希望ノ街

第1話 プロローグ

 僅か3畳半程の空間には、四六時中空調がかかっている環境に吊られて蠅が産んだ蛆虫がたかる、やや薄汚れた黄色の綿の出た薄茶色のソファ、大量生産された廉価な味わいのソフトドリンク、そして、ディスクトップ型のパソコンーー


 ネットカフェという不衛生極まりない場所に、五十嵐源治(イガラシゲンジ)は、日雇い派遣で疲れ切った体を休めるかのようにして、蛆虫の沸くソファに横になってSIMフリーのスマホを操作して、ハローワークの検索システムを見ている。


 「マジでやべえな」


 源治は溜息を付き、体を起こす。


 つい一時間程前、源治は登録している派遣会社から解雇を言い渡された。


 詳しくは聞かされてなかったのだが、同じ派遣会社の輩の連中の噂では、リーマンショックのほとぼりが冷め、今や影を潜めた派遣切りがあるというのを聞いていた。


 源治は高校生の時から使っている革製の財布の中身を確認すると、3000円しか入ってはいない。


 ネットカフェの6時間パックでは2500円、残り差し引いても500円、煙草を買って終わりのあり様である。


 (何か方法がある筈だ)


 源治は藁にも縋る思いでネットを開き、某匿名掲示板にアクセスする。


 『ネットカフェ難民』


 匿名掲示板に書かれている言葉は、『ネットカフェ難民オワコン』『人生積んだ』とかそんなネガティブな言葉である。


(何い!? ネカフェ難民は死ねだと!? 冗談じゃねえ、誰にでも平等に生きる価値はあるんだよ! 落ち着け俺、必ず何処かに、這い上がれる方法はある筈だ!)


 源治はネット民の誹謗中傷めいたアドバイスに、頭のこめかみがいらいらする気持ちに襲われるのだが、希望がある筈だと自分に言い聞かせて、マウスをスクロールする。


 『生活困窮者自立支援制度を受けてみなよ』


 (ん? なんだこれは?)


 それは源治にとって聞きなれない言葉であり、すかさずそのキーワードをコピーして、検索に掛ける。


『生活困窮者自立支援制度は、生活保護を受給する手前にいる人のセーフティネットであり、行政で就労支援対策を行う』


『ネットカフェ難民には、期間限定だが、住宅を提供する』


 「これだ」


 源治は立ち上がり、使い古して所々に穴が開いたリュックサックを背負い、ぬるくなったコーラを飲み干して、ネットカフェを後にした。


 *

 源治には頼れる身内はいない。


 まだ源治が3歳の頃に、離婚した母親が幼かった源治を児童福祉施設に預けて失踪した。


 不思議な事に、源治には預けられた直後の記憶しかない、その前の記憶が欠落しているのだ。


 源治が18歳、高校卒業を機に住み慣れたB県K町を後にして、電車から5駅ほど離れたP町に引っ越して、建築会社で住み込みで働き始める。


 19歳の春、勤め先は多額の負債を残して倒産――源治は路頭に迷う羽目になり、ネットカフェ難民に身を窶したのが約一年前。


 幸いにして、失業保険は出るのだが、長年の自堕落な生活で身に着いた博打や女遊びで、瞬く間に失業保険を使い果たしてしまった。


 真冬を凌げるダウンジャケットを買う余裕が無いままにアパートを家賃滞納で追い出され、20歳の誕生日を迎える頃には、立派なネットカフェ難民に源治は不本意ながら成り下がっていた。


 貯金はとうに尽き果て、残す全財産は500円のみと言った具合。


(人生一度っきりだ、何とかやるっかねえ!)


 源治は一縷の望みを賭けて、最寄りの市役所へと足を勧める。


 K町の市役所の建物は、最近建て替えがあったらしく真新しい3階建てで、エスカレーターとエレベーターが付いている近代的な作りに源治は田舎者が都会に出てきたような錯覚に陥る。


(こんな事に税金を使うならば、ちったあ社会的弱者に回せよ……! クソッタレ、いらいらする!放火してえ! いやいかん、ここで暴れたら、刑務所に入る羽目になってしまう!)


 源治は、心の中で国民の血税の使われ方に悪態をつきながら、市役所の受付の方へと足を勧める。


 「はい、今日は何か」


 受付の女は性根が悪いのか、それとも、この国を任せられている優越感に浸り、まるで自分は選ばれた人間だと思い、生活の悩みで市役所を訪れる人間達を見下している。


 目つきは狐のように鋭く、源治の体から発せられる悪臭に嫌悪感を抱く表情を浮かべながら、源治に尋ねる。


 「あのう、ネットを見たのですが生活困窮者自立支援制度の事で」


 「ああ、それならば、3階の生活福祉課の方へとお進みください」


 その女は源治の匂いが相当嫌いなのか、強い口調でそう言って、奥の方へと消えていった。


 (なんでえこの女は! レイプしてえ! こりゃあこの生活困窮何とかってのはあんましあてにならなそうだな、親方日の丸商売ってのはこんなに冷たいのか)


 源治は市役所の対応の悪さに腹が立ってはいたのだが、ここで悪態をつこうものならば自分に不利に働いてしまうとそう言い聞かせて、苛つく気持ちを押さえながら3階にある生活福祉課の方へと足を勧める。


 平日なのか、それとも、生活に余程困窮している者がいるのか、生活福祉課の前に並べられた椅子5席は満杯である。


(なんでえ、この国はこんなに失業者で溢れ返ってるのか!? こんなに生活に困っている人たちがいるのか!? 税金を福祉に回しやがれってんだ!)

 受付札を持ちながら、源治はこの国の社会福祉と失業者の多さに疑問が芽生え、立ちながら暫く待つことになった。

 *

 ネットカフェのソファで満足に睡眠がとれていないのか、大きな欠伸をしながら待つ事30分、キザな銀縁眼鏡を掛け、頭がM字に禿げあがった、加齢臭が漂う中年の職員に呼ばれて、ようやく源治は相談が出来る事に安堵の表情を浮かべて、職員の元へと足を勧める。


 「今日は何かあったのですか?」


 受付の女とは別格、源治の匂いに嫌悪感を示さずに、須藤正弘という5cm程の白のネームプレートを胸ポケットに掲げたその冴えない、加齢臭を出す男性職員は、切羽詰まった源治の話を真摯に聞く姿勢を見せる。


「ええ、私は二年前に会社が倒産しまして、ネットカフェ難民を暫く続けていたのですがお金が尽きてしまい、ネットで生活困窮者自立支援制度の事を聞きまして、ここに来ました」


 普段から粗暴な源治は、流石にここではいい人を演じておいた方が無難だなと思い、派遣会社の社員にしか滅多に使わない敬語で話す。


 「そうですか、現在収入はおありでしょうか?」


 「それが、全くありません、先日に派遣会社から雇い止めと言われまして、収入減が途絶えました、手持ちのお金は、500円しかありません」


 「そうですか、それはお辛かったでしょうね、では、これから、生活困窮者自立支援制度の事をお話いたします」


 須藤はパンフレットを取り出して、源治に見せる。


 『生活困窮者自立支援制度の手引き』


 そこに書かれている言葉を、源治は目をぎらつかせて見やる。


 それが源治にとって再生の日であったー―

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