第24話 天路歴程
数日後、シオンはフィンランド行きの飛行機に乗っていた。いろはの思いを届けてから、シオンは死神になった。
伽藍だった少年は、『愛』を知るため死神と旅をした。そして青年になった今、彼は一人で、もう一度答えを探す旅の決心をした。
台湾の老人は、愛を時間だと言った。いろはは、信じることだと言った。二つともシオンにとっては正解で、けれど足りない。
慣れないスマートフォンに挿れた『タイヴァス』の旋律に浸りながら、シオンは夢を見た。
それは、とある老人の話。身体も強く、頭も切れた彼は、若い頃に打ち立てた財産で富を築いた。彼は貧しかった頃からの恋人と歩みを共にし、子をもうけた。彼は神を信じていた。
やがて彼は社交界で名が通るようになり、家を空けることが増えた。妻と子には、莫大な富で不自由はさせていないと信じていた。
ある日、妻が死んだ。原因は、表面には症状が現れない奇病だった。間も無くして、子も消えた。妻と同じ病だった。
男は後悔した。もっと目を向けていれば、と。話していないことがあり、机の中には渡せなかったクリスマスプレゼントが溢れている。男は金を使い、人を遣い、死神の切手を手に入れた。
呼び出した死神は、手紙を届けてくれた。妻も子も、満足だと綴ってくれた。けれど、彼は自分を許せなかった。
すると死神が突然現れて、手を伸ばした。「本当に悔やむなら、私と共に来い。お前の使いきれない金は、別の誰かを救える」
自分の孫ともつかない少女の手を、男はとった。
男は死神の遣いとして、人を救った。時にはその権力で。時には金で。かつての友が遺した教会に、支援金を送った。
それは、とある少女の話。生まれた時から周りと比較できない才能があった彼女は、孤独な幼少期を過ごした。
そんな彼女は、ある時学校の屋上で少女を見つけた。自分と同じ年のその少女は、誰よりも尖った才能があった。
二人の天才はすぐに仲良くなった。天賦ゆえの孤独を分かち合い、互いを研鑽した。彼女たちの音が世界に響くのに、そう時間はかからなかった。たった十五で百万の人を魅了し、磨き上げられた才能たちが刃を剥く世界でも、少女たちは突き進んだ。
音が消えたのは、一人を事故で失った後だった。世界に求められても、どれだけ鍵盤を叩いても音は出なかった。
そんな彼女の元に、死神の切手はやってきた。相方の遺したヴァイオリンから出てきたものだった。
彼女は死神を呼んだ。けれど手紙を書かなかった。伝えるべき想いは、音で伝えた。したためた想いは、胸にしまった。
死神が現れたのは、そのすぐ後だった。「君の才能は想いを伝えるには最適だ。その音、空に届ける気はないか?」
答えは迷わなかった。まだ大人になったばかりの彼女は、再び『空』を目指した。
それは、一人の死神の物語。かつて死神は、遠く東の国で、一人の少女として時を過ごした。少女には親がいなかった。施設で育った彼女は、人一倍愛を知りたがった。そして本を読み、人を知った。
少女は成長し、義務教育を受ける歳になった。周りは少女を卑下した。けれど少女は気高く、美しかった。
翌月に施設から出るのが決まった時、彼女は一人の男を見た。それは不思議な老人で、いつも真っ黒なスーツを着ていた。彼は夜に施設に来ては、子供達の枕元に何かを置いていった。
死神の手紙を見たのは、それが初めてだった。少女は夜に老人をつかまえ、話を聞いた。彼は自分を死神だと言った。老人の話を聞くにつれ、少女は死神に惹かれていった。そうして施設を出る時に、彼女は老人に、「私も死神になりたい」と言った。老人は拒まなかった。
それから彼女は世界をまわった。死神として想いを届け、自分なりの『愛』の答えを見つけると、老人は消えた。
一人になった後も、彼女は想いを届け続けた。死神としての己を自覚した時、彼女の寿命は消えた。けれど体は変わらず成長した。
彼女は様々な人に出会い、愛を知った。仲間が一人増え、また増えた。
最後の一人は、伽藍の少年だった。死神は、少年が満ちるのを己の望みにした。
ルスカの季節を迎えたフィンランドは、鮮やかな色に染まっていた。終わりを迎える草木が最後の抵抗に朱を作り、世界がキャンバスの中に閉じ込められる。
コートを着込んだシオンは、コンサートホールに向かっていた。大きな天幕が上がると、溢れんばかりの拍手が起こる。
彼女は臆することなくピアノに手を添え、曲を奏でた。空の向こうへ届いた、その曲を。
感動が冷めないホールを駆け抜け、シオンは楽屋へ向かっていた。警備員に名前を言うと、すんなり通ることができた。
何度か扉をノックすると、返事とともに招き入れられた。絢爛豪華な花束や菓子折りよりも、彼女はすぐに目についた。
「来てくれたんだね、シオンくん。久しぶりだから、少しは成長した?忘れられてるかと思って、割と本気でヘコんだ時期もあったんだよ?」
「ごめんルミ。チケット貰ってたけど、行けなかった。でも、タイヴァスの曲は全部聞いてる。俺はルミのファン一号だから」
「……懐かしいなぁ。まさかシオンくんの声を上から聞く日が来るとは」
「ルミは変わらないな。キレイだ。ドレスも曲も」
低くなった声、大きくなった背。いつかの小さな死神が自分よりも大きくなったことが、ルミの胸を熱くした。
連絡が来たのは数度だったが、元気にしているだけでも嬉しかった。だからこうして見に来られるのは、恥ずかしさと、例えられない幸せとが同時にあった。
「それで、今日は何を聞きに来たの?新曲だけってなら、今夜私の部屋で特別コンサート開いてもいいよ」
マネージャーが息をのんだのが聞こえた。けれど、止めはしなかった。
「俺、金がないからさ。泊めてもらえるとありがたい。それで、聞きたいことなんだけど……。ルミにとって、愛ってなに?」
人によって愛は違う。だから愛を聞いて、シオンは自分の愛を見つける事にした。
「私にとっての愛……。約束かな。未来も過去も誓い合う、指切りが愛」
「……ありがとう。なら俺もルミと約束する。次のコンサートも、その次も来れるかわからない。けどルミがいる限り、俺はずっとルミのファンだ」
その日シオンは打ち上げに参加し、ルミの家に泊まった。半ば泥酔した彼女は、あの曲を奏でてくれた。
耽美な音色に、シオンはずっと耳を傾けていた。
シオンは世界中の、今まで死神と関わった人の下を訪れた。たくさんの人の愛を知り、シオンは何度も空を見た。
山に命が芽吹き始めた頃、シオンはグリアンの家を訪ねた。彼は快く死神を迎えいれ、息子として扱った。
家にはアールもいた。相変わらず燕尾服を華麗に着こなし、書類の山と戦っていた。二人の関係は変わっていなかった。
ある時、シオンは愛について訊ねた。窓から広がる海岸線から、グリアンは答えた。
「愛か……。この海よりも深いもの、大きいものと、私は考えている。こんな意見で、力になれたかな?」
「あぁ。ありがとう、グリアン。アールは?」
「僕ですか。僕の愛は、糸ですね。どれだけ細くなっても切れないもので、集まれば包んでくれるもの。あと、大切な人との縁も見つけてくれるものです」
「ありがとう、アール。俺、ここに来てよかった」
「それならいいんだ。君の幸せを、私は心から願っているよ」
イングランドの丘を登り、空に近いとこから街を見た。世界は広かった。
次にシオンが向かったのは、メリッサの住む国だった。戦争が放棄されたあと、彼は国連の機関に引き取られ、各国をボランティアで支援しながら暮らしていた。
満足な食料も水もない中、メリッサは少しづつ笑顔を取り戻していた。
「なにか食べたいものあるか?俺が作ってやる」
「別に。俺は腹一杯だからよ、こいつらに食わせてやってくれ」
農作業を手伝いながら訊ねたシオンに、メリッサは二人の子供を連れてきた。指を咥えた、小さな男と女の子だった。
「こいつら、もう三日もなにも食べてない。まともな飯を食ったのは一月前だ。頼むシオン」
頭を下げられる前に、シオンはリュックを降ろす。隙間から覗いた世界中のお菓子に、子供たちは目を見開いた。
「取り敢えずコレでも食べてて。他にも缶詰とかがある。この作業が終わったら、街まで一緒に買いに行こう」
子供たちは一度シオンにハグをすると、すぐに袋を破り始めた。甘い香りに誘われて、メリッサの手も伸びてくる。
夕焼けの砂利道を、二人は両手いっぱいの食料を抱えて歩いていた。初めて満たされた子供たちは、既に背中の上で寝息を立てている。
シオンと違う方法で、メリッサは愛をつかんでいた。
「メリッサにとっての愛ってなんだ?俺は今、いろんな人の愛を聞いて世界を回ってるんだ」
「……俺の愛は、手を伸ばすことだ。崖の下でも、川の向こうでも、どこにいようと俺は差し伸ばされた手を掴みたい」
迷いなく言い放ったメリッサは、少し大人の顔をした。
「今日はありがとうな、シオン。世界を回ってるんだよな?次はどこ行くんだ?」
「次は……、少し勇気がいるところだ。でも、もう行ける。俺の方こそ、愛を教えてくれてありがとう」
何十と人を訪ね、シオンは愛を問うた。想いの行方を掴もうとした。追えば離れるその答えは、時に振り向いてシオンを嘲笑った。
だから、シオンはそんな『愛』に微笑みかけた。
シオンはフランスへ向かう列車の中にいた。全面にオリーブの木があしらわれた装飾が売りの寝台列車。予約の看板が置かれたテーブルで、シオンはジュースを飲んでいた。
「久しぶり。元気にしてた?ダヴィ」
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