助けて下さい!」


 「分かったよ、じゃあなブス!」


 (ナンパかよ、最低だな)


 ホームからは、サングラスをかけて黒のポロシャツとスリムフィットジーンズをはき、白の靴を履いた翔太が、不機嫌な顔をして出てきた。


 「おい!遅えよ!しかも何ナンパしているんだよ!?お前には節度がないのかよ?」


 「いいじゃねえかよ、休みなんだしな!」


 「警察呼ばれたらどうするんだよ!」


 「だってよ、野郎二人だけじゃつまらねえべ!」


 「ったくよぉ、行くぞ!」


 「そうだな」


 源治と翔太は、連れ立って歩き始めた。

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