ラブコメの当て馬ライバルは負けヒロインを幸せにしたい

みかん屋

第一章 負けヒロインを返上させたい

第1話


 あの日の夜、俺は夜更かしをした。


 大人気のラブコメ漫画『ボッチの俺には荷が重い』。その最終巻が発売されテンションぶちあがっていた俺は、それを最大限楽しむべく第一巻から読み直しを決行。

 夜八時を超えて決行された愚行はとっくに日をまたぎようやく最終巻に突入する。


 しかし、ページをめくる俺の手は遅々として進まなかった。


 というのも、俺が大好きなキャラ、ダブルヒロインの片割れ『久遠千代くおん ちよ』の作品内での敗北が決定してしまったからだ。


 所謂、“負けヒロイン”である。


 汎ヒロインとは一線を画す個性、それゆえに溢れる魅力は時に正妻さえ凌ぐ人気を集めることがあるものの、作品外のそれとは裏腹に作品内では主人公と結ばれることなく、その役割を終える悲しい宿命を背負っている。


 そんな彼女、久遠千代のエピソードを思い出すと自然、涙がボロボロと溢れてくる。

 他人に心を開くことの無かった彼女が、主人公のために行ってきた数々の努力と献身を思えば自然と目頭が熱くなり、胸が締め付けられるのは当然のことである。


 くそ……、くそ! 薄々覚悟していたとは言え、実際に目の当たりにすると……!!


 序盤の圧倒的な出番の多さから人気キャラだったが、中盤以降はもう一人のヒロイン『二上双葉ふたがみ ふたば』の正妻力が爆発、作品内外での人気を掻っ攫われていた。

 たしかに、最終巻以前から“負けヒロイン”の誹りを受けてはいたが、それでも!


 彼女の一途な思いは実を結んで欲しかった! 努力が報われて欲しかった!


 この展開を否定したいわけではない。こんなにも心を揺さぶられる物語が面白く無いわけなく、間違っているわけがない。主人公の選択は間違っていない。それでも、だとしても!


 感情的になっている……、内容が頭に入ってこない。


 そう思った俺はベッドの上で仰向けになると目をつむる。煮えたぎった心を落ち着かせ静かに作品に向き合いたいからだ。


 だが、これがいけなかった。


 精神的疲労と睡眠不足は容易に俺から意識を奪う、寝落ち。

 目覚めは時すでに遅し。通勤時間の逆算から導かれる答えはレッドラインを突破。


 遅刻が確定する。


「やばい……」


 血の気が引く。遅刻なんて学生以来初めてだ。

 決して穏健ではない上司からなんて言われることか。


 寝起き直後で鈍った思考、遅刻確定の焦燥感から冷静な判断力を欠いていた俺の行動は愚かに尽きる。

 慌てて着替えを済ませた俺は家を飛び出しそのまま道路にも飛び出す。


 そこで俺の人生は終わった。


 とてつもない衝撃を受けた俺の意識は飛びそのまま消え去る。


 そのはずだった。





 まとわりつくような不快感。寝汗ににじんだシャツが張り付き、締め付けられるように頭が痛い。

 薄くて硬い掛け布団を跳ね除け飛び起きる。


「はぁ……はぁ……!」


 息苦しい。頭が痛い。気持ち悪い。


「あれ……、車に跳ねられたんじゃ……?」


 両腕を見る、ちゃんと動く。頬をつねる、痛い。おかしなことは何もない。少しでもないが頭が痛くて寝汗がすごいだけで異常はない。


 なんだ、夢か。漫画であるまいし、あんなバカみたいな死に方するわけないか。


 ほっとしたのもつかの間、ふと顔を上げてみると目の前に広がる光景に血の気が引くのがわかる。


「どこだ、ここ……」


 俺の部屋じゃない。確かに、俺の住んでいたアパートは決して広くもないし、整理整頓が行き届いていたわけでもなかった。しかし、この部屋の有様ほどではない。


 むき出しのゴミ袋、生活用品の散らばった床、食べかけの弁当が机の上に放置され洗濯物が山の様に積まれている。


 なんだこれ、なんでこんな……!?


 事態が飲み込めずあたりを見回すが見覚えのあるモノは一つもない。混乱し、泳ぐ視線の先にあるモノを捉えた。


 それはハンガーに掛けられていた高校の制服。この部屋の中で唯一見覚えのあるそれ。


「この制服は……」


 それは昨日の夜に読んでいた漫画、『ボッチの俺には荷が重い』で主人公たちが通う高校の制服である。


「コスプレ……?」


 訳がわからない、俺はまだ夢を見ているのだろうか? しかし、夢にしては意識がはっきりしている。どういうことだ?


 混乱する思考を落ち着けようとしていると空いた窓から風が入り閉じたカーテンを揺らした。

 隙間からこぼれた光がテーブル置かれた鏡に反射して俺の顔を照らす。瞬間、俺は鏡にちらりと映った自分の姿に驚愕する。


 慌てて持ちあげた鏡を除くと、そこにあったのは見知った俺の顔では無かった。


「なんだよこれ……、どうなってんだこれ!?」


 明らかに染められたとわかる金髪。耳に着いたピアス。それでいて以前の俺のそれと比べ物にならない整った容姿。少しつり目で悪く言えば悪人面といえるがぜんぜんイケメン!


 なんだこれ、めっちゃイケメン! いや、喜んでいる場合じゃない。


 そこでふと思う。見覚えがある。

 知り合いや親族、そういう親しい人物ではない。一方的に知っているだけの顔。その答えを解くカギはすぐそばにあった。


 鏡の置かれたテーブルの上、そこに冊子が置かれていた。ろくに開いた跡のないそれの表紙に書かれていたのは……。


「入学案内……」


 そこで、一つの結論が思い浮かぶ。あの制服は本物だ、俺の大好きなラブコメ漫画『ボッチの俺には荷が重い』に登場する高校のモノ。そしてその高校の入学案内、そして俺、この顔はその漫画の主人公……!!


鳴希なるきー? 起きてるの?」


 俺を呼ぶ女性の声、それを聞いた途端に締め付けるような頭痛がスッと消え、頭の中に情報の波が押し寄せる。

 経験したことのない記憶、俺だった俺とは違う人生の記録、経験。推測が確信に変わり現実を受け入れる。


 そう、俺は漫画『ボッチの俺には荷が重い』に登場する主人公――――の“当て馬”的ライバルキャラ、『成嶋鳴希なるしまなるき』になっていた。


「まだ寝てるの?」


 扉を開き一人の女性が部屋に入って来る。彼女を見た俺には2つの考えが浮かぶ。“かつて”の俺としての記憶に彼女に見覚えは無い。だが、“成嶋鳴希”としての記憶には彼女の存在がある。


「叔母さん……」


 成嶋鳴希の現在の保護者。漫画内に登場していないキャラだ。

 当然その存在を知っているはずがない、なのに知っている。不思議な感覚に少し戸惑うがなぜか、納得がいく。

 つまり俺は、かつての俺としての記憶を持ちながら成嶋鳴希として生まれ変わったという事か? 我ながら冗談みたいな結論だ。


「鳴希、早くしないと遅刻するわよ。今日が入学式ってわかってるわよね」


 その言葉を聞き俺は時計に目をやる。時刻は8時過ぎだ。そこで、漫画の設定を思い出す。学校の始業時間は8時30分、校門はその5分前に閉められ遅れた生徒は生徒指導室行きだ。

 なぜ、そんな細かいことまで知っているのか? それは俺が好きなヒロイン、久遠千代が毎日遅刻寸前に登校しながらも校門が閉まり始めると同時に通過するため教師が注意したくても出来ないという設定だからだ。


「ほら早く準備しなさい。全く……高校生になってもだらしないんだから」


 叔母の小言を聞き流しつつ準備を進める。いつも見ているだけだった制服に袖を通すと少し感慨深いものがある。コスプレ衣装とは違う本物のそれだ。


「ネクタイ曲がってるわよ」


 そう言った叔母の顔には笑みが浮かんでいる。成嶋鳴希としての俺の記憶には女手一つで甥を育ててきた彼女の姿がある。俺も社会に出てようやく理解できた、金を稼ぐという行為の大変さを。それに加え子ども一人の人生を背負っているのだ。

 漫画内の成嶋鳴希は嫌な奴だったが、家庭内にはいろいろな苦労があったと言うことだ。


「いってらっしゃい」


 叔母に見送られ俺は家を飛び出る。しかし、道路は慎重に渡る。

 学校への道を進みながら俺は考えを巡らせていた。


 これは夢じゃない。間違いなく現実だ。俺は成嶋鳴希として生まれ変わった。

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